マッシュ空を飛ぶ? 3
僕の家の前には広いスイカ畑があって、畑の真ん中で草取りをしている母さんの姿が見えた。
「おかあさーん!」
僕が大声で呼ぶと、母さんは草取りの手を止めて立ち上がる。そして、僕らの後ろで
ぺこりと頭を下げたジェニーを見て、目を丸くしたんだ。
「おやおや、まあまあ」
大きな体を揺すって畑から出てきた母さんは、とびきり明るく笑った。
「あくたれ三人に天才少女のジェニーちゃんとは、おかしな取り合わせだねえ」
「母さん、ジェニーのこと知ってるの?」
「ああ、マーカスさんが一軒一軒、引越しの挨拶に回ったからね。それに、この辺の子はみんなアタシの子供みたいなものだからね、名前ぐらい知ってるさ」
からからと母さんが笑う。大きな笑い声がスイカ畑の上を渡る風に混じって広がってゆくようで心地よい。
ジェニーはすっかり安心したみたいで、母さんを見上げて小さな声でつぶやいた。
「……怖くない」
僕もほっとして、ジェニーに言う。
「行こう、家で冷たいおやつでも食べよう」
その間に、母さんは駆け寄ってきたカーリーを両手でひょいと抱き上げて、ジェニーに笑顔を向けた。
「ほら、そんなところに突っ立っていたら暑いだろ。早くおいで」
その様子があまりに普通で何の気取りも無いから、だからジェニーも心から安心したんだと思う。彼女はにっこりと華やかな笑顔を母さんに返して、もう一回ぺこりと頭を下げた。
「お邪魔します」
「おやおや、行儀が良くてかわいらしいねえ、あくたれたちと大違いだ」
愉快そうに体を揺すって歩く母さんについて家に行けば、僕たちにはそれぞれに小さなアイスが手渡される。大きい箱で売っている徳用のやつだ。
庭先の日陰に思い思いに隠れてアイスを食べる。カーリーとジェニーは大きなオリーブの木陰で並んでアイスを食べているのだが、ふたりとも油断しきったというか、安心しきったというか……すごく自然に笑いあいながら何かを話し合っている。ジェニーの足元には穂を出しかけたエノコロ草が揺れていて、ひどくのどかな光景だった。
ちょうどアイスを食べ終わるころになって、家の奥に入っていた母さんが庭先に顔を出した。
「ブライアンのズボンを持ってきてみたんだけど、これならサイズが合うと思うよ。奥の部屋を貸してあげるから、着替えてらっしゃい」
母さんと一緒にジェニーは奥の部屋へはいってしまうから、僕たちはいっせいにカーリーに駆け寄ってこれを取り囲む。
「なんかずいぶんと楽しそうに話していたけど、何の話してたんだ?」
「花火の話だよ?」
「花火?」
「うん、今度みんなでするための花火をね、マーカスさんが作ってくれるんだって」
「何でも作るんだな、あの博士は」
「だからね、『どんな花火がいい?』って聞かれたから、パーンって鳴ったときにお菓子が出てくる花火がいいって言ったの」
カーリーはニコニコしているけれど、僕たちはちょっと呆れ顔だ。
「お前さあ、もっと現実的に考えろよ。どんな花火がいいかって聞かれたら、普通は色とか大きさとか答えるものだろ」
この言葉にカーリーは唇を突き出して「ぶー」とうなった。
「だって、ジェニーちゃんは『おもしろいね、それ』って言ってくれたもん」
「いや、話を合わせてくれただけだろ、いくらなんでもそんな花火、作れるわけが……」
ちょうどそのとき、着替えを終えたジェニーが奥の部屋から出てきた。ジェニーは僕らの前にドン!と仁王立ちして腕を組む。
「作れるわ。マーカスおじさんならね」
彼女はすでにジーパンに洗いざらしのTシャツ、髪も後ろでひとまとめにりりしく結い上げているのだから、ちょっとにらみをきかせた視線に僕らはびびる。
ジェニーの方は腕を組んだまま、自信満々だ。
「マーカスおじさんなら、どんな花火でも作れるわ」
「どんな花火でも? 例えばおなかがいっぱいになる花火とか」
「作れるわ!」
「風船みたいにふわふわ飛び回る花火とか」
「作れるわ!」
「見ると頭がよくなる花火とか」
「それは……ちょっと、どうかしら?」
「なんだよ! 何でも作れるって言ったじゃないか!」
「ごめん、言い直すわ。マーカスおじさんならたいがいのものはなんでも作れる、子供がノートに落書きしたような空想の動物でもね」
ジェニーは「ふん」と鼻先を上げて、もういちど腕組みをした。
「ドラゴは、私が子供のころに書いた絵をモデルにしておじさんが作ってくれたのよ」
その様子からはマーカス博士を深く信頼しているのだということがはっきりと感じられた。たぶんジェニーにとってマーカス博士は、何でもできるスーパーマンみたいな人なんだろう。
実際におかしな機械を作ったり、ふわふわ浮いて歩いていたり、マーカス博士が普通の大人じゃないことは僕もよく知っている。
「うん、たぶん博士なら何でも作れると思うよ」
「でしょう? マーカスおじさんに作れないものなんてないんだから」
「じゃあさ、みんなでマーカス博士に作ってもらう花火の設計図を描こう!」
それはとても素晴らしいアイディアのように思えたのだけれど、ジェニーはいかにも不服そうに唇を尖らせて、カーリーみたいに「ぶー」と鼻を鳴らした。
「虫取りに行かないの? せっかく着替えたのに~」
だから僕らは彼女の意見を尊重して虫取りに出かけた。
ズボン姿のジェニーはすっかりいたずらっ子みたいな見た目で、カーリーとしっかり手をつないでいる。僕たちはそれぞれに愛用の虫網を担いで、林の中の小道に踏み込んでいった。
道と言っても車が通るような道じゃなくて、人が通るところだけが草も生えないくらいに踏み固められた細いけもの道だ。道の両脇には僕らの腰くらいまである草がみっしりと生い茂っていて、ところどころで道を隠す。
「ジェニー、大丈夫かい?」
僕が振り返ると、彼女は嬉しそうにクスクス笑っていた。
「まるで探検みたい」
草むらをかきわけてずんずん進むと、林がぽっかりと開けて、僕らの頭上にくっきり青い夏色の空が広がる。足元は少しじくじくして、生えている植物も細くて背の高いアシに代わる。
「すごい、池ね!」
ジェシーは驚いた声をあげるけれど、カールは冷静だった。
「違う、これは沼だよ」
水面の広さは体育館くらいしかないけれど、水は底が見えないほど深い緑色をしている。僕たちの立っているところは沼の本体から少し離れているのに、靴底にねっとりと張り付くほど地面が湿っていて、なるほど、確かに池と呼ぶには陰気すぎる。
だけどここの草むらの中には大量のバッタが隠れている。水場を求めてやってくるトンボもいて、そんな虫たちを狙うカエルなんかもいる。網を一振りすれば何かの生き物が入っているような、虫取りの穴場中の穴場なんだ。
ただし、沼のほとりだけあって足場は悪い。僕たちは子供のころからここを遊び場にしているのだから、足を置いたときの感覚でそこがどのぐらい湿っているのかを予測することができる。ところがジェニーはそれができないのだから、五歩ぐらい歩いたころにはもう、湿った重たい泥で汚れたスニーカーを持ち上げることさえ大変そうだった。
「ああ、もう! せっかく借りたズボンなのに汚れちゃう!」
ジェニーがぶつくさ言うから、僕は答える。
「気にしなくていいよ。ズボンの汚れなんて洗えば落ちる」
「でも、お洗濯するのはあなたのお母さんでしょ?」
「うちの母さんならたぶんこう言うね。『あんたたち、汚し方が足りない、もっと派手に遊んでらっしゃい!』ってね」
「でも……」
「じゃあさ、こうしよう! マーカス博士にどんなドロ汚れも落とす石鹸を作ってもらってよ!」
「それ、いいかもね」
ジェニーがクスリと笑う。それから大きく足を上げて、特に湿ってじくじくと水がしみ出している土を強く踏みつけた。
べちゃん!とつぶれたような水音が響いて泥が勢いよく飛び上がる。それはジェニーの白い頬にまで飛んだのだが、彼女は気にする風もなく、大きく口を開けて笑っていた。
「ほんとうはね、こうやって泥んこ遊びってしてみたかったの!」
カーリーが足元の泥をすくってジェニーに投げつける。
「どうせなら、もっと泥んこになっちゃえ~」
「あ~、やったなぁ!」
自分もドロをすくってカーリーに投げ返すジェニーはひどく子供っぽくて、なんだかクラスで誰とも友達にならずにしかめっ面している『あの』ジェニーからは想像もできないくらいに楽しそうだ。
ジェニーは顔中が口になるほど大笑いして、カーリーの体を抱えるように捕まえた。カーリーはこれまた大口を開けて、キャアキャア騒ぎながら手足をばたばたさせる。
足元は水溜りの出来損ないみたいな泥だまりだから、バッチャンバッチャンと音を立てて泥が跳ね上がる。
「まったく、ガキだなあ」
僕が少しあきれてため息をついたそのとき、ジェニーがにんまりと笑いながらカーリーに何かを耳打ちした。カーリーもにんまりと笑いながらうなづいているのだから……
「なんか、嫌な予感がする」
僕ら男三人は少し後ずさりしたが、手遅れだった。
「お兄ちゃんも泥だらけになっちゃえ~!」
「攻撃開始~!」
二人が大はしゃぎで泥をすくっては投げしてくるから、僕たちのシャツはあっという間に土色のシミで汚れる。
「あ、やりやがったな!」
僕たちも足もとから泥をすくって応戦する。逃げ回るジェニーとカーリーのシャツめがけて、どんどん泥を投げつけていく。
そうやって、どのぐらい沼地で転げまわっていただろうか。泥で重くなったシャツを脱ごうと動きを止めた僕は、怪しい物音に気が付いた。
――パシャ、パシャ
カメラのシャッター音だ。それは近くの特に背の高い草むらの中から聞こえてくる。
「誰だ!」
僕が少し警戒しながら怒鳴ると、茂みが揺れてマーカス博士が頭をかきながらでてきた。
「やあ、泥まみれになって遊ぶ自然な表情を撮りたかったんだけど、失敗失敗」
「博士? わざわざジェニーの写真を撮りにきたんですか」
「うん。アルバムを作ってあげようと思ってね」
「だったらもっときれいな遊びをしているところを撮ればいいのに」
「君はわかってないねえ」
マーカス博士は大げさに肩をすくめて見せた。
「子供であるという時間は、それだけで大切な宝物だ。特に大切な友人が一緒なら、ただの泥遊びだって後々の宝になる。私はね、あの子が大人になった後で宝物だと思うような時間を切り取ってとっておいてあげたいんだよ」
「はあ、よくわからないけど、ロマンチストなんですね」
「そんなんじゃないよ。時間は不可逆性、私のような天才科学者でもあの子に過去を与えてあげることはできない。だから、未来に向けての贈り物を作ってあげたいという、合理さ」
「ますますわからない」
「わかりやすく言うとね、あの子の母親……私の姉はあの子の写真を撮るのが趣味だった。子供のころのちょっとしたひとこまを切り取った何気ない写真を、それこそアルバム何冊も撮っていたのさ。だけどあの子はそのアルバムを失くしてしまったからね」
「アルバムを? 何冊もあったのに?」
「まあ、そこは大人の事情もあるから気にしなさんな。いま大事なのは、失ったアルバムは取り戻すことができない、なぜならそれは過去だから! ならば未来のジェニーに送るためのアルバムを作ってやらねばならぬ! あの子の母親ならば、きっとそうしただろうからね」
「つまり、ジェニーのお母さんの代わりに、ということですね」
「その通り! ところで……」
マーカス博士は泥だらけになった僕を頭の先からつま先までじろりと見た。
「そんなに汚してしまっては、さすがにお家の人がびっくりするんじゃないかい?」
「ああ、まあ……そうですね」
「そんなときこそマーカスの大発明! 『人間まるごと洗濯機』! どうだね、家に来て体を洗っていかないかね?」
マーカス博士があんまりにも無邪気な顔でにっこりと微笑むから、僕はほんの少しだけ、不安になったのだった。




