第二十五話:訪問者
「どういうつもりだ?」
「どう、とは?」
一通りの授業が終わり、今は放課後になっていた。
ホームルームが終わるや否や、彼方は真っ先に職員室を訪れ、その中に泉水の姿を探したが見つからなかった。
他の先生に話を聞いてみると、一足違いで美術室に向かったとのことだった。
彼方は階段を大急ぎで駆け上がり、廊下を突っ切って美術室の扉を乱暴に開ける。
するとそこには、まるで待ち構えていたように泉水が立っていた。
相変わらずの考えの読めない曖昧な笑みを浮かべてはいる。
「だから、どういう理由で教師に化けてこの学校にやってきたのかって聞いてるんだ」
「化けるなどと、人聞きに悪いことはよしてください。これでも本当に教員免許を取得しているんですから」
「……だとしても、どうして俺のいる学校を選んだ? たまたまそうだったなんて言わせないぞ」
「いえ、残念ですがこれもたまたまでして……」
言いかけた泉水を、彼方はジッと睨みつける。
「……冗談です。確かに、あなたが所属する学校を選んで、こうして赴任してきました」
「……目的は何だ? 前の術式を止められた腹いせでもしたいのか?」
「まさか。それが目的なら、こんなにこそこそと隠れるようなまねはしませんよ。もっと素直に、正面から堂々とやれますから」
泉水は笑ったままで言ったが、実は結構とんでもないことを言っている。
そして実際、泉水ならそうするだろうと彼方も思った。
素直に納得するのは癪だが、一度戦った相手の考え方は何となく分かるものだ。
「……じゃあ、一体何が目的なんだよ?」
「目的、というほど大それた大義名分はありませんよ。少なくとも、今の時点ではね。ただ、今後もしも何かが起こるようなことがあるのならば、恐らくその中心か、あるいはそれに近い場所にあなたがいる。そんな気がしましてね」
「どういうことだよ?」
「言葉どおりの意味ですよ。実際、現時点でも十分に異常なことが起こっているんですよ」
「それは、ナキガラのことだろ?」
「それもありますが……それ以上に、一つの街に二人の魔術師が存在するという時点で、ずいぶんとおかしなことなんです。それは、そちらの使い魔の方も分かっているのではないでしょうかね」
「……そうなのか、テトラ?」
彼方はロザリオに問う。
(……確かに、珍しい光景ではある。この時代は、魔術の血筋がかなり疎遠になり、もはや絶滅寸前と言い換えてもいいほどだ。そんな時代にもかかわらず、こうして二人の魔術師が巡り合ったことには、多少は奇妙さを覚えもするが……)
「……まぁ、思い違いならそれはそれでいいのですよ。結局のところ、これは私の単なる勘に過ぎません。ですが、妙なことに私の勘は当たるんですよ。それも、悪い方向に傾く場合に多く、ね」
「…………」
「ですが、一つだけ安心してください。別に私は、先日の出来事がどうこうという理由でこの学校の教師になったわけではありません。そんなつもりは毛頭ないのですよ。魔術師であるとはいえ、私もあなたも一人の人間だ。学生は学校に通うのが仕事であるように、私も今は教師として働くことが仕事なのですよ。断言しましょう。あなたの敵になるつもりはありませんし、この学校はもちろんのこと、この街に対して危険をもたらすつもりもありません。説得力はないでしょうけどね」
「……それを、信じろっていうのか?」
「信じてもらえれば嬉しいですが……まぁ、いくらなんでもすぐには無理でしょう? 多少の時間は必要かと思われます」
泉水は言うと、机の上の資料をまとめ始める。
「とりあえず、今日はこのくらいにしてもらえますか? 一応私にも、仕事が残っていますのでね。何かあれば、相談に乗るくらいのことはしましょう。少なくとも、魔術師としての経歴ならあなたよりも先輩ですから」
「……何か、気味悪いくらいに協力的だな」
「そうですか? まぁ、そう見られても仕方ないかもしれませんが……」
言いかけて、泉水は一度口を閉じる。
しかしすぐに向き直り、言葉を続ける。
「……なぜ、私が次元開放円の術式を行使したか、話したことはありましたっけ?」
「……いや、直接は聞いてない。けど……あの時、アンタは言ってた。彼女を助けたいとか、そんなことを」
「……そう、ですか」
わずかな沈黙。
開け放したままのベランダの向こうからは、運動部の面々の掛け声が微かに聞こえている。
「……あの夜」
「……え?」
「……あの日の夜、夢を見ましてね。ずいぶんと久しぶりでしたよ、夢を見るということが」
「…………」
「これまでは、例え夢の中でも一目会いたいと願っていても、彼女は姿を見せてはくれませんでした。ですが、あの夜だけは、どういうわけか彼女が夢に出てきてくれましてね」
「…………」
「思いっきり叱咤されてしまいましたよ。関係のないものを巻き込んでまで、私を取り戻そうとするな、とね。いやはや、久しぶりだというのに参りました」
泉水は苦笑いしながら、それでもどこか嬉しそうな表情を見せた。
「……多分、あの日術式が完成していたとしても、私は彼女を取り戻すことができなかったのかもしれません。むしろ、失敗することで私は彼女と会うことができました。例え夢の中でも、十分でしたよ。お説教しかされていませんがね」
「……アンタ」
「……これでもね、感謝しているんですよ、あなたには。おかげで私は、彼女の笑顔までは失わずに済んだみたいです」
「……やめろよ、気持ち悪いな」
「ええ、自分でもそう思います」
そうは言うが、やはり泉水はどこか満足したような表情を浮かべていた。
「……いいよ。とりあえず、今のところはアンタの言葉を信じてやる。けど、もしもまた何かするつもりなら、その時は」
「ええ、全力で叩き潰しにきてください。そうならないよう、私も気をつけますけど」
「…………」
無言のまま、彼方は扉を閉める。
そしてそのまま、人気のない廊下を歩いていく。
「……不思議な人ですね」
「言いえて妙、だな」
いつの間にやってきたのか、泉水の使い魔であるアルタミラは、開いたままのベランダからやってきて、机の端に着地した。
「……アルタミラ、以前あなたが言っていた、油断できないという言葉の意味が、少し分かってきた気がします」
「あの頃と今とでは、多少なりとも意味合いが異なっているとは思うが……」
「そうかもしれません。ですが、それでも根底の部分は同じですよ。彼は、様々な意味で危うい存在なのかもしれません。そう遠くない未来、また彼を中心によからぬことが起きるような……そんな気がするんですよ」
「……主の予感は当たるからな。注意することだ」
「ええ、本当に……どうでもいいことや厄介事に限って、的中するんですよね。我ながら困ったものです」
言いながら、泉水は椅子に腰掛けて作業を始めた。
どの道、何も見えていない現時点で悩んだところで何も始まりはしない。
何かが起こるとすれば、自然とその前触れも姿を現すことだろう。
それが偶然にしろ、そうでないにしろ。
いずれにせよ、その中心にきっと……彼は、いる。
街はすっかりオレンジ色に染まっていた。
駅前に近づくに連れて人通りも多くなり、もう少し時間が経てば、帰宅するサラリーマンやOLで更に混雑することだろう。
そんな人ごみの真っ只中、足を動かすことをやめて彼女は一人立ち尽くしていた。
腰まで伸びた長い銀色の髪は、束ねられることなくゆらゆらと風に揺れている。
その銀色とは対照的に、彼女の瞳は夕日と対を成すような深く青い色に染まっていた。
彼女はその肩に、自分の身長よりもわずかに大きな棒状の何かを背負っていた。
それは真っ白な布に包まれており、外からでは中身が何であるかは分からなかった。
荷物らしい荷物はその棒と、小さな旅行鞄が一つだけ。
一見すれば小旅行中の旅人のようにも見えなくはないが、それにしてはどこかおかしい気もする。
「ふぅん……」
彼女はぼんやりと空を眺めながら、そんな風に呟いた。
「なるほどねぇ。誘われてきてみれば、外見だけなら至って普通の平和な街並みって感じかしら?」
(確かに、外見だけはそうかもね)
と、第二の声が彼女に相槌を打った。
その声はちょうど、彼女の耳元から聞こえてきていた。
彼女が耳につけた菱形のイヤリング。
緑色の宝石が埋め込まれたその中から、第二の声は聞こえていた。
「けど、中身はまるで正反対ね。この街に一歩足を踏み入れた瞬間から気づいてたけど、何ていうか……ずいぶんと騒々しい街ね」
(これまで立ち寄ったどの土地より、魔力が満ち満ちているみたい。この様子だと、ナキガラの数も相当なものになるんじゃないかしら)
「そうみたいね。けど、それだけじゃ説明がつかないわよ。この街の総魔力量、はっきり言ってハンパないわよ」
(並の人間とナキガラだけじゃ、これほどの魔力を生み出すのは不可能ね。となると、それらしい答えは一つしかないわ)
「……先駆者がいるってことね。うーん、何か面倒なことになりそうな予感」
(何言ってるのよ。あなたの今までの人生の大半が、すでに面倒ごとの雨あられだったじゃない。今更どうということもないでしょうに)
「そりゃそうなんだけどさぁ……結構シンドイのよ、こう見えて。いくら協会側の指令だからっていっても、人使いの荒さにも限度ってものがあると思うのよ」
(それこそ、何を今更でしょう?)
第二の声は小さく呆れたように溜め息を吐き出して、言葉を続ける。
(――人使いも何も、あなた人間じゃないんだから)
「相変わらずイタイところ突くなぁ」
(事実を事実として述べたまでよ。ほら、ボヤいてないで、もう少し街を回りましょう。夜になってしまえば、探すのも厳しくなるんだから)
「はいはい、分かりましたよ。全く、優秀すぎる使い魔様も考えものだわ」
(褒めるかバカにするか、どっちかにしてくれる?)
軽く聞き流して、第二の声は静かに消えていく。
「さて、と。そんじゃまぁ、パパッといきますかね」
言うと、彼女は上着の胸ポケットの中から一枚の紙切れを取り出す。
そして、言う。
「空間移動、オン」
彼女の体が瞬く間に消え去る。
一瞬の後、彼女の体は街の正反対の場所へ転移していた。
紛れもなく、それは呪文による効果だった。
「んー、見た目以上に結構広い街ね。探すのには骨が折れそうだけど……」
彼女は高台の丘の上から街並みを眺め、わずかに眉をひそめる。
「ま、何とかなるかな。今までだって何とかなってきたんだし」
(……これが協会一の腕利きとは、誰も思わないでしょうね)
「ん? レイヤ、何か言った?」
(いいえ、何も。敬愛する我がマスター、久遠藍瀬)
嵐の予兆は、こうして日常の片隅からやってきていた。