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フルムーン・マジック

作者: 和咲結衣

 愛理は屋根の上で大の字に寝ころび、月を眺めていた。今夜は月が丸々と太る満月の日で、愛理にとっては月に一度の特別な夜である。彼女の纏う漆黒のワンピースの裾が、少し冷たい夜風に煽られて小さく揺れた。

 今夜の満月はいつもより大きく見える。愛理はじっと目を凝らして月の陰の形を見ていた。世間では月の陰が餅をつくウサギの形だとか、カニに見えるだとか言われるけど、愛理にはどうにもただの模様にしか見えない。こんな事を言うと、友達はみんなきっと想像力が足りないって口を尖らせるんだろうな、と思い浮かべてくすりと笑った。

「アイリーン! アイリーンってば!」

「……げぇ、もう来た」

 深夜の静寂を裂くように、突然少年のような高い声と羽音が聞こえて愛理は思わず顔をしかめた。声と羽音の主は屋根の上に降り立ち、カッカッと小さく音を立てながら愛理の頭上までやってくると、早口でまくし立てる。

「ねえ、アイリーン! いつまでそんなところで寝てるつもりなの? そんなにのんびりしてたらあっという間に朝になっちゃうよ」

「うるさいなあ。満月の光を浴びてエネルギーを蓄えてるんじゃない。いつも見てるんだから、それくらいわかってよね」

「それにしたっていつもより長いよ。前の満月の時は、この時間はもう仕事に取りかかってたもん」

「……鳥のくせによく覚えてるわね……はいはいわかった、わかったから耳元で騒がないでよ。あんたの声は頭に響くんだから」

 わずらわしそうに頭を振り、愛理はしぶしぶ起きあがった。ようやく重い腰を上げた愛理を見た声の主は嬉しそうに翼を広げる。その弾みで、抜けてしまったらしい一枚の羽根が、愛理の手元にふわりと落ちた。月明かりを受けてつやつやと光る、漆黒の羽根だった。

「やあっと動いた。さ、アイリーン、今夜もさくっとやっちゃおう」

「ってか、何度も言ってるんだけど、私の名前は『アイリーン』とか外国人チックな名前じゃなくて、『愛理』なんだからね。あ・い・り。ちゃんと『愛理』って呼んでよ」

 言いながら、竹箒を片手に持って立ち上がる。バサバサと羽音を立てて肩に乗ったのは、愛理の纏うワンピースと同じくらい黒い羽根を持つ口うるさいカラスの相棒。

「またそんなこと言って、アイリーンはアイリーンでしょ?」

「この鳥頭……」

 訂正するも空しく、カラスは可愛らしく小首を傾げて愛理のことをさも当然のように『アイリーン』と呼んでしまう。毎度のことながら、愛理は思わず深い深いため息を吐いた。

 現実主義者のはずの少女は、満月の夜だけ魔女になる。箒で空を飛び、使い魔のカラスと言葉を交わし、魔法を扱うおとぎ話の魔女に。



 魔女や魔法使いはおとぎ話の登場人物、空想世界の住人。そうとしか認知されていない現代にも、実は魔女は存在している。もっとも、遠い昔のように森の奥にひっそりと身を隠しているのではない。木を隠すなら森の中、魔女を隠すなら人の中。現代における魔女は、人間社会で人に紛れて生活しているのだ。

 もっとも、人間と血を交えていくうちに力は徐々に薄くなり、魔女たちは代を受け継ぐごとに少しずつ人間に近づいている。それゆえに現代の魔女は皆、満月の夜のみ魔女として活動するようになっていたのだった。

 かくいう愛理も、魔女の一人である。十五歳になって最初の満月の夜に使い魔であるカラスのトトに出会い、同じく魔女である母親から魔法の手ほどきを受け、それ以来、魔女の一人として活動するようになったのだ。

 箒の柄にまたがって、つま先で屋根の縁を蹴る。愛理を乗せた箒は地面に落下することなくふわりと浮き上がり、高度を上げた。最初に母に助けられながら空を飛んだ時は落ちないか不安でたまらなかったのに、慣れきってしまった今はもう、何も考えずに箒に乗れるし、景色を楽しむ余裕さえある。慣れたもんだなあ、と内心苦笑しながら、愛理はトトに声をかけた。

「今日の仕事は何?」

「星の欠片を集めるんだって。このビンいっぱいに」

 トトは愛理の横に並んで風に乗りながら、いつの間にか鉤爪で掴んでいた透明なビンを見せた。愛理は手を伸ばして危なげなくビンを受け取る。空のビンは愛理の手に収まる大きさで、ひんやりとした冷たさが手のひらに伝わった。愛理はそれを落としてしまわないように、ワンピースのポケットに仕舞った。

「星の欠片ってことは、もうちょっと高い所まで飛んだ方がいい?」

「そうだね、星に手が届きそうなくらい。……あ、くれぐれも、他のニンゲンに見つからないようにね!」

「はいはい」

 付け足された言葉に、愛理はややなげやりに返事をした。魔女は無闇に人間にその正体を現してはならない。魔女たちの中で暗黙のルールとなっているこれを、この使い魔はどうしてか愛理の母よりも頻繁に言いつけている。耳にたこができてしまいそうなほど聞かされている忠告に、愛理は辟易していた。

「ちょっとアイリーン、まじめに聞いてよ! 魔女にとって大事なことなんだから」

 真剣に聞き入れていない愛理に気づいてなおも相棒は言い募った。うんざりした愛理は耳をふさいでトトを睨み付ける。

「だから、わかってるって。あんたが騒がなけりゃ見つからないわよ。絶対にね」

「エッ」

 愛理の嫌味にトトはぴしりと固まった。その隙に、愛理は箒を一気に上昇させる。はるか下に置いてきぼりにされたトトが「ちょっとまってよ!」と、騒いでいるのが聞こえて、してやったりと愛理は笑った。



 星屑を集めるために、使う魔法はひとつ。星や月に手が届きそうなくらいの高い場所で、風を起こす魔法。魔女だけが知る言葉――呪文で風に語りかけ、思いのままに操る魔法。空に散った星の欠片を風で集めてビンに詰めれば、愛理の今夜の仕事は完了する。言葉にすると簡単に聞こえるのだが、風を操る魔法は愛理にはまだ難しく、時間もかかって重労働なのだ。

「……これで、十分かな」

 ビンを月灯りにかざし、愛理はひとつ頷く。ビンの中は、金平糖のような様々な形をした小さな粒で満たされていた。欠片といっても星の一部なので、一つひとつが淡い光を放っている。

 仕事も終わったし、そろそろ帰ろうか。そう思いながら愛理が東の空を見ると、水平線の辺りが少し明るくなっている。あと一時間ほどで、愛理の住む街にも朝がやってくるだろう。太陽の下では魔女は魔法を使えなくなってしまうので、朝日に照らされて箒から落ちてしまう前に帰らなければならないのだ。

「アイリーン、早く帰ろう? 朝が来ると、魔法が使えなくなっちゃう」

「そうだね。ちょっと急ごうか」

 トトに促され、愛理は頷いて自宅がある方向へ箒の先を向けた。心持ち少し速いスピードで空を飛ぶ。このまま無事に家路につけると思っていたその時、事件は起こった。

「アイリーン、風がっ!」

 突然、何かに気づいたトトが鋭い声を上げる。しかし相棒の声をかき消すように、ごう、と愛理の耳元で風が大きな唸り声を上げた。

「えっ、ちょっ」

 突風に煽られ、愛理は慌てて箒にしがみつく。うまく風に乗れずに飛ばされてしまったのか、トトの悲鳴が遠ざかっていく。風圧で体が一回転したが、愛理自身は幸い落ちることは無かった……が。

 体勢を立て直した愛理は、ワンピースのポケットから重さが消えていることに気づいた。慌てて地上を見下ろすと、光の塊がどんどん小さくなっていくのが見えた。

「ああもう、嘘でしょ!?」

 落下していくビンに悪態をつきながら愛理は箒の柄をぐっと握り、進行方向を真下に向けた。天と地がひっくり返り、目の前に街の景色が広がる。ビンを追いかけて、愛理は速度を上げながら矢のように急降下した。箒に体をぴったりとくっつけ、片手をビンに伸ばす。指先に届きそうなビン、眼前に迫り来る地上の景色。届け、届け、と念じながら目一杯伸ばした指先に、冷たさを感じた。愛理はそれをしっかりと握ると、箒の先を思い切り引き上げた。

「……せ、セーフ?」

 墜落することなく何とか停止できた愛理は肩で息をしながら周囲とビンを確認する。夜明け前の閑静な住宅街、道路沿いに佇む家々の、屋根よりも少し高い空中。ビンは無傷で、蓋もしっかりと閉められている。

 ビンと自分が無事だったことにとりあえず安堵し、愛理は空を見上げた。風に飛ばされてしまった相棒は大丈夫だろうかと、心配しながら目を凝らす。すると微かに羽音が聞こえ、少しよろよろとしながらもこちらに降りてくる黒い影を見つけた。トトだ。

「アイリーン、大丈夫だった?」

「何とかね……」

 お互いに無事だったことにほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、何かを叩くような小さな音を耳が拾い、魔女とその使い魔は思わずぴしりと固まった。嫌な予感をひしひしと感じながら、一人と一羽はおそるおそる音のした方に視線を向けた。

 自分たちが浮いている空中から、一番近い青い屋根の家。その二階のベランダの窓が少し開いている。そこに、小さな影がひとつ佇んでいるのを愛理は見た。

「……どう考えてもアウトかな、これは」

「どうしよう、人間に見られたらダメなのに! アイリーンがビンを落としたりなんかするから!」

「だから騒がないでって。責任をなすり付けないでよ。元はと言えばあんたがちゃんと風を読んでくれなかったからバランス崩したんじゃない。下手したら私まで落ちてたわよ。鳥の癖に風も読めないなんて、カラス失格なんじゃないの」

「……カアッ」

 まくし立てるように愛理が反論すると、トトはびくりと体を震わせカラスらしい鳴き声をひとつ出して黙り込んだ。盛大にため息を吐いて、愛理はもう一度窓越しの人物を注視する。シルエットはとても小さいから、大人ではないだろう。むしろ、幼い子どものようにも思える。

「……何とかごまかせるかな?」

「アイリーン? 何であの家に行こうとしてるの? 知らんぷりして逃げたほうが良いんじゃないの?」

「あんたは黙って待ってて。大丈夫、たぶん、何とかなる。何とかする」

 自分の行動を止めようとしたトトを再度黙らせて、愛理はゆっくりと空中を移動する。向かうのは青い屋根の家の、小さな影。近づいていくと、段々とその人物の容姿が明らかになる。パジャマ姿の幼い女の子が、両の目を満月のように大きく丸く開いて、愛理を見つめていた。

 愛理は小さく咳ばらいをすると、少女のいるベランダに降り立ち、口元に笑みを浮かべて少し大仰に、スカートの端を摘んで気取ったような礼をした。

「こんばんは、お嬢さん。こんな夜更けに起きてるなんて、悪い夢でも見たのかな?」

 話しかけると、少女はびくびくしながらこんばんは、と舌足らずな声でささやくような声で挨拶を返す。そして少しためらった後、おそるおそる愛理に訊いた。

「……おねえさんは、まじょなの?」

「よくわかったね。そうだよ、私は魔女。おとぎ話の世界から、ほんのちょっとだけこっちの世界に遊びにきたの」

 愛理が首肯すると、少女はぱっと目を輝かせた。目の前にいる人物が魔女だと聞いて嬉しかったのだろう、自身の胸に両手をあてて、笑顔で飛び跳ねる。

「わたし、まじょにあったのはじめて! まじょって、ほんとにホーキでおそらをとぶんだね!」

「そう。魔女は空を飛べるし、魔法だって使えるの」

「まほー? つかえるの?」

「もちろん」

 愛理は興奮する少女と目線を合わせるように膝をつき、持っていたビンを開けて星屑を二粒ほど自分の手のひらに転がした。

「きれい……!」

「夜空の星の欠片をほんのちょっともらってきたの。魔女は、こういうのを使って魔法をかけるのよ」

 星屑を興味津々に見つめる少女に説明して、愛理は笑ってみせた。

「今から、あなたに魔法を見せてあげる」

「ほんとう!? わーい!!」

 無邪気に笑って飛び跳ねる少女の様子に、愛理の胸が少しだけ痛む。それでも仕方のない事だと心の中で自分に言い聞かせ、愛理はこくりとつばを飲み込んだ。

 小さな声でごめんね、と呟いて、愛理は少女に魔法をかける。

 少女に使う呪文は、かける魔法はふたつ。眠りへ誘う魔法と、愛理と出会った記憶をうやむやにしてしまう魔法。記憶を消す魔法はまだ愛理には使えないから、せめてぼやけさせて、夢だと思わせるように。

「おやすみなさい、小さなお嬢さん」

 魔法を使ったことで星屑が空中に溶けるように消え、代わりに生まれたたくさんの小さな光が少女の周囲でまたたく。少女ははじめその様子を見て目を輝かせていたが、やがて目をこすりうつらうつらと船をこぎ始めた。立っていられず座り込んでしまった小さな体を愛理は抱き上げて、ベッドに運ぶために室内へと足を踏み入れる。

 玩具とぬいぐるみに囲まれた子供部屋。その隅にある小さなベッドに少女を慎重に降ろし、タオルケットをかけた。元々持っていた眠気と魔法の力でぐっすりと眠っている。

「……良い夢を」

 少女の頭を優しく撫でて、愛理は再び青い屋根の家から空へと飛び立った。



 夜明けの迫るまだ暗い静かな時間。月明りが照らすのは、街の上を滑るように飛ぶ愛理とトト。まだ夢の中の人々を起こしてしまわないように気を付けて言い合いながら、ひとりと一羽は家路へと急いでいた。

「あーあ、帰ったらお母さんに怒られちゃう……」

「仕方ないよ。見られちゃったんだから」

「あんたも一緒に怒られるのよ、トト」

「エッ、何でぼくも!?」

「当たり前でしょ。何でこうなったのか忘れたの? 鳥頭だからって許さないからね」

「カァ……」

 もうすぐ太陽が顔を出し、月に一度の魔女の時間は終わりを告げる。段々と空の色に紛れていく満月だけが、まだ若い魔女とカラスの様子を見守っていた。

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