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第一話 異世界の扉

 金の生る木は、人の魂を喰らって育つ。

 金の生る木の密林で、たった一枚のコインから億万長者になった者もいれば、一夜にして一文無しになる者もいる。有象無象の魂をすすり、ほんの一握りだけが生き残る。歓喜と絶望を天秤に乗せて、人々は生と死の悲鳴を上げるのだ。

 ――それが、カジノというものだ。




「アシザワさん『異世界の扉』にご興味はありませんか?」

 黒服の一言で、賭場中が急に冷え込んだ。

いつもならコインがこすれあう音、ルーレットが回る音、歓喜と絶望の喚きであふれている会場に、ふいに静寂が訪れた。

 会場中が自分の手元のカードやチップに関心を向けるのを忘れ、ただアシザワの返答に耳を傾けていた。

それほどまでに『異世界の扉』は、“ヤバい賭け”だと言われている。


「……ゲームの最中に背後に回って声をかけるなんて、教育がなってねぇボーイがいたもんだ」

 答えるアシザワの表情は、凪いでいる。しかし反対に頭の中では高速で計算が始まっていた。

 

 ――さあ、どう切り抜けようか。

 口先だけで切り抜けられる可能性はほぼゼロ。部の悪い賭け……面白くなってきた。


 『異世界の扉』

 それは、実力が認められた賭博師だけに挑むことが許されるハイリスクハイリターンのギャンブル。

賭けるのは己の命。

 勝てば小国を買えるだけの富と力を得る――表向きはそうなっていた。

 だが現実には『異世界の扉』に挑み生還したものは一人もいない。

 アシザワと同じような名だたる賭博中毒者が扉をくぐったが、その後の彼らを見たものはいない。

 ゆえに、『異世界の扉』は架空のギャンブル。

 ただのバックヤードへの呼び出し。

 そこへ招待されることは、すなわち荒稼ぎをした者へ“死”の贈り物。見せしめとしての死刑だ――そうギャンブラーたちは認識している。


「黒服さんよ、俺は『異世界』なんて素敵なところへご招待されるような、ご立派な業績を立てた記憶はないんだが」

 これは、ジャブ。

 『扉』に招待されて生還したものはいない。どこに突破口があるか、探る。アシザワ、見の姿勢。


「ご謙遜を。アシザワ様のご高名は上層部まで聞こえてくるくらいですよ」

 黒服、これを軽くいなす。

 彼の使命はあくまでもアシザワを“招待すること”。それ以外の権限は持たないし、決定権はない。アシザワが何を言おうと、扉の前まで丁重にお連れする。かっちりと着こなした黒服と、サングラスの奥に隠された瞼を微動だにせず、まるで機械のごとく。


 アシザワの眉がピクリと動いた。

 途端、会場中の人々はアシザワが巨大化したかのように錯覚した。

 風が吹いて、体毛がチリチリと震えたようだ。

 平凡な服を着た、平凡な顔立ち。まるで平凡な男が、まったく尋常でない圧力を放つ。


 ――アシザワがギャンブラーとして本気を出し始めた。

 会場にいる人間で少しでも勘の良いものはその事実に気付く。

いや、“気付かされる”。


 アシザワのギャンブルのスタイルは、冴えない外見で油断させ、口先と手先の器用さで相手を惑わせる。そのテクニックと人心掌握術に人々は彼を『魔術師』と呼ぶ。

 だが、本気になったアシザワは『邪鬼』だ。彼は何もしていないのに、まるで何もしていないようなのに、相手が自滅していく。祟りと呪いを湛えた、悪しき鬼だ。

 人々は彼の背後に、確かに鬼を幻視している。


 しかし、そんなアシザワの威圧を柳のように躱して、黒服が口を開く。

「……『異世界の扉』がまるで「死の宣告」のように言い伝えられているのは把握しております。しかし、これは歴としたギャンブルです。アシザワ様の命と、この賭場とを天秤にかけた真剣勝負――こう言えば、あなた様が断ることはないでしょう?」


 不意に、空気が緩む。

 会場を満たしていたアシザワの圧力が徐々にしぼむ。

 やっと呼吸ができるようになった、というようにそこらからため息が聞こえてくる。

 いままで、片眉しか動かしていなかったアシザワの表情が歓喜に歪んでいく。冴えない平凡な顔の口だけが裂けるように三日月になった。

 笑っている。

 ギャンブルの狂気に濡れた怪しい笑みを浮かべている。


「……いいだろう。受けよう、その勝負」

 



***


「お待ちしておりましたよ、アシザワさん」

 出迎えたのは、かっちりとした濃紺のスリーピース、同じく濃紺のベストにネクタイをしっかりと身に着けた壮年の男だ。

取り巻きの身のこなしを見るに相当のお偉いさんだな、とアシザワはあたりをつける。


 華やかなカジノと同じ施設なのかと疑うくらいに質素な――というよりも奇妙な部屋。10人も入ればいっぱいになりそうな、磨かれた石壁の小部屋。その正面には質感が全く分からない素材で作られた黒い両開きの扉が備え付けられている。扉には黄色の線で幾何学模様が描かれ、中心には大きな赤黒い宝石がはめ込まれていた。まるで異教徒の儀式部屋に迷い込んでしまったかのようだ。そんな雰囲気に不釣り合いなスチールの事務机が、部屋の真ん中にポツリとおかれている。


「それが、『異世界の扉』です」

 アシザワの一瞥に気が付いたのか、壮年の男が口を開く。緊張もない、しかし驕りもない落ち着いた声色だった。


「こりゃ大層な扉だ……この中で賭けでもするのかね」


「その通りでございます――ただしその中は本当の意味で『異世界』だそうですがね」

 男は机に一枚の紙を置く。契約書、だった。


「今回の勝負は……アシザワさんがこの扉に入って無事に出てきたら勝ち、出てこれなかったら負け。ただこれだけのことです。」


「中で我慢大会でもするのかい? だったら簡便だな。俺は寒いのも熱いのも苦手なんだ。賭けで稼いだ金で最高級のエアコンを買うくらいにはな」


「……さあ、中で何が行われているのか我々にもわかりません。この扉に入って生還したのはただ一人……このカジノの創業者だけだと言われています。伝えられているのは、扉の中ではギャンブルが行われている、ギャンブルに勝てば莫大な富を得る――このくらいでしょうか」

 男の顔は、あくまでも穏やかだ。ギャンブルの場において、気負いのない表情を保っていられるのは、相当の阿呆か、相当の修羅場を潜り抜けてきたものだけだ。


 ――こりゃ、一筋縄ではいかなさそうだ。

 アシザワは心で独りごちり、一先ず男の表情から情報を得るのをあきらめた。

 そのまま、自然な動きで机に置かれた書類に目を通し始めた。


 ――『異世界の扉』から生きて生還したらカジノの権利を得る、賭け金は俺の全財産、か。

 アシザワは契約書に一通り目を通すと、情報を反芻する。

 内容はシンプルなもの、生き伸びたら勝ち、扉に食われたら負け。

 ごく普通の“体裁の整った”契約書。


 当然、内容は非合法――それ自体は全く問題ない。気になるのは嘘や騙りの匂いが全くしないことだ。

 ――この契約書からは、相手を騙そうと言う気配が感じられない。

 アシザワの第六感が告げる。ただ事では、ない。


「ギャンブルとは無縁の経営者様がずいぶん冒険に出るじゃないか……。まだ隠居の年には見えないが」


 これはただの軽口。

 相手は本気で“ギャンブル”に挑んできている。そう当たりを付けた上で、何を企んでいるのかを訪ねる。――そんな、“言葉遊び”。

 アシザワが片頬を上げると、それに応えて男もにやりと笑う。


「いえいえ、今では賭場経営なんてやっていますがね、先ほども言いました通り、我が先祖は『扉』からの生還者――いわば、生粋のギャンブラー!」


 男が好々爺とした態度を崩す。にやにや笑いを一層に深くして、その様相はもはや邪悪。


「あなたを見てるとねェ、アシザワさん……。血がたぎるんですよ。賭博師として、あなたから尻の毛一本残さず毟り取りたいとね……!」


 ねっとりとした粘着質と、ハイエナのような貪欲さが混ざった男の視線。さすがのアシザワも、そんな熱視線を受けては無表情ではいられない。

 笑っている。

 飄々とした態度を投げ捨てて、アシザワは笑う。

 アシザワの賭博師の魂が舌なめずりを始める。――早く、早く血沸き肉躍るギャンブルをよこせ、と。喉の音で笑うくっくっ、という音は、まるで血潮がマグマのように沸き立つ音。


「……いいだろう。受けよう、この勝負。俺の財産、俺の命、すべてを賭けて」




***




 鈍い音を立てて、扉が開く。

 ぎしぃぎしぃと、金きりと低い振動が混ざった音は、ギャンブルの女神さまのハスキーな祝福の賛歌か、腸をすする悪魔の歯ぎしりか。――いずれにせよ、アシザワには心地のよい音楽にしか聞こえないだろう。

 扉の先は、まるで暗闇に閉ざされていて先が見えない。形のない暗がりのカーテンで仕切られている。

 アシザワの古ぼけた背嚢には、ずしりと金貨銀貨が、そしていくつかの小さい宝石が収められている。異世界の扉で使うチップのようなものだ、とサイン済みの契約書と交換に渡されたものだ。


「……それではアシザワさん、先ほども言いましたが一度扉をくぐると、そう簡単には戻ってこれません。帰ってくる条件は不明ですが――」


「それを見つけるのも勝負のうち。そうだろう?」


 軽い口調のふたり。しかし、その表情に甘さはない。

 ただ扉をくぐるだけ――それだけなのに、男らの顔は勝負師のそれになっていた。


 扉の中央にはめられたくすんだ宝石に、淡い光がともる。

 男の説明によれば、その光はアシザワの命の灯。生きて生還するか、『扉』の中で死んだその瞬間に、光は消えるという。

 アシザワはその宝玉を一瞥すると、一瞬目を細めて、それからすぐに扉をくぐった。




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