不機嫌な転校生3
家に戻ると、お父さんもお母さんも畑に出かけていて留守だった。
僕は急いでリュックサックにお菓子と懐中電灯、それからマンガを一冊、詰め込む。
マンガを入れたのは暇をつぶすためじゃない。ちょうど正義のヒーローが悪の科学者『プロフェッサー・ダークエナジー』と戦うために秘密基地に潜入する話が載っているから、参考になるかもしれないと思ったんだ。
あとは……僕は机の一番上の引き出しを開けて、腕組みをしたまま考え込んでしまった。
そこは宝物をしまう引き出しで、カードやカプセルトイのレアなんかが入っている。細かい宝物を押しのけて真ん中に出んと置いてあるのは、おじいちゃんが買ってくれたピカピカのフィッシングナイフだ。
これは絡まった釣り糸を切ったり、仕掛けをメンテナンスするためのものだから大きくはない。だけど丁寧の研ぎあげた刃を持つ、本物のナイフなのだから、うっかり指にでも当てようものならさっくりと皮膚が割けて傷になる。僕も使い慣れるまでは何度か指を切って、大きな絆創膏をつける羽目になった。
そんなに鋭い刃物だから、悪の科学者と戦うことになったときに、すごくいい武器になると思ったんだ。
だけど、おじいちゃんは僕にこれを買ってくれる時に、正しいナイフの使い方の一番大事な決まり事として、「他人に刃を向けない」ことを教えてくれた。だからこれを武器に使ったら、おじいちゃんの言いつけを破ることになる。
それにもし、マーカスさんが悪の科学者じゃなかったら、普通のおじさんに刃物を向けた僕のほうが悪者になる。
いくら思い出しても、スイカ畑の中に立つ『マーカスの秘密研究所』は明るいレンガ造りのお屋敷で、門の隣に取り付けられた看板はペンキの文字がくっきりはっきり黒々としていて、隠し事なんか何もないみたいに正々堂々としている。あそこに人を切り刻んだり、世界を征服するための怪しい機械を作る悪人が住んでいるとは、僕にはどうしても思えないんだ。
僕はナイフを取り出さずに引き出しを閉めようとした。
その時だ、後ろで少し甘ったれた甲高い声がしたのは。
「あれ、お兄ちゃん、何してるの?」
振り向くと案の定、妹のカーリーが不思議そうな顔でこっちを見ている。
「なんでもいいだろ、あっちへ行けよ!」
手を振って追い払おうとするけれど、チビのカーリーはそんな僕の手の下をするりと潜り抜けて引き出しの中を覗いた。
「あ、もしかして、釣りに行くの?」
「違う、釣りじゃないよ、いいから、テレビでも見ておいでよ」
「ええ~、この時間はマンガやってないんだもん、つまんない~」
「じゃあ、おやつは? 今日はプリンだったぞ」
「もう食べちゃったからつまんない~」
「じゃあ、じゃあ、ゲーム! 特別に僕のゲーム貸してあげるからさあ」
「お兄ちゃんのゲーム、撃ったり戦ったりばっかりだからつまんない~」
カーリーは床にドタンと寝っ転がり、手足をバタバタさせて歌い始める。
「つ~ま~ん~な~い~、つ~ま~ん~な~い~」
カーリーは僕より三つ下で、小学校の小さい学年だから、こういう子供っぽい駄々をこねては僕を困らせる。
「あ、こら、静かにしろよ」
「や~だ~、や~だ~、つ~ま~ん~な~い~」
「そんな、わがまま言っても連れて行かないからな。これは子供の遊びじゃないんだ」
あっ、と思ったときにはもう遅かった。カーリーは瞳をキラーンと輝かせて飛び起きると、僕の胸元に飛びつくように顔を寄せた。
「遊びじゃない?」
「あ、いや、ごめん、遊びだよ、遊び。いつも通りカールとマッシュと、空き地で遊ぶだけだ」
「へ~え、じゃあ私も連れて行ってよ」
「ダメだ、今日はダメ!」
「どうして? いつもみたいに空き地で遊ぶだけなんでしょ?」
「ううう、そうなんだけど……」
「お兄ちゃん、正直に言いなさい!」
こういう時のカーリーはお母さんにそっくりで、僕はこれに弱い。仕方なく、ぼそぼそと口の中でつぶやく。
「マーカスの秘密研究所……」
「え?」
「マーカスの秘密研究所に潜入するんだよ! だから、危ないからお前は連れて行かない!」
「お兄ちゃん! 人を『お前』って呼んじゃいけませんって、お母さんに言われてるでしょ! 言いつけるよ!」
「ええっ、それは勘弁してよ~」
「じゃあ、私も連れてって!」
「ダメだ。これはとっても危険かもしれないんだぞ」
「じゃあ、お兄ちゃんが魚釣りじゃないのにナイフを持って行こうとしたこと、お母さんに言いつけるね」
「待て、それは本当に困る、やめてくれ!」
「じゃあ、連れてって」
「……わかったよ」
「やった~! 準備するね」
カーリーは僕に背中を向けて、押し入れから小さなリュックサックを引っ張り出す。だから僕は、引き出しの中のナイフをもう一度、じっくりと眺めた。
(カーリーは僕よりも小さいから……)
もしも悪の科学者と戦うことになったら、守ってあげなくちゃならない。
僕はそっと手を伸ばしてナイフを手に取り、ズボンのポケットの中にするりと落とし込んだ。
さあ、準備はすっかり整った、僕はカーリーを連れて家を出る。