1-8. 「老師」
今日もあぢーですねー
「赤子が喋った、と?」
老人の白髭は地面につくんじゃないかというほど長い。
小柄な彼が話す度に髭がぷらぷらと揺れる。
「いえ、私は聞いていないのですが、ジューンが…」
父親が母親の方をちらと見て答える。
「私が授乳しようとしたら、こう抱っこして、したら!
お願いしますって……あ、お願いしますって!!!!」
母親の顔は青ざめている。
当然の反応だな。
俺が親だったら、キモチワルーイとあの場で投げ捨てていたかもしれない。
俺が「あ、お願いします」とか言ってしまったばかりに心労をかけさせてしまったようだ。
母親は俺の言葉を聞いた後すぐに父親を連れ、このどでかい建物に来た。尖塔のこの建物は地球での教会に似ている。
俺は取り敢えず、母親の胸の中であーとかうーとか言っている。
まぢすいません母親とオツェンさん。
「ふーむ。どれどれ儂に抱かせてみなされ。
ほーれおいでおいで」
老人が俺を抱きかかえる。
うぉーう、もっさもさ。もっさもさだこの髭。
ふぉーい!!
「うむーん?」
しわしわっとした眼が俺を覗き込む。
「ぬん?」
老人の片目がぐわっと開いた。
「ど、どうしたんですか!?老師!?」
父親と母親があたふたと慌てている。
「ふむーん……
二人とも。この子を少し儂に預けよ」
老人が二人を見上げる。
「え、でも老師……まだその子は生まれたばかりで…」
「そ、そうですよ!預けるとしても5年経ってから…!」
母親の言葉に父親が続く。動揺が伝わってくる。
「ふむ。そなた等は確か生まれてから5年で儂の元に来たんだったな。
しかし、これは儂からの命令じゃ。拒むことはならん」
老人の言葉には少しの揺らぎもない。
「しょ、承知しました!」
二人は両腕を自分の胸前で交差して老人に首を垂れる。敬意を示す格好だろうか。
どうやら老人と二人の間には厳格な上下関係があるようだ。
「ふぇふぇ。なに。そなた等から赤子を奪おうというわけではない。
ただ庇護下に入るのが普通よりもちと早いだけじゃ」
ふぇふぇふぇと髭を介して振動が伝わってくる。
「庇護下に入れるということは……もうその子に名前を頂けるのですか?」
父親が頭を下げたまま尋ねる。
「そうじゃのう。近いうちに名を授けようぞ」
老人がそう言うと二人はお互いの顔を見合わせている。
その顔は嬉々としている。
老人はふぇふぇと笑い紙きれを二人に渡す。
「赤子の食事はこれで儂の所に送りなさい」
母親はそれを静かに受け取る。
「老師……次にその子に会えるのは、いつになるでしょうか?」
彼女は寂し気に俺を見つめる。
「そう遠くはない。そなた達の時と違い、この子の庇護はちと特別になりそうじゃ。
親元を完全に離れるということはなかろう」
老人の言葉で母親の気持ちが和らいだようである。
「それでは、確かにこの稚児儂が預かるぞい」
そう言って俺は老人の胸(髭)に抱えられたまま二人から離れていく。
髭の間から見える父親の顔は誇らしげで、母親は矢張り悲し気であった。
「おい、生まれてすぐに庇護下に入るなんて聞いたことがあるか!?流石は君の子だ!!」
「光栄なことだけど、でも私はちょっと…」
そんな二人の声が後方から聞こえてくる。
カツーンカツーンと老人の靴の音だけが高い屋根に響いている。
やけに歩くな。でけぇ建物だなぁ。
老人がやっと着いた部屋の扉をギィと開ける。
膨大な蔵書棚が所狭しと並べられている。
ある棚には水晶のような球が並べられ、ある棚にはホルマリン漬け瓶が並ぶ。
老人はそれらの棚の間を抜けた先の部屋で足を止めた。
大きな綿の塊のようなものに俺を乗せると、
「ふぇーーーーー疲れた。ちょいと部屋までが遠すぎるのぅ。
そろそろしんどいわい」
と腰をタンタンと叩いている。
「儂はオーウェンというじじぃじゃ」
椅子を綿の方に向けて引き、そこにどかっと座る。
「そなたの名前を聞かせてくれんかの?」
老人の開かれた片目が俺を見つめている。