ヤンのお使い
「どうして俺がこんなこと…」
ヤンは唇を尖らせ恨めしく言い放った。
森の中を先導する少女はその独り言に気づき、ちらりとヤンの顔色をうかがった。
「すみません…。もうすぐ着きますんで」
ヤンは慌てて首を横に振る。
「君のせいじゃないよ。君に文句を言ったんじゃないんだ。ゆっくりでいいから」
申し訳なさそうに少女は頷き、前を見た。
ヤンは独り言を悔いると同時に、今朝の出来事、もう少しうまくやれなかったかと考えていた。
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「いやあ、こんなことあんたにしか頼めんのだわ。ここはめったに他所の人は来ないからな」
森を切り開いて作られたであろう村の中、年老いた村人は申し訳なさそうに、それでいて茶化すかのように言った。
「昨今の不作も重税も、いや、重税は関係ないんじゃが、どうも西の祠が関係してるんじゃないかと思ってな。あすこには悪神が祀られていて、何か気に障ることがあったのかもしれん。何人も近づいてはならんとされてるんじゃが、どうしても確かめたくての。村人は怖がって行きたがらんから、あんたに何か問題でも起こっていないか調べてきてほしいんじゃ」
情に訴えようと、老人は可愛くない上目遣いで卑屈な笑いをヤンに見せる。
ヤンは眉間にしわを寄せる。
時折聞こえる美しい鳥の声のなか、老人の声は妙にいやらしく聞こえた。
「お気の毒とは思いますが、俺はちゃんと宿代を払った客ですし、何人も近づいちゃならんところに近づきたくはないですね」
ヤンの肩の上では愛猿のジンジが歯茎を見せる。威嚇しているのだろうか。
「金なら返す。あんたももう十年以上天気がおかしいことは知っとるじゃろう。今年は雨が降らないし、去年と一昨年は降りすぎた」
年人は懇願する。
が、ヤンは心底面倒くさそうに、
「それはこの村だけの問題じゃないでしょう。国全体の問題だ。仮にその祠に悪神とやらがいたとして、こんな田舎の神が国全体に影響を及ぼすなんてありえないでしょう。地方官に減税の打診でもしたほうがよっぽど建設的かと思いますが」
小ばかにしたように言い放つ。
ジンジが歯茎を見せる。
老人は恨めしそうにヤンを見つめる。
おそらくは村長か、村の代表格なのだろう。村の危機に迷信を気にするしかできない彼らを、ヤンは憐れに思った。
これ以上彼らの話を聞く必要はないし、このまま立ち去ってもいい。ヤンは悪くない。
しかしヤンはこの、いい大人のじっとりとした上目遣いに何か言い返してやりたく思い、
「それにここは娯楽も少ないんでしょう。昨日は子供達に少しばかり芸を見せ、楽しませたんだ。それなのに悪神のもとに行けなんてひどいとは思いませんか」
いかにその振る舞いが無礼であるかをわからせようと考えた。
これが余計な一言となった。
「あの猿回しか、子供たちは可愛いと喜んでおったな」
老人は頷きつつも、
「しかしあんたのあの、変な歩き方。前に歩いているようで後ろに進むやつ。あれは気味悪がられていたではないか」
そう言ってじろりと上目遣いに見つめてくる。
裏目に出る。
ヤンの考えた不思議な歩き方、ダンスのようなものだ。ヤン、渾身の芸だった。
「川底歩きですね。ちょっとこの…、田舎の人には早かったかもしれませんね…」
ヤンはバツの悪い顔を見せ、肩の上でジンジが頭を抱えている。
「な、お願いだ。見てくるだけでいいんじゃ」
老人のすがるような目に、
「まあ、見てくるだけなら…」
ヤンは思わず頷いた。
ヤンにそんなことする義理はない。
ちょっと芸が不評を買ったからと言いなりになることはない。
しかし老人はそれまで強気だった若者のふいに見せた弱みを逃さず、そのタイミングで「調べてくる」を「見てくる」と言い換えることで、その実何も変わっていないにもかかわらず譲歩しているように見せたのだった。
しまったなあ。と思うと同時にこのまま逃げてもいいなと考える。
宿泊している家に荷物を取りに行き、怪しまれないようにいくつか荷物をわざと置いていくのだ。
そうだそれがいい、置いていくものは何にしようかと早くも算段をつけ始めた時、
「おーい、クエッタ。来なさい」
老人は大声を上げた。
まもなくして、他の村人よりみすぼらしい身なりの丸っこい少女がやってきた。
ヤンの計画はさっそく頓挫する。
「道案内にこの子をつけますんで」
老人の声に合わせ少女はペコリとお辞儀をした。
「…そっか、よろしく」
それもそうだ。場所も知らんのだからな。
ヤンは引きつった笑顔を見せ、老人はにやりと笑った。