不機嫌な転校生10
顔一面に広がるのはいたずらっ子みたいな楽しそうな笑い……そして「くすっ」っと小さく笑う。
「ドラゴンだよ」
「やっぱり! あの、でも、ドラゴンっていうのは伝説上の生き物では?」
「落ち着きたまえ、君は。ドラゴをよく見てごらん、何に見える?」
カーリーの腕の中で、その生き物は誇らしげに鼻先をあげて「ワン!」と鳴いた。
「犬……ですかねえ」
「犬には羽なんか生えていないだろう? あんな太い尻尾もない。これはドラゴンさ!」
「なるほど……?」
カールは、本当は納得していない顔だ。
心では納得していないのに、なんとなく納得したふりをしなきゃ話が終わらないことってあるだろ。お母さんの長いお説教を終わらせたいときとかさ、納得してないのに「はいわかりました」って言っちゃうことってあるじゃない?
だから僕はカールがそういう納得をしたフリをしたんだってすぐに気づいた。僕だけじゃなくて、マーカス博士もそれに気づいた。
「いけない、いけないよ、納得もしていないのに質問を終わりにしちゃいけない」
マーカス博士は両手を広げて、まるで演説みたいに声を張り上げた。
「いいかい、科学というのは物事の本質と原理を追求する学問だ! 例えば空はなぜ青いのか、花はなぜ咲くのか、この原理を知らなくとも人は生きて行ける。しかし、この疑問をただ捨て置かずに追及すること、これこそが科学なのだ!」
ドアの向こうから、ジェニーの怒鳴り声が聞こえた。
「おじさん、うるさい!」
「いやあ、すまんすまん」
頭を掻いてドアの向こうに謝った後で、マーカス博士は僕たちの方に向き直った。
「さあ、質問は、キッズ? この天才マーカス博士が、この世のすべての謎をな~んでも解き明かしてあげよう!」
僕たちは顔を見合わせる。こんなヘンテコな大人の人は初めてだ。
「どうする?」
「だって、なんでも聞いていいって言ってるし……」
「聞いちゃえ聞いちゃえ!」
マーカス博士に飛びつくようにして、僕たちは口々に質問を投げた。
「あの生き物は本当にドラゴンなんですか、ワンって鳴くのに?」
真っ先に聞いたのはマッシュ。遠慮していただけで、きっとすごく気になっていたんだろう、彼にしては珍しく顔が真っ赤になるほど興奮している。
「この研究所には、ほかにも変な発明品や仕掛けがあるのか? あるならば全て見たい!」
少し裏返った声で叫んだのはカール。大興奮して拳を握りしめて身を乗り出している。
そして僕は……少し遠慮がちに小さな声で聞いた。
「ジェニーさんは、どうして友達がいらないなんて言うんです?」
三人とも同時に声を出したのに、マーカス博士はそれを全部聞き分けていた。
「太っちょの君、ドラゴはね、いろんな生き物の遺伝子を組み合わせて私が作った新しい生き物だ。ゲームや漫画に合成獣≪キメラ≫というのが出てくるだろう? あれだよ。もっとも、食べるのはベリーフーズ社のドッグフードだがね」
「なるほど、だからワンって鳴くのかも」
「そうかもしれないね。それから、そこのノッポの君、もちろんこの研究所にはまだまだ私の大発明がたくさん眠っている。見学したいのならばここに来なさい、いくらでも見せてあげよう」
「やったぜ!」
「それから、ブライアン君……」
なぜ、僕だけが名前で呼ばれたんだろうか。ピリッとした緊張が背中を駆け上がって、髪がぞわっと逆立ちするような感覚がした。
マーカス博士はすごくまじめな顔だ。
「いくら天才である私でも、君の質問には答えられない。その質問の答えを持っているのは、私ではなくてジェニーだからだ」
「でも、博士は天才なんでしょ? ジェニーさんの心を読む装置とか作れないんですか?」
「そういう装置を作ることは簡単だ。だけど君は、友達から来た内緒の手紙を大人に読まれたら、腹が立たないかい?」
「たぶん……すごく嫌な気分になります」
「心の中をのぞくというのは、それに似ているね。内緒にしておきたいと思っていることまで、全部を盗み見るような行為だ」
「じゃあ、マーカス博士は、ジェニーさんがどうして友達がいらないのか、その理由が全然わからないってこと?」
「全く分からないというわけではなくて、おそらく、たぶん……」
マーカス博士の声が途切れると、壁の向こうからジェニーが掃除機をかける音が聞こえてきた。分厚い壁に遮られて、かすかに……本当にかすかにだけど、ジェニーがそこに間違いなく居るんだって主張しているみたいだった。
マーカス博士は掃除機の音に背中を押されたみたいに深く頭を下げて、僕たちにお辞儀する。
「ごめん……ジェニーの言う通り、私は君たちがあの子の友人になってくれるといいなと思ってもてなしたんだ」
僕たちはこれにすっかりびっくりしてしまった。
だって、マーカス博士は少し変わってはいるけれどきちんとした大人で、大人というのは僕たちみたいな子供に簡単に頭を下げたりしないものだと思っていたのだから。
だけどマーカス博士はとても真剣で、ふざけて僕たちに頭を下げているわけではない。だから僕たちも真剣に答える。
「ジェニーさんは女の子だから、友達になってくれるように頼むなら、女の子のほうがいいんじゃないかな」
「そうそう、アーニーとかね」
「あ、でも、友達になろうとしていたのに、ジェニーに断られていたよね」
マーカス博士が大きな大きなため息をつく。
「その話は、君たちの先生から聞いたよ。だから私は困ってしまって、ここにたずねてきた子供ならば男の子でも、女の子でもいいからもてなそうと思いついたんだ」
マッシュが大きく太ったお腹を軽く両手でなでながら、困った顔をした。
「う~ん、だけど肝心のジェニーがあれではさあ、誰が来ても友達になんかならないんじゃないかなあ」
「それもそうだね、ああ、困ったな……」
マーカス博士が泣きそうな顔をするから、僕はマッシュを押しのけて前に出る。
「こうしましょう、まずは、僕たちと博士が友達になるんです。そうしたら、僕たちがこの家に遊びに来ても不自然じゃないでしょう? そうやって遊びに来ていれば、ジェニーさんとも仲良くなれるかもしれない」
泣きそうだったマーカス博士が、ぽかんと口を開けて僕を見た。
「友達になるだって! 大人の私と、子供の君たちが?」
「おかしいですか?」
「おかしくないよ! 名案だ! でも、いいのかい?」
「なにがです?」
「私は大人だから、君たちみたいにかけっこをしたり、木登りをしたりできない。それでも友達になれるかな?」
「逆に、大人の人は友達とどうやって遊ぶんですか?」
「遊ぶというよりはおしゃべりを楽しんだり、一緒にお酒を飲んだり?」
「なんだかつまらなそうですね」
「そう! つまらないんだよ! 木登りをしたり、かけっこをしたりする方が楽しいに決まってる!」
それを聞いたマッシュが、にっこりと笑った。
「博士は大人だけど、僕は博士と友達になれそうな気がするよ」
カールはにやりと笑う。
「名案だ。お母さんに『友達の所へ遊びに行く』って説明すれば、ここに来ても怒られないもんな」
僕はパチンと指を鳴らす。
「よし、じゃあ決まりだ!」
これを聞いたマーカス博士は、頭のてっぺんが僕らに見えるくらいに深く腰を折って、しっかりとした声で言った。
「ありがとう……よろしくお願いします」
マーカス博士のお辞儀はさっきよりも礼儀正しくて、僕たちをちゃんと一人前扱いしてくれているんだということがよくわかった。だったら、僕たちだって礼儀正しくしないわけにはいかないだろう?
僕たちは三人そろって深いお辞儀と、元気の良い声で答えた。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
その後で顔をあげると、マーカス博士は優しく笑っていた。僕たちをバカにして笑ったわけじゃない、いたずらが成功したときの笑いとも違う……本当に安心した、うれしそうな顔で笑っていたんだ。
こうして僕たちとマーカス博士は、友達になった。