不機嫌な転校生
僕たちが教室についたのは、あと三分で朝のチャイムが鳴るころ……つまり遅刻ギリギリだった。
この時にはもう、事件は始まっていたんだ。
僕たちは急いでロッカーに向かう。先生が来る前にランドセルを片付けてしまいたいからね。
ところが、そんな僕たちの前にアーニーが立ちはだかった。
アーニーは女子なのに、いつもお兄ちゃんのおさがりのペンターパンツに色の抜けたTシャツという男の子みたいな格好をしている。格好だけじゃなくて、休み時間は男子に混じってサッカーをするような元気な女の子だ。
背丈もカールと同じぐらいノッポで、背の小さい僕は困り切って彼女を見上げることしかできなかった。
「おい、アーニー、そこをどいてよ、ランドセルをしまいたいんだ」
アーニーは少しだけ下がって道を開けてくれたけれども、僕たちがランドセルをしまう間もついてきて、ウキウキと楽しそうな声で話しかけてきた。
「ねえねえ、転校生、来てた?」
いきなりそんなことを言われたって、答えようがない。
僕がぽかんと口を開けてしまったのを見て、アーニーは自分の言葉の足りなさに気づいたらしい。短く切った髪の毛先を指でクイクイとひねりながら話す。
「あのね、転校生が来るらしいのよ、今日」
「へえ、男の子、女の子、どっち?」
「それはわからないけど、これは事件よ!」
カールはそれを聞いたとたん、急に興奮して両手を振り回し始めた。言葉もいつもより早口だ。
「事件だ、事件だよ、ブライアン!」
何が事件なのかわからず、僕は首をかしげる。
「いったい、何が事件なんだい?」
察しのいいマッシュは何が事件なのかを理解したらしく、ポンと両手を叩いて頷いた。
「そうか、確かに事件だ」
僕だけが一人、戸惑ってみんなの顔をきょろきょろと見回す。
「え? ええ? 何が事件なの?」
マッシュは柔らかいほっぺがぎゅっと引き締まるぐらい真面目な顔になって、僕に説明をしてくれた。
「いいかい、ブライアン、このあたりでお引越ししてきた家は一軒だけだ、どこかわかるかい?」
「マーカスの秘密研究所だ」
「そして、今日、転校生がここへ来る。どこのおうちの子だと思う?」
「マーカスの秘密研究所だ!」
マッシュとカール、それにアーニーは口をそろえて言った。
「その通り!」
「え、でも、それがどうして大事件なんだい?」
僕が言うと、カールが首を振りながら大きくため息をつく。
「わかってないなあ、ブライアンは」
その真似をするかのように、アーニーも小さく首を振った。
「ほんと、わかってないわね」
カールはいかにも賢そうに前髪をかきあげて、それから「ふん」と鼻息を吐いた。
「いいかい、その転校生はマーカスの秘密研究所に住んでいるんだぞ、もしも仲良くなって、遊びに誘われたら、堂々とマーカスの秘密研究所に侵入できるじゃないか!」
その言葉に重ねるように、アーニーはまくしたてる。
「女子は侵入なんて悪いことはしないから! みんなで転校生と仲良くなって、秘密研究所の見学ツアーをさせてもらうの!」
「へえ、見学ツアーなんてつまんないじゃん。男子は、秘密研究所探検ツアーだ! あの研究所で行われている恐ろしい研究をとめる、冒険ツアーになるかもしれないけどね」
「ばっかじゃないの、子供がいるようなお家が、恐ろしい研究なんてするわけないじゃないの。秘密って書いてはあるけれど、きっと優しい秘密なのよ」
「なんだよ、優しい秘密って」
「そんなの知らないわよ、あんたこそ、恐ろしい秘密って何よ」
「それは……秘密の人体実験とか、秘密の兵器開発とかさ!」
「ちょっと、マンガの読みすぎなんじゃないの?」
アーニーが「ははん」と鼻先で笑うから、カールは腹を立てて声を荒げた。
「なんだよ、マンガの読みすぎって!」
「だって、人体実験とか、兵器がどうとか、マンガみたい!」
これ以上ほっといたらケンカになりそうな雰囲気だ。僕はあわてて二人の間に割って入る。
「まあまあ、ほら、そろそろ先生が来ちゃうし、さ」
ちょうど始業を告げるチャイムが鳴った。アーニーは、まだ何かを言いたそうな顔をしていたけれど、僕たちは大慌てでランドセルをロッカーに突っ込んで自分の席につく。
別に止めなくてもよかったんだ。アーニーとカールが喧嘩をするなんてしょっちゅうのことで、このクラスじゃ誰も驚かないんだから。
それでも、教室に入ったとたんにケンカが始まっていたら転校生はびっくりするだろうと。
僕はそういう変なところに気を使うクセがあって、それをよく知っているマッシュは、軽く肩を叩いてくれた。
「いつもたいへんだねえ」
「まったくだよ、あの二人は、もう少し仲良くできないのかな」
「仲がいいからだろ。ほら、喧嘩するほど仲がいいって言うじゃないか」
「まあ、そうなんだけどさ……」
「それよりも転校生、楽しみだねえ」
マッシュは太った体を揺すってニコニコしている。
「転校生が男子だったらね、僕は親友になって、秘密基地に連れて行ってあげようと思ってるんだ」
「だめだよ、あそこは僕らだけの秘密基地じゃないか!」
「でもね、秘密研究所に連れて行ってもらうんだから、そのくらいはしてもいいんじゃないかなあ」
「まあ、確かに……でも、もしも転校生が女子だったらどうするんだよ」
「あ、そうか、女の子は秘密基地なんか喜ばないね」
マッシュがのんびりと答えたのは、ゆったりとした性格のせいだけじゃない。アーニーは気が強いけれど意地悪じゃないことを、僕らが知っているからだ。
もしも転校生が女子なら、アーニーは本当にその子と仲良くなるだろう。そして、マーカスの秘密研究所へ遊びに行くときは、僕らのことも誘ってくれるに違いない。だってアーニーは、仲間外れが嫌いな真っすぐな性格だから。
そんなわけで、クラスの誰もがこの転校生が来るのを楽しみに待っていた。間もなくして教室に入ってきた先生が連れていたのは、シンプルな白いワンピースを着た、すらっと細い女の子だった。
とてもきれいな女の子だ。日焼けしていない手足は、ほっそりとして白い。もちろん体つきも細くて、一目で『都会の子』だなと思った。
着ているワンピースだって、スーパーの二階で買った安物とはちょっと違う。何の飾りもついていないのに、体のラインに沿って腰が細くなるように作られたそれは、おしゃれに興味ない僕でもわかるほど良いものだ。
先生はその女の子を少し前に押し出して、朗らかに言った。
「こちらは転校生のジェニーさんです。皆さん、仲良くしてあげてくださいね」
その女の子は、自分の名前が呼ばれても表情一つ変えずに、教室の中をじろっとにらむように見回している。やがて教室の一番後ろに新しく運び込まれた机を見つけて、その女の子は先生に聞いた。
「あそこが私の席ですか?」
「ええ、そうよ」
「そうですか」
相変わらず表情も変えずに、その子は席に向かおうとする。先生が驚いてこれを呼び止めた。
「ジェニーさん、あいさつしたほうがいいんじゃないかしら」
「先生、それは命令ですか?」
「いいえ、命令ではないけれど……これから同じクラスでお勉強するお友達なんだから、あいさつは大事だと思うのよ」
「なるほど、そういうことならばなおさら必要ありません」
それに続いて彼女の口から出た言葉に僕は――ううん、僕だけじゃなくてクラス中が凍り付いたんだ。
「私、誰とも友達になる気はありませんから」
それだけ言うと、女の子はさっさと席まで歩いていってしまった。
あとに残された先生は困った顔でため息をついてるし、クラスの誰もが口もきかないで転校生の方をチラチラ盗み見ているばかりだ。
最悪だ、最悪の雰囲気だ。
それなのに転校生は、すました顔で机の上に教科書を並べ始めてしまった。
こうして僕らの街の大事件は、最悪な雰囲気ではじまったのだ。