15
亜緒は歩いていた。
誰もいない暗闇の中。零輝と指定した校門ではなくてその裏にあるはずだ、と予想する裏門に向かって歩いていた。
亜緒は後悔する。そして、それとともに消極的に迷っている。でも、答えだけは出ていた。
この姿になってから初めて会話ができた。
この姿になってから初めて違う生命体と暖かく触れ合えた。
助けて、助けてと赤子のように叫び続けただけなのに助けてくれた、ぶっきらぼうで率直。なんだかんだで、面倒見がよく、照れた顔が可愛い。そんな優しい人。
――少しは私がいなくなって悲しいと思ってくれるかなぁ……
でも、そんなことは無いだろう。あの人はそれ以上に悲しい、自分の半身とまで言っていた存在をすでに失っている。
それに彼は私の、いや幽霊というものの醜さというものを知ってしまった。もう二度と関わりたくないに決まっている。
霊は自分がいたいと望むから存在できる。
霊は誰かに望まれるから存在できる。
この二つの想いが大前提で、そうして誕生しても霊を信じない人には見ることはできない。
でも、存在してしまったものはそう都合よく消えることはできない。幽霊は虚数だから現実世界の法則が当てはまらない。
虚数は実数では零にできない。虚数からは虚数を引かないと駄目なのだ。
ある意味人間の理想の姿。永遠に老いず、永遠に死なない不老不死。
例え、幽霊の存在に必要な二つの思いが崩れようと。
何千年、何億年経とうと。
私達は自然に消滅することはできない。
代償があるからこそ私達はこの世界に存在ができる。
霊自身が払う代償は祈り。自分が自分のやりとげたことに納得する。もしくはだれか、その手で私達を生み出してくれた人間の魂と同化しその人が死ぬ。それ以外の方法はない。
納得というものはすることができているようで実際難しいもの。霊のように奇跡を起こしてしまうほど強い思いがあるのならなおさらだ。
だから消えたいと願う霊は皮肉なことにその想いを糧にして強くなり人を襲う。
魂を死の世界へ通じる門を強制的に開かせるために、魂に憑いて徐々に同化して――
人を自殺に追い込む。
私達はそこの区別――この世界から消えたいと願い人を襲う霊をその他の霊と区別して“怨念”と呼ぶ。
怨念は人の魂を喰らい、体を殺す。そのことによって消滅することをしようとする、納得することを諦めた幽霊だ。
そして、実に幽霊の殆どがこの末路を辿り、世界から消滅できなくなった魂は“怨念集合体”として顕在する。
霊力を使わない限りは生命体以外のものには触れることができない、この不便な体では当然のことだ。
私もいつかは……と覚悟はしている。
その時、一番近くにいた人に襲い掛かるのは多分決まっていること。
だから、零輝君の傍にはいない方がいい。いや、許されない。それは初めから、誰かの傍にいることは許されない、そんなことは前から、
「わかっています」
そう、初めから。それ以上を望んではいけない。それも、
「わかっている!!わかっているのです!!私には許されない。人の温もりに触れることも!!誰かのそばにいることも!!」
叫んだせいかずきん、とさっき怪我をした右手が痛む。すぐに霊力を回復しないと長引くだろう。でも、もうあの人の元には帰れない。
私にはすぐにでもやらなければならないことがある。
実は零輝君がいうようにもう一つ記憶があった。それは、私がコロサレタコト。何か強大な力に私はさらわれ、そして……
コロサレタ。
大抵の霊と同じように私は前世の記憶、というか人間の頃の記憶をこれしか思い出せない。
いや、普通の霊と同様に思い出さない。なぜならば、必要のないものだったから。霊は強く生きたい、そう思う理由だけが必要なのであり、幸せな記憶は必要がない。
頭が、痛い。もう、これ以上考えるのはよそう。口から漏れる幽かな吐息が小さな砂利を飛ばす。そして、吸うとざらざらとした感触が舌にきた。
気がつくと私は冷たい月光の刺す校庭に横たわっていた。
それにしても、私はいつの間に倒れたのだろう。でも、もういい。
このままでいれるなら、もうそれ以上の幸せはいらない。納得はできなくても、仇は討てなくても自分は霊として頑張った。頑張って生きた。
だから少し休もう……
段々と薄れていく意識の中。少女は夢を見る。
少年がまた自分を助けに来てくれた夢。優しく頬をなで右手をさすってくれる。そんな暖かな幻想を。




