第二十七話:脱走者
翌日、昼休み。
「……結局、何だったんだろうな、あの人は」
(話を聞くからには、彼女もまた魔術師なのだとは思う。思うが……)
テトラは言いかけて、しかし言葉を区切る。
先を促さなくても、彼方にはそう口ごもる理由は分かっていた。
「――私、こう見えて実は人間じゃないんですよー」
あの女性……久遠藍瀬と名乗った彼女は、確かに自分の口でそう言っていた。
正直な感想を述べるのならば、意味が分からない。
極端な話、ある種の電波系な人なのではないかと疑ってしまうくらいだ。
とはいえ、彼女が彼方は泉水のように使い魔を連れ歩いていることから考える分には、彼女が魔術師であろうということはある程度確信してもいいことだとは思う。
昨夜、突然目の前に現れた彼女はそのあとにこう続けていた。
「……人を探している、ですか」
「ええ、そうなんですよ。多分この街に逃げ込んだんだと思うんですけどねぇ。何と言うか、逃げ隠れするのだけはある意味で天才的なヤツなんですよ」
わずかに苦笑しながら藍瀬は続ける。
「笑っている場合じゃないでしょう、藍瀬。万が一見逃しでもしてしまえば、上からまた何か厄介事を押し付けられることになるのよ? 少しは焦ってちょうだい」
「あはは、ゴメンゴメン。でもまぁ、うん。何とかなるなる。きっと、多分、恐らくは」
「……そうね、期待してるわ」
言葉とは裏腹に、藍瀬の使い魔である白猫は深く溜め息を吐き出した。
そんな光景を目の前にして、彼方は未だにワケが分からないままだった。
分かったのは一つ、藍瀬が人探しをしているということだけだ。
「……なぁ、アンタ、何しにここへきたんだ?」
「はい?」
「……だから、人を探してるんだろ? だったら、こんなとこでもたついてる余裕なんてないんじゃないのか?」
「…………」
彼方が言うと、藍瀬は少しだけ考えるような素振りを見せる。
人差し指をあご先にあてがい、何やら考えるような仕草を見せる。
そして数十秒後。
「…………あああああ、しまった…………」
本当に今の今までそんなことには考えが及んでいなかったかのように、間の抜けたりアクションを示した。
「ど、どうしようレイヤ? このままじゃ私、クビじゃない? やばいわよまずいわよ、冗談抜きで大ピンチじゃない?」
「……今の今まで自覚がなかったの? 毎度のこととはいえ、アナタはもうちょっと緊張感というものを身につけるべきだと思うの」
「あー、もう! 難しいことは分かんないわよ!」
「……難しい、かしら?」
まるで安っぽい漫才を見せられているようだった。
裏表のない性格といえば聞こえはいいかもしれないが、端から見れば単なるバカ丸出しの光景である。
「……テトラ、何なんだよこいつら」
「……適切な言葉が思い浮かばない」
「同意だ」
「……まぁ、とりあえず敵対する存在ではないように思えますが……」
言いかけて、泉水は言葉を投げる。
「失礼ですが、あなたも魔術師なのでしょうか?」
「……え? ああ、私ですか?」
「はい、あなたです」
「んー……」
「悩むような質問か?」
彼方は小声で呟く。
「ああ、いや、そうじゃなくってね。んー、どう言えばいいのかなぁ……」
「イエスでいいじゃない。魔術を扱えることには変わりないんだし」
「いやまぁ、そうなんだけどさぁ。厳密に言うと、結構ややこしい説明が必要になるじゃない、私の場合は」
「妙なところで几帳面なのね。まぁ、実際にややこしい存在ではあるから否定はしないけど」
「むぅ。あっさりと言い切られると、それはそれでそこはかとなく苛立ちを覚えたりしちゃうんだけど」
「……どうしろって言うのよ」
もう一度溜め息をついてから、白猫は泉水のほうに向き直る。
「私が変わりに答えておくわ。いかにも、藍瀬は協会に所属する正真正銘の魔術師よ」
「協会?」
その言葉に、泉水はわずかばかりの反応を示す。
「それはもしかして、魔術協会……サンクチュアリのことでしょうか?」
「それを知っているということは、やはりアナタ達も魔術師のようね。確かめるまでもなく、魔力の量で分かってはいたけど」
「私や彼は、彼女と違って協会には属してはいませんがね」
「おい、泉水。どういうことだよ? 話が見えてこないぞ」
「ああ、すいません。協会というのはつまり、魔術師同士が共存している場、とでも言いましょうか……その時代時代で、もっとも多くの魔術師達が集う場所、一種の組織団体のようなもののことです」
「厳密には、現在確認されている魔術師の八割以上の人材を収容している施設のようなものよ。同じ施設が世界中のあちこちの国に極秘で設立されていて、歴史の表側にその姿を現すことはまずないわ。知らなくても無理はないでしょうね」
「話を戻しますが、その協会所属のあなた方がこうしてこの街にやってきたのは、先ほどの様子だと人探しとのことですが」
「ええ。本来ならあまり他言することではないのだけれど、同じ魔術師同士の間なら問題はなさそうね」
一呼吸置いて、レイヤは話を続ける。
「一ヶ月ほど前のことなのだけど、協会で保管されている教典を盗み出して脱走した魔術師がいるの。私達はそれを追ってあちこちを探し回ってきたのだけど」
「思うようには捕まらず、その過程でこの街に逃げ込んだ可能性があることまでを突き止めた。そういうことですか」
「その通りよ。私達としては、一刻も早く脱走者を捕獲して、奪われた教典を取り戻さなくてはいけないのだけど……これがまた、思った以上に厄介なの。脱走した魔術師は、特別秀でているというワケではないのだけど、移動系と惑乱系の魔術に関しては右に出るものがいないと言われるほどの魔術師だった。逃げ隠れするだけなら、まさに専門分野というわけよ」
「それはまた……確かに厄介なことになっているようですね。移動と惑乱、どちらも見破ること自体はそう難しくありませんが、重複呪文などをされると……」
「そういうわけで、こっちもちょっと手を焼いている状況なのよ。足取りさえ掴んでしまえば、あとは一気に叩き伏せることもできるのだけど……」
言いながら、レイヤは藍瀬を見上げる。
藍瀬は未だにうんうんと唸りながら、何かどうでもいいようなことを悩んでいる様子だった。
「……まぁ、そういう身の上でね。ここにやってきたのは、街中を見回っている途中で魔力の乱れを感じ取ったからよ。そうしたらこの場所にあなた達がいた。それだけで、別に他意はないわ」
「……どうやらそのようだな」
「うむ。少なくとも、我らに対する敵意はないようだ」
テトラとアルタミラは互いに頷く。
それならばとりあえずは一安心だろうと、彼方も体の緊張を解く。
「それで、これからどうするおつもりです?」
「この街に脱走者が逃げ込んだのは、まず間違いないと思うの。だから、しばらくは昼夜を問わずに街のあちこちを探ってみるしかないでしょうね。一応網も張るつもりだから、うまくそれに引っかかってくれればいいんだけど……」
「網を張るって……まさか、街中に何か術式を施すつもりか?」
「つもりというよりも、すでに施しているわ。監視の呪文の術式をね」
「ふざけ……」
「落ち着け、彼方。大丈夫だ。監視の術式は他の生物に影響を与えるような効果は持ち合わせていない」
「っ、そう、なのか……?」
「監視は名の通り、一定の範囲か特定の物体を観察する呪文だ。主に路上や壁面などに術式を施し、通常の視覚の範囲外の景色を間接的に頭の中へ映像として送り込ませるものだ。よって、生物に悪影響を及ぼすことはない」
「……なら、いいけど」
「……まぁ、そういうわけだから、うまくその包囲網の中に足を踏み込んでくれれば、そこから追跡を開始できるんだけど……」
「正直、期待は薄いでしょうね」
「そうね、相手が相手だから。でも逆に、この街から逃げ出される心配はしばらくないわ。街の周囲には強力な術式結界を展開してあるから……これも生物には基本的に無害なものよ、安心して」
途中で彼方の顔色を伺い、レイヤはそう付け加えておく。
「この結界は、教典に反応して効果を発揮するものなの。もとは教典を保管する場所に施されていたものなのだけど、それを応用したものをそっくりそのまま張り巡らせてもらったわ。もっとも、効果にも限りがあって、せいぜい一週間程度しか展開を持続できないのだけど」
「けど、それって意味あるのか? だって、その教典を持って脱走したヤツってのは、その仕掛けを解いたから教典を持ち出せたんだろ? それじゃ簡単に突破されちまうんじゃ……」
「確かに、脱走者は外側から教典を尾伍する術式を打ち破っていたわ。どうやったかは分からないけどね。けど、今の状況では立場が逆なのよ。教典は今、術式の内側にある。今この街を取り囲んでいる術式結界は、内側からは絶対に破壊されないものなのよ」
「なるほど。それならば確かに、広い意味では袋のネズミ状態というわけですか」
「だから、私達に与えられた猶予は一週間だけ。その間に脱走者も教典も捕らえなくてはいけない」
言い終えて、レイヤは一度目を閉じる。
とりあえず、大体のことは把握できた。
言われてから確かめるように気配を探ると、確かに街を取り囲むようにして魔力の壁が構成されている様子が分かる。
「……突然で申し訳ないのは承知しているのだけど、いいかしら?」
と、レイヤが口を開く。
「迷惑だとは思うのだけど、私達に力を貸してもらえないかしら? もちろんこれは強制ではないから、断ってもらっても結構よ」
「……どうします、一条君?」
「……俺に決定権があるのか?」
「そういうわけではありませんが、参考までにと」
「…………」
泉水はあえてわざとらしく聞く。
本当は分かっているのだ。
こういう状況ならば、彼方は間違いなく力を貸すということに。
「……いいよ、分かった。どこまでできるか分かんないけど、自分の街にそんなのが紛れ込んでるって言うのも、いい気分じゃないしな」
「だ、そうです。そういうことなので、私も及ばずながら助力はしますよ」
「助かるわ、ありがとう」
「……っていうよりも」
言いかけて、彼方は未だに何やら唸り続けている藍瀬に目を向ける。
「……何ていうか、使い魔ってのも大変だな。その、色んな意味で……」
「……まぁ、ね。でも、藍瀬は腕は確かだし、実力は私が保証するわ。それはあなた達も魔術師なら、何となくでも分かるでしょう?」
「……そりゃまぁ、そうなんだけど」
「人は見かけによらないとは、まさにこのことですね」
「……厳密には、人間じゃないんだけど……まぁ、細かいことはこの際なしにしておくわ」
そんなこんなで、突然の夜の密会は終了した。
これから一週間ほどの間は、行動を共にすることになるだろう。
「……今にして思えば、すごい成り行きだよな」
(……後悔しているのか?)
「いや、全然。むしろ、不謹慎なことこの上なく、不思議とやる気が出てるくらいだ」
(お前らしいな、彼方)
「……もっとも」
言葉を区切り、彼方は体を起こす。
「一番心配なのは、あのぼんやりした人のことなんだけど……」
青空を見上げて、彼方は深い溜め息をついた。