072.南広場
「大丈夫ですか?」
冷たい紅茶が差し出されたヒナはエプロン姿のディーンに思わず吹き出した。
真面目な優等生がエプロンをしている。
まるで家庭科の授業のようだ。
「そんなに似合いませんか?」
困ったように笑うディーン。
「いつからその姿だったんですか?」
「性別を聞かれた辺りです。エプロン姿で普通に休憩スペースに入り、ライラの横にいました」
振り返るとライラが手を振ってくれる。
ヒナも小さく手を振り返した。
「ミドヴェとチェロヴェでしたね」
「あの日、あの場所にいたようなのですが、狼族は結界で小さな狼になるでしょう? どうしてあの場にいる事ができたのか……」
わからない事が多いとヒナが首を横に振る。
「……でも、アレクの事は考えてくれていたから良かった」
「良かった?」
首を傾げるディーン。
ヒナは紅茶を手に取り、ゆっくりと口に入れた。
紅茶はレモンティー。
スッキリして飲みやすい。
「……爵位って、そんなにすごいのですか?」
「そうですね。私は公爵家の生まれですが次男なので爵位は継げません。爵位があれば夜会でヒナを守る事もできますが」
そもそも国が主催する夜会に行く権利がないのだとディーンは困った顔をする。
公爵家の次男よりも男爵の長男の方が結婚できるし、事業も始めやすい。
人脈も違うし、仕事にもつきやすい、同じことを行っても爵位があった方が人から功績を認められやすいのだとディーンは説明した。
「どうやったら爵位ってもらえるんですか?」
「普通は世襲です。子供がいない場合は親戚や養子ですね。新しく爵位を賜るにはかなりの成果をあげなくてはなりません」
他国まで領土を広げる。
国に大きな利益をもたらす。
聖女を連れてくる。
普通の人が爵位を新しく賜る可能性はほぼゼロだ。
ディーンの言葉にヒナは目を伏せた。
狼のジョシュがヒナの手をペロリと舐める。
ヒナはジョシュの三角耳の後ろをガシガシと撫でた。
熊よりは絶対に狼の方が可愛い。
チェロヴェには今更戻りたくない。
雨の中、理由も話さずに追い出した人たちだ。
ヒナは紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「もう少し探ります」
狼族なのにこの国を裏切ってまで爵位が欲しいというのはよくわからない。
でも、あの日あの場所になぜあの人がいたのか知りたい。
なぜ自分が呼ばれたのか、そして元の世界に帰る方法があるのか。
「ヒナ、あまり無理せず……」
危ないことはしないでくださいと言うディーンにヒナは大丈夫ですよと微笑んだ。
ヒナは宰相の養父と連絡を取りたいとユリウスに頼んだ。
宰相、ロウエル公爵、コヴァック公爵にイワライとの会話と、これからやりたい事を伝えると困った顔をしながらも応援してくれた。
「本当に困ったらちゃんと言うのだよ?」
「はい、ロウエル公爵」
ヒナの右頬にチュッと良い音を立てながら口づけするロウエル公爵。
「無理はするんじゃないよ」
「はい、コヴァック公爵」
ヒナの左頬に軽く口づけするコヴァック公爵。
「ヒナはイーストウッドの娘。遠慮せずに使えるものは使いなさい」
「ありがとうございます。お父様」
最強のイケオジ3人に後押しされ、ヒナはイワライに会いに行った。
茶色の狼のディーンを連れて環境局へ。
オオカミ厩舎の温度計が壊れたふりをしてイワライを呼んでもらう。
「まさか君から会いに来てくれるなんてね」
どう? 決まった? と微笑むイワライ。
ヒナは狼のディーンの頭を撫でながら微笑んだ。
「もう少し詳しい話が聞きたい」
「興味持ってくれたんだ」
王宮内は誰にも聞かれずに話せる場所がないので、街で会えないかとイワライが提案した。
「武官の仕事に、南広場でオオカミを躾ける仕事がある」
そろそろ子供のオオカミのデビューだ。
他の武官も数人いるが比較的離れやすいとヒナは答えた。
来週の土曜日、午後から会う約束をし、壊れてもいない温度計を新しい物と交換してもらう。
「じゃぁ、またね」
手を振るイワライにペコリとお辞儀をし、狼のディーンとヒナはオオカミ厩舎へ温度計を返しに行った。
土曜日の狼は全て武官達。
ジョシュ、ライル、ノックスはもちろん、小柄な武官達にも子供のオオカミ役で協力してもらった。
もちろんディーンも茶色の普通の狼として参加だ。
武官の指導者はランディとリッキー。
銀狼のランディは目立ってしまうため、あえて人の姿で南広場へヒナと行く。
よくヒナと仕事しているリッキーを連れていくことでイワライは仕事だと疑わないだろう。
南広場の芝生の上には『鳥』。
フィリップの幼馴染、目の周りが白い緑の鳥だ。
ヒナは木陰に座りながら狼のノックスのブラッシングをする。
ランディが南広場に建設中のステージ横で狼達に指示を出し、リッキーが端から出そうな狼を中へ戻す役割を受け持つ。
それぞれ別々の場所に自然に分かれた。
「おまたせ」
振り返らないで、このまま話をしようというイワライ。
どうやら木の向こう側にいるようだ。
ランディ達から姿が見えないように。
ブラッシング中の狼のノックスが立ち上がると、狼のジョシュとディーンが走ってくる。
ノックスが立ち上がるのはイワライが来たという合図だ。
狼のジョシュとディーンはヒナに擦り寄るとブラッシングしてくれと座り込んだ。
「ちょっと待って、順番。2匹同時はブラッシングできないよ」
ワタワタと慌てるヒナの横には2匹がピッタリと座る。
「人気だね」
「魔力が甘いみたいで、狼達には人気あるんだ」
いいでしょと言うヒナをイワライが笑った。
「聖女の魔力は甘いの?」
「わからない。人には人気がないから。今、何も感じないでしょ?」
どうせモテるなら人にモテたかったとヒナが肩をすくめると、イワライは魔力も何も感じないねと苦笑した。
ヒナはディーンの三角耳の後ろをガシガシと撫でた。
首の後ろをマッサージしながらイワライと会話を続ける。
「ねぇ、何でチェロヴェの事を知ってるの? あの場にいたの?」
キョウカさんとメイちゃんと自分の3人が来たと知っていて、さらに自分が追い出されたと知っていた。
先日のイワライの言い方は、まるであの場を見ていたかのようだった。
「……いたよ」
雨の中、追い出される君を見ていたよというイワライ。
ブラッシングするヒナの手がピタリと止まった。




