大人になりたいカーリー 3
その後、洋服を引っつかんで部屋に飛び込んだジェニーがカーリーの世話を全部してくれたのだから、僕は妹がどうやって大人になったのかを見てはいない。
だからジェニーの部屋のドアが開いた瞬間、僕はそこに立っている女の人を見て驚いた。
「母さん?」
「違うよぅ、カーリーだよ、お兄ちゃん」
声もキンキンとやたら耳に響く小さな女の子のものではなく、少し太くてカラカラと陽気な、母さんの声にそっくりだ。
背丈はもちろんぼくより大きくて女の人としてはむしろ大柄なぐらい、横幅はがっしりと広くて、そっけないジーンズと綿シャツを着て立っている姿は、本当に畑仕事に出かける母さんに似ていたんだ。
「いや、母さんよりは少し若い……かな?」
髪の毛はぼさっと二つに分けて縛り上げ、鼻もぺちゃんと低いあたりはまったくカーリーだ。
「そうか、カーリーは母さん似だもんな」
「え~、やだよう! カーリー、ボンキュボンなお姉さんになりたいのに~」
「そんな言葉、どこで覚えてきたんだよ……」
ジェニーはいたって冷静に、首をちょっとだけ傾げていた。
「本来の人の成長にはもちろん外的要因も関係してくるの。栄養状態や、精神が肉体に与える作用とかね。でもこのクスリはそういった要因を全て取り払って純粋に遺伝子情報のみをモデルとして……」
「難しくてわかんないよ」
「要するに、親からもらった遺伝どおりの予想図でしかないんだから、これからの生活次第である程度は改善されるっていうことよ」
「ボンキュボンになれる?」
大きな図体の女性が甘えきったような鼻声をだして、子供のような仕草で身をくねらせるのは正直いって可愛くはない。だから僕は少し厳しい声を出す。
「おい、カーリー、もっとしゃきっとしろよ、みっともないぞ!」
「え~、カーリーは普通にしてるよう……」
「う、普通か……」
確かに甘ったれた仕草はいつものカーリーなら見慣れたものなのだが、
「だってお前、今は大人だろ! ちゃんと大人らしくしろよ」
「大人らしくとか、よくわかんないよぉ!」
カーリーがべそ声をあげたそのとき、トントントンと小気味よい足音が階段で鳴って、マーカス博士がひょこんと顔を出した。
「おや、いつのまに?」
「ま、マーカス博士! お客さんは?」
「ああ、帰られたよ。用事はすんだからね。それより、こちらのご婦人はどなただい?」
いまのカーリーは体が大きいんだから、いやでも目に付く。だからマーカス博士はさも不思議そうにこれを聞いたんだ。
「どうして私の洋服を着ているのかな?」
「ここここここ、これはっ!」
答えにつまった僕を見かねたか、ジェニーが一歩前に進み出た。
「この人はブライアンのおばさんよ。料理を教えてもらおうと思って、来てもらったの」
「それはそれは、なんだかすみませんねえ。お名前は?」
「カーリ……カーリシアさんよ!」
「ほうほう、で、その洋服は?」
「それは、えっと……」
「それは私の一張羅なんだけどなあ?」
そのとき、僕は確かに見た。マーカス博士はクラスメートをからかうときの男の子みたいに、薄っすらと楽しげな笑いを浮かべていた。
「どうして私の洋服を着ているのかな~」
「ドラゴが……」
「ほうほう、ドラゴが?」
「ドラゴが飛びついて汚しちゃったから替えの服を貸したの! それにおじさん、こんなボロ服を一張羅とか言わないで! 私が恥ずかしい!」
少しヒステリックなジェニーの声に、マーカス博士はびっくりしたように目を見開いた。
「……わかった。言わない……」
「そうしてちょうだい!」
気の毒なのは濡れ衣を着せられたドラゴだが、まあ、あとで犬用ガムでも買って勘弁してもらおう。
ともかく、これで説明は済んだはずだとジェニーは判断したようだ。少し怒ったような大またで歩き出す。
「キッチンはこっちよ、カーリ……シアさん!」
「え、あ、はい」
ジェニーについて歩き出そうとするカーリーを、マーカス博士が呼び止める。
「いやあ、カーリシアさん、ウチは大人の女性がいない所帯なものですからね、料理のほかにも手伝ってほしいことがいくつかあるんですが……」
嫌な予感がする……だってマーカス博士はニヤニヤと笑っているんだもの。
「おや、まさか、嫌だとはいわないですよね? 配慮と分別のある大人の女性は、親切なものですからなあ」
そういわれて断ることなど、僕らにはできなかった。
マーカス博士がぼくたちに言いつけたのは単なる洗濯だった……とはいっても半端ない量ではあったが。
「いやあ、本当に助かるよ。ちょうど大物洗いにはいい季節だからね」
窓辺からひっぺがされたカーテンがまた一枚、ぼくらの目の前にばさりと投げ出される。他には衣類はもちろんのこと、シーツやベッドカバーや、細かいものではキッチンの鍋つかみなんかも、まるで家中の布製品が集められたみたいになっている。
「いやあ、こういうものはこういう機会でもないと洗いませんからなあ」
マーカス博士はしれっとした顔でいったけど、カーリーは半べそだ。僕にそっと耳打ちする。
「おにいちゃん、カーリー、洗濯機の使い方知らないよぅ」
「母さんの手伝いのひとつもしないからだ、まったく」
「ねえ、どうしよう」
「仕方ない、手伝ってやるからさ」
ジェニーもカーリーの背中を優しく叩いて囁く。
「大丈夫よ、私も手伝うから」
そんな様子を見て、マーカス博士は深く頷いた。
「お手伝いをするなんて、君たちはいい子だねえ、ご褒美にアイスでも買ってこようか」
「アイス!」
カーリーが目をキラキラさせたが、マーカス博士はそれには気づかないようだった。
「私がアイスを買いにいっている間に、よろしく頼みましたよ、ええと……カーリシアさん」
マーカス博士が玄関を開けて出て行ってしまうと、カーリーはさっそくベソをかいた。
「おにいちゃん、お洗濯とか無理だよぅ」
「無理じゃないさ。洗濯機に放り込んで、あらって、干して、その後たたむだけだぞ」
「遊ぶ時間がなくなっちゃうよぅ」
「遊ぶ時間って……母さんが毎日ぼくらのためにしてくれている仕事だぞ」
「うう、わかったよう」
カーリーは足元に積み上げられた洗濯物の山にのろのろと手を伸ばした。ジェニーが声をあげる。
「だめ、まずは色物と白いものを分けて!」
「ええ、良くわかんないよ」
「このTシャツはプリントが濃いから、裏返しにしてね、こういう感じによ」
「ぶ~、わかんない~」
「こっちのこれは、ネットに入れたほうがいいわね、型崩れしちゃう」
「あ~、う~、わかんない~」
結局てきぱきと手を動かしたのはジェニーで、カリーはブツブツ文句を言うばかりだった。それでもともかく、洗濯物はすっかり仕分けされた。
「次はこれを洗濯機に入れるんだけど……」
「こんなにいっぱい、もてないよぅ」
だから洗濯物を洗濯機まで運ぶのはぼくの仕事に。カーリーはといえば洗剤をカップで一杯すくって入れただけだ。
それでも動きはじめた洗濯機にもたれて、カーリーは大きなため息をつく。
「ふう、大人って大変……」
「ちっとも大変なことなんかしていないじゃないか」
「それでもね、なんだか体が重いの」
「大丈夫か? 具合悪いんじゃないか?」
「うん、具合悪いかもしれない。ひざが痛いの」
「老化だな」
「ろーか?」
「よくばあちゃんがひざ痛いって言ってるじゃん、あれだよ」
「え~、やだあ、カーリー、ろーかやだぁ!」
そうこうしているうちに洗濯は終わったようだ。洗濯機のブザーが鳴る。ぼくらは洗いあがった洗濯物をカゴにぎっしりと詰め込んで庭に出た。




