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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

日記の結

作者: 苺 迷音

 照り付ける太陽がまぶしい中、生まれた町の国道を車で走る。

 

 道の先に、交差点の角に立つ地元企業の看板が見えてくる。

 胡散臭い笑顔をこちらに向けて、ガッツポーズを決めているおじさんの姿は、昔からずっと変わらないまま。

 

 あの交差点を曲がれば、実家はもうすぐなのに。

 毎度そこの信号で、なんでか足止めをされてしまう。

 

 案の定、意地悪な赤で引っ掛かってしまい、車を止めた。短い溜息を吐いてから、ハンドルの上に両腕を置き、そこへ顎を乗せる。


「この信号、なかなか変わらんのよなぁ……」

 

 車も歩行者も滅多に通らないのに、なぜか信号周期だけは長い。


 今のところ、通った人も車もゼロ。

 辛うじて夏アゲハが、ひらひらと飛んで行ったくらい。


 辺りは青々とした米畑が広がる。


 フロントガラスの向こうには、もくもくと大きな入道雲。


「美味しそうやなぁ……」


 いつもそう思う。

 あれに赤い苺シロップをかけて食べたら、美味に違いないと。

 

 それはそうと。

 赤は赤でも信号の赤は、早く青になってほしいもんだ。 

 

 本当によくある、郷愁湧き立つのどかな田舎。

 

 ……でも

 そんな風景とは裏腹に。

 私の頭の奥にはいつも、靄がかかっているみたいな感覚がある。


 例えば、雨が降ってる日の朝。

 地面の熱に濡れた空気が重なって、白く霞む風景。

 頭の中はずっと、そんな風だった。


 ぴちゃ。ぴちゃ。ぴちゃ。


 水たまりを叩くような音が、ずっと耳の奥に響いている。

 何かを思い出そうとすると、その音だけが大きくなる。


 だから私は、その記憶を取り戻すことを、もう諦めた。

 

 ――ぼんやりと風景を眺めていたら、やっと信号が青に変わった。


 前かがみだった姿勢を正して、車を走らせる。


 実家は、もうすぐそこだ。



「ただいまぁ」


 玄関を開けると、煮物の香りが鼻腔をつく。

 

「おかえりぃー! よぉ帰って来たなー! 疲れたやろ? 取り敢えずゆっくりしぃな」


 パタパタと走って来た母が出迎えてくれる。いつもの笑顔で。

 その後から、父が出て来て


「荷物は運んでおくから、結は中入って休め休め」


「うん。ありがとう。二人とも変わりない?」


「おかげさまで。そうそう、よっちゃんとこの美奈ちゃん、赤ちゃん四人目できたらしいわ。来年の春頃に出産や言うとった。頑張ってるわなぁ」


 よっちゃんとは、陽子と言う母の妹。私からすると叔母さん。

 美奈ちゃんとは、そのおばさんの娘で私より2歳上の従妹の事だ。


「三人とも男の子やったっけ? 女の子欲しかったんやろうなぁ」


 そう答えると、母は肩を揺らして笑った。


「私とよっちゃんで、娘自慢を美奈ちゃんにするからやわ。やっぱり女の子はええでぇ? って」


「要らんこと言わんでええのに」


 そんな話をして笑いながら、母と二人で居間へ行く。


「今日はあんたの好きな、鯛の煮つけと生姜焼き作るで。あと、フォンデュもあるよ。せや! 鰹のたたきもあるからね」


 そう言った母の後ろから、父の声が飛んできた。


「ビールも冷やしてあるからなー!」


 台所でガチャガチャ音を立てながら、どうやらビールの冷え? を確認している父。


「私の好きなもん揃えてくれたんや? でもそんな食べられへんで」


 笑いながらそう答えたけど、両親の気持ちが凄く嬉しい。


「ええねん。残ったらお父さんが食べるわ。ごはんまで部屋で休むか?」


「うん。荷物もあるし、一度部屋へ行ってから用意手伝うわ」


「無理せんでええからなぁ? ほんだら、ゆっくり休んどきや」


 母はそう言うと台所へ戻り、私もそのまま自室へと向かった。



 私が上京して、もう十年以上になる。


 そのきっかけは……。

 

 中学三年の冬。

 受験を目前に控えた時期に私は、事故に遭ってしまった。

 その事故の影響で、地元の高校には進学できなかった。

 

 目を覚ましたのは病院のベッドの上。

 名前も、両親の顔も分かった。でも、中学生活のことや、誰と仲が良かったのか、どんな夢を見ていたのか……そんな当たり前にあるはずの記憶が、まるごと抜け落ちていたのだ。


 もちろん事故の記憶もない。

 何が原因でそうなってしまったのかさえも。


 両親に聞いても


『交通事故や。辛かったことはもう、思い出さんでええ』


 と言うだけだった。


 結局私は、そのまま入院生活を送りながら、病院と提携していたフリースクールに通うことになり。

 週に数回、講義室に集まる少人数のクラス。プリントとレポート。少しの会話。

 誰かと深く関わる余裕もなく、ひたすら静かに時間を積み重ねていった。


 その後、退院して都内の職業訓練校に通い、一番興味の湧いた『美容師』の資格を取った。今はそのまま、日常を少しずつ取り戻すように、都心近くにある美容室で働いている。


 普通に働いて、家賃を払って、朝起きて夜に眠る。

 生活はちゃんと回っている。でも、それだけ。

 

 かつて私がこの家でどんなふうに暮らしていたのか、何が好きで、誰と何を話していたのか。大事な何かも思い出せないまま、時間ばかりが流れていく。


 帰省は年に数回。

 正月や両親の誕生日近くの休日、それにお盆休みなど、行事に合わせて顔を見せる程度。そんな時はたいてい仕事の都合でとんぼ帰りになってしまうけれど、今回は少し長めに休みが取れた。おかげでのんびりと実家で過ごせるはずだ。


 自室のドアを開けると、いつもの甘い花の香りがする。と言っても、十数年前からの香り。それ以前の香りはわからない。


 窓を開けて、風を通すとカーテンが微かに揺れる。

 何年も変わらない部屋。変わっていないことは、ここに来るたびに確認している。ただ、そこにある懐かしさは、あくまで景色としてのものでしかない。


 ぬいぐるみ。部屋の角に置かれた本棚。見慣れたはずのものなのに、そのひとつひとつに紐づく記憶が、私にはないのだ。


 たとえばこの本棚。

 『魔法少女・マジョスティー①』と書かれた単行本が、背表紙の色を褪せさせながら①から⑮まで順に並んでいる。でも、買った覚えも読んだ記憶も全くない。並べられている他の本に関しても同じだ。


 そんなことを考えながら、なんとなくではあったが、一冊を手に取った。

 

 美麗な表紙。可愛らしい主人公らしき少女の笑顔。


 ページをパラパラと捲ってみる。

 

 けれどやっぱり、内容はまるで記憶にない。

 登場人物の名前も、展開も、心に引っかかるものは何もなかった。


 ため息まじりに本を棚へ戻そうと、ふと奥に目をやった。


 ……ん?


 棚の隙間に、何かが挟まっているのに気づき、手を伸ばしてそれを取る。

 見てみると、くすんだピンク色の、やや厚みのあるノート。


 背表紙の角が少しめくれていて、何年もそこにあったことを物語っている。


 表紙には


 『ゆいとユイの秘密の日記』


 と、可愛い丸っこい文字で書かれてあった。


 その下には、女の子二人が寄り添ってる似顔絵? らしきイラストも描いてある。


 「へぇ? ゆい……」


 私のこと? なのかな?

 同じ名前。

 もし私が『ゆい』であるなら、もう一人の『ユイ』って誰だろう?


 私は、表紙を捲り、中身をみた。

 そこには、可愛らしい筆跡がふたつ。

 

 日記? らしき文章が書かれてあった。


「交換日記?」


 気づいたら、私はその日記を読み始めていた。



 一ページ目の角には、日付が書かれていた。

 まずは、青いペンの文字でこう記されている。


 4月10日

 ゆいへ  


 はじめての交換日記、ちょっとドキドキします!


 ちゃんと続けようねって約束したから、私は守ります♪


 クラス離れちゃって、寂しいよー(涙)


 でも! こうしてゆいと交換日記できるから嬉しい☆


 今日は新しいクラスのことを書きます。


 隣の席の男の子なんだけど!

 

 ずーっと貧乏ゆすりしてて、机がカタカタするんです(怒)

 

 ほんと気になるからやめてほしい!


 あと体育のとき長ジャージを忘れちゃって(泣)


 半袖短パンで凍えそうになりました。まだ春なのに!


 今度、ゆいと一緒にお花見行けたらいいなぁ。

 お弁当、私が作るね!


 それじゃあ、次はゆいの番です!


 ユイより

 


 文字は丸っこくて、行間も広く、少女らしい可愛さがある。

 きっとこの子は、少しおしゃべりで、活発なタイプだったんだろうなぁと思いながらページを捲る。


 次のページは、黒のボールペン。


 やや細めで、几帳面な文字だ。


 4月11日

 ユイちゃんへ 


 交換日記、楽しみにしてたよ。初めてって、緊張するね。

 新しいクラス、私はまあまあかな。

 席替えで窓ぎわになったから、外の桜が見えるよ。

 花びらが散っていくのが、凄く綺麗。


 体育は……私もジャージ忘れた(笑)寒かった!

 お花見、いいね。ユイちゃんのお弁当、楽しみにしてます。


 私も、何か作ってみようかな。

 唐揚げ、上手くできるようになりたいねん!(笑)


 あとね、今日の夕ごはん、カレーだったよ。

 甘口。ユイちゃんは何カレー派?


 ゆいより


 ――私、これ……書いたのかな。


 読み進めながら、何か言い様の無い温かいものが湧いてくる。


 カレーの味も桜の記憶も、誰が居たのかも覚えていないのに、この文章だけが不思議と遠い懐かしさを帯びている。


 懐かしい香り。温かい記憶のような破片。


 それでも、何も思い出せない。


 同時に、耳元にあの音がしてくる。


 ……ぴちゃ……ぴちゃ……ぴちゃ


 頭の中の靄が、濃くなってゆくのがわかる。


 私はそれを振り払うように、頭を数回振った。

 そして、それ以上何かを深く思い出すことを諦める。


 ただ、ひとつだけ分かることがある。


 この『ゆい』は――

 やっぱり、私のことなんだと思う。


 そう考えつつ、ページを閉じた。

 続きは、夜にでも読もう。


 ノートを勉強机の上に置き、夕食の手伝いをするために階下へ降りた。



 賑やかな夕食を終え、しばらく団欒を楽しんだ後、お風呂に入る。

 風呂上がりに缶ビールを一本もらって、自室へ戻ってきた。


 ベッドに腰を下ろして、プルダブを開ける。


 シュワッと耳心地のいい音と共に、泡が少しだけ吹き出てきた。

 それを一口、また一口と喉を潤して行く。


「はぁーっ」


 なんだかんだと、やっぱり実家はいいもんだなぁ。

 なんて、しんみりしてしまう。


 一人暮らしの今の私には、家族の団欒が特別なものに思えた。


 そして。

 手に持った缶ビールを勉強机の上に置き、代わりに昼間見つけたノートを取る。


「続きは何が書かれてあるんかな?」


 少しワクワクしながら、ページを開いた。


 色褪せたページに、またあの丸っこい文字が現れる。


 読み進めていくと、季節も移り変わってゆき。

 夏の一緒にプールに行く約束や、映画に行く約束。

 たくさんの他愛もない話。


 そのどれもがキラキラして見えた。


 でも、秋口になってくると、その様子が少しずつ変わって来た。 


――

 

 10月15日

 ゆいへ 


 最近、ゆいが翔とよく話してるの、ちゃんと見てるよ。


 仲がいいのはいいことだけど、ちょっとだけ寂しいかも。


 私のこと、忘れてないよね?


 この前、屋上で話してた時も、私が来たのに気づいてなかったよね。


 ちょっとショックでした……(涙)


 でもでも! また一緒に遊ぼうね!


 駅の本屋で見つけたホラー漫画、貸したいな~って思ってるの! 


 すっごく怖いやつ(笑)

 

 寝れなくなっちゃいそうだよ(笑)


 それと、今度の校外学習、お弁当一緒に食べようね!


 楽しみにしてる♪

 

 ユイより


―― 


 読みながら、私は思わず指を止めた。


 翔……誰?


 屋上で話してた……?

 自分のことなのに、思い出そうとしても、その場面が全然浮かんでこない。


 次のページ。

 文字の雰囲気が、ほんの少し硬くなっているように感じた。


――

 10月17日

 ユイちゃんへ


 翔くんとはたまたま話す機会があっただけだよ。

 誤解させちゃったならごめんね。


 屋上のとき、気づかなかったのは本当に気づいてなかっただけで

 ユイちゃんを無視したわけじゃないから。


 ホラー漫画、楽しみにしてる!

 でも、寝れなくなるのは嫌だな(笑)


 校外学習、私もユイちゃんと一緒にお弁当たべたい(嬉)


 最近、急に寒くなってきたけど、体調気をつけてね。


 ゆいより


―― 


 ……やっぱり、私が書いたんだ。

 そこには、確かに私がいた。


 けれどその『私』は、今の私とはどこか別人のようにも思える。


 日記に刻まれた出来事の一つ一つが、自分の記憶のなかでは、何の影も残していない。

 翔という名前も、屋上での出来事も。


 けれど、この『ユイ』は、確かに私に何かを伝えようとしていた。

 そして、それが微かにすれ違い始めている。


 そう感じる日付が、徐々にだが増えて行ってる気がする。

 

 秋の終わり頃になると、どんどん、返事の頻度が下がってきた。


――

 11月5日

 ゆいへ


 この前の図書館、楽しかったねー!


 あんなにホラー本あるなんて思わなかった(笑)


 それとね。やっぱりゆいって、翔と仲いいよね。


 最近、よく話してるの、見かける気がするん。


 前は私とばっかり喋ってたのに(笑)


 ……あ、怒ってないよ? ほんとに。


 ゆいが楽しそうなら、それでいいし。


 でも、忘れないでね。私たち、親友だから。


 この前の約束、ちゃんと覚えてる?


 ずっと一緒って、言ったよね?


 ユイより


 

 11月9日

 ユイちゃんへ


 図書館、楽しかったね。

 ホラー漫画、ほんとに怖かったよ(笑)

 でも面白かった。


 翔くんとは、たまたま委員のことで話しただけなんだ。

 ちょっと誤解させちゃったかな。ごめんね。


 親友って言ってくれて嬉しい。もちろん、私もそう思ってるよ。

 でも、最近ちょっと色々あって、

 話す人が変わったりするのも自然なことかなって……。


 ユイちゃんも、他にお友達できたらいいな。


 ゆいより


 

 11月10日

 ゆいへ


 最近、お返事遅いね。


 どうしたん?

 

 忙しいの?  


 私と日記書くの、もう面倒くさいのかな?


 翔とは、まだ話してる?


 この前、廊下で楽しそうにしてたの見たよ。


 私にはあんな顔、もう見せてくれないのにね。


 でも、別にいいの。

 

 私は、ゆいのこと、ずっと見てるから。


 ちゃんと、見てるから。


 また今度、この間貸した本の話しようね。


 ユイより


 

 11月16日

 ユイちゃんへ


 ごめんね、お返事が遅くなって。

 ちょっと体調がよくなくて、家でゆっくりしてたの。


 本も、ちゃんと机の引き出しにしまってあるよ。


 それから、あのね。

 最近、少しだけ、ユイちゃんと話すのが緊張するんだ。

 うまく言えないけど、なんとなく、前と違う気がして……


 でも、それってきっと、私の気のせいだよね。

 また、前みたいに、笑って話したいな。


 ゆいより


 

 11月17日

 ゆいへ


 気のせいじゃないと思う。


 ゆいが変わったんだよ。


 私は、ずっと変わらずにいるのに。


 私のこと、怖い?


 私、ゆいには怖いこと絶対にしないよ。


 だって。大事な親友だもん。


 親友にそんなことしない。


 私、ゆいのこと裏切らないよ?


 でも、ほんとに。


 私のこと、見捨てたら悲しいよ。


 その時は、怖くなるかも?


 なんてね! 冗談(笑)


 また明日ね。

 

 ちゃんと、いつもの場所に来てね。


 ユイより


 

 11月25日

 ゆいへ


 ねぇ、最近ちょっと気になってたんだけど……


 ゆいって、翔のこと、好きなの?


 そういうこと、もしそうなら


 なんで教えてくれへんの?


 私ら、何でも話せるって思ってたんだけど。


 前に「好きな人、おらへんよ」って言ってたの、嘘やったん?


 この前も、階段のところで翔と二人で喋ってたよね?


 楽しそうだったから、声かけなかったけど。


 あの時、私のこと見えてたよね?


 それとも、見えてたけど、気づかないふりしたの?


 ねぇ、翔のどこがいいの?


 なんか、渡辺さんのこと好きって言ってたって聞いたよ?


 それにその前は、鈴本さんと付き合ってるって噂もあったし。


 そんな奴のこと、ゆいがそんなに気にするのか、わかんない。


 私といる時より、翔といるほうが、楽しいの?


 ごめんね、変なこと聞いて。


 でも、ちゃんと答えてほしい。


 ユイより


 

 12月5日

 ユイちゃんへ


 ユイちゃん、いろいろ聞いてくれてありがとう。

 ちょっとびっくりしたけど……ちゃんと読んだよ。


 翔くんのこと、好きとかじゃないよ。

 本当に、委員のことでちょっと話しただけなんだ。


 気にしてたなら、ごめんね。


 ただ……

 なんか最近、ユイちゃんの書く言葉がちょっと怖いっていうか……

 うまく言えないんだけど、前と少し違う気がして。


 でも、それも気のせいだよね。

 また今度、ゆっくり話そ?


 ゆいより


――


 十二月の初旬頃には明らかに、私はユイちゃんから距離を置きたいんだろうなと、その文面からも感じ取ることが出来た。


 ページを捲る手に、少しだけ力が籠る。

 そこに綴られていたのは、ゆいの筆跡だった。


 日付は12月19日。年末……。

 

 十五年前。


 私が事故にあう数日前だ。

 

――

 

 12月19日

 ユイちゃんへ


 ユイちゃん、ごめんね。

 最近、なんかうまく言葉が出てこなくて、日記の返事が遅れちゃった。


 色々あって、ちょっと考えることも増えてて……。

 あのね、少しだけ、交換日記をお休みしない?

 ユイちゃんのこと、嫌いになったわけじゃないよ。

 ほんとに。ただ、ちょっとだけ色んなことから距離を置きたいの。


 勝手なこと言ってごめんね。


 でも、これはちゃんと考えたことだから、

 わかってくれると嬉しいな。


 今までいっぱいありがとう。

 また、気持ちが落ち着いたら、書くね。


 ゆいより


――


 何があったんだろう。

 具体的な事は、何も書かれていない。


 ただ、この日記の中の私は、明らかに何かに追いつめられている。

 けれど、それが何なのかは、やはり思い出せない。


 さらにページを捲る。


 次に綴られていたのは……異様な、ユイの返事だった。


―― 

 

 12月20日

 ゆいへ


 わかった。


 ゆいちゃんがそう言うなら、しょうがないよね。


 でも


 ねぇ、どうして?


 どうして「距離を置きたい」って思ったの?


 私、なにか悪いこと、したのかな? 

 

 してないよね?


 私、ずっとゆいの傍にいたのに。


 頑張ってきたのに。


 一緒にいるって、約束したのに。


 どうして?


 どうして?


 どうして?


 どうして裏切ったの?


 どうして?


 ゆい。


 許さない 


 ユイより


―― 


 最後の四文字だけ、筆跡が異様に大きく、力強く書かれていた。


 ページの紙が、少し破れかけている。


 まるで、怒りをそのまま叩きつけたような。

 そんな書き方だった。


 ノートを持つ指が、冷えて来る。


 この日記に綴られていた感情。

 そのどれもが、今の私には思い出せないけれど。

 確かに『私』は、ユイという誰かと深く繋がっていた。


 そして、その関係は、何かをきっかけに


 壊れていった。


 翔? という男子の存在?


 私が……裏切った?


 けれど、わからない。

 思い出せない。


 読んできた日記の先に、こんな日があるなんて想像もしてなかった。

 


 翌朝。

 少し迷ったけれども。

 食卓に着いたタイミングで、何気ないふりをして口を開いた。


「ねぇ、ユイって……私と同じ名前の子、昔同級生にいなかった?」


 母がピタリと箸を止めた。


 父は麦茶の入ったグラスを口元に運ぶ途中で、わずかに眉を動かす。


 『あっ』と思った。


 その反応が、まるで図ったように同時だったから。


「……急にどないしたん。なんか思い出したんか?」


 母の声は落ち着いているようで、どこか探るような色が混じっていた。


 目も合わせてこない。


「いや……なんか、メモ書き? みたいなのが本の間に挟まってて。『ユイちゃんへ』ってカタカナで書いてあって。だから、気になってん」


 嘘ではない。でも本当のことも言っていない。


「そりゃ、あんたの事やろ?」


 母の声は努めて軽いふりをしているけれど、まばたきが多い。

 父は、黙って麦茶をゴクリゴクリと飲んでゆく。


「私のことかなーって思たけど。カタカナやったし、あの頃のこと色々曖昧やから」


 私は、そう言って笑ってみせた。


 母も「せやなぁ」とだけ返す。


 でも、それ以上話は広がらなかった。

 まるで、触れてはいけないことのように。


「それはそうと結。昼から一緒に買いもん行かへん?」


 話を変えるように、母は明るく振舞う。


「うん。いこか。新しく出来たイオンやろ?」


「せやねん。私まだ行ってないから、結の車で連れてって貰おう思って」


 もう、ユイの話は両親には聞けない。


 そう思った。



 食事を終えて部屋に戻ると、私はベッドに腰を下ろす。

 エアコンの風で、カーテンが少しだけ揺れている。


 それを眺めながら、さっきの食卓の雰囲気を振り返る。


 あの時の父と母の顔。

 言葉では取り繕っていたけれど、明らかに『知ってる』反応だった。


 私と違うユイという名前に、父や母は覚えがあるんだ。

 でも――その続きを、語ろうとはしなかった。


 きっと何かがあった。

 

 私が知らない何か。そして両親が語りたくないこと。

 

 私は机の上に置いていたノートを手に取る。


 『ゆいとユイの秘密の日記』


 昨日見つけたときと同じように、表紙のイラストが私を見つめ返してくる。


「……私と、もう一人のユイ」


 ゆっくりと表紙を開く。

 

 もう一度、最初から読み返す。

 日記のやりとりは、春から始まって。

 まだ文字に幼さが残るやりとり。

 

 初めの方は、仲良し女の子二人の微笑ましいやりとりで溢れていたのに。


 そして日記は、決別した12月に入った。


 昨日読んだ日付 12月20日。


 強く滲んだ「許さない」の文字。


 そして。


 日記の最後の日付は、私が事故に遭う一日前。


 12月21日


――

 

 12月21日

 

 ゆい。許さない。


 裏切り者。


 翔と仲良くべたべたして。


 廊下で嬉しそうに話すゆいを見たよ。


 私より、翔なんだ?


 絶対許さない。


 嘘つき。


 明日、階段から突き落とす。


 全部終わらせるから。


 許さない許さない許さない許さない許さない

 許さない許さない許さない許さない許さない


 許さない!


――


 思わずノートを放り投げた。


 私怨に満ちたページ。文字。筆圧。


 どれもこれもが、おぞましかった。


 嘘でしょ……。


 こんなにも、恨まれてたの?


 階段から落とす?


 まさか……まさか!


 私の身に降りかかった事故って……!

 学校の階段から落とされたこと!?


 だから、両親も話したくなかったの?


 そう思うと、さっきの食卓の雰囲気も納得できた。


 私は居てもたってもいられず、気づいたら車に乗り込んでいた。



 向かった先は、母校の中学。


 今は夏休み中だろうから、先生がいるのかどうか不安だったけれど、正門は開いていた。


 私はそのまま職員室へ向かう。


 自分が、この中学校の卒業生であること。

 当時の事を知る先生がいらっしゃったら、会わせて欲しい旨を伝えた。


 応接間に通された私の元に直ぐ、壮年の恰幅のよい女性が現れた。


「こんにちは。昔の先生はもうほとんどおられなくて。事務員やけど私くらいしか残ってないんです」


 そう言い、手に持ったお盆の上に乗せてあるグラスを、私の前に出してくれた。

 お礼を伝え、一口飲む。

 冷えた甘い紅茶が、少し気持ちを落ち着かせてくれた。


 その後、事務員さんにアルバムを見せて欲しいとお願いした。実家にあったけれども紛失してしまったからと言って。彼女は快諾してくれ、後ろの棚から私が卒業した年度のアルバムを出し渡してくれた。


 受け取ったアルバムを開く。


 記憶が曖昧だし、何も覚えていない。

 アルバムを見ても、何の感情も湧きたたない。


 家にはなぜか、アルバムは無い。


 両親が言うには、地元の高校に進学できなかったから辛い思いさせないようにと、アルバムは購入しなかったと言っていた。

 だがそれも、今は真実なのかわからない。

 寧ろ、別の意図があったようにさえ思えた。


 ページを捲って行くと――


「あ……」


 私の顔写真と、その下に名前があるページを見つけた。

 顔にはまだ幼さが残っている。

 けれども、まちがないく私。

 ただ今とは違ってその目には、希望や夢、純粋さ。

 そう言ったものが滲み出ているように見えた。


 次のページを捲る。

 違うクラスの写真。


 私と同じ「結」と言う名前の、ポニーテールの女の子の写真を見つけた。

 見るからに快活で、優しそうな笑顔の可愛らしい女の子だった。


「あの……」


 私の前に座る事務員さんに声をかけると、彼女は私の見ているアルバムのページに目を落とした。


「この、結って方、覚えてますか……?」


 そう聞くと「あー……」と彼女は、小さくため息を吐くように呟いた。


「彼女……卒業アルバムにちゃんと載ってたのね」


 そう言った。


 え? どういうこと?


「載ってたって、どういうことなんですか?」


「彼女ね。亡くなったんよ」


「え!?」


 嘘! 


「何か、ご病気とかですか?」


「いいえ。あら? あなた覚えてない? ほら……あの時、ちょうど冬休み前やったかしら。私もこの中学に来て1年目やったから、よう覚えてますんよ。この学舎のね、階段から落ちて……。運っちゅうか、なんちゅうか。打ちどころ悪かったんやろうね。首の骨折れて。頭も強ぉ打ってたらしくてねぇ。そのまま寝たきりになってしもうて。年明けには息を引き取ったんよ。まぁ……知らんでも無理ないわ。表だって亡くなったことは……ねぇ」


「そんな……っ」


「その時、一緒に落ちた女の子も大怪我してね……」


 私のことだ。


「彼女も結局、確か……そのまま中学校に戻れず仕舞いやったはず。二人ともほんまに可哀想やったよ。どちらかが足を踏みはずしたんか、それを助けようとしたんか。わからんけども、二人で落ちて。不運としか言いようがないわ……。亡くなった方の女の子の血ぃやろな。二人とも顔じゅう、血まみれになっとって。あの光景は今でも目に焼き付いてもうてて……。離れへん。……そう言えば、あなたもしかしてあんときの……?」


 そこまで聞いて、私は、震える手を誤魔化すようにしてアルバムを閉じ、それを事務員さんに返す。


「あ……ありがとうございました」


 込み上げる胃液を堪えて立ち上がった後、頭を下げた。


「あら? もうええの?」


「はい……お忙しい所、お邪魔してしまって。失礼します」


 そう言葉を残して、逃げるように自分の車に戻った。


 車に乗って、大きく息を吐く。

 それでも、早くなっていく鼓動は止まらない。


 強く早く脈打つ心臓。


 息があがってくる。呼吸が浅くなる。


 まさか。


 まさか。


 ユイが死んでたなんて!


 しかも、階段から落ちて。


 階段から落ちて。


 階段から――


『階段から突き落とす』


 そう、書いてた。


 なんで?


 書いたユイも、一緒に落ちた?


 私がユイを巻き込んだ?


 ……え?


 違う。


 違う。


 事故の前日。


《ぴちゃ。 ぴちゃ。 ピちゃ》


 交換日記に書いた文字。


 いつ、


 どこで


 ユイは


 私に日記を


 渡したの?


《ぴちゃ。ぴちゃ》

 

 頭の中の水音が大きくなっていく。

 靄が赤くなってゆく。

 

 ピちゃぴちゃ…。

 

 頭を動かすと、耳に入ってくる何かの音。

 

 ピちゃ…ピちゃ…。


 鉄の錆びた匂い。

 頬に感じる赤い液体。


 目の前には、誰かの頭。黒い髪。


 そこから出てる? 流れてる?

 赤黒い液体。


 ピチャ……ピチャ……


 あれは――


 血。


 違う!


 違う!!


 私の記憶が戻らないのは――


 靄が、より一層赤くなる。


 血。


 そうだ。


 思い出したく


 なかったんだ。


 違う!


 ユイとゆいのことを。


 日記は私の部屋にあった。


 ゆいを押したのは――


 ユイ。


 そして、亡くなったのは。


 ゆい。


 ……ぴちゃ。


 水音がどんどん遠くなっていった。


 

 自宅へ戻り、自室の扉を開く。


 そこには、懐かしい風景が広がっていた。


 部屋の香りを、胸いっぱいに吸い込む。


 頭の中にずっとかかっていた、あの白い靄。

 思い出そうとするたびに、ぴちゃ、ぴちゃと耳の奥で響いていた水音。

 濡れた廊下を誰かが踏むような、あの音。


 ……今はもう、聞こえない。


 部屋の端にはノートが転がったまま。


 それを拾い上げて、勉強机の引き出しにしまう。

 知っている。もう、読まなくても。


 そして呟く。


「ただいまぁ」


 窓の外を見ると、大きな入道雲。


 相変わらず美味しそう。

 

「苺シロップかけたら美味しそうやなぁ」


 夏の突き抜けるような青い空。

 まるで、私の頭の中みたい。


 自然と口元は綻んでゆく。


 あぁ、気持ちいい。


 ー了ー

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