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シャリヤのうそつき  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
アマルナ
8/10

 御主人様


 アマルナは起き上がった。

 そして寝起きの背伸びのような真似事をしてあたりを見渡した。


 安宿だ。

 ペラペラの布団が二つ並べられ、床と壁は色濃く変色し、ボコボコと節の目立つ古い木材であることがわかる。

 二重窓となっており、雨戸は開けられ、明り取りの木の格子窓からの光の線が床と壁に模様を作っている。


 もっと良い宿ならば奇麗な板材で、壁紙なんかも張られて、ベッドはふかふかで、ガラスの窓で、良い心地、良い景色だったかもしれない。

 ヤンは本当はアマルナそういう宿をとってやりたく思っていた。


 それでも千年洞窟の景色の中に籠り続けたアマルナには新鮮で真新しい、楽しい風景だった。


 格子窓を開け眺める二階からの景色。

 高すぎず、低すぎず。

 十分に街並みを眺められるし、遠くの景色、都市中央の宮殿を仰ぎ見ることもできる。


 窓から身を乗り出したアマルナのすぐ下、一階の庇の上ではジンジがカリカリと何やら木の実を齧っていた。


「ジンジ」

 アマルナが声をかけるとジンジは無言で上を向く。

 アマルナはにっこりと微笑みかける。

「ヤンは、おまえのヤンはどこに行ったんだい?」

 ジンジは木の実を齧りながら「ンゥー」と声をあげた。

「そうかそうか、今日はお前はお休みか」

 ぴょんとアマルナのもとに飛び上がり、その首に襟巻のように巻き付く。

 アマルナはジンジの首元をこそこそと指先で撫でたが、木の実を齧り嚥下するジンジはそれをちょっと迷惑そうにした。

「意外と福利厚生しっかりしてんだな」

 アマルナは目を細め、つぶやく。

「ヤンの様子見に行こっか」

 アマルナの言葉にジンジは木の実を齧りながら手を上げた。


 トトトとぼろ階段を降り、

「出ますねー」

と年老いた番頭に声をかける。

「あいー」

 老婆はしわしわのお面のようにこびりついた接客用の笑顔を向けた。


 町はやはり活気がある。

 現在のマシュワル帝国内では第三の都市と呼ばれるマーシールだが、経済面においては第一の都市と言われている。

 

 国が巨大化する中で遷都された、拡大主義の象徴のような現在の首都サリ・マシュワルは要塞都市とでもいうべきもの。

 それとは違い、古くから栄え、また帝国のほぼ中央に存在するマーシールは交通の面でも重要な役割を果たし、人も物もあふれている。

 帝国のあらゆるものの半分はマーシールを通るとさえ言われている。


「だからね、この町はすごいんだ!」

 昨日ヤンが言っていたことを得意げにジンジと、その辺にいた子供に話すアマルナ。

 キャッキャッと喜ぶジンジ。

「そんなの知ってる」と冷たく言い放ちその場を去る子供。

「都会の子は賢いな」

 そう言ってアマルナは笑った。


 アマルナはジンジを首に巻いたまま歩き続けた。

 町の喧騒だけでなく、静かな路地裏、衛兵の立つ城門、そこから見える広大に広がる農地。

 様々なものをキョロキョロと眺めながら歩いた。


 そして眺められていた。

 普通の人とは違う大きな目、白い髪、白い肌。

 巨大な商業都市ということもあり、異民族の姿も珍しくはない。

 しかしそのどれともかけ離れ、何より人間離れした雰囲気のアマルナを人々は物珍しげに見た。


 不気味に思うものもいたかもしれない。それでも人々はアマルナを見ずにはいられなかった。早い話美人だったから。


「ねえきみ」

 人間離れした姿をしているとはいえ、それがまさか神であるなんて思うはずもなく、声をかけてくる男もいた。

 さらさらとした絹の着物を着て、育ちのよさそうな男だった。


 顔立ちや立ち姿だけ見ればそこにはやはり気品もあるのだが、服は薄汚れ裸足で歩き、口をポカンと開けニコニコキョロキョロ歩くアマルナ。

 どこぞの田舎者くらいにしか思わないものもいただろう。


「はい、なんですか?」

 無警戒に笑顔で答えるアマルナ。

「いや、あんまり見ない顔だなと思ってさ」

「一昨日の夜にここに来たばかりなので見ない顔です」

「どこから来たの?」

「向こうの、ここから100里くらいのとこの農村から来ました」

「裸足じゃないか、靴かサンダルは持ってないのかい」

「靴もサンダルも基本履きません」

「その猿かわいいね」

「はい。この猿はかわいいです」

 男の質問に一問一答で丁寧に答えるアマルナ。そしてにっこりと微笑んだ。ジンジはなんか唸ってる。


「よかったら案内しようか。キョロキョロして、何か探してるみたいだから」

 男は優しくアマルナに問いかける。

 男はアマルナの美しい容姿に惹かれていた。

 そしてなんだかたどたどしく感じられる彼女の受け答えに、いけそうだと感じていた。


「わたしは今、ヤンという男を探しています。ヤンという男を見ませんでしたか?背が高くて胡散臭い感じの…、見世物…、手品とか踊りとかやってると思うんですが」

 男は顎に手を当て親身に聞いてあげるふりをする。

「その人はお兄さん?ご主人…というかご主人様?」


「どちらかというとわたしがヤンのご主人様です。この猿もヤンに会いたがってるので探しています」

 アマルナは丁寧に答えた。

 男はその答えに思わず吹き出しそうになり、それをこらえた。


 薄汚れた服を着て、靴もサンダルも履かない、履くことを許されない。

 つまり顔がいいだけで奴隷か何か、下賤のものであろう女が自分が主人だと言い出したのだ。


 仮にそれが事実だとして、そのヤンとかいう男はどれほど卑しい人物なのか。そう考えると笑いが込み上げた。


 だが、その可愛らしい姿に少し話を合わせてやる。

「確かさっき踊っている人がいたな。この辺では見ない、不思議な踊りだった」

 男の答えにアマルナは顔を明るくする。

「きっとそれです!変な動きだったでしょう!すぐにやめさせないと!前衛的過ぎて誰にも理解されないんです!」

 話は偶然噛み合った。

「ああ、さっきむこうで見たよ。案内しよう」

「お願いします!」

 肩の上で唸るジンジを気にせず、アマルナは男の言葉をすんなりと受け入れ、ついていく。


 男には随分と歩かされた。そして当然のことながらその先にヤンはいない。

 どころか繁華街を抜け路地裏へと入り込む。


「ヤンは見世物をやっていますので、こういう所にはいないと思うのですが」

 アマルナはニコニコとしながら男に話しかける。

「うん、僕もそう思うんだが、なんでだか彼はこんなところで踊ってたんだ」

 男は爽やかに笑って答えて見せる。

「そうですか、何か作戦があるのかもしれませんな。ヤンは頭の切れる男なので」

 ふむふむと頷きながら何やら納得している。


「それよりさ」

 男はさらに進み、薄汚れた路地裏の、薄汚れた者どもの座り込んだ所でアマルナに語りかけた。

 座り込む者どもはみすぼらしく、浅黒い肌から栄養状態の悪い血走った目がギョロギョロとアマルナを見ている。


「本当に靴もサンダルもいらないのかい、かわいそうに。必要であれば僕が買ってあげるけど」

「お気遣いありがとうございます。ヤンはどこですか?」

 アマルナは優しく微笑む。

 歩きながら話していた男は急に立ち止まり、アマルナの両肩を掴む。

「じゃあ、服はどう?せっかく奇麗な顔なんだからさ。そんな汚い服は捨てて奇麗な服を着たほうがいいと思うんだ。実は僕はけっこうこの辺りでは名が通っていて…、早い話がお金持ちでさ。服でも靴でも、なんなら君自身だって買い取ることができるんだ」


 男は真剣な顔を作り迫るも、アマルナは穏やかな微笑を崩さず、

「ですから靴はいりません。それにこの服は大切な貰い物です。捨てるわけにはいきません。それよりヤンはどこです?」

 しかしその表情にはわずかな変化が現れる。男はそれに気づかない。


「その、ヤンさんにもらったのかな。うん…、君は今の暮らしが常識のように思っているんだね。でもね、そうじゃないんだ。僕は君にそれを教えてあげられるんだ。こんなのは贈り物じゃない。こんな汚い服を大切にしなきゃいけないなんて、そんなみじめなこと僕ならさせない」

 キリッとした超カッコイイ顔で男はアマルナの、クエッタにもらった服の伸びた袖の、染みついた汚れを指でなぞる。

「こんな汚い服…」

 男は吐き捨てる。


「ヤンはおらんのだな」

 目を細め微笑むアマルナ。

「美しく汚れたこの贈り物に、よくも卑しき指で触れたな」

 その、この世のものと思えぬ妖艶な微笑に男は息をのむ。


「卑しき?そうか、いろいろと知らないことが多いみたいだね」

 周囲の薄汚れた者どもが立ち上がり退路を塞ぐ。

「名が通っているって言っただろ。振る舞いには気をつけないと。それが君のような身分の人たちにはとても大事なことなんだ」

 男は肩を掴んだ右手を滑らせ、胸に触れる。

 アマルナの笑顔の美しさには異様な迫力があった。それでも異民族の、それも下賤の者であろう若い女の口の利き方に、男は精一杯の睨みと、精一杯の余裕の笑みを作って見せる。


 薄汚い者どもは黙ったままだ。

 手にナイフを持っているものもいるようで、それがチラリと見える。

「あー」と。アマルナは呆れたような、悲しむような声をあげた。


「垢もつかぬ価値無き指よ」

 アマルナは目を細め、ため息をつく。

 身分の高い男だった。そして、若く、経験の浅い男だった。


 その、この世のもとは思えぬ美しい微笑の意味を男はようやく理解した。

 侮蔑とは何か。

 自分がこれまでの人生で他人に見せてきた態度の、なんと生ぬるかったことか。

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