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追ってしまいたくないのに

 四時限目の授業の終わりを告げる、チャイムが鳴った。


 咲夜はシャーペンを置いて、背伸びをした。ついでに付けていたヘッドフォンを外して、電池の残量を確認する。


 先生が来ないから、自分のペースで勉強が出来る環境なのだが、授業中なのに休むのは罪悪感が込み上げてくるので、なるべく授業の時間に勉強をするようにしていた。


 ずっと無音でいるのも、何だか落ち着かなくて途中から音楽を聴いたので、耳が少しばかり遠い。一時的なものなので、気にせずにスマホを確認する。


 連絡はなし。けれど、暦には場所を教えたからその内、暦たちが来るだろう。


 腕を伸ばすとゴキゴキッと関節が鳴った。さすがにずっと座りっぱなしは身体のあちこちが痛い。


 暦たちが来るまでに、ストレッチをしよう。立ち上がって、ふっとカーテンを閉めた窓が視界に入った。



(アイツが昼休みにグランドに出ているわけがないし、いい……よな?)



 三時限目が終わった後、空が見たいとたまたま、そうたまたま思い立ち、カーテンを開けてみたら、二組がグランドに出ていた。


 そういえば今日の三時限目は体育だったと思い出し、しまった、と思った。案の定、久留島類の姿が見えて、後悔した。


 さすがにあの花の匂いはしなかった。けれど、鮮烈な存在感に目が離せなかった。ドクドクと心臓が高鳴って苦しいのに、視線を逸らすことすらできなかった。


 しばらく突っ立っていると、久留島類が首を動かした。



 ――こっちに、向く



 硬直していた身体が我に返って、反射的にカーテンを閉めた。レールが壊れそうなほど強く閉めてしまった。


 その場でへなへなと座り込んで、何やっているんだろう、と自分が恥ずかしくなった。


 久留島類が、こちらに向くはずがないというのに。あそこからここまで距離があるから、顔が見えることはない。咲夜が久留島類に気付いたのは、髪の色と雰囲気だからで、顔が見えたからというわけではなかった。


 だから、久留島類がこちらを向いたとしても咲夜に気付くわけがない。気付いても、反応はないだろう。



(馬鹿みたいだ)



 その時を思い出して、心の中で呟く。



(運命の番っていうだけで、これだけ振り回されて……)



 運命の番に見向きされない。たったそれだけなのに、こんなにも心を掻き乱されては落ち込んで。


 久留島類がそこにいるだけで、こんなにも怯えなくてはならない。それなのに、久留島類は咲夜のことなんかきっと気にしていない。


 相手はなんとも思っていないのに、自分ばかりが気にしている。理不尽だ、虚しすぎる。


 思考の淵に陥っていると。



「おーい。開けてくれー」



 扉の向こうから、男の声が聞こえた。この無気力な声色は、梅田だ。


 淵から起き上がった咲夜は、慌てて扉の鍵を開けた。引き戸を引くと、梅田が何十冊ものノートを両手に持って突っ立っていた。



「おお。やっぱり涼しいな」



 クーラーの風を受けて、梅田が呟く。梅田に道を空けると、梅田は咲夜の席にノートを置いた。



「あの、そのノートは」


「朝に言っただろ。各教科の先生に授業の内容をノートにまとめてくれるって」


「その割には、量が多いような……」



 四限目が終わっているが、その内の一限目は体育だった。七限目までの分だと考えても、明らかに今日一日分の量ではない。



「昨日から一学期最後までと二学期の始めに授業でやる分をまとめてくれた。しかも全教科分だ」


「え!?」



 咲夜は驚いて声を張り上げた。

 一日毎にノートでまとめてくれるかと思っていたのに、まさかの二学期の始めまでを一気にまとめてくれるとは。



「ていうか、なんで二学期の始めまでなんですか? 二学期の最初には教室に戻るっていう話でしたよね?」


「お前に持病が発覚したって、他の先生達には説明している。お前が記憶喪失っていうのは、担任の俺と学年主任、校長と理事長、それから養護教諭しか知らないから、そういうことにしようっていう話になったんだ」



 そう言いながら、梅田は自分の席に座った。



「あ、先生全員知っているわけではなかったんですね」


「そこはデリケートだから、必要最低限の先生以外には話さないでおこうってなったんだ。記憶喪失っていっても、支障をきたしているわけじゃないし。先生全員に伝えるほどのものなのか、丹羽の様子を見てから決めようってなったから、そのまま全員に話していないっていう感じだな」



 机に向かって、一番上に置いていたノートを手に取ってぺらぺらと捲る。内容は理科だった。理科の先生はきっちりした人で、その人柄がありありと伝わってくる、整然とした内容のノートだった。


 二冊目を取ってみる。こちらは国語だ。国語の先生は適当なところがある。ノートの内容もぐちゃぐちゃで、喋りながら黒板に書いた内容をそのまま写し取っているみたいで、要領を得ない。国語は得意だから、別に死活問題ではないがあまり参考になりそうにもない。



「どうした?」


「いや、先生の個性が出て面白いな、と思いまして」



 苦し紛れの言い訳をしたが、梅田は咲夜が持っているノートを見て察したらしく、ああ、と納得した風に呟いた。



「国語の先生のノートか? なかなか理解ができないだろ」


「中身見たんですか?」


「見なくても想像できる。社会のノートも書いといたから、何か分からなかったら質問してくれ」


「ありがとうございます」



 礼を言って、梅田を一瞥する。


 そういえば朝の分も含めて、こんなにも梅田と喋ったのは初めてだ。魅瑠から面倒くさがりだけれど面倒見がいいと聞いたときは、半信半疑だった。面倒くさがりは分かるが、面倒見が良いとはとても思えなくて、それは魅瑠だからなのでは、と思ったが、なるほど、確かに面倒見が良い。


 そのとき、扉からノックの音がした。声はしなかった。



「入ってもいいぞー」



 誰だ、とは聞かず梅田が返事をする。扉が開かれて、知っている三人が顔を覗かせた。



「やっほー! さっくん、元気だった~?」



 元気いっぱいに入室した魅瑠を見て、瓜谷が呆れた様子で窘める。



「魅瑠、まず先生に挨拶しなさい」


「失礼します」



 瓜谷の台詞の後に暦が入ってきた。暦はすぐさま咲夜に駆け寄った。



「咲夜、調子は?」


「大丈夫。ここ静かだし、クーラーがあるから快適だった」


「それなら良かった」



 暦が安堵した表情を浮かべた。


 ずっと心配させたんだな、ということが分かって、少しだけ嘘を吐いていることに罪悪感が芽生えた。



「お邪魔します、先生。騒がしくしてしまいますが、すみません」



 瓜谷がぺこりと頭を下げながら、梅田に言った。



「気にするな。それはそうと、ここで弁当を食べるんだろ? そこにパイプ椅子があるから、それを使え」


「あ、用意してくれてたんだ~」


「お前が用意してくれって言ったんだろうが」



 魅瑠の台詞に、砕けた口調で梅田が突っ込む。


 咲夜は首を傾げた。二人が幼馴染みだということを隠している、と言っていたのに大丈夫なのだろうか。


 少し戸惑いながら梅田を一瞥すると、梅田もこちらを見て視線が合った。梅田は肩をすくめて、盛大に溜め息をついた。


 意味は分からないが、焦っている様子はないので二人に隠すつもりはないのだろうか。



「このパイプ椅子、どこから持ってきたの~?」


「近くの倉庫から。比較的綺麗な奴を持ってきた」


「わざわざ拭いてくれたんだ~。埃ついてない!」


「埃っぽいものを運びたくないだろうが」


「ハウスダストアレルギー気味だもんねぇ」


「ああ。だから、この部屋キレイなんだ」



 咲夜が呟く。

 咲夜が過ごすから綺麗にしたと思ったのだが、梅田がハウスダストアレルギーで普段から綺麗にしてあったから、ここにしたということなのか。



「そうそう~! 慎にぃ、物を処分するの面倒がるけど、目が痒くなるから埃だけは取るんだよねぇ」


「へぇ」




 ごちゃごちゃしているわりには、埃がないと思ったらそういう理由だったのか。なんだか気が楽になった。



「しんにぃ?」



 瓜谷が怪訝そうに呟く。暦も不思議そうな顔をして、魅瑠と梅田を交互に見ている。



「梅田慎介だから慎にぃ~」


「え、二人ってもともと知り合いだったの?」


「知り合いていうか幼馴染みだねぇ~。近所に住んでいるの~」


「えぇ!?」



 暦が声を張り上げて驚く。瓜谷も目を丸くして、魅瑠を見据えた。



「咲夜は……知っていたの?」


「あ、うん。成り行きで」



 暦の問いに頷く。

 パンパン、と梅田が手を叩いた。



「早く椅子を用意して、弁当食べろー。時間がなくなるぞ」


「あ、そうだった~」


「ここから教室まで近くないのよね……」


「よし、ちゃっちゃっと椅子を並べよう~!」



 用意されていたパイプ椅子を持って、瓜谷に渡す。梅田を見やると、教員の机ではない、教材が置いてある机にスペースを作っている。どうやら、そこで食べるようだ。



「よし、準備完了」


「さっくんも座りなよー」



 いつの間にか三人とも椅子を並べ終え、着席している。

 咲夜は慌てて、鞄から弁当を取り出した。

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