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【短編】私は最初から見抜いていましたの

作者: 楽歩
掲載日:2026/02/01

 

 グランリュミエール学院の講堂は、今日も完璧だった。


 高窓から差し込む春の光は計算された角度で床を照らし、大理石の柱も、天井画も、すべてが“格”を誇示している。

 整然と並ぶ新入生たち。その視線の先に立つ自分が、場の中心であることを、自分でもよく分かっていた。




 令息たちは家名を背負い、誇らしげに胸を張る。

 令嬢たちは品よく微笑み、互いを値踏みするように視線を交わす。

 洗練されてはいるが、予想外はない。


 退屈だわ。


 心の中でそう繰り返しながら、レティアシアはサロンの片隅で紅茶を口に運んだ。完璧な温度、完璧な香り。けれど、感動はない。


 彼女が一人娘であることは、ここにいる誰もが知っている。家名、資産、血筋。条件だけを見れば、婚約者がいないことの方が不自然なくらいだ。


 胸を張る令息たちの視線は、彼女自身ではなく「背景」に向けられている。氷の花。だから彼女は、触れれば冷たく、遠目には美しい、そういう偶像を身に纏った。


 父は、私を溺愛していた。



「婚約者? 必要ないだろう。お前が気に入らない男を、わざわざ家に入れる理由がない」


 そう言た父の表情には、焦りも打算もなかった。家の利益より、娘の機嫌。それが父の一貫した価値基準だった。



「選びたくなったら選べばいい。そのときは、私が責任を持つ」



 それは自由の許可、後ろ盾の宣言だった。



 退屈な風景を眺めていると、ふと、違和感があった。




 ……何かしら。



 場の空気に馴染めず、ひっそりと立つ一人の令息。


 ぼさぼさの髪、分厚い眼鏡、猫背気味の姿勢。周囲から向けられる視線を、彼は必死にやり過ごしている。


 逃げ出したいはずなのに、彼はそこに立っている。嘲笑に気づきながら、踏みとどまっている。



「地味、無表情、自信の欠片もない立ち方……だけど、顔立ちは悪くない。というより……」


 視線がふと、エドガーの眼鏡の奥にある瞳に重なる。くすんだ外見にそぐわず、驚くほど静かで、美しい光を湛えていた。



 隠しているのね。自分でも分からないまま。


 同時に、微かな高揚が走った。


 磨かれていない原石。誰にも顧みられず、それでも輝きを失っていない存在。


 唇が、自然と笑みの形を取る。


「……おもしろいわ」


 退屈な学院生活に、初めて差し込んだ“例外”。

 

 ふふ、決めた。あの令息の仮面を剥がすのは、私よ。








 翌日。学院の中庭にて、私は、長椅子に腰掛けていた。私の前に立っているのが、もちろんエドガーである。



「え、ええと……ご用でしょうか、レティシア嬢……」


「貴方。気づいているのかしら?」


「……はい?」


「誰も話しかけない理由よ」



 エドガーは眉をひそめた。だが、否定はしない。代わりに、小さくつぶやく。




「……地味、ということですか? 派手な格好をしても似合いませんし、人前に出るのは得意ではなくて」


「違うわ。似合わないんじゃなくて、“似合わせてない”だけ」



 私は勢いよく立ち上がった。




「私があなたを“貴公子”にしてみせるわ。貴方が本来持ってる美しさ、全部、引き出してあげる」


「美しさなど、ありません。それに、なんでそこまで……?」


「決まってるでしょ。人を変えるのは、私の趣味なのよ」


「は、はい……?」


 にっこりと微笑む私に、エドガーは戸惑っていた。




「……分かりました。変えてみてください。僕に……そんな価値があるのなら」





 数日後、エドガーを屋敷の“私室サロン”へ連れて行く。


 ドアの向こうに待っていたのは、高級仕立て屋、髪結い、執事たち。


 エドガーの顔が引きつる。一歩、私の私室サロンに足を踏み入れたエドガーは、借りてきた小動物のように身を縮めていた。



「……これ、まさか、全部僕の?」


「ええ。徹底的にやるわよ」


「はい……」


 最初は嫌がっていたエドガーだが、それでも私は手を抜かない。



 眼鏡は薄いレンズに。服も体格に合わせて仕立て直されていく。だが、猫背。



「背筋! 姿勢! 上を向きなさい、貴方は貴族でしょう!」


「え、えっと、こんな感じで……?」


「満点まであと少し。頑張りなさい、私の“作品”」




 髪を切る段になって、エドガーは彼は初めて抵抗した。



「……少し、待っていただけますか」


 震える声。理由を聞けば、何をしても似合いませんから、と嘲られてきた過去を、ぎこちなく語る。



(……なるほど)


 私の中で何かが冷えていくのを感じた。これは臆病ではない。長年、削られてきた結果だ。



「なら、私が責任を持つわ。もし、似合っていなくても、だれにもそのように言わせないわ」



 そう言うと、彼は信じられないものを見る目をした。



「守られる前提で扱われたことが、一度もなかったのでーー。ええ、信用します。切ってください‼」



 鋏が、静かに音を立てた。


 最初の一房が床に落ちた瞬間、彼の肩がびくりと揺れる。だが、逃げなかった。



 鏡越しに映るその横顔は、まだ不安に縛られている。けれど、先ほどまでの怯えとは違う覚悟の色だった。



 数分後。


「……目を、開けて」


 短く告げると、彼は一拍遅れて瞼を上げた。


 鏡の中にいるのは、彼自身だ。癖のある前髪の奥に隠れていた目は、思いのほか涼やかで――。



 やがて、彼は小さく息を吸った。




「……あの」


「ええ」


「……笑われませんか」


 その問いに、私は即答した。



「笑う理由が、どこにあるの? 似合っているわ。――それも、とても」


 彼の喉が、こくりと鳴った。もう一度、鏡を見る。今度は、逃げるようではなく、確かめるように。



「……そうですね。似合っています」


 まるで、初めて“自分”という存在を許されたような声だった。



 その背後で、周囲がざわめき始める。驚き、囁き、評価。


 私は一歩前に出て、彼と鏡の間に立った。


「さあ。顔を上げて。まだまだやることがあるんだから」


 彼は、ゆっくりと頷いた。


 



 社交会話の練習は、予想以上に酷かった。言葉は噛む。沈黙は長い。何度注意しても、彼は自分を責めるばかり。



「……やっぱり、僕には無理です」


 その一言で、私の中で何かが切れた。


「違うわ。貴方は出来ないんじゃない。出来ないと思い込まされてきただけ。今日から毎日特訓よ」



 気づけば、怒りを覚えていた。この人を、ここまで卑屈にした“誰か”への。


「はい」



エドガーは、なぜか嬉しそうに返事をした。

 

 数日後、彼は、見違えるほど整っていた。だが、目を奪われたのは外見ではない。怯えながらも、逃げずに立つその姿。


「少しは、形になったかしら」


 問いかけると、彼は不安そうに、しかし真っ直ぐこちらを見た。




 ****




「なんだか急に、忙しい毎日になっちゃったな……」


 僕は、剣を手にしたままレティシア嬢の顔を思い浮かべる。


 演習場は、剣がぶつかり合う音と、生徒たちの笑い声で満ちていた。誰かと組む勇気は、まだない。



「お前がエドガーか?」


 突然かけられた声に、心臓が跳ねる。振り返った先にいたのは、ひと目で他と違うと分かる人物だった。


 背は高く、姿勢は堂々としている。無駄のない動き、屈託のない笑顔。


 ――ジュリアン・フェルナー。学院で知らぬ者はいない侯爵家令息。


 どうして……僕に?


 身構えながら、名乗る。




「……はい。子爵家の、エドガー・クロフォードです」


「ああ、やっぱり。レティシアが言ってた“仕立て中の原石”って、お前のことだろ?」


 その言葉に、胸が詰まった。


 そんなふうに、話題にされているなんて……げ、原石?



「彼女、そんなことを……」


 言葉に詰まる僕を見て、ジュリアン様は大声で笑った。



「あいつなりの最大級の評価だぞ? 氷の花が興味持つ相手なんて、滅多にいねぇ」


 軽く肩を叩かれる。その仕草が、なぜか怖くなかった。



「このあと剣術あるだろ。俺が付き合ってやるよ。立ち方から直そうぜ」


「え……でも、僕は……」


「遠慮すんな」


 即答だった。




「……ありがとうございます。ジュリアン様」


「様はいらねぇって。ジュリアンでいい」


 その自然さに、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 


 稽古は、想像以上に厳しかった。




「肩に力入りすぎ。もっと楽に構えろ」


「は、はい!」


 言われた通りにしても、体は言うことをきかない。何度も打ち込まれ、木剣を落とす。



 やっぱり、僕なんかが……。


 そう思った瞬間、ジュリアンが剣を止めた。




「なぁ。お前さ。ずっと、人の顔色見て生きてきただろ」


 胸を突かれた。否定できない。


「……はい」


 少しの沈黙のあと、彼はぽつりと言った。




「実はな、俺もだよ」


 意外な言葉に、顔を上げる。




「母親、平民出でさ。侯爵家じゃ、今でも陰で言われる。だから俺、誰よりも“完璧な貴族”を演じてきた」


 笑っているのに、その目はどこか冷えていた。




「明るくて、強くて、余裕のある男。……そういう仮面だ」



 ……同じだ。もちろん形は違う。でも、本質は。


 ジュリアンは肩をすくめる。




「だから分かる。お前が今、どんだけ必死で立ってるか」


 その言葉に、胸の奥で何かがほどけた。




「……ありがとうございます」


「礼なんていらねぇ。友達だろ」


 “友達”。その響きが、信じられないほど、まぶしかった。


 再び木剣を構える。今度は、ほんの少しだけ、足が前に出た気がした。





 *****




 ――変わったわ。それも、想像していた以上に。



 日が傾き始めた放課後、学院のテラスには柔らかな風が流れていた。


 目の前に立つエドガーを眺めながら、気づかぬうちに小さな溜息をついていた。



 数週間前まで、彼は常に視線を伏せ、言葉を選ぶたびに怯えたように間を置いていた。それが今では、背筋を伸ばし、相手の目を見て話している。ジュリアンや周囲の生徒たちとも、自然に笑い合っている姿を見かけるようになった。




 自分が望んだ結果だ。教えた立ち方、話し方、装い。すべてが彼の中に根づいている。




「私が教えたこと、ちゃんと身についてるわね」


 そう言うと、エドガーは少し照れたように笑った。




「はい。貴女のおかげです、レティシア嬢。僕……人の目を見て話すのが、怖くなくなりました」


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥が微かに揺れた。


 ……こんな顔、教えてない。


 これは、型にはめて磨いた結果ではない。彼自身が、内側から育てたものだ。



 私がいなくなっても……この人は、もう輝くのではなくて?


 “作品”だったはずの存在が、いつの間にか、自分の手を離れつつある。その事実が、どうしようもなく不安だった。


 そのとき、遠くから快活な声が響く。




「エドガー! 剣術の稽古、付き合えよー!」


「はい!」



 迷いのない返事。エドガーは振り返り、軽く会釈をして、ジュリアンのもとへ駆けていく。


 

 今のエドガーなら、きっと周囲は放っておかない。


 苛立ちが込み上げる。同時に、その感情を抱いている自分自身に、気づいてしまう。



(……私、何を恐れているの)


 誇らしいはずなのに。喜ばしいはずなのに。それでも、まだ、手放したくない。


 



 *****





 舞踏会の夜。


 学院の大広間は、燭台の光と弦楽の音色に満ち、甘い熱を帯びていた。


 ネイビーのドレスを纏った私は、自然と背筋を伸ばす。


 “氷の花”。


 周囲がそう囁くのを、今夜も聞いていた。けれど、視線はただ一人を探している。


 エドガー、来ると言っていたけれど。


 そのとき、ざわめきが一瞬、質を変えた。


 視線の先に現れたのは、黒の礼服に身を包んだ青年。凛とした立ち姿。過不足のない所作。控えめな微笑の奥に、静かな自信が宿っている。




「あの……レティシア嬢。踊っていただけますか?」



 彼はすっかり“完成”していた。あの冴えなかった姿は、もうどこにもない。


 だがその変化を見て、微かな不安が胸をよぎる。



(……私の手を離れてしまう気がする)


 その不安を振り払うように、私は手を差し出した。


 指先が触れる瞬間、彼が一瞬ためらうのが分かった。それでも、そっと包むように私の手を取る。




 音楽が変わり、一曲目が始まる。


 最初の一歩は、わずかにぎこちなかった。けれど、すぐに呼吸が合う。私の動きを先読みするように、彼は滑らかに導いた。



 ……本当に、変わったわね。


 周囲から、小さなどよめきが起こるのが聞こえる。



「レティシア様のお相手、ご覧になって」

「あの方、誰?」

「あんな方学院にいまして? 気づかなかったわ」



 その声に、私は気づいてしまった。


 視線が、彼に集まっている。


 ダンスが終わり、そこへ、甘い声が割り込む。イザベル・ミラノ侯爵令嬢だわ。




「どちらのご令息かしら?」


 イザベル様はにっこりと微笑むと、エドガーに手を差し出した。



「一曲踊っていただけるかしら? その優雅なお姿に、どうしても惹かれてしまって……」


 私は内心で舌打ちした。彼女は以前、自分にこう言っていた。




「令息ならば最低限の外見くらい整えなきゃ、話にならないわよ。特に、あのエドガーとかいう地味子爵、論外ね。まあ、整えてもたいしたことないと思うけど」


 そして今、彼女はその“論外”だった彼にすり寄っている。




「イザベル様、その方は、私のパートナーですわ」


「え?」



 イザベル様が驚く横で、私は微笑む。



「エドガー様は、二曲目も私踊る予定ですわ」


「え? エドガー? あの地味……あっ……」



 私は、エドガーの腕にそっと指を絡め、はっきりと言った。



「私は、この方が冴えなかった頃から知っています。この方の本当の美しさは、外見じゃない。努力する姿。それを一番近くで見ていたのは、私ですの」


 エドガーは小さく目を見開いた。そして、静かに笑った。



「レティシア嬢。あなたが、僕を変えてくれた。僕も、その瞳を、ずっと見ていました」



 エドガーの名前を聞き、驚きの表情をしているイザベルを残し、舞踏の輪の中へといく。人々の視線を浴びながら、エドガーと、穏やかな旋律に身を任せて踊り続けた。


 イザベルは、唖然とした表情で立ち尽くしていた。





 舞踏会の後、学院の庭園。月明かりの中、二人だけの静かな時間が流れる。



「……ありがとう、レティシア嬢。僕に自信をくれて。世界がこんなにも明るく見えるなんて、知らなかった」


「ふふ。その笑顔も、私の“作品”よ」


「だけど、もう僕は“あなたの作品”であるだけじゃ、満足できそうにありません」


 エドガーは一歩、私へ近づいた。



「僕は、あなたに恋をしているんです」


 そう言われた瞬間、熱がすっと頬に集まるのがわかった。



「……ずるいわ。貴方、いつのまにそんなに口がうまくなったの?」


 照れ隠しにそう言うと、彼は困ったように、でもどこか誇らしげに笑った。



「レティシア嬢が、教えてくれたからですよ」


「教えた覚えはないわ」


 思わずそう返すと、可笑しくなって小さく笑ってしまう。私は彼の手に、そっと指を絡めた。



「ずっと、私の隣にいてくれる?」


 確かめるように口にした問いに、彼は迷いなく頷く。


「はい。レティシア嬢。あなたが、僕を見つけてくれたから」




 *****



 俺は、社交の場では笑顔を絶やさず、学業は優等生。剣術の稽古では一撃で相手を倒す。


 学院で「完璧な侯爵令息」として名を馳せているらしいが、だがその完璧さの裏に、いつも空虚があった。



「ジュリアン様って、いつも明るくて素敵ですね」


 そんな言葉を聞くたび、心のどこかで苦笑する。



“素敵な仮面”が、よく似合うってだけだ。


 貴族でありながら、母は平民出。父方の親族には「混血」などと陰で囁かれ、誰よりも“貴族らしく”あろうと努めてきた。


 ──そして今日も、何事もなかったかのように微笑んでいる。




「さて。そろそろ“原石の騎士”に稽古を付けに行くとするか」


 気怠げに剣を肩に担ぎながら、訓練場の片隅へ歩き出した。そこには、いつも通り不器用に木剣を振るう、一人の男の姿があった。



「エドガー、今日もみっちりやるぞ!」


 エドガー・クロフォード――あのレティシアが“改造”した子爵家の令息だ。


 だがジュリアンは知っていた。この男が、口数は少ないが、誰よりも真剣に自分の足で立とうとしていることを。



 稽古の途中、エドガーが木剣を地面に落とした。汗が額から流れ、肩が上下している。




「おいおい、前にも言っただろ。相手の足運びを見て、先に回避しろって」


「……分かってます。でも、思ったより体が……」


「考えすぎなんだよ、お前は。肩に力入りすぎて、足がついてきてねぇ」


 彼の剣を拾い、無造作に渡した。



「ありがとう、ジュリアン。君がいたから……僕はここまで来られた」


「礼なんていらねぇよ。友達だろ、俺たち」


 そう言って笑う自分の顔は、本物の笑顔、そう感じた。





 その夜。



 寮の裏庭で、一人、剣を振っていた。



「……やっぱり俺は、まだまだだな」


 静かな夜風にまぎれて、ぽつりと漏れた言葉。


 ふと、レティシアとの記憶が蘇る。




「ジュリアン、あなたって……いつも楽しそうに見えるけど、時々、すごく冷たい目をするのね」


 彼女だけは、仮面の裏に気づいていた。


 だがその目が今、エドガーを見ている。




俺じゃないんだって、分かってたさ。最初から……。




「お前、ひとりで振ってるとき、すげぇ顔してるな」


 声に振り返ると、そこには同室のベルンが立っていた。



「おいおい、盗み見か? 金取るぞ」


「何だよそれ。……剣が泣いてたぞ。だから来んだ」


「生意気言うなぁ、お前も」


 ベルンは木剣を抜き、構えた。



「本気でやり合うか、ジュリアン」


 

「いいぜ。遠慮なしだ」



 

 春の終わり、学院の中庭。白い藤の花が揺れる午後。


 一人、木陰に佇んでいた。そこへ、淡い紫のドレスを纏ったレティシアが現れる。




「久しぶりね、ジュリアン」


「おう、お前が名前で呼んでくれるなんて、珍しいな」


 レティシアはふと笑い、花びらを一枚、手に取った。




「エドガーのこと、感謝してるわ。貴方がいたから、エドガーは……前を向けた」


「気にすんな」


 そう言うと、彼女は少し笑って踵を返した。




(……分かってる。レティシアはエドガーを見てる)


 だが不思議と、胸は痛まなかった。


 むしろエドガーが選ばれたことが、どこか納得できていた。



 

 *****




 学期末の決闘試合。エドガーは準決勝へと進み、次なる相手は剣術貴族の若き俊英。


「俺の弟が、下級子爵の坊っちゃんに負けるわけないだろう」


 相手の兄がそう嘲る。



(ここが本番だな、エドガー)




 そして試合当日。観客が見守る中、エドガーの動きは今までと違った。


 軽やかに、そして、美しかった。



「見ろよ、あれが“努力の結晶”ってやつだ」


 誰に言うわけでもなく呟く。


 全ての教え、訓練、言葉、汗が剣に宿っていた。決着の瞬間。エドガーは勝った。会場が沸く。観客の歓声の中、ぽつりと呟いた。



「もう大丈夫だな。エドガー、お前はもう作られた貴公子じゃねぇ。立派な本物の男だよ」



 エドガーに駆け寄るレティシアを見て、ジュリアンは、胸の痛みを隠し、何事もなかったかのように微笑んだ。





 END



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