045.心配
「全然出来ない!」
長い前髪で目を隠し、眼鏡をかけたズボン姿のヒナが庭園のベンチに座り込んだ。
「もう少し頑張ろう?」
「できる気がしないよ」
優しく微笑むランディにヒナは盛大な溜息をついた。
今日はランディと魔力の練習をする日だ。
いつもなら演習室でこっそり練習しているが今日は偵察の『鳥』にわざと見せている。
『まだ治癒能力がコントロールできない』
そういう噂を流させる作戦だ。
今、偵察の『鳥』は2羽。
コヴァック公爵の白い鳥と、知らないハトのような鳥だ。
白い鳥は2重スパイなのだろう。
ヒナがやる気を無くしたのを確認すると飛び立っていった。
飛んだ方向は左。
熊族のミドヴェ国の方角だ。
「いつかできるようになるよ。一緒に頑張ろう」
「早くできるようになりたいよ」
治癒が使える人物は男か女かわからない。
ヒナはわざとどちらかわからない話し方をするようにコヴァック公爵に指示された。
「今日はここまでにしよう」
ランディが仕事に行くよと微笑むと、灰色の鳥はバサッと大きな音を立てて飛び立った。
飛んだ方向は右。
豹族のレパード国か鳥族のプチィツァ国かどちらかわからない。
だが『まだ治癒がうまく使えない』は伝わるだろう。
建物に入り鳥族がいない事を確認するとランディとヒナは本当の練習をするために演習室に向かった。
ロウエル公爵とコヴァック公爵に会ってからあっという間に2週間が過ぎてしまった。
あと2週間で魔力操作ができるようになる事が目標だ。
ランディとお昼を食べた店インパストーレの店員はやはり豹族だったそうだ。
その後どうなったかはわからないが。
ディーンと見た黒い本はヒナの手元に。
この本は購入記録が残ってしまうため何人もの人を経由し手に入れたのだと説明された。
ナイトリー公爵はヒナのことを変わらず『ひー坊』と呼んでくれる。
事情がある事を察してくれているようだ。
今週の火曜日に新しい灰色の鳥が来たとユリウスに報告したところ、庭園で魔力操作の練習を見せることになった。
イケオジ3人がどんどん作戦を考えてくれている。
期待に応えられるように頑張らないと。
「……ヒナ?」
夕飯の時間になっても来ないヒナを呼びに来たアレクサンドロは驚いた。
具合が悪いのかと急いで抱き上げたが、眠っているだけでホッとする。
まだ夜6時なのに。
夕飯の支度はされていない。
一体何時に寝てしまったのか。
アレクサンドロはヒナをベッドへ運んだ。
頑張りすぎだろ?
月・水は武官。
火・金は文官。
食事の支度、掃除、洗濯。
部屋でも魔力の練習、ミシンの音も時々聞こえるし、本を読みながら寝落ちしている日もある。
平日はズボンとワンピースを1日に何度も着替えて出かけ、土曜はランディ・ディーンと街へ狼族以外を見つけに行っている。
そりゃ疲れるだろう。
アレクサンドロは眠るヒナの頭を撫でた。
最近、カーテンが閉まっている時は眼鏡を外す事が増えた。
前髪もなんとなく耳にかけていたり、ピンで止めている時もある。
少しはこの国に慣れてくれたのだろうか?
ヒナが来てもうすぐ3ヶ月。
俺だけヒナの役に立っていない。
アレクサンドロは溜息をついた。
ユリウスに明日の朝食はヒナの分も作るように頼むと不思議そうな顔をされた。
普段の食事が少なすぎる。
これではいつか倒れてしまいそうだ。
食事を済ませシャワーを浴び、狼の姿でヒナのベッドへ潜り込む。
鼻でふんふんとヒナの前髪を退かしても目覚める気配はなかった。
俺に出来る事はないのか?
ヒナのために何かしたいのに。
ようやく昇り始めた下弦の月を眺めながらアレクサンドロはヒナの隣で目を閉じた。
いつの間にベッドに来たんだっけ……?
ヒナはぼんやりと黒と濃いグレーの毛並みを眺めた。
隣にはもふもふのアレクサンドロ。
擦り寄ると狼のアレクサンドロが顔を上げた。
「おはようアレク」
狼の姿なので返事はない。
グレーの綺麗な眼に見つめられたヒナはニッコリと微笑んだ。
「いつの間にか寝ちゃった」
なんだかたくさん寝たなぁと言いながらヒナがアレクサンドロの耳の後ろをマッサージする。
アレクサンドロは気持ちよさそうにベッドに伏せをした。
時計は朝の7時。
そろそろ朝食の支度をしないとアレクサンドロと一緒に食べられない。
「ご飯の準備をしてくるね」
ベッドから降りようとするヒナの服をアレクサンドロは咥え、行かないように抑え込んだ。
「……アレク?」
「グアォウ」
顔でヒナの背中を押し「ついてこい」と合図をする。
アレクサンドロはベッドから降りると何度も振り返りながらヒナに来るようにアピールした。
「ついていけばいいの?」
ヒナもベッドを降り、アレクサンドロの部屋へ。
「おはようございます、アレク様、ヒナ」
「おはようございます、お兄様」
今日はなぜかもうユリウスがいる。
いつもよりも30分以上早いのではないだろうか。
不思議そうにヒナが首を傾げると、ユリウスが微笑んだ。
「朝食の準備ができていますよ」
いつもよりも早く2人分準備するようにアレクサンドロが頼んだのだとユリウスが言う。
「え? 2人分?」
「えぇ。ヒナの分です」
驚いたヒナは狼のアレクサンドロを見た。
「さぁ、席に。暖かいうちにどうぞ」
ヒナが戸惑いながら席に着くと、狼のアレクサンドロはヒナの横にぴったりとくっつく。
暖かいコーンスープ。
野菜たっぷりなチキンサンド。
柔らかく煮込まれたお肉。
豪華な朝食が並んでいる。
「えっと、どうして……」
どうして自分の分が準備されているのかユリウスに尋ねると、ユリウスはアレクサンドロの指示だとしか教えてくれなかった。
狼の姿のまま器用に肉をペロリと食べる。
ヒナも食べろと言われているかのように、狼のアレクサンドロがヒナを見つめた。
「……ありがとう、アレク。いただきます」
ヒナはコーンスープを手に取った。
そういえば昨日は夕飯を食べずに寝てしまった気がする。
温かいスープが嬉しい。
……もしかして心配してくれた……?
食事のメニューはヒナが食べやすいものばかりだ。
普段のアレクサンドロの朝食はもっと肉が多い。
「美味しい」
ヒナが嬉しそうに微笑む。
アレクサンドロはペロリと舌なめずりしながらヒナの隣でふさふさの尻尾を揺らした。




