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          ◆     ◆

 電気ポットの蓋を閉める。これで作業は完了だ。ふう、と大きく息をついたスフィーの顔に、窓から差し込んだ朝日がかかる。


「ん……もう朝か」


 徹夜明けの目に朝日が沁みた。スフィーは固く目を閉じ、艶やかな額に深い皺を刻む。右手で光を遮り、窓の方を見る。夜明けだ。


 視線を窓から室内に戻す。彼女が作業場として使用した客室の中は、惨憺たる有り様だった。分解されて中の部品や配線が抜かれた家電製品や電子機器の成れの果てが、至る所に転がっている。


 その集大成が手元の電気ポットである。見かけは不格好であるが、時間が無い中あり合わせの材料で作ったにしては良くできた方だと思う。


 自画自賛もほどほどに、スフィーはできたばかりの新作を胸に抱えて客室を出る。あと一時間ほどでヴァルコクルスが地球を射程範囲に捉える予定時刻だ。


 教会の中はしんと静まり返っている。という事は、虎徹は無事特訓を終えたのだろうか。期待が高まり思わず歩調が早くなる。通路を半ば駆け足で通り抜け、裏庭へと続く扉を開ける。


 裏庭に出たスフィーが見たものは、二箇所ほど大きな穴が空いたブロック塀と、その周囲に散らばった無数のジャンクとも呼べないゴミ同然の家電たちと、地面に大の字になって大いびきをかいて寝てる舞哉と、地面に座り込んでがっくりとうなだれている虎徹だった。


「ギャーーーーーーーーーーーーーッ!! わしの備蓄パーツがーーーーーーーーっ!!」


 文字通り山のように積み重ねて溜め込んでおいたはずジャンクたちが、一晩目を離したスキにほとんどなくなっている。残っている物といえば、ブロック塀に高速で投げつけられたかのようなゴミばかり。


「シド・マイヤー、貴様かーーーーっ!!」


 大口を開けて爆睡してる舞哉の頭を、容赦なくサッカーボールのように蹴るスフィー。


「んが……」


 本気で蹴ったのだが、舞哉は起きるどころか頭をぼりぼりかいただけだった。むしろ蹴ったスフィーの足の方が痛かった。何という石頭だろう。涙が出てきた。


「おのれ……」


 痛む足をさすりながら、涙で滲む目で辺りを見回す。目に入ったのは、まるでこの世の終わりのような絶望的な様相で地べたにあぐらをかいている虎徹の姿だった。


「なんじゃ小僧、特訓とやらは終わったのか?」


 スフィーの声が聞こえていないのか、虎徹はぴくりとも動かない。舞哉同様寝てるのかと思いきや、目は死んだ魚みたいだが一応開いている。いつもの暑苦しいくらい漏れ出る覇気がまったく感じられず別人のようだ。


 なんだろう、この光景。スフィーの宇宙一を誇る明晰な頭脳は、裏庭に散見する情報を組み合わせて昨晩何があったのかを正確に推測する。


「小僧、結局モノにならんかったな」


 これまで呼んでも返事すらしなかった虎徹の肩がびくりと弾かれたように跳ねる。その反応だけで十分だった。


「なんとまあ……」


 スフィーは胸に抱いた電気ポットを抱え直す。機械は一晩もあれば完成するが、宇宙廻し受けとやらは一晩かけても会得できなかったか。肉体的な鍛錬などしたこともない彼女には今ひとつピンと来なかったが、ガヴィ=アオンがどうして己の肉体を捨てたのか少しだけ理解できたような気がした。


「まあできなかったものは仕方なかろう。あとはぶっつけ本番で何とかすれば良い。それよりまだ時間はあるようだから、朝メシにせぬか。腹が減っては戦はできぬからのう」


「なに? メシか?」


 大あくびをしつつ、舞哉がのっそりと起き上がる。頭を蹴りつけても起きなかったくせに。


「耳ざとく聞きつけおって、貴様は犬か」


「うるせー。いつも誰の用意したメシ食ってるか考えてから物を言えよ」


「むう……」


 痛いところを突かれた。今は衣食住すべてを舞哉に握られているのだ。居候は辛いよ。


「とにかく、小僧に何か食わせてやれ。燃料を入れんと、動くものも動かんからの」


「しょうがねえなあ……」


 舞哉は面倒臭そうに舌打ちをすると、まだ地面に座り込んで俯いたままの虎徹の首根っこを掴むと、そのまま猫の子でも持つように食堂へと歩いて行った。


「やれやれ、こりゃ覚悟を決めんといかんかのう」


 舞哉のなすがままに運ばれて行く虎徹を見送りながら、スフィーは小さくつぶやいた。



 獅堂舞哉ことシド・マイヤーが聖セルヒオ教会の神父になってからの主な収入は、信者たちからのありがたい寄付だけだった。当然、教団からの資金援助は無い。これは信者は知らない事だが、正式な神父がヤクザの地上げに屈服して逃げ出したため空いた教会に、舞哉が勝手に住み着いているだけだからだ。もちろん給料も出ない。残るは収入とは少々違うが、舞哉の家庭菜園も重要な命綱だ。だが本格的な農地でもない、教会の裏庭を使った程度の菜園での収穫などたかが知れている。結果、ほぼ常時と言って過言ではないくらい、聖セルヒオ教会の財政は逼迫していた。


 そこに加えてここ最近の居候ラッシュである。スフィーを皮切りにメリッタ、プシケ姉妹。その同伴者のガヴィ=アオン。一人でも食うに困る生活に、一挙に三人の居候が増えてしまった。


 人が増えれば当然支出も増える。宇宙人と言えど、霞を食って生きていけるわけでもないし雨風をしのげる寝床は必要である。無論光熱費もかかる。生きるだけで金が減るのは、地球も宇宙も変わらないのだ。


 当初、舞哉はこの無駄に増えた居候に頭を抱えていた。住むのはいい、どうせこの教会だって自分のものではない。ただ自分が一番最初に住み着いただけで、見つけたのは虎徹だった。服も教会に来る人たちに頼めば余ったものをわけてもらえる。問題なのは、先立つものと食い物だ。こればかりはこれ以上他人に頼るのは気が引ける。かと言って、戸籍もクソも無い宇宙人ゆえに外に働きに出ることもできない。


 八方塞がりだ――そう思っていた矢先、お荷物だとばかり思っていた居候の中に、現状を打破できる逸材が混じっていた。


 スフィーである。


 彼女は持ち前のハッキング能力を駆使して、聖セルヒオ教会の親教団のネットワークに侵入。教団員リストの中に獅堂舞哉を潜り込ませ、前聖セルヒオ教会神父との交代がつつがなく完了したようにデータを書き換えた。つまりこれで完全に聖セルヒオ教会は舞哉の赴任先となり、柴楽町は彼の管轄区となった。そうなると当然、教団からの資金援助が再開する。


 こうして潤沢となった資金によって、いま目の前にある朝メシが存在するのだ。が、虎徹はとても口にする気分ではなかった。


 以前舞哉が殴り壊したテーブルには、トーストと目玉焼きとコーヒーという、侘びしくもなく豪華でもない微妙な朝食が並んでいる。普段なら、起き抜けだろうとこの程度の朝食なら軽く平らげる虎徹なのだが、これが最後の食事になるかもしれないと思うと、とてもではないが食欲が湧かなかった。


 宇宙廻し受け、会得できず。


 結局、攻撃をさばく事はできるが返す事はできなかった。それでは意味が無い。惑星ごとアペイロンを滅ぼすような威力の攻撃が来るのだ。さばいたところで地球がなくなってしまう。だから何としても、宇宙廻し受けを会得しなければいけなかったのに。


 いけなかったのにできなかった。


 酷いプレッシャーだった。これまでにも、できなければ地球が滅びるような重圧はあった。だがあれは、やむを得ない状況だった。今回は事情が違う。わずかだが時間の猶予がある。


 特訓する時間があるという事は、冷静になって考える時間があるという事だ。そして冷静になって考えると、自分がどれだけ無謀な事をしているのか実によく理解できる。そうなるともう、テンションを維持できなくなる。危機的状況でアドレナリンが出まくって上がりに上がったテンションも、ちょっと間を置けばいとも簡単に下がる。下がる下がる。下がりに下がったテンションは、やがて猛烈な後悔を生む。修学旅行などでアホみたいにはっちゃけて、家に帰ると急に死にたいほどの羞恥に襲われるあれに似てる。


 もの凄いストレスで胃がねじれてもげそうなほど痛む。そのせいなのかわからないが、まるで変身できる気がしない。そもそも、変身できないプレッシャーで胃が痛むのか、宇宙廻し受けが会得できなかった罪悪感で変身できないのか、自分の不甲斐なさで死にたくなってるせいで変身できないのかわけがわからない。


 何にせよ、アペイロンに変身できなければ話が始まらない。


 始まらないのに。


 変身もできない。宇宙廻し受けもできない。何だかもうこのまま地球が滅びるよりも先に自分は血を吐いて死ぬんじゃいかと思うくらい虎徹が滅入っていると、


「ところでさっきから気になってたんだが、何だよそれ?」


 朝メシとは思えない量の食パンを食いながら、舞哉はスフィーが後生大事に両手で胸に抱いた電気ポットを指さす。


「これか? これは通信機じゃ」


「通信機って、お前んなモン無くても通信できるだろ」


「今できる通信は、せいぜい光の届く範囲じゃ。だがそれだと色々と不便でな、量子共鳴通信機を作った。これなら全宇宙のどことでも時間差タイムラグなしに通信できる」


「あのジャンクからそんなモン作ってたのかよ」


「思ったより部品が集まらんで難儀したがな、ようやく今朝完成した。これさえあればもう部品の調達にあの姉妹を使わずに済む」


 頻繁に姿が見えなくなると思ったら、スフィーの命令でジャンクを集めさせられていたのか。こんな時でなかったら同情していたが、生憎虎徹にそんな心の余裕は無かった。


「通信機でどうやって部品を調達するんだよ?」


「それはもちろん――」


『姐さん、大変っス』


 その時、スフィーの言葉を遮るようにして電気ポットからメリッタの声がした。目玉焼きを食べる舞哉の手が止まり、虎徹の肩がびくっと震える。スフィーはあらかじめメリッタたちの宇宙船の通信機と周波数を合わせておいたのか、チューニングも細かい修正もせずただお湯が出るボタンを手でぐいっと押して応答する。


「来たか」


『はい。うちの船のカメラだと限界まで寄っても船影までは確認できないっスが恐らく……いや、間違いなく奴っス』


 現時点で地球のような辺境惑星に来る宇宙船など間違ってもあるわけがない。当然、ヴァルコクルスだ。


「距離は?」


『現在約五十万キロってところっス。情報だと、間もなくそっちが射程距離に入る頃なんで、準備お願いするっス』


「わかった。お主らはそのまま待機じゃ。決して迷彩を解くでないぞ」


『了解っス。何かあったらこのチャンネルで報告するっス。健闘を祈るっス』


 そう言い残すと通信は切れた。ヴァルコクルスの射程距離は四十万キロ。あと十万キロをどのくらいの時間で航行するのかわからないが、とにかくもう時間が無い。


「小僧」


 スフィーの声が心臓に刺さる。


「出番じゃ」


 もうどうしようもない。



 ヴァルコクルス接近の一報に、朝メシが中断される。虎徹はとうとう一つも手をつけなかった。


「行くぞ、虎徹」


 舞哉はきれいに空にした皿やカップをそのままに立ち上がる。手を触れた痕跡もない朝メシと今にもゲロ吐きそうな顔面蒼白の虎徹を見て一度「ふん」と鼻を鳴らすと、


「いいから立て」


 再び虎徹の首根っこを掴んで持ち上げ椅子から強引に立たせ、「さっさと歩け」とそのまま引きずって歩き出した。その背後を電気ポット型量子共鳴通信機を抱えたスフィーが追う。


 廊下の途中に、ガヴィ=アオンが意味ありげに両腕を組んで立っていた。修理したばかりのジェネレイターを背負っている。舞哉たちは特に視線を合わせるでも声をかけるでもなく、自然にガヴィ=アオンが加わる。


 一同が揃って裏庭へと出ると、すでに朝日が完全に顔を出していた。これが最後に見る朝日か、とは誰も言わなかった。海岸と教会を隔てるコンクリートブロックの塀は、一晩で舞哉でも二人並んで通れるほどの穴が二つ開いていたが、みな律儀にドアを通って砂浜へと出た。


 砂浜を少し歩き、店じまいしたままの海の家を通り過ぎたあたりで、舞哉が立ち止まる。


「ここらでいいか」


 そう言うと舞哉は引きずっていた虎徹を前に押し出す。虎徹は舞哉に押されるがままよろよろと前に出て、砂浜に一人ぽつんと立った。そこは奇しくも、半月ほど前にメリッタやプシケ、ガヴィ=アオンと戦った場所である。


「ところでよ、どうやってヴァルコクルスに虎徹を狙い撃ちさせるんだ?」


 まるで射的の的のような扱いだが、ヴァルコクルスがアペイロンを探すのを諦めてこの惑星ごと始末するようになっては元も子もない。あくまで標的はアペイロン――虎徹ひとりでないと意味が無いのだ。


「それは問題ない。さっきからこれでアペイロンの現在位置や風貌、変身前の小僧の容姿などの情報を宇宙規模で配信しとるからの。今ごろ奴もそれを見てこちらに照準を合わせとるじゃろう」


 スフィーが急ぎ量子共鳴通信機を作ったのは、メリッタたちとの通信が目的ではなく、ヴァルコクルスにこちらの位置と情報をあえて教えるためだったのか。そうしないとならない理由は納得できるが、これで虎徹の素顔も素性も全宇宙的に割れてしまった。これでまたひとつ逃げ道が塞がれた。


「ってぇと、つまりこれで虎徹は晴れて宇宙賞金首デビューってわけか」


「お主の罪科が消滅したわけではないがの。まあそれについては後回しじゃ。まずはこの状況を何とかせんと始まらん」


「始まらんって言っても、これじゃあなあ……」


 舞哉は今にも倒れそうな虎徹の様子に苦笑いする。これまでの無駄に自信満々だった名残はまるで見られず、自信のじの字も感じられない。逃げ出さなかっただけ上等だが、それは逃げ出す気力さえ無かったのか判別がつかないので何とも言えない。


「どうするつもりじゃ?」


「どうするって、何が?」


「どう見ても小僧は使い物にならん。わしはこのままこの星と運命を共にする気はさらさらないぞ」


「……ならとっととバカ猫たちの船で消えればいいだろうが。バカ正直に最後まで残りやがって」


 舞哉は口元を笑みの形にしたまま、面倒臭いといった感じで鼻から大きく息を吐く。


「うるさい。元はと言えばわしが元凶みたいなものだからな。最後まで見届けんと気が済まんだけじゃ」


「はいはい、ご立派なこった」


「それはいいから、何か策はあるのかと聞いとるんじゃ」


 策ねえ、と舞哉は頭をボリボリ掻く。これまで宇宙連邦治安維持局ピースメイカー連邦宇宙軍ユニオンをことごとく出し抜いてきた男だ。さぞや奇想天外な策を用意しているのだろう、とスフィーは期待のこもった目で見つめた。が、


「何とかなるさ」


 返ってきたのは、策どころか運を天に任せたような投げやりな言葉だった。


「はあ…………?」


 スフィーは危うく電気ポットを取り落としそうになる。慌てて受け止めた電気ポットから、突如『姐さん、そろそろっス!』とかなり慌てたメリッタの声がした。


「どうした?」


『ヴァルコクルスの船が、本格的に射撃体勢に入ったみたいっス! っていうかもう今にも発射しそうっス!!』


「射角は!? どっちに砲を向けとる!?」


 わずかな沈黙。


『目標は聖セルヒオ教会の方向で間違いないっス。ヴァルコクルスはちゃんとアペイロンを狙ってるっス』


 そうか、とスフィーは胸を撫で下ろす。どうやら狙いをアペイロンに向けさせる事には成功したようだ。自分が役割を果たせた事に、スフィーは満足にも似た笑みを浮かべる。


 だが、そこから先――アペイロンはもうあてにはならない。このままヴァルコクルスの攻撃になすすべもなくやられて、宇宙の塵と果てるのだろうか。それは困る。自分にはまだまだ作りたい物や知りたい事が山のように、それこそ星の数よりもある。


 ではなぜ舞哉の言う通り、虎徹たちを見限って早々にこの星を離脱しなかったのか。それは、彼女がこうなる原因を作ったための罪滅ぼしや罪悪感だけが原因ではない。


 アペイロンの無限の可能性を、もっと見てみたかったからだ。


 絶対に勝てないと思ったドラコに勝利しただけでなく、二対一と数の上でも不利だった上に瞬間移動の特殊能力を持つサルトゥス星人のメリッタ、プシケ姉妹を倒し、さらにアペイロンのネオ・オリハルコンの装甲を切り裂く剣を持った宇宙一の剣豪ガヴィ=アオンにまで勝利を収めた。他にも数々のスフィーが科学的物理的数学的確率的にあらゆる根拠で不可能だと導き出した事態も、アペイロンとなった虎徹はやり遂げてきた。


 無限の可能性というものが言葉だけの架空のものでなく実際に存在するのなら、是が非でも見てみたい。いや、見ずに死ねるものか。だからまた見せてくれ、と願う。奇跡などという安っぽい偶然による現実ではなく、ヒトが己の意志であらゆる因果をねじ伏せて掴み取った成果を。

次回更新は1月5日(予定)です。

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