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姉さんはお見通し

 逃げるように学校から去った後、すぐ家に帰る気はなかった。


 父が帰って来ていないことは分かっているのだが、父と顔を合わせたくなくて、父と唯一の接点である家に出来るだけ帰りたくなかった。


 けれど、寄るところなんてないし、その辺を散歩といっても真夏日に長時間外にいたら熱中症になってしまう。


 仕方なしに目的もないまま本屋に寄って、適当に時間を潰すことにした。何か一冊くらい買おうと思ったのだが、気分が乗らなくて結局何も買わず本屋を出る。


 暗い気持ちを抱えたまま家に帰った。駐車場に車が停まっていないことを確認して、幾分か気持ちが軽くなったところで、玄関の扉を開く。


 玄関の扉を閉めると、舞香の声が聞こえた。



「おかえりー」



 振り向くと、シャワーを浴びたばかりなのか、舞香から湯気が僅かに立ち上がっていた。



「ただいま……シャワー、浴びていたの?」


「うん。筋トレして汗掻いたから、軽く洗った」


「そう」



 それ以上話す気力もなくて、靴を脱いでそのまま二階に上がる。



「エアコン掛けたら、リビングに行く?」


「行かない」



 それだけ言って、部屋に向かった。


 部屋の中に入り、クーラーを付けてからベッドで横になる。部屋は蒸し暑かったが、エアコンが効いているリビングにはいたくない。一人になりたかった。


 暑苦しいシーツに顔を埋め、盛大な溜め息をつく。


 身体が重い。背中に錘が乗っかかっているようだ。心もそれ以上に重い。溜め息をついたらその分楽になったけれど、それは一瞬だけですぐに重たくなった。


 悪循環だな、と思いながらもまた盛大な溜め息をついた。



(咲夜くん……)



 結局、今日は咲夜の姿を見ることはなかった。



(これで、いいのかもしれないけど)



 それはつまり、彼が自分の姿を見ることはなかったということで。彼からしてみれば、自分の姿なんて見たくもないだろう。


 本当に思いだしてしまったのなら尚更のことだ。



(まだ確証はないけど……)



 あくまで今の状況から建てた憶測であり、証拠はない。けれど、そんな気がしてならない。



(怖いけど……確かめなきゃ)



 記憶が戻っているのか。それを確認してから、転校する話を先生にする。そう決めた。


 父は考える猶予を与える、とは言っていたけれど父の中では決定事項で、どちらにせよ転校したほうが咲夜の為になる。けれど、確かめてから転校したほうが、変に期待せず、迷いなく咲夜を避けることができる。そんな気がする。


 早く確かめないと期限が迫っている。けれど、咲夜本人に確認することはできない。



(一番聞きやすいのは……やっぱり梅田先生かな)



 医師の診断書がある、と咲夜が言っていた。学校側に提出した、とは聞いていないが、学校側も記憶喪失のことを把握している可能性がある。それだと担任である梅田が、ある程度の事情を知っているかもしれない。



(でも、聞きづらいなぁ。あの人、なに考えているのか分からないし)



 めんどくせぇ、と普段から呟いているがその割には授業では、説明が丁寧で分かりやすい。咲夜が倒れたときも、他の生徒に頼ることもせず自ら咲夜を運んでいった。


 面倒臭がりなのか、そうではないのか。よく分からなくて、掴み所がなさそうで、正直に言って色々とやりにくい人物だ。けれど、梅田に訊いたほうが早いし、手続きの相談もしなくてはならないので手間が省ける。


 気が進まないけれど、手続きは早めにしたほうがいい。


 また盛大な溜め息をついていると、ノックの音がした。返事をする間もなく、扉が開く。入ってきたのは舞香だった。



「うわっ! この部屋あつっ!」



 顔を顰めつつ部屋に入ってくる舞香に、眉を顰める。



「アンタ、ちゃんと空気の入れ換えした? しないとエアコンに負担が掛かるって言ったでしょ」


「うるさいなぁ。今はそっとしておいてよ」



 冷たくあしらったが、舞香は無視してベッドに向かう。



「はい」



 舞香が手に持っていたものを差し出す。それはクリームソーダのアイスだった。



「エアコンが効くまで、これで凌げ」



 舞香とアイスを交互に見て、仕方なしに上半身を起こしてアイスを受け取る。


 これで舞香が出て行ってくれる、と思ったが舞香は自分の分のアイスを開封しながら、学習机の椅子に座った。


 機嫌が悪いって分かっているはずなのに、と久留島類は舞香を睨めつける。



「そっとしてほしいんだけど」


「そっとしたところで、何も変わらないでしょ」



 あっけらかんと言い放った舞香に、盛大な溜め息をついた。家に帰ってから溜め息をついてばかりである。



「ていうか、返事も聞かないまま扉開けないでくれる? 着替え中だったらどうするの」


「今更アンタの身体を見ても、なんとも思わないわよ。絵のモデルだったら別だけど」


「僕が見られたくないかもしれないのに」


「アンタが身体を見られたくないっていうくらいの羞恥心があるわけない。性欲もそんなにないんだから、抜いているわけがない」


「性欲って」


「事実でしょ。思春期の男子なのに、エロ本もAVもないんだから」


「なんでないの知っているの」


「ほら、アイス溶けるよ」



 話を逸らした。部屋を漁っていたのだろうか。いや、舞香はそこまで無神経ではない。きっと普段の素振りから言い当てただけだ。漁られても、恥ずかしいものはないから別にいいけれど。


 アイスの封を切って、アイスを頬張る。少し溶けていたが、まだ固まっている。


 エアコンが少し効き始めた頃、舞香が口を開いた。



「ここ最近、機嫌が悪いわね。ていうか落ち込んでいる? もしかして、記憶喪失だった子となにかあった?」



 持っていたアイスを落としそうになったが、寸の所で持ち直した。



「あ、マジで? 図星?」



 まさか本当に当たっているとは思っていなかったのか、舞香が目を丸くして凝視してくる。



「なにやらかしちゃったの? その子の地雷を素足で踏んづけちゃった? それともしつこく絡んでキレられた?」


「なんで僕がやらかした前提なの? もっと弟を信じてよ」


「ムリムリ。初恋を拗らせている男がやらかさないわけがない」



 ボトッ


 アイスを、落とした。

 床に落ちたアイスはぐちゃっと潰れて、溶け始めた。


 久留島類は呆けた顔で舞香を見る。



「ちょ、アイスもったいない!」



 舞香は久留島類を見ることもなく、落ちたアイスに視線を落としている。



「初恋って」


「そうでしょ? まさかまだ自覚してなかったとかないわよね?」


「待って、理解が追いつかない」



 落ちたアイスをそのままにして、これまでのことを振り返る。


 舞香に咲夜の話をしたのは、図書館からの帰った時だけだ。しかも一ヶ月以上経っている。



「な、なんで初恋って行き着いたの? 今思い出しても咲夜くんのこと話したの一回だけだし、その答えに行き着くような会話じゃなかったよね?」


「へぇ。サクヤくんっていうんだ、その子。漢字はなんて書くの?」


「姉さん」



 明らかに話を逸らそうとしたので、強めの口調で諫めると舞香は肩をすくめた。



「いやだって、言動が好きな子の頭が自分でいっぱいになって独占欲を満たした腹黒系男子まんまだったから。でもよかった。ちゃんと自覚してくれて。あそこまでいって無自覚だとか大丈夫かと思ったけど、うん。ちゃんと自分で気付けてよかったよかった」


「自分で気付いたほうがいいって、そういうことだったの……」



 肩を落とす。まさかあれだけの会話で察することができるとは。舞香はたまに侮れないから怖い。



「で、なにやらかしたの?」


「やらかしたというか、とっくの昔にやらかしているというか……」



 言い淀む。


 今でも十分咲夜の神経を逆撫でたりと、色々とやらかしているが初めて出会った時と比べたら小さなことだ。



「え、どういうこと?」


「その、記憶喪失になる前にやらかしちゃった」


「つまり……自覚しちゃったから一気に罪悪感が押し寄せてきたってこと?」


「いや、たしかにそれもあるけど、それ以上の問題が起きて」


「それ以上の問題とは?」



 口を噤む。


 言い辛い。けれど、心が誰かに吐露したいと激しく訴えている。


 初めて自覚した想いは、自分でもよく分からなくて、それに伴った色々な感情がごちゃ混ぜになって、収拾ができないこともあった。


 自分には友達がいなくて、何かを打ち明けられる相手はいない。強いて言うのあれば義理姉である舞香だけだ。


 きっと、この感情を整理するには自分一人だけでは無理だ。今まで合理的に生きてきたから、初めて抱いた感情に対処する方法も、この葛藤とどう向き合えばいいかなんて分かるはずがない。


 誰かに話すと、気持ちの整理をつくこともある。何気に見たドラマでそんなことを言っていたような気がする。


 誰かに話したら、整理がつくかもしれない。


 何度か言い淀み、言葉を出しかけては呑み込む。言ってもいいのか、言わない方がいいのか、口を開いては躊躇するの繰り返しで。


 舞香を一瞥する。舞香は苛立っている様子がなく、むしろ真剣な表情をしていた。


 しばらく繰り返して、絞り出した声で告げる。



「その……咲夜くん、記憶が戻ったっぽくって」



 舞香の目が見開かれる。


 しばらく見ていると、持っていたアイスを一気に食べて、据わった目でこちらを見据えた。



「話せ。一から」


「い、一からって?」



 あまりにも据わった目に、狼狽える。舞香はドスの利いた声色で返した。



「やらかしたっていう全容と、それに至るまでの経緯とか諸々。さあ、とことん聞いてあげるから全部吐け」


「えーっと、アイス片付けたからでもいい?」


「置いとけ。勢いでそのまま話せ」


「えぇ~……」



 横暴な、と呟きそうになって寸のどころで留まる。舞香が命令口調になることは滅多にないし、こういう時の舞香は手強い。下手に刺激しないほうが面倒なことにならない。


 もうこれは端から端まで話さないといけない。数分前の吐露したがっていた自分を少し恨んだ。


 心の中で嘆息しつつ、言葉を選びながらこれまでのことを話した。

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