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メリッタ、プシケ姉妹は念の為に宇宙船に戻り、ヴァルコクルス監視の役目に就いてもらった。そして再び裏庭に戻った一行は、まず最初に虎徹の宇宙廻し受けの型の見直しから始めた。
虎徹は言われるがままに、これまで鍛錬を積み重ねた廻し受けをやって見せる。だが、やはりと言うか何と言うか、虎徹は自分でもこの廻し受けに手応えを感じられなかった。当然舞哉も同じく、虎徹以上に渋い顔をして特訓を見守っていたが、やがて頭をかきながら一歩前に出ると、
「よし、虎徹、お前ちょっと向こうに立て」
と、型を中断させて虎徹を海側の塀へと下がらせた。舞哉との距離は、ざっと15メートルほど。
「下がったぞ。次はどうすんだ?」
舞哉は「おう」と答えると、おもむろに近くにあったガラクタの山から手頃な大きさのものを掴むと、
「そら」
かけ声は軽く、だが踏み込みや肩の回転はどう見ても本気の力を込めて虎徹に投げつけた。
「!?」
顔面に向かって、時速160キロで旧型のラジカセが飛んで来る。これには虎徹も度肝を抜かれ、咄嗟に身を翻す。直後に背後でどごん、と重い音がして、コンクリートブロックの壁のちょうど虎徹の頭があった位置が穿たれていた。当然、ラジカセは原型を留めていない。もうラジカセだった何かだ。
「何しやがんだこの野郎! 殺す気か!!」
変わり果てたラジカセの姿に一瞬言葉を失っていた虎徹だったが、我に返ると猛然と舞哉に講義を始めた。が、
「馬鹿野郎! よけるんじゃねえ!!」
虎徹以上の大声で逆ギレ気味に怒られた。当たれば確実に死ぬような速度で鈍器を投げつけておいて、よけるなとは何と理不尽な。
「はあ!? よけなきゃ死ぬだろ!」
「だからよけるんじゃねえっての。宇宙廻し受けでこっちに返すんだよ。何の特訓してるのかちょっとは考えろボケ」
言われて虎徹は「ああ、」と納得する。だがそれならそうと投げる前に言って欲しい。変身していない生身の状態であんなの喰らったら、頭がぐしゃぐしゃに潰れて殺し屋が来るより一足先にお陀仏するところだった。
「いいか、次はちゃんとやれよ!」
言いながら舞哉は再びガラクタの山から投げつけるのに手頃なジャンクを見繕う。今度は羽根の部分がない本体だけの扇風機だ。
「せいや」
来る。さっきより速い。反射的に逃げ出しそうになる身体を気合で押さえつけ、虎徹は飛んで来る物体を見る事に集中する。前回ガヴィ=アオンとの戦闘で得た経験により、アペイロンの反応速度は一万分の一秒まで上がっている。その恩恵は変身前の生身の虎徹にも多少なりともあり、こうして意識を集中すれば時速160キロを超える速度で向かってくる扇風機の底に貼られたシールに書かれた製造番号まではっきりと読み取れる。
「宇宙廻し受け!」
かけ声とともに、虎徹は十分に引きつけた扇風機を右手でさばく。右前腕を前に出すと同時に、肘を支点にして身体の外側に向けて回転させる。その時手の甲で飛んで来た扇風機を撫でるようにして捉え、飛来する運動エネルギーを右腕の回転に取り込む。
タイミングも腕の回転も完璧だと思った。だが、虎徹の期待に相反し、扇風機は彼の身体の右側を通過して背後の壁に激突した。ぐわしゃん、という派手な音を立てて、扇風機が大破する。元から羽根がなく扇風機としての働きは期待できない物体だったが、これで完全にお役御免になった。失敗だ。
「なにやってんだてめー! ちゃんとこっちに返してこい!」
「無茶言うなよ……」
返せと言われても、あれだけの速度で飛んで来る物体を飛んで来た方向に返すなんて無理ではなかろうか。直撃しないようにさばくだけで精一杯だ。そもそも、廻し受けとはそういう技である。
「なにぶつぶつ言ってやがる。もういっちょ行くぞ! 構えろコラ!!」
虎徹の返事を待たず、舞哉は次なる弾をガラクタの山からほじくり出す。次に取り出したのは、業務用炊飯器だった。
「往生せいやっ!」
洒落にならないかけ声とともに、業務用炊飯器が舞哉の豪腕によって投げつけられる。今度はさらに集中。業務用炊飯器はコマ送りの速度で飛んで来る。今度こそ、と虎徹は右腕を伸ばす。
右手の甲が業務用炊飯器をさばく。だが次の瞬間、業務用炊飯器の陰からもう一つの弾――家庭用炊飯器が姿を現した。
「なにっ!?」
まさかの二段構え。舞哉は大きな業務用炊飯器を虎徹に投げつけたその直後、死角になるように二回りほど小さい家庭用炊飯器を即座に投げつけたのだった。巨体のくせに芸の細かい男である。
だがいくらフェイントを入れようと、それが通用するのは常識内で生きてる者にだけである。今の虎徹はその気になれば、拳銃で撃たれても“弾が発射するのを見てから”回避できるのだ。そんな常識外を生きる彼に、フェイントなど無意味。右腕で業務用炊飯器をさばいた後、余裕をもって左腕で家庭用炊飯器をさばく。
結果、ほぼ同時に二台の炊飯器は虎徹の身体の左右を通り抜け、ラジカセや扇風機と同じ末路を辿った。
「あっぶねえ……」
後ろを振り返る。ぐしゃぐしゃになった家電たちの姿が、どれだけの勢いでそれらが投げられて来たかを物語っている。常人なら、いくら目で捉えられたとしても、これだけの速度で飛んで来た、けっこうな重量のある物体をさばき切る事など不可能だ。弾の勢いと重さに負けて押し切られている。それができたという事は、明らかに虎徹の筋力やその他の身体強度も上がっている。
「外見はまったく変わってないのになあ」
特に身長が、と自分で悲しい事を思っていると、
「何べん言わせるんだ! さばくんじゃねえ、こっちに返せっつってんだろ!!」
またもや理不尽な怒声が返ってきた。お世辞にも科学が得意とは言えない虎徹でも、それはさすがに運動力学上不可能なのではないかと思えてきた。
「無理言うなよ! こんな物、どうやったら返せるって言うんだよ!?」
「考えるな! 向かって来るエネルギーに逆らわず、己の力を加えて相手に返すんだよ!」
「だから、意味わかんねーっつーの!」
言いながら、虎徹は蓋が吹っ飛んで釜がベコベコに凹んだ業務用炊飯器を掴むと、
「だったら手本を見せてみろよ!!」
渾身の力を込めて舞哉に投げつけた。
仕返しとばかりに、遠慮も手加減もない虎徹の一投。かつて柴楽高校入学時に運動能力測定でやったソフトボール投げの時とは威力も速度も比べ物にならない。ナノマシン化されたネオ・オリハルコンによって強化された骨格や筋肉を使った、常人ではありえない一投。砲丸よりも数倍重い弾を全力投球なんて、普通の高校生がやったら振りかぶった瞬間に肩を外す。
矢のように一直線に飛んで行く業務用炊飯器。その速度は舞哉のと比べても決して引けをとらない。だが舞哉は驚きも怯みもせず「へっ」と鼻で笑うと、瞬時に身体を半身に開いて構えを取った。
「宇宙廻し受け!!」
気合一閃。あわや舞哉の顔面に直撃すると思われた業務用炊飯器は、次の瞬間には再び虎徹の背後の壁にぶち当たって今度こそ完全にひしゃげていた。
「な……」
何が起こったのかわからなかった。いや、虎徹にははっきりと見えていたが、理解できなかった。舞哉の顔面にまっすぐ飛んで行った業務用炊飯器が、投げつけた時の倍の速度でこっちに返ってきたのだ。
舞哉がやった事は、虎徹と同じ宇宙廻し受け。同じように右手の甲で飛んで来た業務用炊飯器をさばき、同じように舞哉の身体の右側を通過するはずだった。しかし結果は見ての通り。同じ事をしたはずなのに、どうして虎徹の時と結果が違うのだろう。
「どうだ虎徹。これが本当の宇宙廻し受けだ」
舞哉は得意満面の笑顔で右肩をぐるぐる回している。さすが元本家アペイロン。変身できなくなった今でも、宇宙格闘術にかけては弟子の虎徹に一歩も引けをとらない。むしろ未熟な虎徹など変身しても、舞哉なら難なく制してしまうのではなかろうか。そう思わせるほどの技のキレであった。
「全然わかんねーよ! 今なにしたんだよ!?」
「ちょっと目が良くなったからって調子こいてんじゃねー! むしろ目に頼ってるうちは、一生やってもモノにならねーぞ!!」
「なんだと!?」
鼻息を荒くする虎徹に、舞哉はのしのし歩いて近づいて来る。虎徹の正面に立つと「ふん」と鼻を鳴らし、ねめつけるようにして虎徹を頭のてっぺんから爪先まで見る。そして何が気に入らないのかもう一度「ふん」と鼻を鳴らす。
「な、何だよ……?」
「まだ三割ってとこだな」
「何がだよ?」
舞哉は虎徹の質問には答えず、無精髭だらけの顎を左手で撫でている。その時の舞哉の目が虎徹には少し悲しそうに見え、自分が師匠に憐れまれているように感じ、師匠の期待に応えられないでいる自分がひどく惨めな気がした。
「悪かったな、才能の無い弟子で」
「あン?」
「どうせ俺には師匠みたいな才能はねえよ。未だに自由に変身できないし、宇宙格闘術だって満足に習得してない。俺なんかに地球の運命――ってえ!!」
虎徹の言葉を止めたのは、舞哉の右手中指の一撃だった。エリサに殴られた時よりも数倍痛い。額に穴が開くかと思うようなデコピンだった。
「血ヘド吐くほどの努力もしてねえくせに、才能って言葉を言い訳に使うんじゃねえ。それに例え才能ってやつがあったところで、変わるのは覚えるのが遅いか早いかだ」
「だから、その遅いか早いかが大事なんだろ。俺がもっと早くアペイロンを制御できたり、宇宙格闘術を会得していたら、今ごろ――」
「今ごろなんだ? 余裕綽々でヴァルコクルスを迎え撃つ気だったか? ドラコに楽勝してたか? アホ姉妹とブリキ剣士に人質なんか取られなかったか? そうじゃない今の状況は、全部お前のできが悪いからか?」
そうだ、と言いかけた虎徹の声を、舞哉の「ンなワケねえだろボケ」の言葉が容赦なく堰き止める。
「お前のできが悪いのは、師である俺の責任。この星が悪党に狙われてピンチなのは、かつてアペイロンだった俺の責任だ。他人の責任まで勝手にしょい込んで身動き取れなくなってんじゃねえよ」
そう言うと舞哉は大きな手で虎徹の頭を鷲づかみにすると、固い髪の毛を乱暴にわしゃわしゃとかき乱す。本人は頭を撫でているつもりなのだろうが、虎徹の頭は左右に大きく揺さぶられ、首よもげろと言わんばかりだ。
「いってえな、何すんだよ!」
豪腕で乱暴に頭をシェイクされ、虎徹はたまらず舞哉の手を払いのける。物理的な痛みもあったが、急に優しくされて戸惑っての行動であった。
「いや、刺激を与えれば少しは伸びるかなと」
「伸びねえよ! 馬鹿力で撫でやがって、むしろ縮むか頭がもげるわ!」
虎徹が痛む首の後ろをさすりながら文句を言うと、舞哉は心外だとばかりに「むう」と唸る。
「何だよ急に師匠ぶりやがって、気持ち悪いんだよ……」
「急にも何も、前から師匠じゃねえか。弟子が悩んでる時に道を説いてやるのも、師匠の仕事だよ」
「今までさんざん放任してきたくせに、何を今さら!」
「そして弟子のケツを持つのも、師匠の仕事だ」
それは今こうして特訓の手伝いをしているという事だろうか。この時の虎徹は、舞哉の言葉をただそういうふうに捉えていた。
「さて、ゴチャゴチャ言っても始まらねえ。時間もねえし、とっとと再開するぞ」
手本は見せたから後は自分で考えろとばかりに、舞哉は再び投球位置に戻っていく。相変わらず不親切かつ無愛想な指導方法だが、舞哉の言葉や態度には少しの落胆も諦めも感じられなかった。それはそうだ。宇宙格闘術の中に、諦めという文字はないのだ。虎徹は気合を入れるために両手で頬を何度も何度も叩く。
「よし!」
少々やり過ぎて頬が真っ赤になったが、気合は十分に入った。時間は無い。宇宙廻し受けを会得するきっかけすらまだ掴んでない。アペイロンに変身する気配もない。いい加減うんざりするようなないない尽くしの絶望的な状況だ。
「いくぞコラ!」
先ほどの位置まで戻った舞哉が、今度は掃除機を右手に掴んで高々と持ち上げてこちらに向けて振っている。
「よっしゃ来いやあっ!!」
構えると同時に、虎徹は吠えた。
こうなったらできるできないじゃない。
やるしかない。
宇宙格闘術に諦めの文字はないのだから。
校門で虎徹と別れた後卯月エリサは、犬飼浩一と期末テストについてや使ってる参考書の話題など、学生らしい当り障りのない会話をつつがなくして家に帰った。
そうしてアメリカ人の母が作った夕飯を日本人の父を交えて家族団欒の中で食べ、一番風呂に入って母親譲りの長い金髪をタオルで拭きながら自室に戻り、高校生になった時に父親からもらったお古のパソコンを起動していつもの通り海外のニュースサイトやオカルトサイトを巡回しようとしたところで、ずっと無視しようと努力していたしっくり来ない気持ちを抑えきれなくなった。
時計を見る。午後八時五十八分。ぎりぎり夜分遅くという時間ではないだろう。
タオルでまだ生乾きの髪をまとめ、勉強机の上に放り出しておいた携帯電話を取る。アドレス帳の一番最初、あ行の中からすぐに目的の名前と番号を見つける。即座に通話ボタンを押す。待つ。コールが一回、二回、
『もしもし?』
三回目で出た。
「もしもし、こういっちゃん?」
犬飼浩一の携帯電話にかけてるのだから、十中八九本人なのだろうが、つい訊いてしまう。
『どうしたの、こんな時間に』
どうやら浩一的にはこの時間は夜分遅くだったか。そりゃあ自分は時差を利用して海外の友人とチャットをする夜更かしの常習犯だが、それにしてもこの時間はまだ宵の口ではなかろうか。もう高校生だというのに早寝な奴だ。健康マニアだろうか。
「いやあまあ、なんちゅうかアレや……」
『虎徹のことかい?』
どう話を切り出そうか迷っているうちに、向こうからズバリと言ってきた。相変わらず勘が鋭いというか、心が読めるのではないかと疑うほどである。
「うん、まあ、せやねん。うちら、あのまま虎徹ほっぽって帰って良かったんかなあ?」
『エリサも聞いただろ? あのスフィーって子の呼び出しだ。絶対トラブルが起こったか、これから起こるに決まってる』
校門前に立つガヴィ=アオンの姿が目に入った時点で、確かに嫌な予感はしていた。そして彼の口からスフィーの名前が出た瞬間、予感は確信に変わっていた。浩一も同じ事を感じていたのだろう。
『そんな中、僕たちが居ても邪魔なだけだよ』
「せやけど――」
『心配?』
「そういうわけやないんやけど」
『じゃあ僕らに何かできる事があると思うかい?』
無い。はっきり言って何一つ無い。むしろ足手まといになる可能性のが高い。前回人質となってしまった浩一なら、なおさらそれだけは避けたいだろう。自分だって避けたい。
『まあ、あるとすれば一つだけかな』
「あるんかい。なんやそれ?」
浩一の意外な発言に、思わず前のめりになって食いつく。
『信じることだよ』
うわ。
何を言うかと思えば、えらくまあ臭いセリフが出たものだ。コイツ、こういうキャラだっけ、と思ったがよくよく考えてみればこういう歯の浮くようなセリフを真顔で言うようなキャラだった。今は。
『どうかした?』
「いや、何でもない。ま、今のうちらにできる事っちゅうたらそれくらいやろなあ」
『残念だけど、仕方ないね』
ごく平凡な高校生が、宇宙の彼方から集まって来る荒くれ者どもを相手に何ができるというのか。それこそ、
「ヒーローの仕事っちゅうことか」
『え? 何だって?』
「何でもあらへん」
『そう』
「夜分遅くに悪かったね。ほなまた明日」
『おやすみ』
「おやすみさん」
携帯電話を切る。また明日、か。その明日が本当に来るという保証は、今のところ無い。それどころか、来ないかもしれないという可能性を考慮している人間が、この地球にどれほどの数いるだろう。どうせみんな、いつもの通りに何の不安も迷いもなくぐっすりと明日に備えて眠りにつくだろう。まったく、虎徹がアペイロンになったおかげで、しなくてもいい心配までする羽目になってしまった。
エリサはため息をつく。これでは今夜はとうてい眠れまい。
「こら完徹やな」
マウスを握り、待機モードでスクリーンセイバーになっていたパソコンの画面を元に戻す。モニターの端に表示されている時間は、午後九時三分。アメリカとの時差は約14時間。サマータイムを差し引いても、向こうのチャット仲間が学校や仕事を終えて自宅のパソコンの前に座るまで、まだまだたっぷり時間がある。
「ホンマ頼むで、虎徹……」
祈るようにつぶやくとエリサはパソコンをネットに繋ぎ、とりあえずいつもの巡回コースを回り始めた。
次回更新は12月29日(予定)です。