表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

9

          ◆     ◆

 どこか遠くの別の次元で、よくわからない何者かがよくわからない独り言を言って消えてから少しだけ時間を進め、場所はいつもの県立柴楽高校へと変わる。


 快晴の空の下、生徒たちがぞろぞろと登校している。いつもの光景、いつもの日常である。だがこの半分寝ぼけたような生徒たちの中に、今日という日が来ない可能性があったと予感した者がどれほどいるだろう。


 いない。


 いてもせいぜい三人だ。


 その三人のうちの一人、卯月エリサが校門をくぐり、校舎の中に入る。徹夜明けの眠そうな目をこすりながら、玄関に入って靴を脱いでスノコに上がり、自分の下駄箱から上履きを取り出して靴を履き替えていると、後ろから声をかけられた。


「おはよう」


 浩一だった。相変わらず人畜無害を絵に書いたような笑みを、整った顔に貼り付けている。朝からこんな笑顔を向けられたら、エリサ以外の女子なら好感度がうなぎ登りなのだろうが、あいにく彼女は浩一とは長いつき合いゆえに彼のコールタールのような腹の中まで知ってるのでかえって胡散臭さしか感じなかった。


「おはようさん」


 そんな自分の考えをおくびにも出さず、エリサはにっこりと朝の挨拶を返す。浩一も自分が腹黒妖怪みたいに思われるとは毛ほども思っていないさりげなさで、自分の下駄箱から上履きを取り出して履き替える。


「眠そうだね。また徹夜?」


 目の下のクマなどをあざとく見つけ、浩一が指摘してくる。かくいう彼も目をしょぼしょぼさせて、いかにも睡眠不足といった感じだ。


「寝不足なんはお互い様やろ」


「いくら僕でもこの状況でぐっすり寝られるような太い神経は持ってないよ」


 他人の十倍は太い神経を持っていそうな浩一だが、案外繊細なところもあるようだ。エリサは「さよか」と軽く流す。浩一は自分の外靴を下駄箱に放り込みながら、


「どうやら僕たちの取り越し苦労だったのかな?」


 なんやそれ、と言いかけたが、昨日の会話を思い出して間一髪のところで言葉を飲み込む。昨日覚悟を決めていたわりには今日という日があまりにもいつも通り過ぎて、彼としては拍子抜けしているのだろう。


「さあて、それはどうやろな……」


 上履きの爪先で軽くスノコを叩く。空いた下駄箱に外靴を放り込み、蓋を閉じて振り返ると浩一が待っていた。


「どうって?」


「なんかあったんかもしれんし、なんもなかったかもしれん。けどそれは、ウチらには与り知らんことや」


「そりゃそうだけど……」


 昨日の夕方の時点で、自分たちは自らこの件の部外者になっている。言ってみればただの女子生徒Aと男子生徒Aだ。それが今さら話の本筋にからもうなんて、何となく虫が良すぎるような気がする。


「けど中途半端に事情を知ってるだけに、気になるじゃないか。エリサは気にならないのかい?」


「まあ、気にならんっちゅうたら嘘になるけど……」


 だろ、と浩一が同意を求めてくるが、エリサは手放しに賛同はできなかった。


 玄関から階段へと向かい、一年生の教室がある三階へと向かう。


「なんにせよ、あのアホの顔見んとなんにも言えんわ」


 仮に昨日あれから何かが起こっていたとして、それで虎徹が取り返しのつかないケガでもしていたら寝覚めが悪いどころの話ではない。まずはいつものように呑気なアホ面を拝んでからでないと始まらない。


 一年五組の教室の前に立つ。扉の奥は、すでに登校した生徒たちの会話でざわついている。先に虎徹が来ている確信など無いのだが、何となく緊張して扉を開ける手が重い。


「入らないの?」


「今から入るとこや」


 浩一に促され、弾みをつけるために全力で扉を開ける。勢い余って扉が木枠に当たり大きな音を立て、その音に驚いた生徒たちの視線がエリサに集まる。


「あははははっ……おはようさん」


 苦笑いと赤面を足したような顔でごまかすと、こちらを見ていた生徒たちはすぐに興味を失ったように元の雑談や作業に戻った。


「やれやれ、朝からしんどいわ……」


 朝から緊張と恥ずかしさで無駄に疲れた。エリサは素早く教室に視線を走らせると、虎徹の席を確認する。いつもの後ろから二番目の窓際の席。


 いた。


 珍しくこの時間に虎徹が登校していた。それだけでも珍しいのに、朝からうざいくらいテンション高い虎徹が、机に突っ伏している。


 しかし何だろう。やけに暗い。窓際の席だというのに、そこだけ朝日が当たっていないかのような錯覚すらする。もしや具合でも悪いのか。心配になったエリサは、だが周囲にはそれと気取られないように注意を払いつつ虎徹の席へと近づく。


「おはようさん」


 返事は無い。虎徹はまるで屍のように机に伏したまま微動だにしない。それでもしばらく返事を待ち、たっぷり30秒くらい経った頃、コイツ寝てるんじゃないかと思っていると、


「………………おう」


 虎徹が返事したとはとても思えないくらい酷くしゃがれた声がした。机に突っ伏しているから多少は声がくぐもるとしても、これは明らかに異常だ。


「どないしたんや? お腹でも痛いんか?」


 まさかケガでもしたのかと、エリサは心配になる。だがのっそりと机から持ち上げた虎徹の顔には、たしかに傷一つ無かった。


 目に見える傷は無かった。


 だがその相貌のあまりの変わりぶりに、エリサは思わず息を呑む。虎徹の顔は目は落ち込み頬はこけ、唇はがさがさに渇いてまるで幽鬼のようだった。人間、何がどうなったら一晩でここまでやつれられるのだろう。


「ど、どないしたんや虎徹? 死相が出とるで」


「おう……」とまた虎徹が亡者みたいな声で返事をする。前回は全身筋肉痛で一週間寝込んだが、今回は生気をすべて絞り尽くされでもしたのだろうか。


「またずいぶんとやつれたね……」


 浩一も心配して声をかけてくるが、尋常でない変貌ぶりにそれ以上かける言葉を見つけられないようだ。どう見ても昨日とんでもない何かがあったに違いないが、虎徹のこの姿を見ると気軽に訊くのがためらわれる。いや、それ以前に訊かないでくれというオーラみたいなのが虎徹から滲み出ている。それは浩一も感じているようで、いつもの貼りついた笑顔がやや困った感じになっている。


「まあ……ちょっと、な……」


 縁側で日なたぼっこをしながら茶をすすっている老人さながらの枯れた声に、二人は声を揃えて「そう……」と答えた。


 それからも二人はどう声をかけたら良いかわからず、無言のまま時間だけが過ぎて予鈴が鳴った。


「ほなウチもう席戻るわ。虎徹、また後でな」


「僕も戻るよ。また後でね」


 二人は何度も虎徹の方を振り返りながら、自分の席に戻った。エリサが急いで鞄から教科書やノートを取り出して机の中に放り込んでいると、ようやく虎徹が「おう……」と息を引き取るような声で返事をした。


 その情けないほど弱々しい声に、エリサは堪らず席を立ちかけたが、本鈴が鳴ると同時に担任の鮎川友子あゆかわともこ二十九歳独身がホームルームのために教室に入ってきたので諦めた。



 後で、とは言ったものの、休み時間になってもエリサと浩一は虎徹に話しかける事ができなかった。ただ昼休みには三人で机を囲んで一緒に昼食を食べる慣習があるため、何とか場を作る事だけには成功した。


 成功はしたが、会話はまるで弾まなかった。何しろ虎徹は弁当どころか、昼飯と呼べる物を何一つ持ってきていなかった。普段その小さな身体のどこにそれだけ入るのか不思議に思うほどの量の昼食をガツガツ食っている男が、ただ時折ため息をつくばかりで何も口にしない姿は異様としか言いようがない。


 仕方なくエリサは弁当の蓋に自分のおかずやご飯を小分けにして差し出してみたが、やはり虎徹は見向きもせずにどんよりとしていた。


 目の前の食べ物にも反応しない虎徹の姿に、エリサと浩一はお互い顔を見合わせる。


「これは……」


「アカン……」


 どうやら虎徹は本格的にダメになっているという事で二人の意見は一致した。だが問題は何が原因で、どうすれば虎徹が元に戻るかがまるでわからないという事だ。


「原因は間違いなく、昨日何かがあったんだろうだけど、」


「何があったかまではわからんしなあ」


 具体的な原因は虎徹に訊かないとわからない。だが訊けない。以上、終了。


 はあ、と二人同時にため息をつく。結局、自分たちには何もできないとわかっただけで、時間が何とかしてくれるのを待つしかないという事でまたもや意見が一致した。


「ホンマ、歯がゆいなあ」


「うん……」


 二人の憂鬱な声をよそに、虎徹は心神喪失者のように呆然としていた。



 身体よりも、心が重く苦しかった。


 それが目の前でガヴィ=アオンが死んだ事が原因なのか、生命エネルギーを燃やして強引に変身した後遺症なのか、今の虎徹にはわからなかったし、どうでもいい事だった。


 ただ、何をするにもあの時の光景がちらついた。


 手にはまだ、あの歪んだ手の感触が残っている。


 負けるな。最期にそう言った彼の声が、未だに鮮明に耳にこびりついている。


 彼の身体からくすぶる煙、焼け焦げる配線やオイルの臭いでつんとなった鼻の痛みをまだ覚えている。


 五感のほとんどに、ガヴィ=アオンの残滓がある。


 最初は敵だったのに。


 生命のやり取りをした相手なのに。


 それでも、目の前で死なれると、


 自分のせいで死なれると、


 こんなにも辛いなんて。


 だがいつまでもこうしていてはいけない。停滞する思考と精神の片隅に、辛うじて虎徹は前向きな意思を維持していた。ただどうしようもなくちっぽけな量なので、身体や心を動かすには全然足りなかった。


 ガヴィ=アオンの死によって虎徹の心は停止しかけていたが、それを救ったのもまた彼だった。


 ――負けるな――


 心に深く刻まれた彼の最期の言葉がじんわりと熱をもって、冷えて固まりそうだった虎徹の心を優しく溶かしていく。ただそれは春の雪解けの如くゆっくりで、時間が解決するのと同じくらいの速度だった。


 こうして虎徹がじょじょに目に光を、心に熱を取り戻していくのに、ざっと一週間はかかった。その間にあった中間テストは、試験勉強などまるでしていられなかったせいもあって散々な結果だったため、別の意味でまた虎徹の心が冷えかけたが、普段でも大して試験勉強などしていなかったので結果は似たようなものだろう。



 試験最終日。試験終了のチャイムが鳴ると、生徒たちは大きな吐息とともに筆記用具を机に置いた。


 答案用紙が後ろの席から回って来て、自分の答案を加えて前の席の者に渡し終わると、虎徹は机に頭突きをする勢いで突っ伏した。完全に撃沈である。


 すべての列から答案用紙を集めた担任の鮎川友子二十九歳独身は、枚数を確認すると教卓で用紙の端をとんとんと叩いて整える。


「はい、それでは試験を終わります。皆さんお疲れ様でした」


 答案用紙を胸に抱いた鮎川友子二十九歳独身が教室から出ると、多数の生徒たちが一斉に歓声を上げながら万歳をし、ようやく訪れた解放を心から喜んだ。この瞬間から期末テストへのカウントダウンが始まっているという非情な現実は棚上げにして。


 机に突っ伏していた虎徹の背中に、すっと人影が差す。エリサだ。


「なんや虎徹、終わった途端にしょげてんのか? よっぽどデキが悪かったんやな。ご愁傷さん」


 自分はよほど手応えがあったのか、力なく机に額をこすりつけている虎徹を見てエリカは嬉しそうに笑う。


「うるへ~、こちとらテストどころじゃなかったんだよ」


「なに言うてんねん。学生の本文は勉学やろ。地球やご近所の平和を守るのも結構やけど、ヒーローが赤点取って留年してたらカッコつかへんで」


「ぐ……」


 痛いところを突かれ、虎徹は呻く。確かに、アペイロンが地球を守っている事は学業とは関係ない。そもそも、アペイロンの存在自体が地球の危機を招いているので、それを自分で解決している今の状況は、マッチポンプと言うか自作自演と言うか、ただの厄介者ではなかろうか。


「こら期末テストはそうとう踏ん張らんかったら、一年生もう一回やらなアカンかもな~」


「うう……」


 期末テストの事を考えると頭が痛くなる。なぜ今しがた中間テストが終わったばかりだというのに、もう期末テストの心配をしなければならないのか。そんな先の事よりも、もっと考えなければならない事が山のようにある。


 そこで一瞬、ガヴィ=アオンのヘルメットが頭をよぎり、虎徹の胸に小さな痛みが走る。


 が、すぐにその痛みは虎徹の中に染み込んでいく。消えるのではない。あるがままを受け入れて、自分の中で消化したからこそだ。今やガヴィ=アオンは虎徹の中でしっかりと息づいていた。彼の言葉と、意思とともに。


 考える問題とは、まずこれ以上柴楽町に物理的被害を与えない方法である。アペイロンが地球に、柴楽町にいる限り、敵は必ずそこを攻めて来る。当然と言えば当然だ。


 今回はヴァルコクルスが超長距離の狙撃者だったため使えなかったが、メリッタたちの宇宙船を使い、宇宙で待ち構えているというのはどうだろう。虎徹は我ながら名案だと思う。


 しかしそうなると、虎徹の宇宙空間での戦闘経験の無さがネックとなる。それを補うには特訓しかない、とまたぞろ舞哉が嬉々として提案するだろう。


 特訓という言葉に、ただでさえテストでうんざりしていた虎徹の気分がさらに滅入る。


「なんや、えらいしょげてもうて。心配せんでも期末テストはうちらがしっかり試験勉強手伝ったるから安心しい」


 虎徹の元気が無いのはテストのせいだと勘違いしたエリサは、「うちも同級生がダブって下級生になるのは忍びないからな」と背中をバシバシ叩く。見当違いの慰めだが、彼女が意識していつもと変わらぬ接し方をしてくれているのが嬉しかった。


「そうかい、ありがとよ」


 首だけ横に向けて礼を言うと、エリサは「なんや水臭い。礼なんていらんがな、うちと虎徹の仲やろ」とさらに強くバシバシ叩く。


 そんな二人の様子を、少し離れた席から浩一がニコニコしながら眺めている。ようやくいつもの日常に戻った気がした。三人ともまだ少しぎこちないけれど、それも時間の問題だろう。彼らの仲は、昨日今日のものではないのだから。



「ほな帰ろうか。試験も終わった事やし、どっか寄って軽く打ち上げと洒落込もか」


 エリサの鶴の一声で、三人の予定は決まった。


 下足場で靴を履き替え校舎から出ると、さっそく野球部がグラウンドで練習をしていた。


「やってるねえ」


 大声を張り上げて練習している野球部員の姿に、浩一が野球観戦をするオッサンのような事を言う。


「なんやえらい張り切っとるなあ。試験でずっと練習できんかったから、鬱憤が溜まってるんやな」


 大きなかけ声と、金属バットの甲高い音、ボールが地面を弾んでグローブに飛び込む音がグラウンドに交錯する。さすがに今日はマウンドを突っ切って帰るのは無理そうだ。三人はグラウンドの端を通って、校門まで並んで歩く。


「あのさ……」


 バックネットを通過したあたりで、虎徹がおずおずと切り出す。エリサと浩一は、視線を野球部から虎徹へと移す。


「なんや?」


「どうしたの?」


「いや、あのさ……」


 この一週間、二人が凹んでいた自分にもの凄く気を遣っていてくれた事は、凹んでいながらもわかっていた。ただ精神的にまったく余裕が無かったから、その優しさに応えられずにただ甘えるしかできなかった。


 でも今はだいぶ回復している。とは言えまだ自分の中でも整理がついていない部分があったり、消化しきれていない部分があるのですべてを話すまではいかないが、二人の気遣いに礼を言うくらいはできるようになったし、しておきたいと思った。


「あ――」


 ありがとな、虎徹がそう言いかけたところに、背後でカキンと金属バットがボールを打った音が上がる。と同時に、「危なーいっ!!」と野球部の一人が大声で叫んだ。


 瞬間。虎徹は意識を集中し、ナノマシン化した全身の細胞が搭載している視覚情報デバイスに接続アクセス。視覚を全方位モードに切り替える。


 見えた。虎徹から見て五時方向。バッターの打った球が高速ライナーでこちらに向かっている。打球はエリサの後頭部に直撃コースだ。


 さらに集中。虎徹のネオ・オリハルコンによって強化された脳が加速し、反射クロック数が爆発的に増大。神経回路が運ぶ電気情報を、脳が高速で処理。一秒が百倍にまで引き伸ばされる。


 コマ送りの世界で、虎徹は振り向きもせずに右腕を伸ばし、あわやエリサの後頭部に直撃寸前だったボールに掌で触れる。


 宇宙廻し受け。


 虎徹の右腕が肘から回転する。次の瞬間、バッターが打ったはずのボールは、ぐわしゃんと大きな音を立ててバックネットの金網に突き刺さっていた。


「ん? なんや?」


 野球部の大声に気づいたエリサが振り返った時には、虎徹は何事も無かったかのように腕を下ろしてポケットに突っ込んでいた。


 見れば、突然バックネットにめり込んだボールの出現に、野球部員たちが不気味がりながらも集まっていく。


「おい、何だよこれ……」


 一塁ファーストから駆け寄って来たノッポの部員が、金網にめり込んだボールを指でつつく。ボールはもの凄い力で無理やりねじ込んだように、金網を広げて半分ほど埋まっていた。


「たしか今、ボールはあっちに飛んでったよな?」


 一番近くでバッターがボールを打つ瞬間を見たキャッチャーが、同じく二番目によく見ているはずのピッチャーに向かって同意を求める。


「ああ、俺見た。たしかにあの金髪の女に向かって飛んでった」


 ニキビだらけの顔を少し青ざめさせて、ピッチャーが指をさす。その指の先には、金髪をポニーテールにした女とチビの男と背の高い男の三人組が凹の字になって歩いていた。


「俺も。『危ない』って叫んだの俺だし」と、三塁サードが言う。


「じゃ何でこんなとこに刺さってんだよ……?」


「知らねーよ」


 キャッチャーの疑問に、ピッチャーが吐き捨てるように答える。当然、みな同じ意見だったが、突然二塁セカンドの太った部員が、「聞いた事がある」とデブ特有の喉の奥でくぐもったようなしゃべり口調で語り始める。


「俺オカルトとか結構詳しいんだけど、この世界には空間が不安定な場所がいくつもあって、そこにうっかり足を踏み入れると全然別の場所に飛ばされたり、違う次元に迷い込んで帰れなくなったりするんだってよ。昔だと、そういう場所を通って消えた人が出ると神かくしだって言われたり、有名なのだとバミューダートライアングルっていう、その付近を通った飛行機や船舶が行方不明になったりする場所があるんだ。もしかすると、さっきのボールもその空間が不安定な場所を通ったから、バックネットに飛ばされていきなり現れたように見えたんじゃねーかな……」


 なげーよデブ、とピッチャーは思った。知らねーよデブ、とキャッチャーは思った。一塁も三塁も、集まって来た他の部員たちもだいたい同じ事を思った。


 沈黙。


「……練習すっか」


「ああ……そうだな」


 ピッチャーの一言に、キャッチャーが無機質な声で同意する。他の部員もこれ以上深く考える事が時間の無駄でしかないと賢明な判断をし、二人の提案に乗っかる。


「おい、このボールどうすんだよ?」


「取れよ。ただでさえ部費が少なくて球が足りないんだ。一個でも無駄にするなよ」


 ピッチャーは二塁に強く言い放つとマウンドに戻る。その背中を見送って、二塁は舌打ちをするとグランドの端に転がっていた金属バットを持ってバックネットの裏に回る。


「おっかしーなー……」


 バットのグリップで思い切り叩くと、ボールは金網から外れた。

次回更新は2月2日(予定)です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ