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「佐藤さん、もうちょっと安くしてもらわないと無理だよ、これ」

「……先方も、これ以上の値下げは無理だと」

「だってほぼ人件費でしょう、これ」

 化粧品の売り上げは落ち、化粧品会社は大手を含めどんどん倒産した。工場も、畳むか、中身を薬品などの必需品を製造する方向に変わった。日焼け止めや保湿剤の売り上げは一定数を保ち、むしろ少し上がったものの、薬品メーカーが作る高機能低価格の製品に持っていかれた。化粧品メーカーがそれに対抗するには、使い心地とかいい匂いとか、肌をキレイに見せるとか、そういう理性ではなくて心に訴えかける部分を取り上げるしかない。しかし消耗品にお金をかけるのは、ものすごく贅沢なことだった。


 ずくん、と心が痛む。

 小さい頃、母の化粧品、黒いきれいな正方形、それをあけると赤とゴールド。

 冬の陽射しはなんだか白くて、思い出の中、ハレーションを起こしてる。白いシーツ、布団、化粧品の甘い匂い。


 ずくん、心が痛む。


 お父さんは死んでしまって、お母さんは。


「こんな高くちゃ、手に取って貰えないよ、出来るところは無理言ってでも削って貰って。お客様のためだよ」


 めちゃくちゃにキレイな、年齢を感じさせない肌、リップラインをキレイにとっている。ぼんやりと眺めながら思う。アイラインを入れないのは元々キツイ顔立ちだからだ。年をとると顔の中から、造作をはっきりさせるための線が消えていく。だから、あるていどの年になったら線を引いて目や口をはっきりさせてやらなければーー。


「佐藤さん? 聞いてる? なに? 私の顔に見とれてる?」


 うざい


 とは言えないので曖昧に微笑んだ。材料や色味も企画の段階から二転三転しているのに、これ以上、相手に文句言えるわけないじゃないですか。


 家に帰ると、叫ぶ母。

 ちり一つ落ちてない恐ろしいまでに整った家。何もない、がらんどうのような。


 思い出の中では、小さな埃が光を受けて輝いていた。そういう家の筈だった。いまいち片付いていない、どこにでもある家。


 化粧品を触って顔につけた。お母さんみたいにうまくいかない。お父さんに見せにいったら爆笑された。お母さんはちょっと怒ってた、でもそのあと笑って、「もうしちゃ駄目だよ」と言った。


 お父さんが死んでーー、お母さんはショックだったと思う。お父さんは禍のかなり最初のうちに死んでしまっていた。


 「あの子は男の人に依存しないと生きていけないから」おばあちゃんもおばさんも嫌いだ。でも、彼女らがいなければ私は生かれなかったと思う。血縁の子どもの御飯を与え、世話をする。彼女らにとってそれは当たり前だった。そうされる以上、その子どもは彼女らのご機嫌を取って生きていかなければならないのと同じくらいに。なにかを選ぶたびに、私の選んだものは「そんなもの」扱いされて、何かできるようになるたびに「それくらいのこと」と言われた。

 お母さんがどうして「依存」するようになったのかがわかる。叔母さんが曰く、お婆さんは「手を挙げないだけ大分マシになった」らしいから。


 お母さんは自分が世界にいていいと思っていなかったのだ。お父さんはお母さんをこの世界にとどめるための楔だった。私もまたそうなのだろう。私はお父さんと違ってお母さんの楔になることを了承したことがないにもかかわらず。


「えーと、もう一度先方に確認してみます」


 駄目だ、言うべきことはこれではないのに。うまく世界と折り合いがつかないのは私もまた同じだ。ヘラヘラ笑って、言うべきことも言わずに、結局私も自分より立場の弱い人に無理をさせるんだ。


「うん、頑張って」


 肩に手を置かれる。爽やかな雨の香りの香水が鼻腔をくすぐる。禍前に流行った高級ブランドのやつだ。

 やめてくれ、と言いたかった。一度寝たくらいで許可なく私の体に触るなよ、クソが。私の友達でもないだろ、あんた。


 さりげなく、席を立った。私には決して買えない高い香水の匂いがまだ臭う気がする。トイレの個室に入って、触られた肩を抱きしめる。泣きたくなるけど、涙は出ない。


 いやだいやだいやだ


 細く長く息をつく。


 化粧直しをしよう。


 化粧が好きだ。


 私に、仮面を被らせてくれるから。

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