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憎くて、でも

 七限目が終わるチャイムが鳴って、咲夜は肩の力を抜いて溜め息をついた。


 無事に何事もなく放課後を迎えることができたことに、安堵した。ノートと文具を鞄の中に詰め込んでいく。



「あ」



 あることに気が付いて、手が止まった。



「鍵、どうしよう……」



 説明のときに鍵のことを聞くのを忘れていた。この部屋には今、咲夜しかいない。梅田がいないから、鍵を掛けられない。


 仕方なく魅瑠に、鍵を持っていなくて準備室の鍵を閉めることができないから先生に伝えてくれ、とラインを送る。


 スマホを鞄の中に仕舞い、準備室を出る。もう少し待機してから旧部室棟に向かった方が久留島類と遭遇する可能性が低い。彼は授業が終わればすぐ教室を出て行くからだ。


 けれど、彼が通りそうな道には行かないようにすればいいだけだ。ここから玄関まで距離はあるし、その間に学校を出ているかもしれない。



(でも、この前みたいなこともあるしな……)



 記憶が戻ったあの日のように、女子に呼び出されて告白されている可能性が。

 そこまで考えて、足を止める。


 あの告白の場面を思い出すと、胸が抉られる。


 あの様子からして、告白は断っただろう。それは間違いないはずなのに、どうしてこんなに揺さぶられるのだろうか。



(これじゃ、まるで)



 行き着いてしまう前に我に返る。


 駄目だ、これ以上考えるのはよそう。



(これで何回目だよ……)



 油断していると、久留島類のことを考えてしまう。考えたくない、思い出したくもないのに、意識が持っていかれる。


 久留島類のことで頭が一杯になりそうで、怖い。記憶が蘇る前はそうでもなかったのに、蘇った後との差が激しくて自分という芯がブレそうだ。


 考えても無駄なのに。たとえ再会してから、わりと友好的に接触されたとしても、一回拒絶されたのだ。希望と絶望は比例しているから、希望を持たないほうがいいに決まっている。頭では分かっているのに。



(これが、運命の番なのか……?)



 運命の番に出会うと、相手のことしか考えられなくケースがあるらしい。他のケースもあるらしいけれど、基本的には運命の番のことを考えている割合が大きいという。それが本能だという。


 今の状況は、つまり、本能のままに彼のことを考えているということだろうか。



(だったら、不毛すぎる)



 彼のことで頭がいっぱいになっても、彼が自分のことで頭がいっぱいになることはない。


 ――お前の運命の番、かわいそうだな

 

 かつて、彼に言った自分の言葉が頭の中でリフレインする。


 まさかブーメランとして返ってくるとは思っていなかった。あまりにも滑稽すぎて、自嘲すら出てこない。



(あいつ、どんな反応をしていたっけ……)



 とても驚いていたような気がする。けれど、疑わしい目で見られたような記憶がある。


 そうだ、半眼でこちらを見ていた。あの時は、なんであんな反応をされたのか分からなかったが、思い出した今だと分かる。



(そうだよな……運命の番だって言っていた相手が、そんなことを言ったらあんな反応するよな……)



 自分がその立場だったら、ふざけるな、と思う。きっと、久留島類も同じ気持ちだったのだろう。



(そういえば……)



 ふと、疑問が浮かび上がった。



(結局、アイツはなんでオレのことを知りたがっていたんだ?)



 運命の番は面倒臭い。彼は確かにそう言った。


 面倒臭いのなら、あのまま咲夜を放置したほうが楽だというのに、どうして自分から近付いて来たのか。後のことを考えていなかった、というわけではないだろうに。



(思い出さなくても別にいい、みたいなことを言っていたから……つまり、そういうことなんだな)



 それなら、どうして放置してくれなかったのか。放置していたら、思い出すこともなければこんな思いをしなくてよかったのに。



(そういうことなんだから、オレの気持ちなんてお構いなしだったんだろうな)



 考えれば考えるほど身勝手な男だ。思い出した直後もあまりの身勝手さに、怒りと悲しみがごちゃ混ぜになっていたけれど、今はただ虚しいだけだ。


 心がぽっかり空いたみたいだ。なぞればなぞるほど虚しくなり、余計に穴が開いていく。



(この虚しさと一生付き合わなくちゃいけないんだな)



 そのとき、鞄の中に入れていたスマホのバイブが鳴った。取り出して見ると、魅瑠からの返事が来ていた。



『伝えておいたよ~。あと、さっき久留島くんが校門を出たのを見たから、大丈夫だよ!』



 親指を立てている絵文字を見て、安堵した。玄関で鉢合わせする心配がなくなった。


 ありがとう、と返事を送ってスマホを仕舞う。


 彼と遭遇する心配がなくなったおかげか、心がすぅっと軽くなったような気がした。



(さて、と。部室に行くか)



 錦とは連絡はしたけれど、最後に会ったのは倒れる直前だ。早く顔を見せなければ。


 鞄を掛け直し、咲夜は早足で進んだ。





 道中、特に知り合いに会うこともなく、軽音部に着いた。中からベースとギターの音が聞こえてきて、とりあえず鍵が開いていることに安堵する。



(錦と夢野はいるな。他の奴らもいるかな)



 扉を開くと、より一層ベースの音が大きくなった。いるのは夢野と錦だけで、他の部員はいなかった。


 扉を閉めると、錦が咲夜のほうに振り向いた。



「丹羽!」



 音が止まる。咲夜は靴を脱いで上がり、二人の許へ歩く。



「身体のほうは大丈夫なのか?」



 錦が心配げに咲夜の顔を覗き込む。



「うん。迷惑掛けてごめん」


「迷惑だなんて思っていないから! すっげー心配したけど!」


「身体に異常はなかったのか?」



 夢野が割り込んで入ってきた。



「ああ。ちょっと持病のほうが悪化したくらい」


「持病って頭痛か?」


「そんなところ」



 はぐらかして、周りを見渡す。



「他の二人は?」


「遅くなるってさ。来るには来る」


「二人とも、心配していた」


「そっか……」



 本当に心配してくれていたんだな、と二人の少し安堵した顔を見て、少し申し訳ない気持ちになった。けれど、その顔を見て安心した。



「夢野、ヘヤピンがズレている」


「あ」



 夢野は長い前髪をヘヤピンで留めている。それがベースを弾いたせいで乱れていた。目に引っ掛かっていないが、ピンをしているところが浮いている。


 夢野がピンを直している途中、錦が声を掛けてきた。



「なぁ、退院早々でちょっと相談してもいいか??」


「なんだ?」


「文化祭に向けての相談なんだけど……あ。座ったほうがいいか?」


「別に立ったままでもいいけど」


「一応病み上がりだから、座った方がいいんじゃないか」



 ピンを直した夢野が進言してくる。もう既にベースを構えていた。



「むしろ立った方が今は楽なんだ。ちょっと教室に行くにもまだ本調子じゃないから、別の教室で自習しているんだけど、ずっと座りっぱなしだったから立っていたい」


「逆に調子が悪くなっちゃうな、それは。それじゃ話が聞こえるくらいのところまで離れるか」



 錦が夢野の方を一瞥する。夢野は無言だったが、早くベースを弾きたい、とウズウズしているのがよく分かった。


 とりあえず、部屋の隅に移動するとベースの音が再び響いてきた。



「で、文化祭の相談って?」



 話を促すと、錦がやや言いにくそうに口を開く。



「まだ先だけど、文化祭のステージがいわばお披露目だろ?」


「ああ、文化祭まで数曲は作りたいって言って」



 たよな、と言い終わる前に咲夜は察して、口を止めた。



「まさか……残りの曲の歌詞も作ってくれって?」


「うん、そう!」



 力強く頷いた錦に、溜め息をつきそうになるが何とか堪えた。


 この前の作詞の件は一生のお願いだったような気がするが、記憶違いだっただろうか。



(でもまあ、作詞するのは楽しかったし、ちょうどいい息抜きになるか)



 また、彼の姿が一瞬過り、咲夜は顔を顰めた。



「丹羽、どうした? 頭痛か?」


「頭痛じゃない。ちょっと思い出したくないものを思い出しただけだ」



 心配そうにする錦に早口で伝えて、言い募る。



「作詞するのはいいけど、曲は作っているのか?」


「おお! さんきゅー! 助かるぜ! 曲はまだ作っていないんだけど、もう一つお願いが」


「なんだ?」


「一曲だけ歌詞を先に作ってくれないか? 前作ってくれたときは、曲のイメージに合わせてくれたし、一曲くらい丹羽が作りたい歌詞を作って、それに合わせて曲を作りたいなって」


「えーっと、つまり……オレの好きなように作詞したやつに合わせて作曲したいってことか?」


「そういうこと! ちゃんとどんなイメージか聞くからさ」



 どうしようか、と腕を組んで考える。


 作詞はいい。けれど曲がないとなると、なかなかイメージが湧いてこない不安がある。



(けど、曲がないって言っていたし、すぐに取りかかれないな)



 できればすぐに取りかかりたい。彼のことを一時でも忘れる時間が欲しい。



(難しい分、アイツのこと考える時間が減るかもしれない)



 安請け合いかもしれない。けれど、これ以上の良い気分転換になるようなものはない。



「やってみるけど……遅くなっても文句は言うなよ」


「! さんきゅー! 助かる!」



 錦がはにかむ。咲夜も釣られて小さく笑った。



「もう丹羽、うちの部に入りなよ~」


「なんだよ。その女子みたいなノリ……でも、まあ……………………………………………………………………………………前向きに検討する」



 軽音部の空気は居心地が良く、随分とここに入り浸しっている。もうそろそろ良い気がしてきた。


 大きな間を置き、小さな声で呟く。錦はぽかんとした顔で咲夜を見た後、ぱぁっと表情を輝かせた。



「マジで!?」


「ま、前向きに検討するってだけで、まだ入るって決まったわけじゃ」


「すっげぇ進歩じゃん! よぉし、練習頑張るぜ!」


「はしゃぎすぎて腱鞘炎になるなよ」


「おう! じゃ、どっちの件もよろしくな!」



 錦は機嫌良さそうにして、ベースを弾いている夢野のほうへ戻っていった。



(好きなように、か)



 請け負ったもののはいいものの、好きなものと言われるとピンッとこない。


 暗い音楽が好きだが、明るい曲も好んで聴いている。作詞した曲も悲しい曲だったので、今度は明るい曲を書くのもいいかもしれない。



(でも、今の気分は明るい曲じゃないんだよな)



 どちらかというと、重い曲のイメージだ。心にグサッとくるものではなく、ズッシリくるような、そんな曲。



(一曲作るにも、けっこう時間が掛かるだろうし……できるだけ早めがいいよな)



 文化祭は十一月頃だったはずだ。体育祭がない分だけ夏休みの時間が増えるが、あと数曲は作るのだから、曲の練習のことも考えて早めに作ったほうがいい。



(どんなフレーズにするか……いや、その前にテーマを考えたほうか……恋愛ものか友情ものか……ズッシリくるのは、恋愛もののほうが)



 その瞬間、久留島類の顔が過って慌てて頭を振った。


 ハッとなっておそるおそる二人の方に振り返ったが、二人は練習に夢中で咲夜が頭を振った場面を目撃していないようだった。



(……………………友情ものだな。それにしよう、うん。死別した友達に向けた餞ソング、その方向にしよう)



 恋愛ものでズッシリとくるもの。そうくると、連想先が彼になってしまって忘れるための行為が無駄になってしまう。真逆の方向に舵を切らないと進めなくなる。


 こんなにも意識を向いてしまうというのに、久留島類はきっとこちらを向いてくれていない。そう思うと悔しかった。



(オレばっかりが気にして、ずるい……)



 久留島類のように運命の番に対して無関心でいられたら、こんなに苦しまなくてすむのに。


 何食わぬ顔で接してきた久留島類みたいに、無神経で無関心でいられたら楽なのに。


 運命の番すら興味が無い彼が、とても憎く、それ以上に羨ましかった。


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