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シャリヤのうそつき  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
ヤンの本当
3/10

 祠の女

「祠?この中に祠があるのか?」

 ヤンの問いかけにクエッタは首を傾げた。

「行ってはいけないと言われているので、だいたいの場所を知っているだけで誰も詳しいことは知らないんです。私も来るのは、はじめてで」

 クエッタは申し訳なさそうに答え、お茶を飲んだ。


 洞窟のそばには水が染み出し、さらさらと小さな沢となっている。

ヤンは持っていた携帯用の鍋で水を汲み、茶を沸かした。

 小さな木製のカップで最初の一杯をヤンが飲み干し、二杯目を注ぐとクエッタに渡した。クエッタは照れながら飲んだ。


 ヤンは慎重に石柱に触れ、観察した。

 長年ここに立っていたことがわかる。苔むし、風化し、表面を指先でなぞるとざらざらとした。


 それでもそれは奇麗に切りそろえられた六角柱で、もとは光を反射するほどに磨かれたものであろうことが想像できた。


 ちょっと見てくる。

 それが村人と交わした約束だったが、洞窟の奥まで見てくるとなるとかなり面倒くさい。正直怖い。


 クエッタの視線が背中を刺す。

 案内。すなわち監視のことだ。自分がちゃんと洞窟の中まで入ったか後で確認するのだろう。


 しかし案内を任せられたのがこの少女であったことが光明となる。この子はきっと自分の言うことなら信じる。それに村人も詳しいことは知らないという。

 ヤンはニヤリとする。


「これ、あれだな…。こういうの見たことあるな…」

 ヤンは顎に手を当て神妙な面持ちで語る。

「見たことあるんですか!」

 驚くクエッタに合わせ、その横でジンジもキャッキャッと声を上げる。

 よしよし。と、ヤンはほくそ笑む。


「東の国の古い信仰でね、洞窟そのものを神とみなすんだ」

 ヤンはちらりとクエッタを見る。

「洞窟を?どうして洞窟なんかが神様なんです?」

 ここで「物知りなんですね!」と返事があるのが一番いいのだが、さすがにそうはいかないようだ。

 もう少し練ってから話せばいいものの、クエッタを甘く見すぎたヤンは少し焦る。しかしそれを顔に出さないようにしながら、「ふむ」「いい質問だね」などと時間稼ぎをしつつ次の言葉を探す。


「洞窟を誕生や再生の象徴とする信仰がかつてあったんだ。いやあ、珍しい。こんなところにあるなんて」

 そんなものない。でっち上げだ。

 ヤンはクエッタをちらりと見る。

「洞窟がどうして誕生や再生の象徴になるんです?」

 クエッタは「物知りなんですね!」と言ってくれない。そんなにうまくいくかよ。


 ヤンは眉間にしわを寄せながらも笑顔を作り「そう、そこなんだよ」と偉そうに人差し指を立てる。

「つまり地母神ってやつさ。女性の象徴というかね、クエッタにはまだはやいかな」

 なんか無理やりありもしない信仰をでっち上げ、ありもしない理由を考えていたら下世話な感じになってしまった。

 平静を装っているようでしどろもどろになっている。ヤンの口調もなんだかいい感じに気持ち悪い。


 クエッタは丸い目をのぞかせ、ほほを赤らめ、うつむいてもじもじした後、

「物知りなんですね…」

そう、つぶやいた。


 ヤンの理想としたセリフが返ってきた。しかし想像していたリアクションとは違い、幼い子になんて顔させてるんだと、自己嫌悪に陥る。


「ああ、そうね。だからこれはね、この洞窟というか、石柱も含めこの空間そのものが神聖な神様の御座す信仰の場所。それがいつしか祠なんて呼ばれるようになったんだろうね」

 少し疲れたような口調のヤンを上目遣いに見つめ、クエッタは頬を赤らめたまま微笑む。

 そんな顔しないでくれよと心の中で泣く。


「でもなんでその地母神様が悪神と呼ばれてるんです?普通にあがめればいいのに」

 もじもじしながら、ジンジをなでなでしながら、少女は尋ねる。

「神様同士の喧嘩ってのがあるからね。ようは昔この辺りに住んでいた人たちの信仰を、後から来た人たちが蔑んだ結果じゃないかな」

 自己嫌悪に陥りながらも、この質問にはすんなり答えることができた。

 ちょっとした神話の知識、戦争の歴史を知っていれば出てくる答えだった。

 

 理想通りとはいかなかったものの、これで村からの依頼は完遂したこととなった。

 誰も祠について詳しくは知らない。とはいえクエッタとは違い大人への説明はもう少し必要となる。帰り道に先ほどの話にいろいろ肉付けしておこう。そして早々にこの村を立ち去ろう。

 ヤンはニヤリと笑い、微笑みかけられたと勘違いしたクエッタは照れてうつむいた。


「だから祠には異常なし!石柱の苔でも落として帰ろうか!」

 ヤンは無理やり朗らかな声を作り、石柱の一つをパンパン叩く。

 石柱はぐらりと動き、折れて倒れた。



――――――――――――――――――――



「異常ありですね」

 立ち上がって手を口元に当てるクエッタ。

 ジンジはキャッキャッと声を上げる。警戒しているようにも嘲笑っているようにも聞こえる。


 ヤンはクエッタに笑顔を見せるも、全身から汗が吹き出すのがわかった。

「あれだね、もともと柱の根元にひびがあったみたいだね」

 ヤンの声は上ずっている。

「柱も含めて、この空間が神様のいる場所…なんですよね」

 クエッタの上目遣いにヤンは焦る。

「まあ、さっきのは言葉のあや?みたいなものでさ。神聖な場所?なわけじゃん?だから人が近づけないようにバリケード?結界のようなものが必要なわけ。それがこの石柱ってわけ」

「えでもさっき」

「あくまで本当に神聖なのは洞窟のほうさ!ただそこに近づくものを拒むこの石柱もいつしか神聖視されるようになった歴史がきっとあるって話をしただけ!」

「じゃあ洞窟の中を見ないといけないってこと…」

「石柱が問題ない限り洞窟を見る必要はないが石柱の破損を偶然発見した以上洞窟の中も見てくる必要があるね!」

 ヤンの早口にクエッタは圧倒された。


「物知りなんですね」

 なんだか憐憫の目を向けられたように感じた。

「そうですね」

 歪んだ口元、歪な笑顔でヤンはつつましく答えた。

 じっと洞窟を眺め考えを巡らせる。


「中を見てくるから、そこで待ってなさい」

「わたしも…」

「いや、君は待ってなさい。悪神だとかそんなものは関係なく、洞窟の中は危ないから。蛇や、時に虎なんかが潜んでいる場合もある。そこでジンジを見ていてくれ」

 クエッタの身を案じたのではない。洞窟の奥まで、本当に祠の様子を見に行かずに済むようにヤンは彼女を制止した。


 ポケットから小さなコンパクトを取り出す。

 外観は革が巻かれた小物入れだが、ふたを開けると中身は銅製であることがわかる。二重構造で中蓋と外蓋は鏡のようにピカピカに磨かれ光を反射している。

 中蓋からは焦げた撚り紐がわずかに顔をのぞかせており、中蓋の下には油が入っている。

 先ほどお茶を沸かした焚き木を拾い上げ、撚り紐の先端に近づける。しばらくすると撚り紐の先に明かりが灯り、ヤンはそれをもって洞窟の中へと入っていった。


 太陽のもとではわからなかったが、洞窟に入るとその明りは指向性を持ち、弱い光ではあるものの前を照らしていた。少し傾けて持つのもコツなのだろう。


 ヤンが後ろを振り向くと石柱の間から顔をのぞかせるクエッタとジンジが見えた。

 もう少し歩いたら明かりを消して数分待とう。

 そして何食わぬ顔で戻って「何も問題なかった」と言えばいい。

 真っ暗な洞窟の中に一人でいるのは怖いが仕方がない。

 あとは適当に中の様子をでっち上げればよいのだ。


 そろそろ明かりを消そうかと思う頃、ヤンはその洞窟の異質さに気づく。

 蛇や蝙蝠、毒虫なんかを覚悟していたのだが全くその姿はない。偶然運が良かったなどではなく元からいないようで、糞のにおいや腐敗臭がしない。洞窟の端をさらさらと流れる水はとても奇麗で、どこからか染み出し、どこかへと消えていく。

 

 そして異様に歩きやすいかと思えば、その足元は奇麗に整地されている。正確には古い石畳の上に厚く土埃が溜まった状態で、ところどころ奇麗に面取りをされた石材が見えている。


 暗闇で過ごす時間が少し楽になるな、そんなことを考えた。

 田舎者の迷信と鼻で笑い、適当に作り話をした。そして今まさにさらにでっち上げようとしている。しかしここは思いのほか馬鹿にできない場所のようだと、ヤンの表情にも緊張感が現れる。

 洞窟の中はひんやりとしていたが、背筋に寒さを感じるのは別の理由があるように思えた。

 

 この場所の正体に考えを巡らせ、注意力が途切れていた。

 近づく足音に気づくのが遅れた。

「キャッキャッ」

「まってー!」

 四本足で素早く駆けるサルとそれを追いかける少女がヤンを追い越していった。

「ちょっ」

「ごめんなさい!ジンジちゃん急に走り出しちゃって!」

 慌ててジンジとクエッタを追いかける。


 全速力のジンジは当然のことながら、日頃肉体労働をしているクエッタもその丸っこい見た目とは裏腹に素早い。

 手元の明かりを気にしながら走るヤンは容易に二人に追いつくことはできず、ようやくクエッタに追いつくもそれを止めることはできなかった。

「来るなって言ったろ!」

 大声が洞窟に反響する。


 足元は整地され、蛇や毒虫もいない。本来洞窟にあるであろう危険は少ないかのもしれない。それでも暗い洞窟の奥へ、まして幼い子が走っていくのは危険なことだ。

 

 この際明かりは消えても大丈夫だろう。幸いにして歩きやすく、一本道のこの洞窟ならば時間をかければ戻ることも容易なはずだ。

 ようやくその考えに至ったヤンは明かりが消えるのを気にせず勢いよくクエッタの腕をつかみ、二人は倒れこんだ。


 ヤンはクエッタを抱きかかえ、彼女がけがをしないよう背中から倒れこんだ。


 整地された不思議な環境が幸いし、ヤンはわずかな擦り傷で済んだ。

 カン、カンと音を響かせコンパクトが落ちる。


 抱きかかえられたクエッタはドキドキしていた。しばらくそのままでいたいとも思ったが、慌ててヤンの腕を振りほどき、

「ごめんなさい!ヤン様!けがはないですか!わたしがちゃんとジンジちゃんを見てないから!」

大声を上げながらここぞとばかりにペタペタとヤンの顔を触った。

「大丈夫大丈夫。君こそけがはないかい。ジンジは普段はいい子なんだけどね。俺のことを心配したのかな?」

 ゆっくりと体を起こしながらヤンはクエッタの頬をさすった。


 クエッタの目が見えた。

 まん丸の目が細くなりきらきらと輝く。微笑み。とは違う、まさかこんな子がとは思うが、ヤンにはそれが上気したような顔に見えた。


 すこし、しまったと思う。


「ヤン様って、やめない?」

 勘違いならよいが、こんな幼い少女にこんな表情をさせては、こんな感情を抱かせてはいけないと思い、わざと間抜けな顔と声を作った。


「あ、嫌ですか。ごめんなさい。わたし…」

 ヤンの試みはうまくいき、クエッタは元のあどけない表情に戻った。


「なんで顔が見えるんだ」

 ふと、我に返ったヤンは気づく。

 洞窟の奥まで来てクエッタの表情がわかり、クエッタにも自分の顔が見えているようだ。

 幸いなことに先ほど落としたコンパクトの明かりは消えずにいてくれたらしい。

 これでジンジを探して安全に戻れると思い、落ちているコンパクトを拾う。

 

 火がついていない。

 それなのにあたりの景色。どころかコンパクトの外観、最も暗く影を落とすはずの革の模様まで見えている。


 そもそもコンパクトの明かりで照らされる景色は赤く色づくはずだ。それなのに今、あたりは青白くその姿を浮かび上がらせている。


「これが祠かよ」


 そこは洞窟の終着点だった。

 そこはとても広かった。

 最奥の壁は平らに面取りされ、そこに緻密な細工で神殿の彫刻がなされている。

 その手前には階段状の祭壇があり、ジンジはその中央で女の腕の中に抱かれていた。



――――――――――――――――――――



 祠などというレベルではない。


 祭壇の両端には先端のとがった六角柱が立っている。洞窟の外にあったものと同じ形状だが、それとは違いヤンの背丈の何倍もの高さがある。

 そしてその二本に挟まれるように岩肌には岩窟神殿とでも呼ぶべき景色が広がっている。


 実際にはその神殿の中に入ることはできず、入り口は子供がしゃがんで入れる程度の大きさで、奥行きはなく「内部」というものはない。

 浮彫で神殿の正面が描かれた、巨大なレリーフだった。


 しかしそこに細かく刻まれた細工は見事だ。

 神殿の正面は四本の円柱で支えられているらしく、柱で切り取られた左壁には王冠を被る人魚のような姿、右側には花冠を被り木の枝を持つ少女のレリーフがそれぞれ写実的に彫り込まれている。

 そして中央の壁、神殿入り口の上には剣を掲げる女神が美しく彫り込まれている。

 四本の柱の上、屋根との間、破風にあたる部分には巨大な鷲を中心に、英雄と思われる人物が数名彫り込まれている。


 祭壇は大理石に見える。広く面取りされたステージだ。

 異質なのはその輝き。青白く輝いているのはこの祭壇だった。

「どうして光ってるんだ」

 気にすることは他にいくつもあった。

 しかしその圧巻の景色に呑まれ、ヤンの口から最初に出た言葉はそれだった。


「あんまり真っ暗なのは嫌だから、だからこうしてもらってるの」

 輝く祭壇の中央でジンジを抱く女がのんびりとした口調で答えた。

 

 女は異様な姿だった。


 腰にスカートをまいただけで、それ以外には何も身に着けておらず、ジンジを抱く胸元を隠そうともしない。

 青白い光のせいでよくわからないが、髪の色はヤンやクエッタのように黒くなく、白髪か銀髪のように見える。肌の色も二人より白く見える。

 小柄で、大きな目をしているが、不思議と幼さを感じない美しさと不気味さを併せ持った姿。


 長旅の中、異民族との出会いも度々あったヤンだったが、そういった者たちの身体的特徴の差とは違う、根本の異質さを感じていた。


 こんな洞窟の奥にたまたま人がいる。なんてことも絶対にありえないとは言い切れない。それが若い女であるということもないとは言えないのだが、それでもやはり異様な光景だ。


 眉唾物と思っていたが、まさか本当に神が祀られている。どころか神がいたということか。いや。

 

 ヤンは女にばれないように笑った。

 

 現実的な線で考えれば別の村から巫女でもやってきたか。熱心な信仰を持つシャーマンははた目にも人間離れした雰囲気を持つというのはままあることだ。

 

 空間の広さ、見事に彫り込まれた神殿の細部、光る祭壇、ジンジ、ジンジを抱く女の顔、女の胸。

 いろいろなものに気を取られ、ヤンの背に隠れ腕にしがみつき震えるクエッタに気づくのにしばらく時間がかかった。


 ヤンは女の姿に違和感や不気味さ、一方で人間離れした美術品のような美しさを感じていたが、クエッタはそうではないようだ。

 「わたし、祠、来ちゃいました。だから、掟を破ったから、見ちゃいけないもの、見えてるのかも」

 死神とか悪霊とか、そういうものが見えていると解釈し怯えているらしい。


「大丈夫、俺にも見えてるよ。それにジンジが平気でいるからそう心配しなくてもいいよ」

 クエッタを落ち着かせようと優しい口調で語りかけ、自分にも言い聞かせる。


「ここに来たらどうなるの?見ちゃだめってわたしのこと?」

 ジンジを撫でていた女は、そんな二人の感情など知ろうはずもなく、明るい口調で話しかけてきた。


 冷や汗を垂らしながらも、

「この子の村ではここに近づいてはいけないという掟があります。この子はそれを破ったために、自分に何か災いが降りかかるのではないかと恐れております」

ヤンはできるだけ明るく、丁寧に、女を嫌な気分にさせまいと話しかける。

 女は真面目に聞いているのか、ふうんと鼻を鳴らして、

「そうか、それで誰も来ないんだ。別にそんなのないよ」

あっけらかんと答えた。

「聞いたかいクエッタ。気にしなくていいそうだよ」

「でもお」

 クエッタは涙目だ。ずっと言い聞かされてきた掟だ。そう簡単に信じられる状況ではない。


「その子はあれだな、床が光ってるのが怖いんだな。わたしもホントは天井が光ったほうがいいと思うんだけど」

 女は手を叩いて笑う。

「わかります。私も光るなら天井がいい。床は光るべきじゃない」

 そうじゃないんだけどね。

 ヤンは女に合わせた。

「ね、普通そうでしょ?」

 何が普通か。


「でも床でも光らないよりはましです。真っ暗なのはあんまりだ。真っ暗なところに人は行くべきじゃないし、行くことはできない。だからここは少なくとも人の来ることのできる場所で、来てもいい場所なんだ」

 ヤンは優しくクエッタを見つめる。

 クエッタは涙を拭いて頷いた。

 ヤンの言っていることはよくわからなかったが、優しく見つめられたら、そんな顔をされたらもう頷くしかなかった。


「でもあれだな、来ちゃいけないって言われてるのに来ちゃうのはあれだな、いけない子たちだな。男女でこう、二人きりになれる場所を探したとか、そういうあれか」

 女はニヤニヤしながら下世話な問いを投げかける。

 なぜかジンジもからかうような目でこちらを見ている。

 ヤンは目を細めあきれ顔をするが、クエッタは唇をきゅっと噛みしめ頬を赤らめ下を向く。この子も結構あれだな。


 ヤンは態度を改め背筋を伸ばし片膝をつく。

「私は、この子の村に頼まれてやってまいりました旅の者です。あなたはこの…この、祠?神殿?の関係者とお見受けしますが違いないでしょうか」

 ヤンが頭を下げると、

「あ、はい。たぶん。千年ほどおります」

と女も恐縮してジンジを傍らに降ろし、ぺたんと座る太ももの上に手を置いた。


 千年。

 ヤンはそれを鼻で笑いそうになるが、押しとどめる。


 光る祭壇に立派な岩窟神殿。神秘的な状況だ。

 ヤンの予想通り巫女であったとしても相当な驚きなのだが、こいつはまるで自分が神であるかのように言っている。

 それとも神を降ろした状態というやつだろうか。

 

 神を騙っていたとしても、異様なシャーマンであったとしても、どちらにせよやばい相手だ。慎重に対応しなければならない。

 女が神を名乗る以上、神と対峙しているつもりで、女の話に合わせてやろう。


 ヤンは語りかける。

「実は昨今天候は荒れ、災害も多く、多くの人々が作物の育たぬ状況に困窮しております。ここに祀らるるは古い神と聞きまして、何かお言葉を授かれないかと参った次第にございます」


 恭しく言葉を選ぶヤンに対し、女はまたもふうん、と鼻を鳴らした。

「あーあれかな、それとも逆かな?そっちの娘、村でわたしはどう伝えられてるんだ」

「あ、悪神、と…」


 ヤンが言葉を選んだのが台無しとなる。

 ヤンの頬を汗が伝う。

 騙っていたとして、本物のシャーマンだったとして、「悪神」とは彼女の耳に入れるべきではない言葉だと思った。


「あー、はいはいそっちね」

 ヤンの心配をよそに女は呑気だ。

「こういうのはほら、悪神の御機嫌取りか地母神へのお願いかどっちかでしょ?いや、どっちでもいいんだけどさー、千年で外がどうなったか気になっちゃって」

「地母神…」

 女の言葉にクエッタが反応する。


「わたしもともと地母神だったからね。そっかー、千年のうちに悪神になったかー。あれかな?民族の大移動とかあった?」

 ヤンは目を丸くし、クエッタは手を合わせ口元を緩ませる。

「すごい!本当にヤン様の言った通り!」

 大声を出さぬよう喜ぶクエッタに「まあね」と情けない笑顔を向けてやるヤン。


「どうも、悪神です。よろしくお願いします。なんて呼ばれてるかわかる?」

 頭を下げたかと思うと、女はいたずらっぽい笑みを見せた。


「えっと、一番有名な悪神は…、女神サウラ・マデラが世の平和のため退治したとされる悪神アマルナとか…」

 クエッタの言葉に「ほうほう」と女は目を輝かせた。

「…正確にはアーマー・ルルナと呼ばれ、西方のルルニエル、北方の泉の女神と同一とされ、この国ではともに悪神と呼び、邪教のように見なされておりますが…」

 ヤンとクエッタはおずおずと答えたが、二人の言葉に女はふんふんと鼻を鳴らし楽しそうだ。


「ルルニエル…。あぁー、それっぽいね。では改めまして、どうも悪神アマルナです。よろしくお願いします」

 女は笑っている。


 千年外を知らないから自分の呼び名も知らない。設定細かいなとヤンは感心する。


 いや、それよりも女の口から出た言葉は見過ごせない。

 マシュワル、この国の国教であるマデラ教の最高神サウラ・マデラ。よりにもよってそれと対峙したという悪神を女は名乗ったのだ。


 その名を騙るのは何のためか、邪教の巫女か。どのみち相当の気狂いだ。慎重に対応し、ここを早く出なければならないと考える。


 国教の女神サウラ・マデラ。その信仰は国力が増すとともに周辺国へも広がっている。

 その女神に封じられた悪神。かつて本当に地母神だったとしても、その狂信者とは関りを持つべきではない。


 ただ、もし本物ならば…。

 今もしも自分が対峙しているのがかつて国の最高神と戦った神であるならば。その先の展開をヤンは夢想した。

 そして自分を嘲笑った。


 そんなヤンの姿に女は一瞬眉間にしわを寄せたように見え、それに気づいたヤンは背筋が凍る思いがしたが、

「アマルナ…、アマルナ…。…うん!いいね!」

女は何かに納得しだけのようだった。


「それで?悪神の私はその悪天候の呪いを解けばいいの?それとも地母神たる私が大地の力を呼び覚ますとか?」

 女は両足を投げやり後ろ手をついて笑いながら問いかける。

 おっぱいが目立つ。


「いえ、私は様子を見て来いと言われただけなので」

 ヤンは恐る恐る口にし、女の様子をうかがう。

「え、それだけ?」

 女は口をポカンと開ける。

「はい。こうして御目通りできただけでも光栄なのですが、もし、何かできるのであれば…」

 かしこまって頭を下げ、女の顔色をうかがう。


「それね、私のせいじゃないよ。それに私の力じゃ何にもできないから」

 女はへらへらしながらもぶっきらぼうに言い放った。

「と、言いますと」

 ヤンは笑顔を見せながらも怪訝に問いかける。

「気候なんてね、ちょいちょい崩れるもんなんだよ。普通のことなの。それに加えて少し前に灰が降ったはず。遠くで大きな噴火があったんだ。それが尾を引いてるんだね」


 灰が降ったのは事実だった。しかしそはヤンが幼い頃の話だし、それが気候に、それも現在も影響を及ぼし続けているとは思えない。

 そもそもなぜ千年この祠にいて外の様子を知っているのか。それこそ神の力によるものか。


 適当を言っている。こいつは俺と同類だ。

 そんな考えが頭に浮かび苛立ちつつもホッとする。それが一瞬に顔に出たため、ヤンは慌てて神妙な顔を作る。


「しかし地母神、女神様であればなんとかできるのでは?」

「いや、女神とか地母神とか悪神とか、全部自分で名乗ったわけじゃないからね。それに神様なんて基本ただいるだけだよ」

 バツの悪い顔を女は見せる。


 神を騙りながら何もできないでは詰めが甘い。言い訳にしてももう少しうまいやり方があるはずだ。

 ヤンの知る女神像とはまるで違いすぎる。ボロが出たなと思う。

 ヤンは「そうですか…」とわざとらしく肩を落としてみせた。


 いやいや引き受けた調査だった。

 結果目にしたものは想像をはるかに超える遺跡であり、その中にいた女は悪神を騙る異常者だった。

 ヤンは怯えながらもこの状況を少し楽しむことができた。

 最終的にお粗末な設定を語られるのみだったが、まあ、それでも貴重な体験ができたかと考えた。


「この度は女神さまの静謐を破りましたこと深くお詫びいたします。そして拝顔の栄に浴するというこの身に余る光栄を賜りましたことに深く感謝いたします」

 ヤンは深く、深く、頭を下げた。

 立ち上がりクエッタの手を取り、彼女にも立ち上がるよう促した。


「もう行くのか」

 女は傍らで丸くなるジンジを撫で、ぽつりと呟いた。


 その顔は普通の人のものとは違い、表情の読み取りにくいものだった。それでもヤンには陰りのようなものが見て取れた。


「女神さまはここに祀られ、先ほど仰られた「ただある」という我々には遠く考えの及ばない聖なる時間を過ごされていた。これ以上それを汚すことはできません」

 顔に力を入れ、神妙な表情を作り、しかしどこか皮肉っぽく、その顔を女に向ける。


「それはそうなんだが、その」

 傍らのジンジがキャッキャッと何かを言っている。

「千年…。ここにいたんだ。さすがに退屈なんだ」

 サルを見つめながら女はつぶやく。


 演技には見えず、ヤンはすこし、後ろ髪を引かれる。

 心情面の作り込みはすごい。

 真の狂信者であれば思い込みから、つまり彼女にとってそれは真実なのだろう。


「ここに千年…。アマルナ様は、なぜ、ここにおられるんですか」

 クエッタは見えない眉を下げ問いかける。

 クエッタは信じてるみたいだね。

「お前の言ったとおりだよ。サウラ・マデラさんに負けちゃったんだ。それで、ここから出られなくなった」


 クエッタは悲しい瞳で女を見つめる。

 同情を向けている。それは神に対してであれば無礼に当たるのではないかとヤンは思った。


「…出たいですか」

 クエッタが優しく問いかける。

「わからない」


 ヤンはさっさとここを出たい。


「アマルナ様、我々にはあなた様とサウラ・マデラ様の間に起こったこと、はかり知ることができません。神話にはわがままばかりで働かないアーマー・ルルナをサウラ・マデラが成敗したとあります。おそらく人の浅知恵によって語り継がれたものなのでしょう。ただ、神々の取り決めに深くかかわることが、私はとても恐ろしい」

 ヤンは眉を下げ、身振り手振りを加え、芝居がかった口調で大げさに言った。


 女はヤンを見つめ頷いた。

「そうか。そうだよな」

 すまなかったな。と頭を下げ微笑んだ。


 ヤンは上手にこの場から離れるチャンスを作ることができた。

 クエッタの手を強く握りしめ、強く引っ張った。

 クエッタがどんな反応をしたかなんて気づかなかった。


 ヤンは頭を下げ、女に背を向けた。

 女は寂しそうに、しかしながら満足そうに手を振った。


 早くこの場を離れようとヤンは歩きだした。

 しかし数歩歩き、足が止まった。

 先ほど一瞬の浅い考えが再びわずかに頭をよぎる。

 

 サウラ・マデラと戦った女神。

 を、騙る女…。

 だが万が一。

 それがもし、本当に、本当なら。

 

 ふつふつと心の中に何かが込み上げる。


「サウラ・マデラを恨んでおいでですか」


 立ち去るものとばかり思っていた者が再び声をかけてきたこと、そしてその内容に女は「え」と口を開け間抜けな顔をした。


「いや、どうかな。それは、ないかな」


「そうですか」


 ヤンは少し笑ったように見えた。


「ヤンと申します。この子はクエッタ。そちらのサルはジンジ。我々の名など覚えるに値しないかもしれませんが、身勝手に名乗る無礼をお許しください」

 ヤンは再び向き直り、頭を下げた。

 

 女は笑った。

「名乗ることがどうして無礼なものか。正直、人の名なんて覚えられないんだが、そうか、百年くらいは忘れないと思う。そうか、お前はジンジって言うのか。サルは好きなんだ」


 女はジンジを撫で、抱きかかえ、ヤンのほうに差し出した。

 ジンジはキャッキャッと何事か言うと、ヤンに向かって走り、ヤンをよじ登り肩に留まった。


 ヤンはクエッタの手を引き洞窟の外に向かった。


 青白い光はやがてなくなり、暗闇の中を歩くこととなった。

 洞窟に入った時よりも目が慣れていた。

 そして蛇も虫も這わない洞窟の側面を安心して触れながら歩いたため、時間はかかったが問題なく外に出ることができた。


 外はまぶしかった。

 洞窟での滞在時間は短いものだった。

 会話もそんなに多くはない。

 

 しかしヤンはずいぶんと長い時間そこにいたような気がした。

 緊張が解けるとどっと疲れが自覚され、深くため息をつき猫背になった。


 強く手を握ったままのヤンをクエッタは見つめた。

 何か言おうとするが何も出てこなかった。

 ヤンも何も言わなかった。


 鬱蒼とした森の中を日暮れまでには村に帰りたく、二人は黙々と無言で歩いた。

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