御前にて
洞窟の前にたどり着くと、ヤンは先頭に立ち、自分が折った石柱の隙間から洞窟へと入っていった。
道中考えていた。明かりをつけるかどうか。
火打石から直接コンパクトの撚り紐に火をつけることはできない。何かに火を点け、その火を紐に近づけなくてはならない。
明かりもすぐに灯るものでもない。油が温まる時間が必要だ。
いま、焦っているこの状況でそれをスムーズに行えるかどうか。
それよりも幸いにして平らに整地された歩きやすい洞窟。
思い切って飛び込んで少し早足に壁伝いに歩いたほうがいい。
クエッタの手を引き、人間よりも夜目の効くジンジを先に進ませ、ヤンは声を出した。
「人質だ」
「え」
突然ぽつりと発せられたその言葉に、クエッタは理解及ばず間抜けな声を出した。
「君だよ」
「え」
「僕はそうだな…。かつてサウラ・マデラと戦った強大な悪神の力に魅入られ、それを利用しようとしてるんだ。国を亡ぼすか新興宗教でも作るか。まあ、なんでもいいな」
「…すごい!王様になるんですね!それか司祭様!」
突然の出来事、ヤンの言葉、それに加え息の上がった状況で頭の回らないクエッタのリアクションは変。
「そう。だから僕は洞窟での出来事を口止めしたし、君を再び道案内に使った。君を縛って逃げるから、兵士たちには起こったことをすべて話していい。もし兵士どもが追い付いたら君の喉にナイフを当てる。わざと少し血が出るようにするけど我慢して。ちゃんと開放するから。村に戻るんだ」
「人質を…。ヤン様に脅されて言いなりになったってこと…」
「そうそう」
「ヤン様の…、言いなり…」
クエッタは真剣な顔で考えるべきことを考え、そうでもないことを妄想した。
「アマルナ様を助けた後はどうするのですか」
「逃げるさ。森の中なら潜伏もしやすい。何も平野で彼らと対峙するわけではない。僕は森の中で何日も暮らせるが、彼らは3日が限度だ。本部への報告もあるだろう」
「森の中なら私も得意です。お役に立てます」
クエッタはうつむいて、洞窟にも反響しないくらいの小声でそう言った。
ヤンは少し困った。
「あの村を出たことがない君にはわからないだろうが、あの村はかなりいい村だ。君の境遇であればもっとひどい扱いを受けることもあるだろう」
クエッタはうつむいて唇をかんだ。
「これは僕にとってかなりの賭けだ。当たればデカいが、外れれば破滅だ」
ヤンは笑って言う。
「賭け知ってます。犬とか鶏戦うやつ。私見てみたかったんです」
クエッタはわざとらしく明るく、食い下がる。
「ダメだ」
髪の分け目からうるんだ丸い目が覗く。
歪む視界にヤンの後ろ姿を捉えながらつぶやいた、
「髪、切ってくれるって、言ったじゃないですか…」
その言葉は、洞窟に反響する足音にかき消されヤンには届かなかった。
――――――――――――――――――――
ほどなくして、あの、青白い光が見え始める。
最初は暗闇に目が慣れ始めただけかとも思ったが、はっきりとジンジのシルエットや毛並みがわかり始め、後ろを向けばクエッタの波打つ髪の毛が視認できるようになる。
女は10日前と同じように祭壇中央に座っていた。
ヤンがその姿を視認するより先に向こうはこちらに気づいていたらしく、じっとこちらを真顔で見ていた。
ジンジがキャッと声を上げると、女の顔が少しほころんだのがわかった。
「どうした。もう来ないかと思った」
女は機嫌よく声を上げる。
「アマルナ様」
ヤンは祭壇の前に片膝をつき、
「ここを出ましょう。国軍の者がここを暴きにまいりました」
通った声で力強く言い放つ。
クエッタはヤンの後ろに棒立ちで、座るよう促しても微動だにせずうつむいている。
ジンジは何か言いながら女に駆け寄り、女もそれを受け入れご機嫌にジンジを撫でた。
「兵隊さん来るの?千年ずっと一人だったからなー。お前たちが来てから随分いろいろだなー」
女の態度にヤンはやきもきする。
「千年前、あなた様の知る最後の世界がどのようであったかは存じ上げません。ですが今、マシュワル帝国の国教マデラ教においてサウラ・マデラは絶対神。そしてそれ以外の神は邪教の神、悪神。アーマー・ルルナはその筆頭となっております。マシュワルは強大な軍事力を背景にその版図を広げ、マデラ文化は世界を覆い、サウラ・マデラ崇拝はもはや世界宗教と呼ぶべきものとなっております」
眉間にしわを寄せ、険しく話すヤンとは対照的に、アマルナはその話を「ふんふん」と興味深く、楽しげに聞いている。
「その中央、帝都サリ・マシュワルの意向にて、敬虔なマデラ教徒と思われる軍高官があなたを探しに来た。武装も堅く、ただの調査とも思えず、まして礼拝に来るようなこともありますまい」
力強くまっすぐに女を見つめる。
「何人きた?」
笑顔のまま女は尋ねる。
「10人です」
ヤンは顔を伏せ答える。
「10人やそこらで悪神の筆頭ってどうにかできるもんなの?それにそんな大物なんならわたしはここで堂々と構え彼らを待つべきなのでは?」
胡坐をかき、身をかがめ、頬杖を突く。口元を幼くとがらせ歪めて笑う。
見透かすように大きな目を細め、じっと自分の目を見つめている。
自分の話す内容よりもこの女、まずは自分自身を吟味している。それに気づく。
威圧感があり、ヤンの頬を脂汗が伝う。
「中央の意向と言ったな。暴くったってただの調査でしょ、こないだのお前みたいにさ。わたしをわたしと知って悪さしようなんて大帝国の態度じゃない。しかも10人やそこらで」
女は笑った。
その姿に、言葉に、ヤンの心は恐れと期待に膨らんだ。
軍がなぜこの祠に気づいたかはわからない。
ただ異変があるとの認識があるだけのようだった。
それこそ石柱が折れたことを異変と呼んでいるだけかもしれない。
だが大帝国がこの田舎の遺跡を把握し関心を寄せていることには違いない。
そしてそこにいるこの女の正体が何であれ、この姿、態度。やはり並みの者ではないことには違いない。
価値がある。
青白い光に包まれた姿を前に、ヤンはその威勢を崩すまいと気を張るがうまくいかない。
一方でどうしても口元には歪な笑みがこぼれてしまう。
「お前の口ぶり、あれだね。お前はサウラ・マデラさんを崇拝していない、少なくとも敬虔ではないね」
顎から汗の雫が落ちる。
「もっと言えば、マシュワルと言ったか、この国についても随分…。マシュワルの人間ではないような口ぶりだ」
クエッタはハッとしてヤンを見つめる。
顔を伏し、背筋に寒気を感じ続けるヤンだったが、目だけを女に向け睨みつけた。
「わたしはサウラ・マデラさんを恨んでないと言ったはずだが?」
「申し上げます。私は、アマルナ様、あなたとともに外に出たいと考えております」
クエッタが目を丸くする。こぶしを胸の前で握る。
女は目を細め、美しく微笑み、ジンジを撫でる。
「出ようと思えば出れるんだ」
ジンジも女を見つめキャッキャッと何かを言う。
「わたしだって感謝はしてるんだ。何せ千年だからね」
女は困った顔で頷く。
「それで、後ろの娘、クエッタはどうする」
力の抜けた、あきらめたような表情と口調で女は問いかける。
クエッタは神が自分の名を覚え、そして呼んだことに驚き、ここでようやくハッとして、片膝をついた。
ヤンは顔を伏せたまま、強く、強く眉をひそめ、怯えながらも力強く答える。
「この娘は私の野心ゆえに利用したまで。ここでのことも確かに口外させておりませぬ。国軍がこのタイミングで現れたのは、サウラ・マデラの神眼か、あるいは偶然と思うしかありません」
クエッタはキョトンとする。
女も一瞬キョトンとしたが、ヤンの勘違いに気づき、
「違う違う!そういうことを聞いてるんじゃない!言葉通りに受け取って!」
慌ててそう言った。
ヤンは安心し答える。
「村に返します」
クエッタは黙っている。
女はため息をつき、
「ヤン、私は名乗ることのどこが無礼かと言ったがな。あれだぞ、おまえの偽りある態度は神に対してかなり無礼だぞ」
眉間にしわを寄せ、顔を傾け首を伸ばしヤンを見つめる。
「え」
クエッタは顔を上げ、ヤンと女を交互に見た。
「不敬どころではございません。何せわたくし、神を騙るキ印の類かとすら考えておりました」
まだ思ってます。
「お前はあれだな、口が上手いのか下手なのかわからんな」
女はため息交じりに笑った。
クエッタはヤンの態度に焦り、その様子を見た。
身をかがめた後ろ姿でよくわからなかったが、汗をかき、体の上下が良くわかるほど息荒く、相当に神経をすり減らしているように見えた。
ただ、口元には笑みがあった。歪な笑みで、それがクエッタを余計に不安にさせた。