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零輝は、空腹と肌寒い気温に目を虚ろに覚ます。目の前には星空が散り散りと一面に広がっていた。
どうやら結構な夜中らしい。
「……っ……」
寝ぼける頭で見回す。と、いつの間にか隣にいた少女が話しかけてきた。
「笹金横丁の時計台がある広場ですよ」
ようやく、今ベンチに首をもたれながら座っていること、助けた少女が隣にいることを認識する。
段々と置かれている状況を思い出してきた。
昨日の夜に聞こえた声、笹金通りの裏通り、気持ちの悪いモノとの戦闘、見たこともないような美少女のこと……
未だに夢が現実かも判断できない。
ふと気が付くと、端正な女の子の顔が息のかかる程間近で覗きこんでいた。
「……っ」
「?どうかしましたか?」
息を飲む。遠目でも美しかったが間近で見ると更に美しい。
“美白美人”の言葉に適した肌白さとふっくらとしたピンク色の唇、輪郭がはっきりとした二重瞼に加え、端正とした顔立ちに思わず見とれてしまう。
ただ、なんというのであろうか。全てが女らしいと思うのに、どこかに人間の女性として違和感がある気がした。
嗚呼、そうか。
控え目な性質で世界に知られる日本人を体現する胸をまざまざと見る。
成程な。
「……今後の急成長に期待」
「ええと、とりあえず殴ってよろしいでしょうか」
「安心しろ。俺はお前以上に胸はない」
「フォローにすらなっていません!」
「……これはこれで味がある」
「誰もフォローが聞きたいわけでわありませんからね」
「……乙女心は複雑だな。素直に喜べばいいのに」
「あなたは仮に立場が逆転したとして喜べますか?」
「要するに男性的な……はっ……」
反射的に股を見おろしてしまう。そして、あたかも大切なものを守るかのように身を縮める。
特にその動作に意味はない。
「セクハラ」
「ようやく私の言いたいことに気がついてくれましたねぇ!」
「……女性なのにお下品な」
「初めに下ネタトーク始めたのはどっちでしょうか……って、もういいです。疲れましたので。どうせ私は発展途上ですよ」
「…………」
零輝は深く深く頭を抱えた。
「ダメだこいつ……ここまで腐ってやがるとは……」
「かっこいい台詞はいつどんな状況で言ってもかっこいいと思ったら大間違いですよ?」
「いや、ちげえよ……俺はお前の貧に……胸に落胆しているが……しているわけではない」
「今、どう考えても矛盾しましたよね」
息を、きる。
駄目だ。こんな奴を産み出したのはあの“いきる力”を身に付けるために敢行されたゆとり教育なのか。
密かなる日本の教育改革への思いを胸に告げる言葉は、強く、重々しく――
「その年でその大きさでは……発展する余地がないことに何故気づけない」
「…………っん~~~!!うにゃ~~~!!!」
女の子を大通りのど真ん中で泣かせるのに多大なる功績を残した。
閑話休題
「悪かった、うん。その……禁句を言ったのは」
「……ぐすぅ、もう、いぢめない?」
「苛めない、苛めない」
「夕ごひぁん奢ってくれまちゅ……?」
「どこまで幼児になる気だ……?ま、いいが」
少女は目をごしごし擦ってようやく泣き止む。目はまだ赤い。
息をついて、覗き込むように尋ねる。
「君は……」
「私の名前は亜緒と言います」
長髪の黒髪を夜風に靡かせている少女はおどけるように立ち上がって一回転。ペコリとお辞儀した。
「俺の名前は泉田零輝だ。ところで亜緒……さん」
「さん付けはいいですよ」
「そう。じゃ、亜緒」
「はい」
亜緒はいまだに目は赤いままであった。が、屈託のない笑みで返す。それは、花の咲いたような綺麗な笑顔だった。
気恥ずかしくなり、視線を逸らす。
「亜緒って名字だろ。苗字のほうは?」
ぶっきらぼうな問いかけは先程までの少女の華やかな笑みを消した。
変化を敏感に感じた零輝は、慌てて声を一オクターブ下げ、とりなすように伝える。
「……何かまずいことを聞いたなら謝る」
先程の会話とは違い、傷付ける気はない。
話せないことなら、無理に聞く必要のないことだ。なので、追及をする気はなかった。
彼女は悲しそうにかぶりをふる。
「いえ、言うのを躊躇しているわけではないのです。ただ……」
「ただ?」
「……思い出せないのです」
「…………そうか」
リアクションに困ったので、一つ頷き次の話題にうつる。
「昨日の夜、俺に助けて、助けてとか呼んだのは君……じゃなくて亜緒なのか?」
「ええ」
相槌を打たれる。
「なら話は早い。君は……俺の何を知ってるんだ?……死ぬというのはどういうい」
ブーッブーッ
「み……ちっ」
話している最中、マナーモードの携帯電話が横槍を入れた。
面倒臭そうに携帯電話を開く。不在着信が一件。きっと両親のどちらかがかけたのであろう。自宅の電話番号が表示されていた。
親の過保護さに呆れるが、携帯の液晶の右上に表示されてある8時17分という数字をみて納得。
心配、するはずだ。
「あの……時間帯も時間帯ですし、別の場所で話しませんか?」
「お前の家族は心配しないのか?」
「……多分」
「そうか」
お互いの顔色を伺わせながら腰を上げた。
夜の笹金横丁はゴーストタウンと化していた。
道という道が光に照らされず闇と化し、頼りになるのは建物の影と星々の光や月光を反射している、少女の白いワンピース。
夜の道に戸惑いながらも、今日1日隈なく歩き回ったので帰る道のりは大方予想できる。
辺りは一面黒。話すのに向く雰囲気でない。
無言を徹しながら歩いている最中、亜緒は心細かったのか少し身体を寄せた。
右斜めからするほのかな黒髪の臭いを感じながら、複雑な感情を孕む。
それは、暖かな、半年来味わえなかった感情。誰かのことに興味をもち、もっとよく知りたいと思う単純な生理的好奇心。
何故かは零輝にすらわからない。だけれども、少年は祈っていた。自分でも気づかないくらいささやかに願いを。