友達の誓い 6
僕の次にジェニーと友達になったのはカーリーだ。
夏休みも近いということで授業は午前中だけ、給食もない。だから、帰りの会が終わった教室は、すぐに話し声があふれてにぎやかになった。
少し離れたところで、女子たちが遊びの相談をしている。
「お昼ご飯を食べたら、公園に集合ね!」
もう少し離れたところでは別の女子グループが、昨日見たテレビの話をしている。
教室の後ろでは男子が集まって、校庭でサッカーをするか、それとも野球をするか言い争っていた。カールとマッシュも、その言い争いの中にいる。
だけどジェニーはやっぱり一人ぼっちで、黙って帰りの支度をしている。
(あいつ、寂しくないのかな?)
僕は少し心配になって、ジェニーに声をかけようとする。
「ねえ、ジェニー……」
呼びかけに応じて彼女が振り向いた……瞬間、教室に駆け込んできたカーリーが僕の背中にどーんと飛びついた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃ~ん!」
「どうした、カーリー!」
カーリーは学校に来るときは髪の毛を二つに分けて耳の後ろで縛っているんだけど、それが片方だけほどけてぼさぼさになっている。そのぼさぼさの髪が揺れるくらいに大きく頭を振って、カーリーが僕に言った。
「お兄ちゃん、大変なの!」
「だからって何回も呼ぶなよ! で、どうした、誰かにいじめられたのか?」
「ううん、こっち側のゴム、切れちゃって、髪の毛が大変なことになってるの!」
「それは見ればわかるけど……そんなことで僕のところに来たのか、お前は」
「だって、ミダシナミは女の子のイチダイジなんだよ。お兄ちゃん、髪の毛のゴム、持ってない?」
「もってるわけナイだろ! いいかげんにしろ!」
このやり取りを見かねたか、ジェニーが椅子から立ち上がる。
「あの……ゴムが一本しかないんだったら、ひとつに結びなおせば良いんじゃないかしら?」
ジェニーの言葉にカーリーは目をぱちくりさせて、それからすぐに甘ったれた声を出した。
「え~、無理~」
「どうして? そっちのゴムはまだ大丈夫なんでしょ、一度ほどいて結ぶだけよ?」
「だって~」
甘えきったカーリーの態度にじれて、僕は助け舟を出す。
「こいつ、甘ったれでさ、いつも母さんが髪を結んでくれているから、自分でできないんだ」
「そう、お母さんが……」
少しだけジェニーが黙り込んだのはなぜだろう。すごく寂しそうに目を伏せて、きゅっと口元を結んだのは……少し心がざわざわする。
「あのさ……」
ためらいがちにかけられた僕の言葉を跳ね返すように、ジェニーは顔を上げた。
「じゃあ、私が結びなおしてあげるから、こっちへいらっしゃい」
その表情!
クラスメートたちは自分たちの話に夢中になっていて誰一人気づかなかっただろうけど、ジェニーは確かに笑っていた。とても優しい形に唇を緩めて、「ふ」と息を吐き出したんだ。
だからカーリーもすっかり安心しきった様子で、まるで名前を呼ばれた子犬みたいにジェニーに駆け寄った。
「はやく、はやく~、昼休みが終わっちゃうよ~」
「ちゃんと大人しくしてね、でないときれいに結べないわよ」
「はやく、はやく~」
手足をパタパタさせるカーリーのワガママっぷりが恥ずかしくて、僕は思わず言う。
「なんか……ごめん」
「別に。私もお母さんがいたころは自分で髪の毛なんか結べなかったもの」
僕はこの言葉への返事に、少しだけ困ってしまった。
髪の毛を結んでくれたお母さんはもういない……つまりジェシーが自分で髪の毛を結べるようになった理由は、とても悲しいものだ。だけど肝心のジェシーがすごく当たり前で悲しいことなど何もないような顔をしているのに、僕が大げさに悲しい顔をするのもなんだかおかしな話だ。
だから僕はそっけなく「ふ~ん」と言っただけだった。
ところがカーリーはまだ小さくて、それに遠慮というものを知らない性格だから、椅子をがたがた揺らしながら聞く。
「お母さんがいないと、ご飯はどうするの?」
「私が作るのよ」
「え~、マーカスさんがいるのに?」
「おじさんったら、毎回新しい料理を発明しちゃうんだもの、怖くって食べられないわ」
「お洗濯や、お掃除は?」
「それはおじさんがやることもあるし、私がやることもあるわよ」
「ふうん、お姉ちゃんはすごいね」
「そうかしら。すごくはないと思うわよ」
そう言いながらジェニーはカーリーの髪の毛を手ぐしで一つにまとめて、くるくるっと髪ゴムで縛ってしまった。
「はい、できた」
「え、もうできたの? すご~い!」
「だから、すごくなんかないってば」
「カーリーも、自分で髪の毛縛る練習しようかな」
「カーリーちゃんはまだ小さいし、お母さんが縛ってくれるから、いいんじゃないかしら」
「そうじゃなくてね、あのね……」
カーリーはちら、ちらと僕の方を見た。
「お兄ちゃんには内緒なの、きっと、バカだなあって笑うから」
「あら、内緒の話ね、はい、どうぞ」
ジェニーは少し体を曲げて、片方の耳をカーリーに差し出した。少し笑った、優しい顔で。
カーリーはつま先立ちしてジェニーの耳に何かを囁く。それを聞いたジェニーがクスクスと笑い始めた。
「あ、ひど~い、笑った~!」
「ごめんなさい、そうじゃないの、あまりにかわいらしい秘密だったから、つい」
「かわいらしい?」
「ええ、とってもかわいらしくて、素敵な秘密だと思うわ」
「ほんと?」
「本当よ」
ジェシーの笑顔が、少し変わった。まるで僕らが飛び切りのいたずらを思いついたときみたいに口を横に広げて、目元をキラキラさせて、にやりと笑ったんだ。
「ふうん、ブライアン君には内緒なのね」
「うん、内緒! だって、ぜったいバカにするもん!」
僕はその『秘密』が気になって、少し足をじたばたさせる。
「なんだよ、バカになんてしないから、僕にも教えてよ!」
カーリーがツーンと顔をそらした。
「ダメ~、教えてあげないもん」
ジェニーも。
「そうね、秘密よね」
その後で二人は顔を見合わせてくすくすと笑う。その様子があまりにも楽しそうだから、僕は首をすくめて引き下がった。
ジェニーのほうは顔をキラキラさせて、両手をぱちんと叩く。
「そうだ、これで私とカーリーちゃんは友達ね」
「友達?」
「ええ、秘密を共有するのが友達なんですって、ブライアン君がそう言っていたわ」
「お兄ちゃんが~?」
「あら、カーリーちゃんは私と友達になるのは、いや?」
「いやじゃないよ! お姉ちゃんと友達になる!」
「ふふっ、よろしい。じゃあ、友達として、私の家で髪の毛を縛る練習をしましょうか。かわいい縛り方を教えてあげるわよ」
「うん! 練習、する!」
「よろしい、じゃあ、早くランドセルをとってらっしゃい」
「うん!」
カーリーが廊下に飛び出して行くパタパタした足音を聞きながら、僕は振り返ってジェニーを見た。
「ねえ」
「なあに、カーリーちゃんとの秘密は、教えてあげないわよ?」
「うん、それは気になるけど、もういいんだ。そうじゃなくて、友達を作ったら、怒られるんじゃないの?」
「そうね、きっと怒られるわね」
「誰に……って、それは僕にも秘密?」
「そうね……今はまだ、秘密。でもブライアン君は『友達』だから、きっといつか聞いてもらうことになると思うわ」
「ふうん、じゃあ、いいや」
「わかってる、ブライアン君は優しいから、私が怒られることを心配しているのよね。でも、大丈夫、私を怒る人は、今は街に居て、私が友達を作ったことなんか、きっとわからないところにいるから」
「だけど、バレたら怒られるだろ?」
「その時はその時よ。あなたが友達になってくれてから、私はいっぱい考えたの」
「何を?」
「あなたやマーカスおじさんを見習って、少し適当に生きてもいいのかなって」
僕はムッとしてほほを膨らませる。
「僕はそんなに適当じゃないよ」
「えっと……バカにしたわけじゃないのよ、褒めたつもりなのよ?」
「そうかなあ、適当って、良く無い言葉じゃん」
「あら、知らないの? ちょうどよい加減を指す言葉も、『適当』って言うのよ」
「うそだあ」
「嘘じゃないわよ、辞書を調べてごらんなさいよ」
ちょうどそこにランドセルをしょったカーリーが戻ってきたから辞書は調べなかったけれど、僕は頭のいいジェニーがいうことなんだから、本当のことだろうなと思った。
それに、ジェニーが僕のことをバカにしているわけじゃないっていうのは、顔を見ていればわかることだったし、本気で腹を立てていたわけじゃない。それでも、少しすねたような声で言ってみた。
「ちぇ、カーリーばっかり、ズルいなぁ」
思ったとおり、カーリーは得意満面後ろにひっくり返りそうな勢いで胸を張る。
「だって、お兄ちゃんの髪は縛れないじゃない! これは女の子のトッケンなのよ!」
ジェニーは少し僕のことを気にしてくれたみたいで。
「そうね……ブライアン君も、家に来る?」
僕はわざとそっけなく、二人に背中を向けて片手をあげて見せる。
「僕は、いいや。髪型とか、興味ないもん」
「ご、ごめんね、ブライアン君!」
ジェニーの声が少し震えているから、僕はわざわざ振り向いて、怒っていないんだってことを見せなくてはならなかった。
「いいから、たまには女の子同士の秘密ってのも、必要じゃん?」
「ブライアン君……」
「それに今日は、部屋でおとなしく遊ぶよりも、サッカーをしたい気分なんだよ。だから、本当に気にするなってことなんだよ?」
ジェニーがほっとした顔で、小さくつぶやいた。
「うん、ありがとう」
「いいってことさ」
僕は心の中で、ジェニーとカーリーが本当に仲良くなれるようにと祈った。学年は少し離れているけれど、カーリーはジェニーのことが大好きみたいだし、ジェニーもカーリーと話すときは少し優しい声をしている。だから、きっと二人はいい友達になれると思ったんだ。
そうして遊びに行ったカーリーは、家に帰ってくるとジェニーの話ばっかりした。夕食の時も、お父さんとお母さんにジェニーがどれだけ優しかったか、ジェニーがどれだけ物知りか、そんな話ばかりずっとしていたんだから、きっとすごく楽しかったんだろう。
お父さんもお母さんもニコニコしながら、カーリーの『新しい友達』の話を聞いていて、僕の家の夕食は賑やかで楽しいものだった。
だけど僕はふと……本当に特別な意味なんか何もなく、おかずのコロッケにハシを伸ばした瞬間に、いまごろジェニーは何を食べているんだろうと、そう思ってしまった。ジェニーにはお父さんもお母さんもいない。自分で作ったご飯を、一人で黙々と食べている姿を想像して、少し悲しくなってしまったんだ。
だけどそんなわけがない。あの家にはマーカスさんがいるんだから。
「やあやあ、ジェニー、今日の夕ご飯は個のマーカス博士の大発明……」
そう言って得意そうにお皿を差し出すマーカスさんを想像したら、なんだかとっても楽しい気持ちになって、僕は食べかけていたご飯をぷっと吐き出しそうになった。
これを見たカーリーは自分のご飯の茶碗を押さえて、目を三角にして怒る。
「お兄ちゃん、きたないなあ!」
「ごめんごめん」
慌てて真面目な顔を作って、ハシを持ち直しながら……僕は考えていた。
そうだ、今のジェニーには僕という友達がいる、そしてカーリーという友達もいる、なによりもマーカス博士がいるじゃないか!
そう思うともう、ジェニーの笑顔ばかりが思い浮かぶ。僕はすごく安心した気持ちになって、目の前にあるコロッケに勢いよくかじりついたのだった。