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それから一同はすぐさま教会の客室に移動し、作戦会議が始まった。
客室の壁にかかった時計は、午後五時を四十八分ほど過ぎている。つまり、明日の朝五時過ぎには、ヴァルコクルスはアペイロンを狙い撃ちするか地球ごと破壊できる位置にまで来ているという事になる。
「さて、どうしたもんかのう……」
口火を切ったのはスフィーだった。どうしたと問われても、すぐさま良案を出せる者などこの場にいない。彼女も承知の上での発言だったらしく、一呼吸置いて誰も何も言わないのを確認すると自ら語り出した。
「ドラコの時に比べるとまだマシな方じゃが、如何せんあの頃とは状況が違う。残り時間は四倍の十二時間と増えたが、今回は迎え撃つわけにもいかん」
「あ、それならあたしらの宇宙船が――」
役に立てるのが嬉しいのか、意気揚々とメリッタが耳と尻尾と手を挙げるが、
「相手は超長距離狙撃専門の殺し屋じゃ。下手に迎え撃ちに出てみろ。いくらアペイロンの超視力でも、こちらが視認する前に狙い撃ちじゃ」
「あう……」
スフィーにあっさりと論破され、勢いよく上がった耳と尻尾と手がしょんぼりと下がっていく。
「つまり野郎に対してこっちからできる事は何もないって事か?」
この緊迫した中、舞哉は悠々とテーブルに両足を投げ出して椅子に座っている。ちなみにテーブルは以前舞哉が殴り壊したのだが、スフィーが元通りに直してある。聖セルヒオ教会には家具を新調するような余裕はないのだ。
「無い。強いて言えば、余計な被害が出ないよう、アペイロンには開豁地にて待機してもらうくらいじゃ」
きっぱりと言い切るスフィー。舞哉は特に気にしたふうもなく、「となるとまた裏の海岸か……」と無精髭をさすっている。
「おいおいちょっと待て、待ってくれ!」
思わず虎徹が割って入る。
「こっちはどうやって反撃すればいいんだよ? アペイロンに飛び道具があるなんて聞いたことないぜ」
至極もっともな疑問だ。何せ相手は四十万キロの彼方から狙い撃ちしてくる。狙撃には狙撃で対抗するのだろうか。それとも何か別の秘策でもあるのか。
「お前今ままで何聞いていやがった。さっき話したばっかだろ」
「は?」
猛烈に悪い予感がする。舞哉の自信に満ちた表情が、これほど不吉に感じるのはどういうことだろう。
「まさか……」
「そう、宇宙格闘術に死角無し。奥義、宇宙廻し受けさえあれば、敵がどれだけ強力な飛び道具で狙撃してきたとしても、正確に反射することができる。敵は己の放った武器で倒れるという寸法よ」
「相変わらずでたらめな技じゃのう。どういう原理なんじゃ?」
舞哉はスフィーの方へ顔を向けると、気味が悪くなるくらい真剣な顔で言った。
「知らん!」
「……だと思ったわい」
「大事なのは気合だ! 気合入れて行けよ虎徹!」
びしり、と音がするほど勢いよく、表情の無い弟子に向けて親指を立てる舞哉。
「しかしそうなると、ヴァルコクルスにはピンポイントで虎徹を狙撃してもらわねばならぬな」
「確かに。面倒だからっていきなり地球ごと破壊されたらアウトだしな」
う~む、と舞哉が太い腕を組む。スフィーも同じように腕を組んだが、すぐに何かあてがあるのか、
「そこはわしが何とかしよう。幸いまだ時間はある」
「そうか。じゃあそっちはお前に任せた」
どうやらいきなり地球が消滅する危機は何とか回避できそうだ。だが虎徹は安堵するどころか全身に汗をびっしょりかき、まるで親にエロ本が見つかった時のような怒るとも恥ずかしいとも言えぬ表情をしていた。
「どうした虎徹? 腹でも痛いのか?」
「顔色が悪いのう。便所でも我慢しとるのか?」
「いや、その……」
「何だ、何か言いたい事があるのか? だったら遠慮なく言え。実際に戦うのはお前だからな」
「そうじゃな。意見があるなら言うてみい」
「そうっスよ、兄さんが主役なんですから、何でもバンバン言っちゃってください」
「そうなの~、言ってほしいの~」
メリッタ、プシケ姉妹も加わって、ますます言い出しにくくなる。
「や~、ま~、その~……何て言うか、非常に言いにくいんだが……」
どうにも煮え切らない物言いに、次第に舞哉とスフィーの顔に苛立ちの色が浮かんでくる。その色が濃くなるほど、さらに虎徹の口ぶりが不安定になる。
「ええい、まだるっこしい! 男ならハッキリと言わんか鬱陶しい!!」
今にも噛みつきそうなスフィーの剣幕に、いよいよ虎徹も覚悟を決める。何にせよ、これ以上時間を無駄にするわけにもいかない。
「その、宇宙廻し受けなんだけど……」
ほうほう、と舞哉とスフィー。
「やったことないんだ、俺」
虎徹が白状すると、スフィーは「ほうほう」と言った表情のまま固まり、メリッタプシケ姉妹はお互いの手を取り合って白目を剥いている。ガヴィ=アオンは今までも、そしてこれからも変わらないであろう無表情かつ無反応で、舞哉も数秒ほど表情が動かなかったが、やがて太い眉をしかめ額に深い溝を刻むと、
「なんでできねーんだよ?」
心底理解できないという顔で言った。
「お前にはひと通り宇宙格闘術を叩き込んだろ」
「型だけじゃん」
「型を覚えたんなら十分だろ」
「型覚えただけで実戦で使えたら苦労しねーだろ! せめて組手をやるとか練習させろよ! っつーか自分ができるからって他人が同じようにできると思うなよこの野郎!」
胸ぐらをつかむ勢いで迫る虎徹の頭を、舞哉は片手で押さえて止めた。そのまま腕をぴんと伸ばせば、もう虎徹がいくらじたばたしたところで手も足も届かない。舞哉は空いた方の手で「ふむ……」と顎をつまむとにやりと笑い、
「じゃあ特訓だな」
そのひと言で、虎徹の動きが止まった。
階下から聞こえる電話のベルが、自室で宿題をする武藤小夜の手を止めさせた。母親が出るだろうと再びノートにシャーペンを走らせようとする。だがすぐに母親は夕飯の買い物に出かけている事を思い出し、盛大に鼻からため息をついて椅子から立ち上がる。
ドアを開け自室から出て、狭い廊下を歩きさらに狭くて勾配の急な階段を降りる。玄関の下駄箱の上の古びた電話は、まだ懲りずにリンリン鳴っている。いい加減子機付きのコードレスフォンに買い換えようと口を酸っぱくして言っているのだが、両親は壊れてもいない家電製品を買い換える事には酷く消極的だった。ベルの音は彼女が記憶する限り昔から少しも衰えを見せていない。この無駄に丈夫な古電話は、下手をすると自分が進学やら就職やらで家を出るようになってもまだ壊れないかもしれない。辛うじてプッシュフォンなのが救いだが当然ナンバーディスプレイなど気の利いた機能もなく、小夜はいつも出てみるまで相手のわからないこの電話機が嫌いだった。
「……もしもし」
警戒心を隠そうともしない声の後、再び小夜は鼻から盛大なため息をついた。
「なんだお兄ちゃんか。いつまで遊び歩いてんの? もうすぐ晩ご飯なんだからさっさと帰ってきなよ。遅くなるとまたお母さん怒るよ」
電話の向こうの兄は、いつもと違ってどうにも歯切れが悪い。どうせまたアレだろう、と小夜は何度目かのため息をつこうと鼻から大きく息を吸い込む。
「――また教会で神父さんの手伝い? 泊まるの? 晩ご飯は? うん、伝えとく。お父さん? 今日は夜勤。大丈夫だって、戸締まりはいつもちゃんとしてるでしょ。うん、じゃあせいぜい頑張って、カミサマに気に入られるといいね。そしたらあたしの分の天国行きのチケットもらっといてよ。え? 冗談よバーカ。じゃあね」
受話器を戻すと、入れ替わるように玄関のドアが開いた。
母親が帰宅したのだ。母親は両手にスーパーのビニール袋を持ったまま、足でデッキシューズを脱ぐ。
「電話? 誰からだった?」
「お兄ちゃん。今日神父さんとこの手伝いで泊まりになるから、晩ご飯いらないって」
「また? 最近多いわねえ。いつからあの子はクリスチャンになったのよ。うちは代々仏教だっていうのに」
「さあ? どうせまたバザーとか何か催し物の手伝いじゃない? あの教会、いろいろイベントやるし」
母親は「そうねえ」と言いながら玄関に上がり、右手に持っていた買い物袋を一度床に置いてから今しがた脱ぎ散らしたデッキシューズを揃える。
「じゃあ今晩は小夜と二人か。二人分だけ作るってのも、何だか面倒なのよねえ」
その言葉に、すかさず小夜が嬉しそうに、
「じゃあさ、ピザとろうよピザ」
「ピザねえ……。お母さん最近そういう重たいものはちょっと……」
嬉々とした小夜の顔が、途端に真剣になる。せっかくのチャンスだ。この機を逃すまい。だがスポンサーがこの様子ではちょっと無理そうだ。ならば――
「だったら、お寿司は? 二人前からでも出前してくれるお店知ってるよ」
「お寿司~……う~ん」
ピザの時よりも母親の顔が曇った。どうやら今度は胃袋よりも財布の問題らしい。
「大丈夫、そんな高いお店じゃないから。ホラ」
そう言って小夜は、この時のために電話の下に挟んでおいたチラシを見せる。母親はチラシ――特に値段を重点的に見て、「う~ん……」と渋い声を上げる。
「上握りとちらし寿司(竹)、あと巻き寿司」とやや強気に交渉に出た小夜に対し、
「並握りと巻き寿司」と母親の出した答えはあまりにも厳しい。
「上握りとちらし寿司(竹)」
「並握りとちらし寿司(梅)」
お互い見つめ合ったまま、一歩も引かぬ攻防が続く。片や食べ盛りの中学二年生女子。片や亭主の給料が伸び悩む専業主婦。それぞれに信じる正義があり、主張がある。だがそれがお互いに相反するものだった時、悲しいかな戦いが生まれる。二人の譲れない願いは、剣戟の如く何合も打ち合わされた。
しかしいつまでもこうしてはいられない。あまり長引けば、母親の気が変わって交渉の目的自体がなくなってしまうからだ。仕方なく小夜は最大限の譲歩をする。
「並握りと巻き寿司、あと赤だし」
母親はしばし沈黙の後、笑顔で「よし」と受話器を取った。チラシを見ながら番号をプッシュし、寿司屋に出前を頼む。よそ行きの声で注文をする母親を見ながら、小夜は内心でガッツポーズを取った。これで今日の夕飯はお寿司だ。
『冗談よバーカ。じゃあね』
「ちょ、お前――」
言い終わる前に、電話は切れていた。虎徹は小さく舌打ちをすると、携帯電話を閉じる。
「終わったか?」
背後から舞哉の声。虎徹は携帯電話をポケットにしまうと、「おう」とひと言だけ答えた。
「あの二人には何も言わなくていいのか?」
あの二人――とは、エリサと浩一の事だろう。今となってはあの二人も、部外者とは言えないほど自分たちに関わっている。
が、虎徹は「いや、いいんだ」と軽く首を振る。これは決して余計な心配をさせたくない、みたいな安い気遣いではない。むしろその逆で、気を遣われたのは虎徹の方である。
エリサと浩一ならばあの時、学校の校門でガヴィ=アオンが虎徹を待っていた時点で、何か良からぬ事が起こっているのを理解しているはずだ。それでもあえて知らぬふりで虎徹と別れたという事は、あの二人の性格からして考えられる答えはただ一つ。
後は任せた、だ。
エリサと浩一は、後の事は――この地球にどんな危機が迫っているのかはまったく知らないが――とにかく全部虎徹に、アペイロンに任せた、という事なのだ。
だから虎徹は、今さら二人に連絡をしようなどとは思わない。二人が信じて任せてくれたのだから。
舞哉はそう「そうか」と納得すると、
「じゃあ行くか」
虎徹の先に立って歩き出した。
「行くかって、どこにだよ?」
「裏庭だよ。特訓するってさっき言っただろ」
「今からかよ」
「当たり前だ。何せあと十二時間しかねーんだ。一分一秒だって無駄にできねえぞ」
十二時間。そう、泣いても笑っても時間はあと十二時間しかないのだ。それまでに虎徹が宇宙廻し受けを体得できなければ、
「そ、それより他に何かないのかよ? スフィーだったら何か作れるだろ、バリヤー的な何かを」
「無理じゃ」
苦し紛れに提案する虎徹の声を、スフィーの冷たい声が遮る。
「いくらわしでも材料もなしに装置は作れん。魔法使い《メイガン》と呼ばれる科学者と言えど、残念ながら本当に魔法が使えるわけではないのじゃ」
スフィーの表情からは、隠しきれない悔しさみたいなものが滲み出ていた。もしかするとついさっきまで作っていた何かは、こういう事態を防ぐための物だったのかもしれない。そもそも、できるのなら最初の時点でそう言っている。それが無いという事は、本当にもう残された案はひとつだけなのだろう。
「そうか……」
「どうした、小僧らしくないのう。貴様ならむしろ、こういう状況こそお望みであろう」
たしかに、これまでの虎徹なら地球に危機が迫った状況で、それを救えるのが自分だけとか、危機的状況を打破するために特訓するとかいうシチュエーションは大好物だった。
だがそれは、あくまでフィクションの中の話で、実際に自分が体験するのとではわけが違う。むしろ地球の危機は一度経験しているだけに、そのとんでもない重圧や責任がかかった思い出が胃をキリキリさせてゲロ吐きそうになる。
「ははあ、さてはお前ビビったな?」
「ば……っ!? ばっかやろう、そんなんじゃねーよ!!」
舞哉がこれ見よがしに嬉しそうに指摘する。虎徹は思わず全力で否定したが、本当はその通りだった。恥ずかしいから大声を出した。それがかえってその通りだと露呈させていた。これはきっと馬鹿にされる、そう思っていたが、
「ビビって当然だろ。っつかビビらない方がどうかしてる」
「え……?」
「てめえの手に星一個の運命がかかってる、なんて思ったら誰だってビビるに決まってんだろ。俺だってビビるわ」
「だが小僧、お前は一度このような危機を乗り越えたきたはずじゃ。自信を持て、とは言わんが、せめて己の力を卑下するのだけはやめんか。でないと、もうお前しか頼るものがないわしらが不安で仕方なくなる」
「う……」
言われてみればそうだ。今この状況では、アペイロンが最後の希望なのだ。それが自信なさげにオロオロしていたら、希望もへったくれもあったものではない。
思い出す。虎徹が愛してやまない架空のヒーローたちは、こういう時どうしていたか。絶望的な状況の中、このピンチに立ち向かえるのは世界で自分ただ一人。そんな時、彼らの中に一人でも、自分のように怖気づいた者がいたであろうか。いるわけがない。何故ならヒーローというものは、ピンチの中でこそあえて笑うものだからだ。笑顔ひとつで周囲の不安を打ち消せる者こそ、本当の意味でのヒーローだと虎徹は思っている。だったら、彼らに並ぼうとするにはどうすればいいか。
虎徹は顔面の筋肉を総動員して、無理矢理笑顔を作って見せた。笑い出しそうな膝に喝を入れるため、ケツの穴を限界まで閉めて下腹に力を入れる。
「なんじゃそのひきつった顔は。笑ってるのか笑わせようとしとるのかどっちじゃ?」
顔面神経痛のような虎徹の顔を見て、スフィーが噴き出す。さらに虎徹が親指を立てると、我慢の限界がきて盛大に笑い出した。
「ずいぶんひでぇキメ顔だが、まあ今のお前にしては上出来だ」
舞哉が震える声を抑えながら、虎徹の背中をバシバシ叩く。一発ごとに背骨が軋む遠慮のない叩き方だったが、不思議と痛みと引き換えに緊張や震えが消えていくような気がした。
「さあ、時間がねえぞ。とっとと始めるか」
ヴァルコクルスがアペイロンを射程距離に捉えるまで、あと十二時間弱。
「おうっ!!」
虎徹は両手で頬を思い切り叩いて気合を入れる。もうやるしかなかった。
次回更新は12月22日(予定)です。