069.噛みたい
「ただいま戻りま……」
文官の仕事を終え、ディーンとアレクサンドロの部屋に戻ったヒナは止まった。
「あぁ、おかえり」
「おかえりなさい」
「おかえり?」
部屋の中にはアレクサンドロ、ユリウスと白衣のイワライ。
イワライはアレクサンドロとユリウスにおかえりと言われたヒナとディーンに首を傾げた。
イワライがいるのでヒナはこのまま部屋へ戻る事はできない。
「ユリウス、これを」
ディーンが手に持っていた食材をユリウスに渡し、頼まれていた物を買ってきたフリをする。
「ありがとうございます」
「ではこれで」
ディーンとヒナはユリウスにペロリとお辞儀をしてアレクサンドロの部屋から出た。
「もう少し文官にいましょうか?」
「そうですね」
ディーンとヒナは文官へ引き返す。
ヒナの勤務時間は3時までだが、今日は残業扱いになった。
「買い物?」
イワライが買い物袋を見て首を傾げた。
食事が全て準備されるアレクサンドロに必要な食べ物などないはずなのに。
「あの眼鏡の子、武官だろ? なんで武官が買い物?」
眼鏡にズボンのヒナを武官と言ったイワライにアレクサンドロとユリウスは驚いた。
「文官じゃないんですか?」
「文官?」
「えぇ。アレク様がパンを作りたいと言うので文官に本と材料を頼みました」
ユリウスはヒナが置き忘れていたパン作りの本を本棚から取り出す。
「オオカミ厩舎にいたけど」
「オオカミ厩舎に?」
そうなんですかと言うユリウス。
あまり興味のない感じでユリウスは話を切り上げた。
イワライが帰った後、アレクサンドロはイワライが買ってきたスナック菓子を食べながら溜息をついた。
以前、中央公園で会ったときのヒナはワンピース姿。
あのときはユリウスの妹と名乗った。
イワライは眼鏡にズボンのヒナとは面識がない。
ワンピースのヒナと、眼鏡のヒナを別人だと思っているのは問題ない。
ただ気になるのは、眼鏡のヒナを知っている事だ。
「たまたま印象に残っていたのでしょうか?」
紅茶を差し出しながらユリウスが尋ねるとアレクサンドロはそうだなと答えた。
イワライは環境局。
どの建物に行ってもおかしくはない。
10年ほど前、急にこの国から居なくなったイワライ。
戻ってきたのはヒナが中央公園で魔力を暴発させた後。
中央公園で何があったかユリウスに聞いてきたが、うわさが気になっただけ。
ヒナを武官で見かけ覚えていたが、ちっちゃい子だからたまたま覚えていただけ。
ただそれだけだ。
「イワライはいい奴だ」
「そうですね」
イワライは狼族。
疑うなどどうかしている。
アレクサンドロは空になったスナック菓子の袋をテーブルに置いた。
8歳から10歳まで家庭教師だったイワライ。
急に家庭の都合だと言い、居なくなった。
あれから12年。
どうして今、戻ってきた?
2ヶ月前に戻ってきたと言っていたが、本当は4ヶ月前だろう?
ヒナと出会ったあの日、俺はお前を追いかけていたらチェロヴェに入り攻撃されたんだぞ?
どうして2ヶ月前なんて嘘をつく?
「ただいまアレク」
「護衛に白衣の方が帰ったと聞きましたので」
5時過ぎにディーンとヒナが戻ると、ユリウスはすみませんでしたと買い物袋をヒナに手渡した。
「買い物袋持っていてよかった」
今まで誰かが来ている事がなかったのでびっくりしたとヒナが笑う。
「これからは護衛に誰か来ていないか聞いてから入るようにします」
ランディにも伝えておくとディーンが言うと、ユリウスはお願いしますと頷いた。
「ヒナ、その姿でイワライと会った事はあるか?」
「会ったというか、よく見かけるよ?」
オオカミ厩舎の環境チェックとか、お昼の食堂も、カフェテリアに食材を取りに行った時に。
文官のお姉様と行くカフェテリアにはいないけれど、武官のみんなと行く食堂で見かけるとヒナは答えた。
食堂なら環境局からも近い。
そこで昼飯を食べても何も不思議ではない。
「そうか」
たまたま大きい武官達の中のちっちゃいヒナに目がいっただけだろう。
アレクサンドロが新しいスナック菓子に手を伸ばす。
「アレク様、食べ過ぎはダメですよ」
ユリウスにスナック菓子を取り上げられたアレクサンドロは、残念そうに菓子を見送った。
「待って! 待って! ミルクでベタベタ!」
やんちゃなオオカミ達の口をタオルで拭くヒナと、タオルを持って逃げてしまうオオカミの戦いが恒例となったオオカミ厩舎。
ランディは干草の上に座り、オオカミをブラッシングしながらヒナを眺めた。
「おっと、大丈夫かい?」
ぽふんとランディの胸に飛び込むヒナ。
この1ヶ月でだいぶ大きくなったオオカミ達は力が強くなった。
タオルの引っ張り合いではヒナが負けてしまうのだ。
「ミルクの匂いがする」
「ラ、ラ、ランディッ」
ギュッとヒナの腰を引き寄せ、甘い匂いを堪能するランディ。
ヒナは真っ赤な顔でワタワタした。
ランディにブラッシングされていたオオカミがヒナに擦り寄ると、ミルクでベタベタなオオカミも寄ってくる。
あっという間に座っているランディとヒナはオオカミ達に囲まれた。
「俺も狼になってヒナに甘えようかな」
狼なら擦り寄っても嫌がられないとランディが笑う。
腰を掴まれたままのヒナは真っ赤な顔でブンブンと顔を横に振った。
「ヒナ、入り口に白衣の男がいる。このまま俺の影に隠れて」
耳元でランディが囁く。
白衣はイワライさん?
ヒナは小さく身を潜めランディとオオカミの中に隠れた。
ランディから甘くフルーティな匂いがする。
No.1ホストのようなランディでも腕は太く胸板は厚い。
小さなヒナが隠れるには十分だった。
「……あの男、最近よく見るね」
もう大丈夫だとランディが声をかけると、ヒナはゆっくり身体を上げた。
ヒナが遊んでいるのだと思ったオオカミ達はヒナに擦り寄り、ひっくり返り、自由に遊び始める。
「わわっ」
1匹のオオカミがヒナの身体を干草の上に倒し、ヒナを支えていたランディも一緒に倒れた。
まるでランディがヒナを押し倒したかのような体勢にヒナの目が泳ぐ。
「オオカミの悪戯もたまには悪くないね」
グレーの眼を細めながら舌なめずりする姿は色気がありすぎる。
ヒナの頬に触れ、眼鏡を上にずらし、前髪を退けるランディ。
ヒナがワタワタと暴れても、武官のランディの力には全く敵わなかった。
「ラ、ランディ……?」
「うん?」
真っ赤な顔を逸らし、目が合わないようにするヒナから甘い魔力が漏れ出す。
甘い魔力に吸い寄せられたオオカミ達は急に大人しくなった。
うっとりとヒナを見つめるオオカミ達。
尻尾は全力で振っている。
「オオカミもヒナに夢中だね」
この甘い魔力には逆らえないとランディは微笑んだ。
「いつかこの細い首に噛みつきたいよ」
噛みつきながら抱いて自分の物だと知らしめたい。
狩猟本能と独占欲がランディに沸き上がる。
「か、噛み……?」
驚いたヒナが目を見開くと、ランディはヒナの上から退きながら微笑んだ。
「狼の求愛行動だよ」
手を差し伸べヒナを立たせる。
頭についた干草を払い、眼鏡と前髪を戻すと、ヒナの首にチュッと口づけをした。
茹蛸のように真っ赤になるヒナと甘い魔力に酔うオオカミの子供達。
ランディは声を上げて笑いながら、ヒナの頭を優しく撫でた。




