第十八話:慢心
およそ十メートルの高低差を隔てて対峙する。
「彼方、行くぞ」
「ああ」
取り出した呪文は空間移動。
いちいち階段を下っている暇などない。
「空間移動、オン」
彼方とテトラの姿が消える。
時間にして一秒にも満たない後、二つの姿はグラウンドの目の前にあった。
だが、そこに。
「っ、いない?」
間違いなくそこにいたはずの泉水が、忽然とその姿を消していた。
「いや、魔力は確かに感じる……」
言って、テトラは周囲を見回す。
その中の一点に、魔力の塊のようなものを見つけると、真っ直ぐに走り出す。
「そこだ!」
飛び掛り、その爪が真っ直ぐに空間を引き裂いた。
直後に、何もないその場所から湧き出るように泉水が姿を現す。
「さすがに、ケルベロスの嗅覚はごまかせないか」
言いながら、泉水はその手の中に握っていたカードを懐にしまいこむ。
恐らくあれは隠蔽のカードだろう。
それと入れ替わりに複数枚の新しいカードを取り出して、そのうちの一枚を目の前のテトラに向ける。
「衝撃、オン」
空気を鷲づかみにするように繰り出される右手。
何もないはずのその手の中に、見る見るうちに魔力が圧縮され、無色の弾丸となる。
「っ!」
テトラは即座に反応し、追撃の一手を諦めた。
真正面からこれだけの魔力を受ければ、当たり所によってはそれだけで全身がバラバラに引き裂かれる可能性がある。
素早く足を止め、後方へ退く。
だが。
「標的、オン」
さらなる追撃の呪文。
「な……」
泉水の視線は、テトラを向いてはいない。
その目は真っ直ぐに、彼方を向いていた。
「っ!」
気づき、彼方が一歩後退するよりも一瞬だけ早く、無色の弾丸は放たれた。
ゴウと、空気の層を突き破って突進する弾丸。
その速さは時速に換算すれば二百キロを軽く超えるほどだ。
目で見てからの反応ではまず回避は間に合わないだろう。
何しろ、彼方と泉水の両者の距離は三十メートルほどしか離れていないのだから。
「彼方!」
テトラが叫ぶ。
泉水は予めこうなることを想定して、彼方とテトラの距離をある程度離しておいたのだ。
いや、そうなるように誘導しながら動いている。
今のテトラの位置からでは、どれだけ急いでも間に合うことはない。
直後に、無色の弾丸は地面の岩盤を砕いた。
ドンという、とてつもなく大きな衝撃音。
コンクリートの地面は軽々と剥がされ、そこからは土の肌が顔を覗かせている。
こんなものを生身に受ければ、ケガ程度で済むはずはない。
「……これで済めば、それに越したことはないんだが」
言いながら、泉水はすでに砕けた地面など見ていない。
すぐにテトラの方へと向き直る。
そしてそこには、さも当然のように彼方の姿もあった。
「彼方、無事か?」
「何とか、間に合った……」
あの一瞬、考えるよりも先に体と口は動いていた。
その手に握ったままだった呪文、空間移動を即座に発動させ、彼方は難を逃れたのだ。
「そう簡単にはいかないようだ」
泉水は短く嘆息し、再び呪文カードを手にする。
「だが、避けているばかりでは君達に勝機はないだろう。今の魔力で、どこまで魔力が持続するかな?」
言って、泉水は再び右手に弾丸を生み出す。
その数は一つではない。
合計で五つ、弾丸は泉水の手のひらから浮かび上がるように滞空している。
「さっきの一撃と、威力が同等などとは思わない方がいい」
そう一言忠告を入れて、しかしためらいなく泉水はそれらを放った。
「ッ、インフェルノ!」
叫び、テトラはその口から灼熱の火炎を吐き出す。
目の前に炎の壁が聳え立ち、弾丸の行く手を阻んだ……かのように見えた。
しかし、それさえもあっさりと突き破って、弾丸は一点を狙って飛来する。
その一点とは、言うまでもなく。
「彼方!」
「く、そ……!」
先ほどの標的の呪文が継続している限り、全ての弾丸は誘導するように彼方を追い続ける。
全ての弾丸は彼方の魔力に反応し、それを追尾するように泉水の意思で定められている。
よって、空間移動などの呪文でどれだけ逃げ回っても、あるいは隠蔽などで姿をくらましたとしても、彼方そのものの魔力を消しているわけではないので、弾丸はしつこく追尾してくる。
「く……」
何度目かの空間移動を終えたところで、彼方もそのことに気づいた。
だが、気づいただけでは意味がない。
このまま延々と空間移動を繰り返して逃げ続けても、持久戦では間違いなく魔力が先に尽きる。
どうにかして対抗しなくてはならないが、彼方の手持ちの呪文カードではこの状況をどうにかできそうにもない。
なるべく長い距離を空間移動によって移動することで、追撃が迫る時間を稼ぐのが精一杯だ。
だがそれは、同時に一回一回の消費魔力も大きくなるということである。
どう考えても長続きはしないだろう。
テトラは泉水と相対してはいるが、その状況は劣勢と言わざるを得ない。
間合いを詰めて爪と牙で襲い掛かろうとはするものの、呪文によるガードが堅すぎるのだ。
テトラ自体は炎を操ることができるが、それは決して魔力を操っているということと同意ではない。
その証拠に、テトラは魔力こそあるものの、呪文カードを操ることが出来るのはほんの一部の下位呪文だけだ。
使い魔の種族によっては高位の呪文を扱えるものもいるが、テトラはそれに該当しない。
もともとケルベロスの種族は、魔術面よりも物理面……打撃面とでも言い換えたほうがいいだろうか。
魔術ではなく、純粋な戦闘においてその能力を活かす種族だ。
もともと魔術の扱いは苦手な種族なので、こればかりはどうしようもない。
だが、それを差し引いても……。
「ぐ……何というヤツだ。これだけ攻めてかすり傷一つもなしとは……」
「光栄だよ、ケルベロス。君の身体能力は、確かに数ある使い魔の中でも上位のものだろう。だが、いかに優れた身体能力であろうと、その攻撃が敵に当たらなくては意味がない」
「っ……」
テトラは思わず舌打ちする。
相当量の魔力を所持しているのは分かっていたことだが、それ以上に呪文の種類も豊富だった。
それでいてコンビネーションが絶妙なのだ。
決してテトラが攻撃に手を緩めているわけではない。
単純に、泉水の防御が堅実すぎるのだ。
守護と耐火。
この二つの呪文を使いこなすことで、テトラの攻撃手段は簡単に封じられてしまう。
「ケルベロスの守護属性は火。念のため耐火の呪文を作っておいたが、どうやら正解だったようだ。さぁ、どすうる? そちらにはまだ何か手段が残されているのかな?」
「く……」
泉水は相変わらず、余裕か嘲りか分からない笑みを浮かべている。
テトラは泉水から目を背けないようにしながらも、彼方のことが気がかりだった。
先ほどから空間移動を連続で行使しており、魔力のそこが尽きることが心配される。
ここ数日でかなりの基礎能力は上昇したものの、それでも経験の差は埋めることはできない。
「マスターが心配かい?」
「……貴様に言われる覚えはない」
「……最初に忠告したはずだ。邪魔はしないでほしいとね。しかし、君達は現にこうして僕の目的を理解し、その上で相対することを選んだのだ。もとより、魔術師同士の間に和解という手段は存在しなかったのかもしれない。だとしたら、これも運命だと思って諦めてもらうしかない」
「……確かに。彼方と貴様とでは、基礎能力と経験には天と地ほどの差があるだろう」
テトラはその部分は素直に認める。
「だが、それだけで余裕が持てるとは、ずいぶんと慢心しているのではないか?」
「……どういう意味かな?」
明らかに優勢に立つ泉水には、テトラの言葉はただの苦し紛れにしか聞こえない。
「言葉どおりの意味だ。どれだけ能力や経験に差があるとはいえ、彼方も正真正銘の魔術師だ。そして魔術師とは、不可能を限りなく可能へと近づける才能のこと」
「……そうだとしたら、どうやら君のマスターは運がなかったようだね」
「それが慢心だと言っているのだ」
「…………」
「知識や経験では補えないものなど、いくらでもある。少なくとも私は、出会って間もないこの期間の間でそのことに気づかされた」
「……興味深いね。それで、それはいかがなものなのかな?」
「……まだ気がつかないのか?」
「何?」
その直後だった。
空間移動によって、彼方が泉水の左側十メートルほどの位置に出現する。
「っ!」
泉水はわずかに身構えた。
だが、これだけの距離があればたとえ呪文で攻撃されても十分に防御は間に合う。
案の定、彼方はその手の中に一枚のカードを握っていた。
それは間違いなく、攻撃系統の呪文のはず。
泉水は彼方と自分との間に守護の呪文を使用し、魔力による障壁を発生させた。
現段階の彼方の魔力では、使いこなせる攻撃系統の呪文などたかが知れている。
「これのことかな? だとしたら、ずいぶんとお粗末なやり方だと言うしか……」
泉水はテトラに向き直り、言いかけた。
だが。
「見ろ。言ったとおりだろう?」
「……?」
泉水はその言葉の意味が分からない。
だが、その時。
背中の方角から、ものすごい速度で何かが近づいている気配を察知し、振り返るその瞬間に気づかされる。
そこに。
自らが放った、五つの弾丸が迫っていた。
弾丸は彼方の魔力に反応し、どこまでも追い続ける。
だがその組み込んだ命令ゆえに、弾丸は本当にどこまでも標的となった彼方を追い続けるのだ。
……そう。
例えば、標的までの道のりの途中に、障害物があったとして。
それが……東真泉水本人だったとしても、そこに例外はなく。
「しま……」
泉水は反射的に叫び、すぐに自らの後方にも守護の呪文による障壁を発生させようとする。
だが、その隙をテトラが見逃すわけもない。
「覚えておくことだ」
「っ!」
「知識や経験も確かに重要だが、必ずしもそれらが戦いの中で主軸になるとは限らない。特に貴様のような、自分の力を過信するタイプの相手には、単純な戦法ほど通用しやすいものだ」
気がつけば、泉水は三方向から同時に襲われる状況にあった。
前方では彼方が、側面ではテトラが、そして後方からは自らが放った弾丸が。
三ヶ所に同時に守護と耐火を発動させることも、泉水の技量ならば不可能でなかった。
だが、今の泉水は揺れている。
自らの慢心と、テトラの言葉によってわずかにバランスが崩れている。
その遅れが、結果として致命的になった。
一瞬の判断が遅れ、後方から迫る無色の弾丸が、無情にも泉水の体に直撃した。