014.条件
「計算はできるか? この紙に今から書いてみろ」
「この子は部外者で。この書類を見たこともないので」
「だから逆にいいんだろう」
止めるディーンを無視したお爺さんにヒナは紙とペンを渡されてしまった。
お爺さんのメモ書きも見せられ、これをここに書くのだと説明される。
収支報告なのかな?
部品を買ったのがいくらで、働いたのは何人で、何時間はこっちにメモされていて。
あ、時給も違うんだ。
売ったのがいくらで何個、配送料があって。
「売上から全部引いて残ったお金をここに書けば良いんですか?」
「そうです。詳細の金額も欲しいです」
「わかりました」
一番上はもちろん売上額。
購入品費、配送料、労務費を並べて行く。
数字の桁はもちろん合わせて。
家計簿みたいなイメージだ。
「これで良いですか?」
スラスラと計算機も使う事なく計算していったヒナをディーンも茶髪の男性もお爺さんも驚きながら見た。
ディーンは受け取ると大丈夫ですと答える。
「フリースペースではなくて、枠があってここに何を書くのか指定されているとわかりやすいですね」
数字も点線か何かがあったら桁も間違えないですよねとヒナはお爺さんに微笑んだ。
呆気に取られたお爺さんは大きな声で笑い出す。
「負けたぞ坊主、すげぇな」
お爺さんはヒナの背中をバシバシ叩く。
ディーンはヒナの書いた紙と机に置かれたお爺さんが書いた紙を見比べた。
お爺さんの方は計算間違いもあるが配送料も書き忘れている。
ヒナの言う通り、枠があればミスに気づくかもしれない。
「書式を見直します。ご指摘ありがとうございます。わかりにくい書類でご迷惑をおかけいたしました」
立ち上がってディーンがお爺さんに謝罪すると、お爺さんは驚いて目を見開いた。
「あんた、なんで謝った?」
文官が一般人に謝るなんてない。
普段こいつらは偉そうに「ルールですから」と言い、従えないのなら処理しないと突き返してくるのだ。
子供でも書ける書類を書けなかった自分が謝れと言われるかと思った。
いつも対応する上司の男はそうだったのに。
「我々はこの書類を見慣れています。みなさんがどんなことで困っているのかわかりません。気づけなかった我々に非があるかと」
あんなに興奮しながら文句を言っていたお爺さんは一気にクールダウンだ。
「あんた名前は?」
「ディーン・コヴァックです」
「コヴァック公爵の孫……下の坊主か!」
でっかくなったなとお爺さんが笑いだす。
「お前さんは? 名前は?」
お爺さんはヒナの頭をポンポンとする。
「その子は、イーストウッド家です」
ディーンが答えると、お爺さんはそうかと答えた。
それ以上は詮索してはならないというディーンの意図を汲み取る。
イーストウッドはこの国の宰相。
目を着けられてはマズい。
「ワシはナイトリーだ。街で何か困ったらワシの名前を出すといい」
ナイトリーは文句を言っていた時とは全く違う優しい顔でヒナに微笑む。
クシャッと笑った顔はお爺さんというよりも悪ガキのようだった。
「この書類はこのまま受理して構いませんか?」
ディーンが確認すると、ナイトリーは頼むと答えた。
「では、あとは彼が手続きしますので、もう少しお待ちください」
あとは任せたよと文官たちの部屋を出ていくディーンとヒナ。
クレーマーだったナイトリーを黙らせた小さな子。
あっさり謝罪し驚かせたディーン。
二人が去った後、文官の建物は大騒ぎとなった。
「すみませんでした」
文官の部屋を出てすぐ、変な仕事に巻き込んで申し訳なかったとディーンがヒナに謝罪した。
「私もすみません。よくわからないまま書いてしまって」
「いえ、的確な指摘でした」
「さっきのお爺さん、ナイトリーさん? は街で有名なのですか?」
街で困ったら名前を出せばいいと言っていた。
有名なお爺さんなのだろうか?
「えぇ。彼に睨まれたら街で商売はできません」
頑固で面倒なお爺さんですとディーンは笑った。
「今日は時間が無くなってしまいましたね。図書室はまた今度行きましょう」
ディーンに許された時間は午前のみ。
アレクサンドロの部屋へと戻ったディーンはヒナと繋いだ手を恋人繋ぎに変え、ヒナを引き寄せた。
「もっとたくさん会いたいです。次の火曜日が待ち遠しいです」
耳元で囁かれるアリエナイ言葉にヒナの身体からブワッと魔力が溢れた。
「あ、あの、ディ、ディーン様っ」
焦ったヒナがワタワタと暴れる。
ディーンはヒナを解放すると、恋人繋ぎの手を持ち上げ指先に口づけを落とした。
名残惜しそうに離される手。
ヒナは驚きすぎて固まったまま扉を出ていくディーンをぼんやり眺めた。
も、もっと会いたいって?
私と?
待ち遠しい?
ヒナはさっきまで恋人繋ぎをしていた右手を眺めた。
いや、アリエナイ!
優等生イケメンが何の取柄もないただの喪女に!
勘違いしたらダメだ。
狼族はみんな誰にでも優しいだけ。
早く働けるようになりたい。
早く一人で生活できるようになりたい。
ヒナはベッドの横に置いたノートを手に取ると、ナイトリーさんの名前を記載し街の重鎮とメモをした。
◇
「ちょっと集まってくれないか?」
ランディは武官たちを集めると、みんなにお願いがあると話を始めた。
「ひーくんの事だ」
「来てくれるの?」
ピョンピョン寝癖が跳ねた明るい茶色の髪のリッキーがワクワクしながらランディに尋ねる。
「みんな気づいていると思うけれど、ひーくんはワケあり令嬢。後ろ盾はイーストウッド公爵家。出生に関わる事柄やどこで育った、今住んでいる場所などの詮索はNGだ」
イーストウッドはこの国の宰相。
怒らせたくない気持ちはみんな一緒だ。
武官たちはわかったと頷いた。
「先日、熊族との攻防で怪我をした者には新しい薬だと説明したが、本当はあの子の能力だ」
この事がバレたら他国から狙われるため、口外禁止。
能力は絶対に秘密にし、彼女自身も危険からみんなで護りたいとランディは伝えた。
「能力については、本人に自覚はない。まだコントロールもできない。いつでも怪我が治ると思わないでほしい」
「とりあえず、俺たちはあの子が楽しくここで働けるようにすればいいってこと?」
オレンジの眼を輝かせながらリッキーが尋ねると、緑の眼のライルも可愛い子は大歓迎と喜んだ。
「来月から月曜と木曜に誘う予定だからよろしく頼むよ」
ランディは口外禁止だけは絶対に守るように念を押すと手をヒラヒラ振りながら武官の部屋を出た。
本当は男ばかりのこの職場に彼女を置いておきたくない。
だが、ずっとアレクサンドロの部屋に閉じ込めておくわけにもいかない。
街の変な店で働かれても困る。
それならば自分の目が届くところに置いておくのが一番良いだろう。
年齢の近い者達と話したり、働いていくうちに少しずつ心を開いてくれると良いけれど。
ランディはヒナの就労手続きの書類をもらうためディーンの元へと向かった。
「文官でも彼女が欲しいのですが」
武官で働く手続きに来たランディにディーンは困った顔をした。
彼女のおかげでナイトリーが納得して帰って行ったと話すと、ランディも驚いた顔をした。
「あの頑固なじーさんを?」
「えぇ。街で困ったら自分の名前を出せと言うほど気に入ったようです」
ナイトリー公爵は決して悪い人ではないが、きっぱりはっきりモノを言う爺さんだ。
変な所はすぐに変だと言うし、すぐに改善しろ、危ないから今すぐ直せなど、とにかく迅速に変わらないと嫌がる性格。
そんなナイトリー公爵を納得させるだなんて。
「月・木を武官、火・金を文官で働かせたら、疲れてしまうでしょうか?」
女性をそんなに働かせるなんてダメですよねというディーン。
「本人に聞いてみるか。嫌がったら週1回ずつでどうだい?」
できれば週二回は来てほしいけれどと笑うランディに、ディーンもそうですねと微笑んだ。
◇
チェロヴェ国の宰相は報告書を開きながら溜息をついた。
魔術師団長の報告書は聖女キョウカと聖女メイの成果報告。
騎士団長の報告書は聖女召喚の儀に現れた男の行方について。
どちらも良い報告ではなかった。
聖女召喚の儀から30日。
まだ男は見つからない。
目撃情報すらないので『死の草原』へ入り、すでに亡くなっているのではないかという推測まで報告書には記載されていた。
言葉が話せない者は来ていない。
前髪が長く、眼鏡をかけた男も来ていない。
話せないのは演技、見た目も変装だとすればもう見つける事は難しい。
宰相は騎士団長の報告書を閉じた。
聖女キョウカは教育係の魔術師を若い男に変更し、魔力がようやく見えた程度。
聖女メイは練習初日に魔力は見えたが、その後の進捗はイマイチだった。
聖女達が治癒を使うのは程遠いようだ。
「やはり、あの男が聖人だったのかもしれない」
宰相は魔術師団長の報告書もパタンと閉じると、再び溜息をついた。




