第十二話:意志
週明け、月曜日の最初の授業が英語だったことが眠気の原因だ。
英語は地球語などというフレーズも世間では言われているが、彼方から言わせれば言語道断、デタラメもいいところである。
むしろ、世界共通の標準語として日本語を強く推薦したい気分だ。
……とまぁ、そう叫び出してしまいたくなるくらいに彼方は英語が苦手である。
期末テストの平均点を下げる原因が英語であることは、もはや今更になって言うまでもない。
「……せーの」
「あ?」
ふいに聞こえたそんな言葉に、彼方はその方向を振り返る。
その瞬間、ボスンと音を立てて何かが顔面に直撃した。
痛みはほとんどない。
顔面に直撃したそれは、購買で売られているサンドイッチだった。
「さすが帰宅部」
「褒められてるのかバカにされてるのか、イマイチ判断が難しいな」
「どちらでもないと思うわ」
聞き慣れた三人分の声。
地面に落ちたサンドイッチを拾い上げ、彼方はその三人を見返す。
「……何だ、誰かと思えばお前達かよ」
三人はぞろぞろと彼方の座る芝生にやってくる。
一応言っておくと、ここは土足厳禁というわけではないので問題はない。
「何よ、その態度は。いっつも一人寂しくお昼を食べてるアンタを不憫に思って、こうして気を使ってあげてるのに」
「頼んだ覚えはないけどな。それと、いつもってわけじゃないだろ。俺はお前達と違って学食派じゃないんだよ」
そんなことを言っているうちに、西花を含めた友人三人は彼方の横に座る。
「まぁまぁ。痴話げんかはそのくらいにしてだな」
「「ケンカ売ってんのか?」」
彼方と西花にステレオで突っ込まれ、彼……和泉大地はわずかにたじろいだ。
「大地がくだらないこと言うからでしょ。いつもながら空気が読めないわね」
そんな手厳しいコメントを下す彼女は、大地同様同じクラスの友人である日下部斎だ。
彼方を含めたこの四人は、中学時代からの同級生だ。
もっとも、四人全員の志望高校が同じであったことはただの偶然である。
一年生ではそれぞれが見事バラバラのクラスになってしまったが、二年に進級してこうしてまた四人揃って顔を合わせることになったというわけだ。
「とりあえず、昼飯にしようぜ。昼休みは貴重だからな」
「大地のムダ話のせいで、その貴重な時間が削られているのだけどね」
「ハイハイ、そりゃどうもすいませんでしたね……ってお前もう食ってるし!」
「貴重な時間をムダにはできないでしょう? 自分で今言ったばかりじゃない」
何と言うか、相変わらずの展開だ。
だがまぁ、斎の言うことはもっともだ。
彼方も早速手の中のサンドイッチを食べることにする。
だが……。
「…………」
先ほど顔面で受け止めたせいだろう、サンドイッチのドレッシングがパックの中で飛散していた。
とりあえず、この行き場のない怒りをどうにかするために、彼方は大地の後頭部を一発殴っておくことにする。
空腹はほどなくして満たされた。
午後の授業が始まるまで、まだ三十分近く時間が残っているはずだ。
今日は天気はいいが、気温は普段に比べていくらか低い。
風も出ており、教室で机に突っ伏しているよりもこうして外に出て風に当たっている方が気分がいい。
まさしく絶好の昼寝日和である。
そして彼方は木の幹に背中を預け、のんびりと食後の休憩を楽しもうとした。
したのだが……。
「コラ」
すぐ隣から西花に小突かれ、それを妨害されてしまう。
「何だよ、一体……」
「食べてすぐに寝るって、アンタ原始時代の人間?」
「別にいいだろ。お前こそ、口と同時に手が出る時点で原始人以下だろ」
当然のように殴られた。
これは食後の運動なのだろうか?
それにしてはずいぶんと一方的である。
「彼方は興味ないのか? こういうのは」
「……こういうのって、どういうのだよ?」
「これだよこれ」
大地から雑誌を受け取り、見開きにされたそのページを流し読みする。
何となくオカルトっぽいイメージのあるその雑誌は、女子の間で結構人気のある月刊誌だ。
彼方もコンビニや本屋で表紙くらいを見かけたことはある。
そして、見開かれたそのページに書かれているのは。
「……占い?」
占星術、と書かれてあった。
詳しくは知らないが、文字からして占い絡みのものだろう。
確か風水とか、そういうのにも関係していたような気がする。
「何だよ大地、お前こんなのに興味あんのか?」
似合わない。
というか、正直言って大地がそんなことを言い出すと思うとはっきり言って気持ちが悪い。
「そこまで狂信的に興味があるってワケじゃないけどな。でもこの雑誌のヤツ、よく当たるって評判らしいぞ」
「……くだらねぇ」
彼方は一蹴した。
元々占いとか予知とかそんなものには全然興味がわかないのだ。
そんなものの大半はデタラメだと思っている。
……と、声に出して言いたい気分でもあったが、今の自分が魔術師であるということを考えると丸っきりバカにできたものでもない。
世間一般から言わせれば、魔術師やら魔法やらというものの方がデタラメに聞こえるに違いないだろう。
「まぁ、確かににわかには信じがたいわね……」
雑誌を拾い上げ、斎が言う。
「斎もとことん現実主義者だからな。こういうのは迷信だと思ってるんだろ」
「……全部を全部否定するわけではないけれどね。でも、第一印象はやっぱり胡散臭いの一言に尽きるわ」
「信じる信じないは個人の自由だし、私はどっちでもいいんだけどな」
どちらかというと、西花の場合は自分の都合のいい事だけ信じて鵜呑みにし、その上で外れると文句を言いまくりそうな気がする。
などと言ったら間違いなくもう一発殴られるので、もちろんこの言葉は彼方の胸の内でだけ囁かれたものだ。
「彼方、お前試しにこの表で自分を当てはめてみろよ」
「……いいって、俺は別に」
「信じる信じないは別として、試すくらいいいだろ? 俺もやるからさ」
「……物好きだな、お前も……」
彼方は斎から雑誌を受け取り、当てはまる項目を目で追っていく。
生年月日、血液型、過去の体験など、それっぽい項目がいくつか並び、イエスかノーかで分岐していくタイプのものだ。
血液型別性格判断みたいだった。
「と、何々……」
最後に行き着いた場所に、ありがたみがまるでなさそうなお言葉が書かれている。
彼方はそれを棒読みに読み上げた。
「――大きな転機が訪れ、あなたの周囲はがらりと景色を変える。いい意味でも悪い意味でも、そこからあなた自身も変わっていく」
それは、どこかで聞いたことがありそうな言葉だった。
だが、今の彼方には大きく当てはまることばかりだった。
「……だ、そうだ」
「で、実際はどうなんだ?」
「あると思うか? 俺の周りにはお前らがいるわけだが、俺は変わったか?」
「……ま、そう都合よくは的中しないか」
「人間、そう簡単に変われるもんじゃないしね」
大地と斎は小さく笑いながらそう言った。
西花だけが、どこか曖昧な表情で彼方を見ていた。
目が合ったが、彼方は何も言わない。
芝生の上に寝転がり、ぼんやりと空を仰ぐ。
「……変わっていく、ね……」
それは、いつの話だろうかと。
彼方は一人、空に吐き捨てた。
そういえば今朝家を出るときに、源三から買い物を頼まれていたことを彼方は思い出した。
どの道最寄のスーパーは帰り道の途中にあるので、そこで買い物を済ませることにする。
「彼方」
昇降口で靴を履き替えていると、そこに西花がやってきた。
「もう帰り?」
「ああ。ジーちゃんに買い物頼まれてるから、途中でスーパー寄るけど」
「一緒していいかな?」
「……ああ、そりゃ構わないけど」
何だろうと、彼方は妙な違和感を覚える。
いつもの西花なら、わざわざそんな許可など得ないで勝手についてくるのだが……。
そういう日もあるのだろうと、彼方は深く考えずに校舎を出る。
グラウンドでは、すでに野球部やサッカー部、陸上部の面々が熱心に練習に打ち込んでいた。
「じゃあな、一条」
「おう。また明日な」
クラスメイトが自転車で追い越していく。
部活に所属していない生徒の多くは、ほとんどの場合この時間に帰路につく。
所属はしていても幽霊部員同然で、実質帰宅部扱いの生徒は結構いるものだ。
今日に限っては、その人影がまばらだった。
彼方と西花は並んで歩くが、周囲に同じ下校途中の生徒の姿はない。
「…………」
「…………」
互いに何も喋らず、ただ足音だけが背中に消えていく。
もっとも、彼方からは特に切り出す言葉はなかった。
多分、あるとすれば西花からだろう。
彼方も何となく、雰囲気でそれは感じ取っていた。
だが、当の西花は俯き加減で歩くだけで口を開こうとはしない。
よほど聞き辛いことなのか。
だとすると、彼方の思い当たる節は一つしかない。
「……どうした?」
彼方は声をかける。
「え?」
彼方の方に向き直り、西花は聞き返す。
「……何か、あるんじゃないのか? 聞きたいこととか、言いたいこととか」
「…………」
西花は押し黙る。
昔からそうだった。
普段なら言いたいことはズバズバ言うし、むしろ言わなくてもいいことまで言ってのけるのに、本当に言わなくちゃいけないこと、聞かなきちゃいけないことを溜め込んで溜め込んで自分を圧迫する。
相手に対して気を使っているのかもしれないが、少なくともそういう間柄ではないだろうと彼方は思っている。
何しろ、年齢がそのまま腐れ縁の年月だ。
生まれたときからまるで兄弟同然のように育ってきたのだから、今更遠慮とかされる方が変な気分である。
しかしまぁ、彼方がそう思っても西花もそう思っているとは限らない。
ためらいがちなのはそのせいでもあるのだろう。
「……昼休みのさ」
「ん?」
「……あの、占いの記事。本当は、当たってるよね……?」
「……そうだな」
彼方はあっさりと認めた。
転機は確かに訪れた。
それも、突然に。
それにより発覚した事実。
一条彼方は魔術師の血を引く人間である。
そのことはもう西花にも話してあるので、彼方は隠すことをしない。
だが、それ以上となると話は別だ。
「……実際、どうなの? 魔術師っていうのは」
「……どう、って言われてもな。俺は俺のままだし……特に変わった風でもないだろ?」
「うん……」
そう。
魔術師であるとは言っても、彼方は人間そのものだ。
外見も体の構造も、何一つとして変わってはいない。
もしも変わったことがあるとすれば、それは彼方の見る世界だろう。
今まで見えなかったものが見えてきた。
……ナキガラ。
それを狩るために、彼方は魔術師としての力に目覚めたと言ってもいい。
だがそのことまでは西花は知らない。
彼方が教えていないからだ。
そしてこれからも、彼方は教えるつもりはなかったし、西花にとっても知る必要のないことだと思っている。
これはテトラも同じ意見だ。
部外者を巻き込む理由がないというのが一番の理由だった。
むしろ、彼方の周囲にいるということで、逆に危険がまとわりつく可能性さえある。
今はまだそこまで深刻な問題はないが、いつかそんなことが起こらないとも言い切れないのは事実だ。
今の彼方には、自分を守るくらいの力はあるかもしれない。
けど、自分の周りを守るだけの力はまだない。
だからこそ、巻き込めない。
遠ざけておく必要がある。
その結果、今までの日常を失うことになってもだ。
「……考えすぎだろ」
「……でも、だったら……だったらどうして」
西花の足が止まる。
彼方は振り返り、続く言葉を待った。
「――……どうして彼方は、魔術師なんかにならなきゃいけなかったの?」
「…………」
どうしてか、やけに突き刺さる言葉だった。
「……魔術師になったってことは、なってするべきことがあるからじゃないの? だとしたら……それは何?」
「……それは」
「……彼方、金曜の夜に住宅街のはずれの方に走っていったよね? テトラも一緒に」
「っ……」
「あの時、たまたま部屋の窓から見えたんだ。走っていくのが」
「……そう、なのか……」
「……しばらくしたら戻ってきてたけど、あの時の彼方、ボロボロじゃなかった? 服も汚れてたし、足もおぼつかない感じだったし」
「…………」
「……何があったの?」
相変わらずと言うか何と言うか、本当に気にしないでもいいようなどうでもいいことに関して西花は勘が鋭い。
いつかバレるだろうとは彼方も思っていたが、まさかこんなに早く追求されることになるとは思っても見なかった。
ここまで見られていては、隠し通すのは難しいだろう。
隠し通そうとしても、きっと西花は納得しない。
そういうやつなのだということを、彼方はよく理解している。
「……テトラ、ごめん。俺……」
(……仕方あるまい。私達の行動が軽率だったということも、確かだからな)
「彼方、誰と話して……」
「……そんなに長い話にはならないけど、できれば場所を変えたい。立ち話でするような内容じゃないからな」
彼方がそう言うと、西花は黙って頷いた。
場所は移り、最寄の公園。
今の時間はまだ子供連れの親子の姿も目につくが、少し離れたベンチの会話までは立ち聞きされることはないだろう。
「……ナキガラ?」
「そう。それを狩ることが、俺の役目らしい」
彼方は大まかに話を説明した。
霊が死体に取り付き、さらに魔力を得ることでナキガラとして活動をすること。
そしてそのナキガラを狩るのが、魔術師としての自分の役目だということ。
ナキガラを放置しておくと、多くの人がその被害に遭ってしまうこと。
とりあえず彼方にはっきりと分かっているのは、現時点ではこれだけだ。
「信じろっていうのが無理かもしれないけど、全部事実だ」
「…………」
案の定、西花は信じられないという目をしている。
無理もない。
むしろそれが正常な反応だろう。
こんな話を常識の枠組みの中で理解しようとするのが、そもそもの間違いなのだから。
「というより、これ以上は説明のしようがない。これで納得できないなら、話はおしまいだ」
「……話は分かったよ。ナキガラっていうのがいるっていうのも、それを倒さなくちゃいけないっていうのも」
「…………」
「……けど、どうして? どうして彼方がそんなことをする必要があるの? だって、一歩間違ったら彼方が大変なことになっちゃうかもしれないってことでしょ? そうだよね?」
「……そうだな」
「だったら、どうして」
西花の言葉を遮って、彼方は言う。
「必要があるとかないとかじゃなくて、俺にしかできないからやるんだ」
「それは……そうかもしれないけど」
「俺も納得してやってることなんだ。偶然かもしれないけど、俺はこの役目を担える立場にあった。だからやる。誰に命令されたワケでもなくて、俺自身の意思でやってることなんだ」
「……けど、そんなのって」
西花の声が尻すぼみになっていく。
「……それにもう、後戻りはできないんだよ」
「……え?」
「……もう、決めた。俺は、俺にできることをやるって、決めたんだ」
少しでもいいから強くなって、せめて自分の周りにあるものくらいは守れるようになろうと。
初めて死に触れた、あの夜に。
「……無理に理解しなくていい。それどころか、この話は忘れてもらっても構わない」
それだけ言い残して、彼方は立ち上がり、その場を去る。
(……いいのか? 彼方)
「……最初から、理解してもらおうなんて思ってない。でも、これが今説明できる精一杯だから……これでダメなら、もう何を言っても話は平行線だろ?」
(……まぁ、な)
真実は包み隠さず告げた。
それをどう思うかは、西花しだいである。