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シャリヤのうそつき  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
ヤンの本当
6/10

 血の門

 夜目の利くジンジを先頭にヤンが壁伝いに歩き、クエッタの手を引いた。


 神はその後ろをゆっくり歩いてくればいい。

 ともすれば神様パワーかなんかで宙を浮いてくるかとも思ったが別にそんなことはなかった。普通に歩いた。


 それどころか女は手をつなぎたいと言い出し、ヤンとクエッタの間に入った。

 ヤンの荷物に興味があるらしく弦の張られていない弓の細工を指でなぞったり、袋の中身をのぞいたりしている。


 そのうちにジンジもそれに加わり、キャッキャッと声を上げ、ますますご機嫌な女。

 それに気を遣うように笑顔を見せるも明らかに気の沈んでいるクエッタ。


 これらと団子になって進むことにヤンは苛立ちを覚えたが、それを顔に出さぬよう先を急いだ。


 洞窟を抜けると日が傾き始めていたが、それでもやはりまぶしかった。

 女の髪は銀色に思えたが、光の当たり具合で毛先がキラキラと赤や緑にも見えた。

 

 そして太陽の下に出ることで改めて気づいたのだが、この女神トップレスだ。


「アマルナ様!これを!」


 クエッタは下着姿になり、自身の上着を女に差し出した。


 女は薄汚れた上着を受け取り丸い目をより丸くした。

「いや、これはクエッタのだろ。いいよ。お前が下着姿になっちゃう」


「いえ!女神さまにそのような!裸でいさせるわけにはいきません!」

「いや、いいよ、わたしは。スカートはいてるし。神様ってけっこう丸出しじゃん」

「汚れた服で申し訳ありません!ですがどうか受け取ってください!」


「そう?」

 女は遠慮しながらも嬉しそうに服に手を通した。


「臭くないですか?」

 心配そうなクエッタに女は笑顔を見せた。

「いい着物だな。とても丈夫そうだ」


 年の割に体格のいいクエッタの服だったが、女が着るとさすがパツパツになった。


「すみません。小さいですよね」

「いや、こういう流行りもあるからな、我ながらいい着こなしだ」


 女の満足そうな頬笑みにクエッタは安心する。


「…神っぽいな。これはあれだな、神様への貢ぎ物、お供え物だ!クエッタ、何か願いはないか?天候とかはどうにもできないけど、けっこう何でも聞いてやれるぞ」

 上機嫌な女を見てクエッタはほっとし、

「いえ、そんな、アマルナ様に着ていただけただけで…。願い事なんて…」

などと言いながらヤンをチラリと見た。


 ヤンはまぶしさに目を細めながら持ち物の入った袋から細いロープを取り出していた。クエッタの手を縛るためのものだ。


 二人の会話は耳に入ってはいたが相手にしなかった。

 ただ少し、少しだけ、大きな胸が隠れたことが悔やまれた。


 ヤンは無言で手際よくクエッタの手を縛った。


 そもそも気の沈んでいたクエッタだったが、女神に贈り物を喜んでもらえた晴れ晴れとした高揚感と、別の妙な高揚感とないまぜになる感情をまくコントロールできず、上手に思考することができなくなり、されるがままだった。


 後ろ手に縛り終え、「足を縛るか、猿ぐつわはどうするか」と悩むヤンの言葉にぼうっとしていたところ、自らが切り開いた森からがさっと音がしたことに気づき、クエッタはそちらを凝視した。


「なにをしている!」


 成人男性が年端もいかぬ少女の手を縛り、今まさに猿ぐつわをさせている。

 その様子を人間離れした美しい容姿の女が楽しそうに眺め、サルがキャッキャッと喜んでいる。


「なんの儀式だ!」


 ヤンに背格好の似た軽装の男だ。兵士だとわかる。

 村にいた時点では着ていた兜と鎧、籠手を外している。


 弓矢を構え警戒している。というか困惑している。


 兵士と出くわした時のセリフをいくつか考えていたヤンだったが、タイミングが最悪だったためどれも場にふさわしくなく黙ってしまう。

 それどころか兵士の言葉に納得し、すこし同情する。


「やめろ」


 よく通る声、とはいえ決して怒鳴るわけではない大きな声が聞こえ、兵士は構えた弓矢をわずかに下げた。


 森の中から続けて2名の兵士が現れる。


 一人は小柄で線が細い。口元を布で隠し、やはり鎧を脱ぎ、短刀を腰の後ろに二本装備している。

 短刀を抜く様子はなく、背の高い兵士の横に立ち、少し下げた弓矢をさらに下げさせる。


 もう一人は長い剣を装備した男、村で見た指揮官であることがわかる。


 驚くべきことに指揮官でさえも装備を脱いでいる。その位を現すであろう羽のついた兜までもだ。


 兵士とは名ばかり、ろくに戦場にも行ったこともないボンボンだろうと考えていたがどうやらそうではない。

 森での戦いや振る舞いに慣れが、少なくともその知識があるであろうことがわかる。


「お聞きしたいことがある。あなたが禁忌の祠に入ったもので間違いないか」


 ヤンはクエッタの足を縛ろうとしていたロープを地面に落とし、何も答えずまっすぐに指揮官を見た。


「勇敢な方だ。立ち居振る舞いにもどこか、強さ、いや、気品が感じられる」

 少女を縛る姿のどこにそんなものがあるのか。


 ヤンはじっと指揮官を見つめたまま、しゃがんでクエッタの耳元に小声で話しかける。

「絶対に余計なことは言うな。ただ、君は僕に利用された」

 クエッタは頬を赤らめる。


「どこか名家の方、あるいは軍属の経験はおありか」


 口元に笑みを浮かべ、指揮官は丁寧な口調で尋ねる。

 ヤンは何も答えない。


 後ろ手に縛られたクエッタを立たせ、首にナイフをあてがい、兵士たちを警戒しながらじりじりと後退する。


「なぜ何も言わない。我々は女神アーマー・ルルナの聖域に異変ありとの神託を受け調査に来た。勇敢にもその調査をすでに成し遂げたのであるなら、あなたの協力を仰ぎたいのだ」

 指揮官は丁寧な口調を崩さず、歩を進めながらヤンに語りかける。


「何が女神だ。マデラ教徒!貴様らアマルナ様の聖域をどうするつもりだ!」

 ヤンは声を荒らげる。


「調査だ。確かに私はマデラ教徒だ。だがサウラ・マデラ様の意向もなしにあなたが誤解されているようなことはしない。ルルナ教徒は国内にもわずかだが存在する。ぞんざいにすることはない」


 ヤンは何も答えず。じりじりと下がる。茂みに近づき、きりのいいところでクエッタを離し、女を連れ森に逃げ込む算段だ。


 ただ、その肝心の女は薄笑いを浮かべたまま「へー」「ほー」と兵士の様子を見ている。

 なんだヤンの言ったこととと違うじゃん。とニヤニヤする。


「こっちへ!」

 ヤンが逃げる準備を促すが女は意に介していない。


「神託とは誰が?まさかお前が神官というわけではないでしょ?」

 女は興味津々に指揮官に尋ねる。


 ヤンはあきれ、少し戻り、女の手を引く。

 そしてハッとする。


 指揮官は片膝をつき、頭をたれている。

 隣の兵士二人もそうするように促され、従う。

「我々は勅命で参った次第。神託は王のみが受けることのできるものにございます」


「サウラ・マデラさんの信者が私なんかに頭下げていいの?」

 女は笑っている。


「やはりあなたが…。そのお姿、サウラ・マデラ様に通ずる美しさを感じておりました。神話には悪神と語られておりますが、サウラ・マデラ様はあなたを御友人と語られたそうです」

 指揮官は手元に紙を持っている。そこには人のような姿の落書きといくつかのメモが書き込まれている。


・全体に白い(銀)

・目が大きく、黒い

・頭が大きい

・手が長い

・足が短い


 女は「へー」と笑いながら、しかし目元は何か思いにふけるようにその話を聞いていた。


「ともかく、我々はアーマー・ルルナ様、並びに貴殿に対しても危害を加えるつもりはないのです。どうか一度我々にお話をお聞かせ願いたい」

「よく言う!そこのノッポは迷いなく弓を引いていたぞ!」

 言われたノッポはハッとして声を上げる。

「女児縛る変態がいたらそりゃ構えるだろ!」

 ヤンはそりゃそうだなと思ったが、ノッポは指揮官にやめろと頭を掴まれた。


 ヤンは訝しんだ。

 神託とはどんなものだったのか。

 あの指揮官はこの女がアーマー・ルルナだということを疑っていないように見える。

 彼は本当に信じているのか。

 もし信じていないとしたら話を合わせるメリットは何か。


 考えを巡らせつつも、兵士全員が片膝をつき、武器を地に置くこの瞬間に一気に茂みに駆け込もうと女の手を強く引き、そして算段通りにクエッタを突き放そうとした。


 クエッタを突き放したのは別の手だった。


 茂みから飛び出した男は左腕でヤンの首を絞めながら、右手でクエッタを突き飛ばす。

 女は勢いで飛んで尻もちをつく。


 指揮官はすっと立ち上がり、右手を振りかざすと残り二名も武器をとり構える。

 ノッポは弓矢を番え、構えた状態でずかずかとヤンに近づき、小さいほうも短刀を二本抜き距離を詰める。


 ヤンの首を絞める男は屈強な大男で、クエッタを突き飛ばした右手でナイフを持ったヤンの右手首を掴む。


「何が危害を…」

 力では負けるヤンだが、首を絞められ上手く声を出せないまま勢いよく男の足を踏みつける。

 男はこのような攻撃に慣れているようで、大したダメージにはならない。


「加えないだ!」

 それでも一瞬の怯み、その隙にヤンはかがめた体から顎に頭突きをかます。


 男の怪力から解放されたヤンは振り返り、ナイフを向ける。しかし男はすぐさま腰から剣を抜きそのナイフを払う。


 ナイフが宙を舞い、それを目で追うヤンに切りかかるが、どこからかとびかかったジンジに目をひっかかれ、顔に噛みつかれ剣を落とす。


 ジンジを掴み放り投げると、今度はヤンに覆いかぶさり、倒れ込んだヤンの首を両手で絞め上げる。


「シギ!どけ!俺が撃つ!」

「このまま…、絞め殺す!」


 ヤンは右足を曲げて蹴り上げるが、シギと呼ばれた男の巨体は簡単には動かない。


 短刀を持った小さいのも近づいてくる。ヤンの顔にいくつもの大きな汗の粒が浮かび上がり、紅潮し、目があらぬ方向を向き始める。


 クエッタは縛られた口で何かを叫び、女は眉間に皺を寄せ、黙ってじっと見ている。


 大事なのは遺跡で、口封じのため来たか。いや、ではなぜあの女は狙われない?

 二人の様子が目に入り、なぜか余計なことに頭が回った。

 

 それで冷静になれた。


 己の首を締め上げる太い手首をつかみ、それを振りほどこうと抵抗していたヤンの手が力なく、だらんと地に落ちた。


 シギはにやりと笑い、二人の兵士は武器を構えるのをやめ、指揮官は手を顎にあて、「ふむ」と頷いた。


 シギは目を見開いた。

 そして血を流した。


 兵士たちからはその様子が確認できなかった。


 シギの巨体から力が抜け、ヤンにもたれかかり、それをヤンが蹴とばしてからようやく異変に気付く。


 ヤンは右足首にもナイフを装備していた。

 シギを蹴るふりをしながら、地に落としたように見せた右手でそのナイフを抜き取った。


 薄く、短い。その峰を火打ち金として使うことのほうが多いくらいの小さなナイフだ。


 それでも油断したシギの喉元をかき切るには十分で、目を見開き、喉元を押さえ悶絶する大男と、その返り血を顔に浴び、それをぬぐいながら立ち上がるヤンの姿に兵士たちは身を引き締めた。


 その小さなナイフを足元に納め、振り払われたナイフを拾う。ヤンはシギのあばらに当たらぬよう慎重に、かつ素早く心臓を刺し、軽くひねってから抜いた。


 殺した。


 ノッポが再び弓矢を構え、小さいほうは短剣を構える。指揮官も剣を抜く。


 クエッタは声が出ない。猿ぐつわをしているからではない。

 女はただ無表情にそれを眺めている。


「撃っていいよ」

 

 指揮官の冷静で、大きくも小さくもない声で二本の矢が放たれた。


 同時に二本の矢を射ることはできない。

 ノッポの持つ弓はその背丈ほどある長弓だったが、恐ろしい速度で連続して放たれた。

 でたらめに撃ってもこんな速射はできない。しかもその矢は正確にヤンの胴体を狙って放たれた。


 その腕前にヤンは感嘆するも、まずは矢が放たれること、そしてこの男が腕利きであることを予期していたため、わざと隙を作りそこを狙わせ、紙一重に避けることができた。

 矢を見て避けたのではない。

 もしもヤンの予感が外れ、このノッポがあと少し下手くそだったら、その矢はヤンを貫いていたかもしれない。


 二本の矢が地面に刺さると、そのうちの近くの一本を素早く抜き取り女に駆け寄る。

「アマルナ様!弓を!」

「あ、はい」


 女は体に襷掛けしていた弓をヤンに渡す。

 

 三日月のように反ったその弓を素早く逆方向に反らせ、ポケットから出した弦をかける。

 急ぎすぎると弓が折れる。


 ちらりとノッポを見るとヤンを狙いながらも矢を放てずにいる。

 すぐそばにいる女に危害を加えたくないのは本当のようだ。

 

 まだわからない。騎士道精神のようなものかもしれない。


 ヤンはそれを利用し女の後ろに回り込み、その短弓にはいささか長すぎる矢を番える。


 女は自分の周りをくるくると動くヤンを「なに?なに?」と楽しそうに眺め、ノッポは女を盾にするヤンの卑怯な行いに顔を歪める。

 

 この状況でもヤンを射抜ける自信はあった。しかし万が一があってはいけない。

 指揮官を見ると、彼も右手を横に撃つなと合図している。


 腕の立つ弓使い同士の睨みあいとなる。

 正確には睨みあいを演出していた。お互いにだ。


 気配を消していた小柄な兵士がヤンの視界の外から回り込むように、背後から音もなく現れる。


 しかしヤンはそれに気づいており、後ろを向きその左肩を射抜く。

 小柄な兵は左手の短剣を落とし、倒れこむ。

 ヤンはすぐさまとどめを刺そうとナイフを構えるが、それを阻止する矢が放たれ、ヤンの眼前の地面に刺さる。

 手負いながらも小兵は素早く自陣に戻る。致命傷ではない。


 ノッポは自陣に戻ろうとする小兵を気遣った。そのため、その隙にヤンがナイフの投擲姿勢に入っていることに気づくのが遅れた。


 姿勢は低く、刃を指で挟み腕を上げ、不敵に笑うヤンに戦慄する。

 今から矢を番える暇はなく何とか躱そうと身構える。


 しかし、放たれたナイフは彼には向かわず、小兵の脇腹に刺さった。


「リアン!サキ!撤退!」

 目を見開いた指揮官が大声を上げる。


 茂みに隠していた盾を引きずり出し、それを持って前に出る。


 リアンと呼ばれた弓兵は眉間に皺を寄せ、口元をゆがめながら小兵のサキに駆け寄る。

 目を細め、呼吸が荒く、口元を覆う布は大量にかいた汗でじっとりと張り付いて唇の形がはっきりと浮かび上がっている。

 声を出さないようにしているが、声にならない唸りが漏れている。


 リアンがサキに肩を貸し、指揮官が盾を持ちその前に立つ頃、ヤンは先ほど放たれた矢を番えこちらを狙い続けていた。 

 その矢は威嚇のために放たれたりはしない。

 そしてその狙いは恐らく自分には向いていないことが、腕利きの弓使いであるリアンには理解できた。


「この状況で危険視すべきはサキよりお前だ。だがあいつは確実に戦力を削ぐほうを選んだ。シギを殺すのにもためらいが無いようだったな」

 二人を盾で守りながら指揮官は森へ入るよう促す。

 そして三人とも森に入り、素早く十分な距離、十分な遮蔽物を確認すると、盾を捨て、森の枝葉や蔦を剣で切りながら二人を先導した。


 リアンはサキの容態に気を取られながらも遠くのヤンを睨みつける。

 十分な距離があり、木々が生い茂っているにも関わらず、ヤンは相変わらず女の影からこちらを短弓で狙っている。

 その姿に苛立つ。


「あの女の子を助けましょう」

 クエッタのことだ。だがリアンはそんなこと考えていない。ただヤンを殺したい。そう思っている。


「ダメだ。自分ではわかんないだろうけどさ、お前すごい顔だぞ。頭に血が上った。いわゆる負ける奴の顔だ。あの子はどうなるかね。かわいそうだがあの子よりサキを連れ帰って治療する。お前と三人で戻って上に報告する。こっちが重要だ」

「サキがこんな目に!シギも死んだ!人質を残して逃げるなんて東方の恥と思わないんですか!」

 指揮官はため息をつく。


「彼のもとには矢が一本。離れたところにもう一本。我々の剣と短剣が一本ずつ。他にも何か持ってるかもね。お前の矢はあと…9本か。ただこっちは的も三つあるからね。最終的にはそうだなあ。お前と彼の一騎打ちになるかもね」

 指揮官は嫌味に笑う。


 指揮官の口調や態度は村で見せた、あるいはヤンに見せた厳格で冷静なものとは異なり、どこか砕けたものだった。


 リアンは指揮官を睨みながらも悔しそうに下を向く。

「ほら、ちゃんと抱えてあげなよ。苦しそうじゃない」


 リアンは指揮官に言われるまま、それまで肩を貸していたサキの小さな体を抱え上げる。

「おじさん何も手を引くなんて言ってないんだからさ。シギが死んだのは僕のせいだしね。侮ったんだ。君は復讐、僕は償い。だがそれは確実に行われなければならない。そうでしょ」

 リアンは泣きながら頷いた。

「泣いてくれてありがとね。仲間が死んで、傷ついて、それなのにこんなに落ち着いてる僕についてきてくれて」

 指揮官は微笑んだ。


「ヤン。ヤンかあ…。あだ名だとしても変な名前だなあ…」

 サキの脇腹に刺さったナイフはそのままにしている。

 治療の手がないここで抜くより、村に戻って水と火、布のある場所で抜いたほうがいいからだ。

 そのナイフの柄を見る。

「奇麗に彫り込んじゃってまあ。ブレードにもなんか刻んであるな。工芸品だなあ」

 その声はリアンの耳には入らなかった。


 リアンは唸り声を押し殺すサキの汗ばんだ顔を涙目で眺めながら、

「殺す、殺す」

と繰り返していた。



――――――――――――――――――――



 ヤンは矢を地に落とし、弦を弓から外し立ち上がった。


 顔や首にはまだシギの血がついており、それを袖で拭う。


 その眼は鋭く、クエッタの知るヤンではなかった。


 あっという間の出来事に理解が及ばぬクエッタだったが、ふと目を向けた先にシギの体が横たわり、その焦点の合わない目が自分のほうを向いていることを認め、背筋が凍り、そしてようやく事の顛末を、ヤンのやったことを理解した。


「強いんだね」

 女は薄笑いを浮かべヤンに話しかける。

「どう思う?最初からお前のことは殺すつもりだったのかな?だとしてもなんかこう、封印された女神を解放したとか言ってうまいことお前とクエッタ、いい暮らしなんかもできたんじゃないか?そういうの得意じゃないの?」


 ヤンの目は鋭いままだ。

「そうですね。ナイフをとられた。咄嗟だった。仕方ないが。畜生、ナイフをとられた」

 返事になっていない。

 息が荒く、視線もどこを向いているのかわからない。


 弦を外した弓を女に渡す。

 この行為、神に対してとすれば相当に失礼なものかもしれないが、女は「わあ」とご機嫌に受け取り、施された美しい細工を指で愛でた。


「クエッタ、村に帰りなさい。そのまま村に戻るんだ。僕とお前はこの洞窟でアマルナ様を見た。それを口止めして、兵隊に奪われないよう道案内をさせ、そして人質として利用した。いいね」

 クエッタに近づき、腕と口元のロープを小さなナイフで切りながらヤンは優しく語りかける。


 先ほど人の首を切ったナイフだ。


 元の優しい顔に戻るが、顔に、服に、おびただしい血が付着している。

 クエッタは首を横に振り、声にならない声を上げ抵抗するも、

「帰るんだ」

 戻ったのは一瞬だけだった。

 見開いたおぞましい目で強く言われ、クエッタは一度尻もちをつく。ヤンの顔を見つめながらあとずさり、立ち上がり、やがて森の中へと消えていった。


「今からでも遅くはないぞ。お前は熱心な私の信者で兵士の言葉を信じられなかった。わたしがサウラ・マデラさんに口利きをすればクエッタと幸せに暮らせる」

 クエッタの後ろ姿を眺めながら女はつぶやいた。


 ヤンはその言葉には特に返事をしない。耳に入っても脳に達していないのだ。

「サウラ・マデラ。本当にお知り合いなのですね」

「まあ、旧知の仲だよ。本当に旧知」


 女は笑う。


「わたしを助けるふりなんかして。お前は言ったね、わたしと出たいって。いい加減わたしをどうしたいか言ったらどうだ?」


 その言葉に、ヤンは跪き、頭を垂れる。


 夕日が落ち始め、赤みを帯びだした空が美しい銀髪に透けて見え、それがなんだか神々しく見える。

 

「私の名は、シャリヤ・クヴァータ・メヒカ。メヒクトラ王国の第二王子でございます」


 なるほど。と女は微笑む。

 顔を上げ、大きく目を見開くヤンに続けるよう顔を傾け促す。


「メヒクトラはマシュワルに滅ぼされた地。その王族として…。もはや私が何を考えているかお判りでしょう」

 険しい顔で語るヤン。


「もっとあるだろう」

 アマルナは顔を傾けたまま大きな目をさらに見開く。

 赤い空をバックに影を落とすその表情にヤンは畏怖する。そして確信する。


 険しい顔をより険しく、ヤンは語る。

「マシュワルに蹂躙された後、荒廃したわが祖国に現れたのは天高く剣を振りかざした女でした」


 アマルナは目を見開いたまま、口元に浮かべた笑みをなくす。


「女神サウラ・マデラ。疲弊した我が国を、民を、無慈悲にも焼き尽くしたあの女を。私は、殺したく思うのです」


 アマルナは呆然と、その焦点があっているのかわからない大きな目でヤンを眺めた。


 ヤンはその姿を見つめ、そして笑った。

 目を見開き、眉間に力を入れ、神に見せるにそぐわぬ狂った笑顔だった。



――――――――――――――――――――



 クエッタは森の中を走った。来た道をうまく戻れず、草木の生い茂るところを走っていた。

 上着をアマルナに渡したこともあり、森の枝葉で体中に傷を作りながら走った。


 どのくらい走っただろうか。

 クエッタは急に疲れを感じた。


 極度の興奮状態にあった。

 気がついた時にはもう走れないほど、歩けないほど、体力を消耗していた。


 少し歩いて、やがてその場にしゃがむ。


 地面に手をつき、大粒の涙をこぼした。


 不思議と鳥の声の無いいつもと違う森の中、しばらくすすり泣く。


 そしてその体力もなくなったころ、急に泣くのをやめ、空を見た。

 鬱蒼とした森の天井を、蛇が這うような赤い空がしっかりと見えていた。


 目に涙をためたまま、クエッタは自分の髪を撫でた。

 髪を撫で、指間でつかみ梳かすそぶりを見せた。


 長い前髪に分け目を作り、横髪を指にクルクルと巻き付け、しばらくそうしていた。


 そうして空を見上げた目の、その涙が乾くころ。

 髪で遊んでいた手がだらんと垂れたとき、言葉が漏れた。


「うそつき」

挿絵(By みてみん)

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