不機嫌な転校生6
ドアの向こうからは空々しい声。
「おやおや、お客さんかな、はぁい、いま開けますよ」
ドアが勢いよく開く。その向こうにいたのは、カールが言うような恐ろしい悪の科学者でも、ドアの陰に隠れていたずらをたくらむような子供でもなく、少し汚れた白衣を着たおじさんだった。
「やあやあ、初めまして、私がプロフェッサー・マーカス、この研究所の主任だよ」
マーカス博士は両手を広げて笑顔で挨拶をしてくれるけれど、僕たちはまだびっくりして立ち上がれない。
マーカス博士はそんな僕らを見下ろして、肩をすくめた。
「やっぱり、音が大きすぎたかな?」
僕たちは弾かれたように立ち上がり、口々に文句を言う。
「大きすぎるのもですけど、ふつうは呼び鈴って家の中で鳴るものですよ!」
「それに、こんなに普通の花みたいな見た目じゃ、お客さんは使い方がわからないんじゃないかなあ」
「そもそも、これは植物なのか?」
マーカスさんは僕たちの怒鳴り声を聞いてもニコニコして、うんうんとうなずくばかりだ。
「なるほど、君たちの意見は『呼び鈴草二号』を作るのにとても参考になる。ぜひとも中で、お茶でも飲みながら聞かせてくれ」
マーカス博士が優しそうに手招きするから、僕たちは顔を寄せてひそひそ声で相談を始めた。
「ど、どうする? 知らない人のお家に勝手に入ったら、お母さんに怒られないかな」
「それに、マーカス博士が悪の科学者じゃないと決まったわけじゃない。カーリーを危ない目に合わせるわけにはいかないよ」
「あっちが入って来いって言ってるんだ、勝手にじゃないだろ。それに、これは潜入のチャンスだ!」
カールは小声で、だけどすごく興奮した早口でまくし立てた。
「おかしいと思わないか、マーカス博士があんなに大騒ぎしているのに、この家からはほかに一人も人が出てこない」
「ジェニーは出かけているんだから、当たり前じゃないか」
「そうじゃなくってさ、よく考えてごらんよ。例えば自分の家のお父さんがさ、家じゅうに怪しいスピーカーをつけたり、おかしな音を出す草を玄関の横に植えたらさ、お母さんは怒らないか?」
「それは怒る……かもしれない」
「ね、きっとこの家には『お母さん』がいないんだ。ジェニーはお母さんがいない子……つまり、人造人間さ!」
この声を聞いたマッシュが、今まで一度も見たことがないような怖い顔をした。
「カール、僕はそういう言い方、好きじゃない」
「なんだよ、僕の推理が間違っているっていうのか? じゃあ、お前が推理してみろよ」
「きっとこの家のお母さんは、少し変わった人なんだよ。だからマーカス博士が変わったことをしても怒らない、そういうお家はあってもおかしくないだろ」
「まあ、そうだな」
「それに、もしも君の推理が正しくて、ジェニーにお母さんがいないとしても、それは他人である僕らが、そんな風に軽々しく話していいことじゃないと思う」
カールはマッシュが怒っていることに気づいたみたいだけど、納得はしていないみたいだった。
「それは、ジェニーが普通の人間だった時の話だろ?」
「ううん、君が言うようにジェニーが人造人間だったとしても。そんな話を勝手にして、ジェニーが哀しい気持ちになったらどうするのさ」
「ばかばかしい、クラスでの彼女を見ただろう? あれが心のある生き物の態度なもんか。そうだろ、ブライアン」
こんな難しい話の最後を僕に任せるなんて、ずるい。マッシュも期待を込めた目でこちらを見ている……ずるい。
僕はすっかり困り果てて、二人の顔を交互に見比べた。
「えと……あの……ここで想像ばっかりしていないで、マーカス博士に聞いてみればいいんじゃないかな」
「さすがブライアン、いいアイディアだ!」
「じゃあ、マーカス博士のお茶に呼ばれる、それで決まりだね」
そうと決まれば、二人の行動は早い。カールは玄関マットに足を擦りつけて靴の泥を落とし始めた。
マッシュはカーリーを呼ぶ。
「カーリーちゃん、僕たちはマーカスさんにお茶をごちそうになるけど、どうする?」
カーリーは子犬とじゃれあっていた最中なので、不機嫌な声で答えた。
「え~、お茶だけ?」
これに答えたのはマーカス博士。
「いやいや、お茶菓子も、もちろんあるとも! マーカス式クッキー製造機を起動させるからね、クッキー食べ放題だ!」
カーリーが小さな目を見開いて、嬉しそうに両手を叩いた。
「クッキー食べ放題!」
白い生物とカーリーはピョンピョンと跳ねるように駆けて家の中へ入ってしまう。
マッシュは僕に気を使ったのか、こちらを見て申し訳なさそうに首をすくめた。
「で、君はどうする、ブライアン」
「どうするって、これじゃあ行くしかないじゃないか」
僕はズボンのポケットの辺りを撫でた。そこに隠したナイフの固い感触が、ゴツリと指先に伝わる。
大丈夫、何かあっても、僕は戦える。
「よし、行こう」
僕は『マーカスの秘密研究所』の中へ、一歩を踏み出した。
マーカスさんは先頭に立って僕らをリビングに案内してくれる。白い謎の生き物とカーリーは、その足元にまとわりつくよう小走りで、とても楽しそうだ。
逆に僕とカールとマッシュはおっかなびっくり、三人で身を寄せ合うようにしてマーカスさんの後ろについていった。
なぜって? 表から見たのと違って、家の中は怪しい秘密研究所そのものだったからだ。
廊下の壁は黒っぽいペンキで塗りつぶしてあって、そこに銀色のパイプや丸いメーターや、小さなテレビ、それに何に使うのかわからない機械なんかもいっぱい張り付けてあって、映画に出てくる宇宙船の廊下みたいだ。途中にドアの空いている部屋があって、たくさんの機械や、本や、薬の瓶なんかが散らばっているのが見えた。
「なんだか、すごく散らかってるねえ、研究所というより、物置き場みたいだ」
マッシュがつぶやいた言葉を、マーカス博士は聞き逃さなかった。
「失礼な! 物置じゃないぞ!」
「だって、ガラクタばっかりじゃん」
マーカス博士は少し腹を立てた様子で、大きな声で怒鳴った。
「が、ガラクタなんかじゃない、断じて!」
これを気にしたのか、カールはそわそわと身を揺する。
「おい、そのぐらいにしておけよ」
「なんで? カールだってガラクタだと思うだろ?」
それにかえされた返事は、僕にもやっと聞こえるくらいの囁き声。
「マーカス博士が本当にすごい研究をしている人だったらどうするんだよ、怒らせたら、捕まって実験に使われちゃうかもしれないだろ」
「本当にそうかなあ、僕にはなんだか、マーカス博士が悪い人だとは思えないんだよ」
正直な話、僕もそう思い始めている。
マーカス博士は『物置き』と言われたことに腹を立てているけれど、ほっぺたを精いっぱいに膨らませてブツブツ文句をいう姿が、兄弟げんかをしたときのカーリーにそっくり……つまり子供っぽいのである。