071.爵位
イワライ・エバレット。
狼族・インファント村出身、43歳。
当時、街に興味があったアレクサンドロが彼を気に入り、29歳の若さで家庭教師に大抜擢。
平民という事で多くの反対があったが、ナイトリー公爵が推薦したと記録には残っていた。
31歳の頃、家庭の都合で突然退職。
「これは?」
経歴の下に書かれた日付と場所のメモをランディが指差した。
「通行記録です」
イワライの出身インファント村とは正反対のチェロヴェ国側入口の通行記録。
日付は8月24日朝10時8分。
「ヒナが中央公園で魔力を暴発させたのが8月17日です」
「1週間後に王都に来たのか」
偶然か、それとも中央公園で怪我が治ると言うウワサを聞き、王都へやってきたのか。
「退職後は王都には住んでいなかったということですね」
王都の住人は専用の入口を利用するためこの入口は通らない。
平民が1度でも王都の住人になれたのなら権利を手放すことなどしないが、さすがに12年も王都で働かずに住み続ける事は無理だろう。
現在は再就職し、南広場よりもさらに向こうの街外れに住んでいるとディーンは告げた。
「1度勤めたことがあるから簡単に再就職できたのかな?」
「おそらくそうでしょう」
「このタイミングで帰ってきた事がイヤだね」
「そうですね」
ランディとディーンはイワライを要注意人物として監視するとお互いの父と宰相に報告する事にした。
「ひーくん、一人で大丈夫?」
「平気、平気。消毒液もらってくるだけでしょう?」
荷物持ちね。とヒナは狼のジョシュの頭を撫でた。
ジョシュの首には買い物袋。
中身は空っぽになった消毒液の入れ物だ。
そんなに大きくないものをオオカミに運ばせるのはよくある事。
「いってきまーす」
オオカミ厩舎を出て、狼のジョシュと歩く。
文官の建物に行くとディーンが待っていた。
「倉庫へ行きましょう」
倉庫はイワライが所属している環境局の管轄。
ディーンと狼のジョシュと取りに行く。
「文官のコヴァックです。倉庫の鍵を」
「はーい、どうぞ」
環境局の元気のよさそうなお姉さんがディーンに倉庫の鍵を貸してくれる。
ヒナが空の消毒液ケースを取り出すとディーンは右の棚から消毒液を取り出し補充した。
倉庫の入口で待つヒナと狼のジョシュ。
突然狼のジョシュが廊下の方を振り向いた。
「少し話がしたいけど、時間取れる?」
白衣のイワライが倉庫には入らずにヒナに話しかけた。
ディーンからはイワライの姿は見えない。
「えっと、今……ですか?」
消毒液を補充し終わり蓋を閉めているディーンをヒナがチラッと確認すると、イワライはこの先に休憩スペースがあるから待っているとヒナに告げた。
そのまま歩いていくイワライ。
狼のジョシュとヒナは顔を見合わせた。
狼のジョシュの買い物袋に消毒液を入れ、首に着ける。
いざとなったらすぐに首から外せるくらいゆったりとした買い物袋だ。
「何かあれば大声を」
ディーンは休憩スペースの近くに待機しているとヒナに小声で伝える。
環境局の前でディーンと別れ、ヒナは奥の休憩スペースへ狼のジョシュと向かった。
小さな休憩スペースは食事はできず飲み物の販売のみ。
テーブルが3個しかない狭いスペース。
飲み物の販売員がなぜかライラだったのでヒナは驚いた。
イワライ以外、座っている人は誰もいない。
ヒナは窓際に座るイワライの隣に座った。
狼のジョシュはイワライとヒナの間に大人しく座る。
「何か飲む?」
奢るよと微笑むイワライ。
ヒナは首を横に振った。
「俺はイワライ・エバレット」
イワライは環境局の職員証を見せながらヒナに名乗った。
やっぱりユリウスの妹のヒナだと気づいていないようだ。
「君さ、男の子? 女の子?」
近くで見れば女の子に見えるがズボンを履いているので、もしかして可愛い男の子なの? とイワライが尋ねる。
ヒナは何も答えずに微笑んだ。
「あ、教えてくれないんだ」
冷たいなとイワライが笑う。
「いい条件って?」
「男の子だったら王女と結婚、女の子だったら王子と結婚」
王女と結婚すれば爵位も貰えるし、貴族の仲間入りができるとイワライが言う。
「この国の?」
「ミドヴェ」
ミドヴェは熊族だ。
狼族のイワライがなぜ?
「熊が嫌いだったらチェロヴェでもいいけど。チェロヴェは王女がいないんだ。君が男の子だったら爵位のみになるけど、爵位があれば可愛い子が嫁に来てくれるよ」
悪くないだろ? と言うイワライ。
「どうしてそんな話を?」
「髪を後ろで1つに縛った前髪が長い眼鏡をかけた小柄な人物」
連れて行くと自分もご褒美がもらえるのだとイワライは言った。
「……ご褒美?」
「そ。俺も爵位がもらえるの」
爵位は以前、宰相である養父に教わったが、そんなに欲しい物なのだろうか?
身分のない国で育った自分にはよくわからない。
社長になりたいと言ったあの人と同じなのだろうか?
「人違いだったら?」
「いや、合っている。チェロヴェの地下に書かれた魔法陣から出てきたのは君とあと2人だ」
イワライの言葉にヒナは目を見開いた。
「まさか3人も来るなんて思わなかったよ」
しかも追い出した君が本物なんてね。
イワライはヒナの手を掴むとギュッと握った。
「手は女の子みたいだ」
王子と結婚ならミドヴェが1番条件が良いが、他国が良ければ交渉してあげるとイワライは笑った。
「……この国が良いのだけれど」
「この国の王太子には好きな子がいてね。俺も爵位はもらえないし」
「爵位をくれるって言ったら?」
「うん、でも、彼には好きな子と結婚してほしいからさ」
ごめんねと言うイワライ。
「どの国にするか考えておいて」
イワライはヒナの手をそっと離すと飲み終わったドリンクのカップを持って立ち上がった。
またねとヒナの肩をポンと押す。
どの国にするか?
他国でも交渉する?
イワライはどの国とつながっているの?
熊族ミドヴェ?
人族チェロヴェ?
召喚のあの場にいたという事はチェロヴェなの?
でも彼は狼族。
チェロヴェの結界の中では小さな姿になるはず。
狼のジョシュは悩み始めたヒナの手をペロッと舐め、俯いたヒナの顔を上げさせた。




