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Astral  作者: やくも
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第一話:箱とロザリオ

 地震の規模は、坂上市を中心におよそ震度三から震度四。

 この地震による津波の心配はないそうだ。




 ……と、今朝のニュースでそう言っていたことを思い出す。

 明け方五時頃の地震だったので、住民のほとんどはそのおかげで早起きを強いられることになっただろう。

 もっとも、規模が規模なだけに家具の一つや二つが倒れたり、場合によっては二次災害に繋がるかもしれないので、あまり悠長に構えている余裕もなかっただろう。

 もしかしたら、通帳や印鑑を握って着の身着のままで家を飛び出した人もいるのかもしれない。

 そんな中には含まれてこそいないものの、一条彼方いちじょう かなたも前者……つまり、地震によって望んでもない早起きを強いられた一人である。

 もともと寝相が悪い彼方は、地震が起こる直前もベッドの上でゴロゴロと寝返りを繰り返していた。

 時々ベッドから落ちそうになるのだが、そのギリギリのところで反対側に転がっていくという妙な特技を持ち合わせているため、小学校卒業を目前に控えた十二歳の三月に転落して以来、五年以上に渡って転落しない記録を持続し続けていた。

 が、それも今朝で無残に散ってしまうことになる。

 ベッドの端ギリギリに寝転がったところに狙い済ましたように地震が起こり、そのはずみで彼方はベッドから転がり落ちた。

 そのときに後頭部を強打した痛みが、昼休みになった今でもジンジンと後を引いている。


 そんな彼方は今、人気のない屋上で惣菜パンとパックのコーヒーを持参して細々と昼食を取っている。

 梅雨が明け、季節は本格的に夏へ移り変わろうとしていた。

 日に日に気温も上がってきているようで、学校指定の夏服でもジットリと背中に汗をかいてしまうほどだ。

 すでに猛暑の入り口に突入しているんじゃないかという暑い日差し。

 風が出ているからまだマシだが、その程度では涼しさなどこれっぽちも感じられはしなかった。

 屋上の隅っこ、建物の日陰に隠れるようにして彼方は体を横にする。

 昼食を簡単に終えて、今まさに胃の中では消化活動が行われていることだろう。

 ひとまずの満腹感を得て、彼方は小さく溜め息を吐き出す。

「…………あー」

 座っているコンクリートの地面と背中の壁が心地よい。

 ぼんやりしていると、それだけで眠くなってきそうだった。

 今朝の早起きと満腹感が重なって、ちょうどいい感じに眠気を誘う。

 どの道昼休みはまだ時間があるし、教室に戻ったところで暑いだけだろう。

 それを思うと、残りの時間をこのまま昼寝でもして過ごすというのは名案に思えた。

「てなわけで、おやすみ……」

 誰に言うわけでもなくそう呟いて、彼方は浅い眠りの中へと落ちていく。

 ……はずだった。


 バタバタと、誰かが急ぎ足で階段を駆け上がってくる音がする。

「……うっせーなぁ、誰だよ……」

 背中の壁越しにその音を聞き取り、彼方が閉じたばかりの目を開ける。

 直後に。

 バタンと、大きな音を立てて扉が開く音がした。

 いや、それは開くというよりも蹴破ったような轟音で、そのまま扉が吹き飛ばされてしまうんじゃないかと思えるくらいのものだった。

 その轟音に、彼方は理由もないのにわずかに肩を竦ませた。

 すぐ横でそんな大きな音がすれば、誰だって驚いて当然だろう。

「……何なんだよ、一体」

 気にするなというのが無理なもので、彼方は緩慢な動作で立ち上がる。

 と、ちょうど視界の先の日なたの部分に、誰かのシルエットがあることに気づく。

 彼方のすぐ横には建物があるため、その死角になって影の主の姿は見えない。

 が、そのシルエットのスカートがわずかに風に揺れていたので、恐らく女子だろうと思った。

 次いで、彼方の視線が前に動く。

 シルエットの頭頂部、ちょうど髪の毛の辺りだろうか。

 そこまで視線が動いたところで、彼方は小さくうっ、と呻いた。

 猛烈に嫌な予感がしていた。

 暑い暑いと繰り返していたが、背筋に悪寒が走り、同時に全身から血の気が引いていく気配がした。

 全身の汗が一瞬で乾いて、本能的に恐怖が芽生える。

 身に覚えがありすぎた。

 あのシルエットの頭頂部、つまり髪形の部分に……。


 あまりにも見慣れすぎたアンテナのようなクセ毛が一本、映り込んでいたのだから。


 ハッと、今更になって彼方は何かを思い出した。

 そういえば朝のうちに、何か言われていたような気がする。

 そのとき彼方は、暑さと眠気で何を言われたのか半分も理解してないのに適当な相槌を打ってしまった気がする。

 確か、昼休みにうんたらかんたらとか、そんなことを言われたような気がするのだが……。

 何だろう、思い出せない。

 いや、思い出してはいけない気がする。

 とはいえ、いつの間にか自分は追い詰められているような状況にあるのも間違いない。

 急激に気分が悪くなる。

 お腹が痛いといって早退したい気分になった。

 例えそれが、無理なことだと分かっていても、だ。


 ジャリと、靴が砂粒を踏む音がする。

 ドキンと、彼方の心臓が跳ね上がる。

 今になっても朝の話の詳しい内容は思い出せていない。

 が、代わりに思い出せたことがある。

 その話をしてきたのは、確か……。

 一つ、また一つと靴音が近づく。

 日なたの中のシルエットがゆっくりと揺らめき、実体が徐々にその姿を見せ始めた。

 心臓がバクバクと騒ぐ。

 これは緊張ではない、純粋な恐怖だ。

 逃げろ。

 どこへ?

 自問は一瞬で終了し、ダラダラと嫌な汗が滝のように湧き出る。

 そして死角から覗いたのは……。

「……う、あ……」

 一見、それは天使のような笑顔だった。

 分け隔てなく、万物に平等に愛を説くかのような、まさしに天使の笑顔だった。

「やっぱりここだった」

 天使は静かに、そして穏やかな口調で語る。

 にもかかわらず、彼方は足がガクガクと震えるのを感じた。

 脳が危険を察知し、逃げろと告げる。

 だから、どこへ?

 質疑終了。

「朝、話したよね?」

 天使は変わらぬ笑顔、そして口調で続ける。

 彼方は肯定も否定もせず、頷くこともせずにただ正面を見据えていた。

 視線をわずかにでも逸らせばどうなってしまうか、嫌というほどに理解していたからだ。

「昼休み、委員会の集まりがあるから必ず来てって」

 そうでしたっけ、とでも返そうものなら……ダメだ、恐ろしくて言葉にできない。

「……忘れてたの?」

 天使は小さく小首をかしげ、返答を待っている。

 これはつまり、答えろという意味なのだろう。

「……あ、ああ、悪い。うっかりしてた……」

 細心の注意を払って答える。

 しばらくの間、天使は笑顔のまま沈黙していた。

 だが彼方の目には、その笑顔が浮き出る血管を抑制しているようにしか見えなかった。

「そっか。それじゃあ仕方ないね」

 と、沈黙の後に天使はそう言った。

 その一言に救われたように、彼方はようやく肩の力を抜いた。

 嫌な汗が出すぎて、背中がやけに気持ち悪い。

「そこで、提案なんだけど」

 ドキンと、再び心臓が破裂しそうになる。

「……て、提案……?」

 恐る恐る聞き返す。

 すると天使は、笑顔のままで一つ頷いて……。


 「今殴られるか、後で殴られるか。どっちがいい?」


 笑顔で、そう聞いてきた。




 頭が痛いと書いて頭痛と読むわけだが、これは一般に言うところの病的な意味での頭痛とは違うものだろう。

 朝にベッドから転がり落ちて強打した部分を、まるで狙い済ましたかのようにぶん殴られたからだ。

 今なおジンジンと痛みが残る後頭部をさすりながら、彼方は放課後の道を歩いていた。

「ってー……頭蓋骨陥没してんじゃねーかな、これ……」

 手で触ると、心なしか後頭部がへこんでいるようにも感じる。

 念には念で、レントゲンでもとったほうが賢明かもしれない。

「ブツブツうるさいわね。力ずくで黙らせるわよ?」

 と、彼方の隣を歩く彼女……七原西花ななはら さいかは物騒なことを口走る。

「カンベンしてくれ。これ以上頭悪くなったらどうすんだよ。てか、それ以前に死にそうだ」

「殺したって死にそうにないでしょ、アンタの場合。まったく……」

 西花の機嫌は悪い。

 何故かというと、本来昼休みにあったはずの委員会の集まりを彼方がサボってしまったため、本来その場で決めるはずだった放課後の雑務の当番が真っ先に回ってきてしまったからだ。

 二人は今の今まで生徒会室に残り、近々行われる予定の集会で使う資料作成などをしていた。

 というわけで、時刻はとっくに普段の下校時刻を過ぎ、今は夕方の六時を目前に控えた頃である。

「なぁ、いい加減機嫌直せよ。悪かったって」

「……ごめんで済むなら警察も軍隊もいらないのよ」

「……小学生かよ、お前は……」

 小声で言ったつもりだったが、一歩前を歩く西花が睨み返してきたので彼方は口を噤む。

「……はぁ。まぁいいわ、もう慣れたしね。こんなの今に始まったことじゃないし」

「……そいつはどうも」

「ほめてないわよ」

「分かってるよ」

 何だかんだで二人の付き合いは長い。

 世に言うところの腐れ縁というやつである。

 だから、こんな会話も今までに一度や二度ではない。

 数えるのも飽きるくらい繰り返しているのに、また繰り返す。

 そう考えると、やはりどっちもどっちのような気がしないでもない。


「そういえばさ」

「ん?」

 西花が切り出し、聞いた。

「今朝、結構大きな地震あったでしょ」

「ああ、あったな。おかげで俺は後頭部にダメージを受ける羽目になった」

「ま、それはどうでもいいんだけど」

「…………」

「彼方のとこ、大丈夫だった? 壁にヒビとか、食器棚が倒れたりとか」

「特に何もなかったみたいだけどな。ジーちゃんも何も言ってなかったし」

「そっか」

 彼方は無言で、視線だけでそういうお前のほうはどうなんだよ、と送る。

 それに気づいてか、西花が答える。

「ああ、ウチも何もなかったよ」

「ふーん」

「まぁ、地震なんて最近じゃ珍しかったから、結構驚きはしたけどね」

「確かに、ここ一年近くなかったように思うな。まぁ、頻繁にあっても困るけどよ」

 そんなことを話しながら歩いていると、二人の自宅が見えてきた。

 二人の家は腐れ縁というだけあって隣同士である。

 どちらも一軒家ではあるが、見た目に大きな違いがあった。

 西花の家は近代風というか、住宅街ならどこにでもあるような二階建ての構造である。

 対する彼方の家はというと、いい意味で言えば古風な雰囲気の漂う日本家屋だ。

 旧家と名のつきそうな造りをしており、そこだけ時代錯誤を覚えそうにもなる。

 が、悪く言い換えればただのボロ屋でしかない。

 ずいぶんと前の話だが、長期休暇で家を空けたときがあった。

 三週間ほどして戻ってきた頃には、一条家は近隣の小学生達から幽霊屋敷として囁かれ、恐れられる存在になっていたという。

 それくらい見た目が古風で、夜ともなればいかにも何か出そうな雰囲気の家である。

 趣があるといえば聞こえはいいのだろうが、当の彼方自身も我が家のボロっぷりには頭を悩ませることがある。

 それでも普通に生活する分には何の不便もなく、床も軋まなければ雨漏りもない。

 未だに薪を割って火を起こしているわけでもなければ、五右衛門風呂があるわけでもないのだ。


「んじゃ、また明日な」

 彼方は門の前で軽く手を上げ、西花と別れる。

「うん……って、そうだ忘れてた」

「あ?」

 西花の声に彼方が振り返る。

「この前ね、実家から野菜とかいっぱい送られてきたから、あとでそっちに持っていくと思うから。源三さん、漬物好きでしょ?」

 源三とは彼方の祖父の名前である。

 そして彼方は、この家に源三と二人で暮らしているのだ。

「ああ。けど、いつももらってばっかで何か悪いな」

「いいっていいって。どうせ源三さんが漬物作ったら、それがこっちに回ってくるわけだしね」

「ま、それもそうか。で、いつ頃来る?」

「これから晩御飯の支度だと思うから、三十分くらいしたら持って行くよ」

「あいよ。んじゃ後でな」

 彼方は扉を押し開け、庭に入る。

 そこから少し歩き、玄関の扉を開いた。

「ただいま」

 ガラガラと音を立て、扉がスライドする。

「おお、お帰り彼方」

 玄関ではちょうど、源三がやってきたところだった。

 が、なにやらその両手には箒とちり取りが握られている。

「あれ? ジーちゃん今頃掃除なんかしてんのか?」

「ん? ああ、これか。それがの、今朝早く地震があったじゃろう?」

「うん」

「そのときは何もなかったと思ったんじゃがのう。夕方頃に家の中を見回ってみたら、裏口の鉢植えが倒れててな。ちょうど今、その掃除を終わらせたとこじゃよ」

「大丈夫か? 割れた破片で指とか切ってないよな?」

「ふぉふぉ、心配いらぬて。それよりも早く着替えて、飯の支度に取り掛かるぞ」

 源三はそう言うと、ちり取り片手に奥へと引っ込んでいった。

 彼方は言われたとおりに、ひとまず部屋に戻って着替えることにする。


 彼方は着替えを済ませて台所へとやってくる。

 そこではすでに源三が支度を始めており、作りかけの味噌汁か何かだろうか、いい匂いが鼻腔をくすぐった。

「手伝うよ、ジーちゃん」

「ああ。それじゃあそこのサンマを捌いてくれるかの」

「うん」

 言われ、彼方は包丁を片手にサンマを三枚におろしていく。

 源三と二人で暮らすようになってすでに十年以上にもなるので、この手の家事全般はお手の物だ。

 一条家は源三も彼方ももっぱら和食を好むので、食卓にも和食が多く並ぶ。

 食材を見るからに、どうやら夕飯はご飯に味噌汁、山菜の和え物にサンマの塩焼き、あとは昨日の肉じゃがの残りが並ぶようだ。

 慣れた手つきで二人は夕飯の支度をしていく。

 さすがに源三の手つきは見事なもので、本気で和食料理を作らせたらそんじょそこらの料亭にも引けを取らないほどのものだ。

 そういえば昔、源三はどこかのお店で料理長を勤めていたとかいなかったとか、そんな話を彼方は聞いた気がする。

 それが事実にしてもそうでないにしても、どちらにせよ源三の腕は本物であることに変わりはないのだが。


 支度を続けていると、ふいに玄関のインターホンが鳴った。

「む? 誰かの。新聞の集金は一昨日来たばっかりなんじゃが」

「あ、そうだ。西花がさ、また実家から野菜とかいっぱいもらったんで、後で持ってくるって言ってたんだった」

 一区切りついたところで彼方は包丁を置き、そのまま玄関へと向かう。

 ちょうど二回目のインターホンが押されたときだった。

「悪い、飯の支度してて手が放せなかったんだ」

 ガラガラと扉をスライドさせながら、彼方は言う。

「おお、西花ちゃんか。いつもすまんの」

「こんにちは、源三さん」

 西花は軽くお辞儀をすると、両手いっぱいに抱えた新聞紙にくるまれた野菜を廊下の上に置いた。

「えっと……こっちが白菜とキュウリで、こっちがカボチャです」

「いやいや、本当にいつも助かるわい。幸枝さんにもよろしく言っておいてくれるかの」

「いえ、私達のほうこそ、いつもお漬物もらってますから。お互い様です」

「ジーちゃん、とりあえずこれどこに運ぶんだ?」

「ああ、それはワシがやっておこう。それと彼方、ちょっと頼まれてほしいんじゃが」

「何?」

「念のため、屋根裏部屋を見てきてもらえんかの。大丈夫とは思うんじゃが、今朝の地震で崩れたり、天井に亀裂でもあったら大変じゃからな。さすがにワシではそこまで見回れんからの」

「分かった、見てくるよ」

「あ、彼方。私も手伝うよ」

「え? でもお前んとこも、飯の支度あるんじゃないのか?」

「お母さん今、近所の人と長電話してるから。それに、支度はもう終わってるよ」

「まぁ、手伝ってくれるならそりゃ助かるけど」

「二人とも、足元に気をつけるようにな。彼方、ロウソクも忘れないようにの」

「分かってる」

 そして彼方と西花は、二階から屋根裏部屋へと向かうのだった。


「よ……っと。んじゃ先に行くから、少し待っててくれ」

「うん」

 梯子を固定し、彼方は先に屋根裏部屋へと上っていく。

 定期的に掃除をしていたおかげで、くもの巣などの障害はなかった。

 体を持ち上げ、屋根裏に立つ。

 懐中電灯の明かりを頼りに、ぶら下がったランタンを見つけ、その中にロウソクを立てて火をつけた。

 ぼんやりと、オレンジ色に揺れる炎が部屋の中を照らす。

「いいぞ、上がって来いよ」

 下で待つ西花に声をかけると、西花はすぐに上がってきた。

「少し埃っぽいけど、平気か?」

「ん、このくらいならね」

 屋根裏部屋は一応、彼方が立って歩いても平気なくらいの高さがあるが、それでも狭いものは狭い。

 ここは大体物置と同等に扱っている場所なので、色々なものが隅っこに固めて置かれている。

 とりあえず源三に言われたとおり、亀裂などが入っていないかを確認する。

 頭の上は屋根そのものなので、ここに穴でも開いたら雨漏りの原因になってしまう。

 ランタンの明かりがあるとはいえ、それはどこか頼りない。

 なので、懐中電灯も併用して隅々まで調べていく。

 結果、どうやら屋根の部分に関しては問題はなさそうだ。

 床の部分を見ていた西花からも、問題はなさそうとの答えを受け取る。

「特に問題はなし、か。んじゃ戻るとするかな」

 彼方は再び梯子を降りようとしたが、一方で西花が何やらゴソゴソと漁っている様子が目に入った。


「何してんだ?」

「あ、彼方。ねぇ、この箱って何?」

「箱?」

 言われて見てみると、西花の手元には小さめの箱があった。

 一辺が二十センチ程度の立方体に近い形で、大きなサイコロのようなものだ。

 薄汚れてしまったのだろうか、明かりをかざしてみても箱は黒ずんでいる。

 表面には何か意味ありげな模様のようなものが描かれているが、それが何であるかはさっぱり分からない。

 何かこう、宗教的な意味合いのものなのかもしれない。

 というよりも、そもそもこんな箱があったことに彼方は今までずっと気がつかなかった。

 子供の頃から遊び場として使ったことも沢山あったのだが、こんな箱は見かけた記憶がない。

 彼方はそれを拾い上げる。

 重さがまるで感じられなかった。

 箱自体の重さもないに等しく、まるで空気の塊を掴んで持ち上げているようだった。

 軽く箱を振ってみる。

 しかし、音はない。

 中身が空っぽであることを示していた。

「何も入ってなさそうだな……」

「うん……」

 しかしどうにも気になって、もう一度表面部分をよく観察してみる。

「……あ」

 すると、六面あるうちの一つの面に、何かくぼみのようなものがあることが分かった。

 そのくぼみは、まるで十字架のような形を刻んでいる。

 それぞれの先端部分だけが剣の切っ先のように鋭く、二本の線が交差する中央には小さな円が彫られている。

「何だろ、これ……」

 西花が不思議そうにまじまじと見る。

「……何かをここに、はめ込めばいいってことか?」

「パズルみたいに?」

「いや、分かんないけどさ……」

 けど、何だろう。

 この形、どこかで見たような……見覚えがあるような……。


 彼方は記憶の糸を手繰り寄せる。

 ずいぶんと昔のことだったと思う。

 この場所で、宝探しみたいなことをして遊んでいた頃のことだ。

 当時は、この場所もジーちゃんには入らないようにって言われていたけど、それでもちょくちょく目を盗んで遊んでは叱られていた。

 多分、そんなある日のことだった。

 何かを見つけて、それを隠した。

 それからずっとそれは、お守り代わりになって。

 見つかったら怒られるだろうから、それからずっと机の引き出しの奥に…………。

「もしかしたら……」

 彼方は箱を手に梯子を降りる。

「あ、ちょっと彼方?」

 それに続き、西花も梯子を降りる。

 そのまま彼方は自分の部屋へと急ぎ、今はめったに使わない机の引き出しを限界まで引っ張り出し、その一番奥からそれを取り出した。

 それは、真っ赤な色のロザリオだった。

「何、それ?」

 西花が聞く。

「……ガキの頃、屋根裏部屋で見つけたんだ。けど……」

「けど?」

「……記憶が間違ってなければ、そのときは銀色だったはずなんだ」

「で、でも、それって……」

 そう、今は真っ赤になっている。


 その赤の色合いは、何と言うか……絵の具や染料などで生み出すことが出来る色合いとは全く別物のような気がした。

 薄くもなく濃くもなく、しかし浅すぎず深すぎない絶妙な色合い。

 しかし、その珍しさとは裏腹に、あまりにも身近にあるものを想像してしまう。

 ……そう、血である。

 それも、乾いて黒みを帯びたものではなく、流れ出した頃そのままの赤みを思わせるような、そんな赤さだ。

 ふいに、西花はその色に不気味さを感じていた。

 本能的な恐怖と言い換えてもいい。

 言葉にはできない、肌でひしひしと感じるような感覚。

 寒気が走った。

 突然、氷を背中に入れられたときのような……声にならない声。

 似たような感覚を、彼方も感じている。

 だが、それでも。

 右手の赤いロザリオは、左手の箱のくぼみに誘われる。

 実際にあてがうまでもなかった。

 目で見ただけで、そこに一致すると理解できた。

 そしてゆっくりと、二つが一つになる。

 不思議と指先は震えない。

 呼吸さえ忘れて、それだけの動作に夢中になった。

 そして…………。


 カチリと、二つは一つになった。



初めての方は始めまして。

他の作品で面識がある方はこんにちは。

作者のやくもと申します。


本作は「魔法」や「魔術師」をテーマとした現代風のファンタジー作品です。

ジャンルとしてはありきたりなのですが、できる限りオリジナルの要素や設定を加えていこうと思いますので、暇潰しの友にでもなれば幸いです。


それでは手短ですが、これにて失礼いたします。


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