8 出陣 夏県
昭和16年5月7日。百号作戦開始当日。
早朝。聞喜。
聞喜駅では、四郎、ふく、安安、それに石腹兵長の4人を、奥田少尉と頭城上等兵が見送る。昨晩は、日付が変わるまで四郎と一緒に、ふくを説得した。太原ではなく臨汾で待つのならいいと、ふくはようやく承諾した。だめなら運城の北原中佐に直訴するというので、奥田はしぶしぶ頷いた。
奥田には、時間がなかった。昨日、矢部少佐と決めた新任務の手配がある。それは、四郎を見逃してもらうためだった。本来なら、昨日のうちにすべての手配を済ます筈だった。なんだか、辻褄が合わないような気がする。おかしい。俺は、この夫婦のために余計な仕事を作り、かつ貴重な時間を失っているのではないか。そんな気がしてならない。
動きはじめた列車を、大いなる感動で頭城は見送った。石腹兵長の情けない顔が忘れられない。今生の別れかもしれないと、石腹が言った。馬鹿を言うなと、頭城が笑い飛ばす。階級こそ兵長と上等兵と差がついたが、二人は現役13年兵の戦友である。百号作戦が終われば、二人とも満期除隊となる筈だ。それに、臨汾で3人の番をする石腹より、少尉と一緒に最前線に出る俺の方が危ないんだぞ。
奥田と頭城は、列車が見えなくなるまで見送った。何かこぼれ落ちても見逃さないように。
午後。運城。
第1軍戦闘司令所に、ようやく第33師団の全力が陽城に入ったと報告が入る。
「ふぅ、なんとか間に合ったか」
「そのまま出撃か、指揮官合同もなにもないな」
「桜井閣下は作戦家だ。うまくやられるさ」
「それより、天候が不順だ」
「挺身隊の隠密浸透にはいいが、行軍に時間がかかる」
「大丈夫だ。われらは皇軍だ」
「あっはっは」
作戦は動き始めた。参謀の北原中佐には、当面はやることはない。司令部の士気を保つぐらいだ。
「矢部参謀、少し休むか」
「はっ。ですが」
「ここでじたばたしても始まらんぞ」
「はあ」
「敵信が入りだすのは深夜からだろう」
「そうですね」
「夜に備えて、作戦班は少し休むぞ」
「はっ」
夕方。西正面、夏県。
近在に分駐していた第37師団の各部隊が、朝から夏県に集結を開始した。県城のすぐ外には、連隊本部兼駐屯地兼練兵場があった。夏県の県城からは、ほぼ真西に塔の高地と呼ばれる特徴的な山が見える。その脇から中條山に入る道がある。
第37師団は、第41師団と同じく2年前の編成以来、山西省南部に駐屯している。2つの兵団はこの辺りの地理に詳しいから、西正面の外側包囲を受け持つ。中條山の山麓に沿った包囲網だ。第37師団が南半分、第41師団が北半分の分担である。1個歩兵連隊と山砲連隊を山麓沿いに布陣させた。1個歩兵連隊を挺身隊として、残り1個は独混16旅に後続させる。
挺身隊の任務は、錐のごとく山中の敵陣中央を突破し、黄河河畔に達して、黄河への渡河点を抑えることである。最大の渡河点の垣曲占領は独混9旅の担当だが、この他にも渡河点はある。黄河の河岸はすべて占拠するつもりでかかるのだ。通信隊と重機関銃が肝要となるから、挺身隊は大隊規模となる。
第37師団の挺身隊は、第226連隊である。日没とともに中條山正面に入り、零時に分水嶺を越える。その後、大隊単位で三方向に分進し、それぞれ山中の敵陣を攻撃しながら、9日には黄河に達する。つまり、48時間で1500m級の山地を60km踏破する。連隊長以下の将校も馬を降りて、徒歩での行軍である。師団付属の工兵連隊の大部分がこの挺身隊を支援する。特情をもとに、敵軍の中枢を蹂躙するように進撃路は計画された。時間どおりに進めば、大きな戦果が期待できる。
雨が降り始めた。
兵の一人が不満そうに言う。
「雨期は6月からじゃないのか?」
「ばかもん。支那は旧暦だ」
「なにぃ?」
「げふん。この雨は吉と出るか、凶と出るか」
師団司令部では、安達二十三中将が地下足袋のはぜを詰めていた。
「出られますか」
「あたりまえだ」
「しかし、夜の行軍で、しかも雨です」
「兵もきつかろう。出ないわけには行かぬ」
「はっ」
「師団長閣下、出陣ーっ」
喇叭兵が「海ゆかば」を吹奏する。
日没。作戦開始である。
ざっ、ざっ、ざっ。
第226連隊は出発した。塔の高地の右側から、第2大隊、第3大隊、連隊本部、第1大隊の順に山中に入る。すぐに上りになる。まずは、分水嶺の北陸峠を目指す。中條山山脈は、この辺りが一番傾斜が険しい。1500mの峠まで5km弱だから、勾配は12度を超える。完全武装では登坂できる限界に近い。
1個連隊の行軍の長さは、2列縦隊でも工兵隊や荷駄隊を入れると2kmを超える。先頭はすでに急坂に達しているから、連隊がすべて出発するのに1時間かかった。聞喜駅から戻った奥田と頭城は、最後尾の第1大隊に潜り込んだ。
ず、ず。ずっ。
兵は黙々と進む。一応は街道であるから、道が雨で崩れ落ちることはない。が、ぬかるみに足が滑る。勾配がきつくなるに連れて、勢いづいた雨水が流れ落ちてきて、足を取られる。戦備行軍であり発声は禁止だ。夜間で雨中だから、小休止も立ったままである。
どっ。どざざざざーっ。
突然、大きな音がして地面が震える。前方で、駄馬が転倒したようだ。いや、隊列が止まらないから、そのまま流されたか。道の両脇は雨水の流れる川と化し、片側は谷らしい。真っ暗な闇の中では、足音と気配を頼りに、前の兵士に着いていくしかない。間隔を空けると、置いていかれる。あるいは、道を外して谷に落ちるかだ。
兵は黙したまま、前の兵士を追及する。
ざっ、ざっ、ざっ。
奥田少尉と頭城上等兵も、前列に着いて行くのに必死だ。3回目の小休止の頃、遠くの山稜が明るくなり、少し遅れてどろどろと音が聞こえてきた。いくつかの山の向こうでは、戦闘が始まっているらしい。左手の方だから、独混9旅が進む絳県から垣曲への街道だろう。歩兵砲か山砲を撃ってるのか、この雨の中を?
提灯代わりだな。奥田は、一人で合点する。
ず、ず。ずっ。
兵は黙々と進む。時々、頭城が奥田を後ろから小突く。奥田は、少尉任官後にすぐ学校へ行かされたので、中隊勤務は長くなかった。正直なところ、行軍はきつい。だから、頭城の配慮はありがたい。頭城は奥田附きの当番兵、つまり従兵の役割だ。少尉がなめられると、従兵もなめられる。それが軍隊だ。奥田をシャンとさせることは、頭城自身のためでもあった。だから、容赦なく、ふらふらする奥田の尻を小突く。
どざざっ。ぁーっ。
後の方で音がする。また、荷駄の馬が落ちたらしい。くぐもった人の声もしたようだ。してみると、駄馬と一緒に兵も落ちたか。兵は振り向きもせずに、黙々と進む。前方に、ぼんやりとした灯りが見えてきた。兵列の脇に少し離れている。
奥田は思い切ると、兵列の横に飛び出し駆け出す。慌てて頭城が追従してくるのが気配でわかる。灯りが近づく。まだまだ体力は残っていたらしい。
「おう、奥田少尉か。着いて来ておるな」
そう言ったのは松本大隊長で、そばに副官がいる。灯りは懐中電灯だった。二人の雨具と体の隙間からは湯気が立っている。
「はっ」
奥田は、顔がびっしょりするほど汗をかいていたが、この雨の中ではわからないだろう。口をすぼめて、息を整える。すぐ後で荒い息がするのは頭城だろう。体裁を気にしなくていい兵がうらやましい。
「まもなく峠だ。下りになったら、大休止をとる」
「はっ」
「10km進めば四交村だ。そこで分進、挺身に入る」
「了解であります」
「よし」
雨は小降りになったが、まだ止みそうにもない。
奥田は時計を見る。24時。予定通りだ。
北陸峠を越えた後は、連なる山峰の尾根と尾根の間の谷を進む。まだ上り下りは続くが、道の脇の川は黄河に向かって流れていく。分水嶺を越えたのだ。すでに敵地だが、連隊主力が先行しているので、分進点まで奇襲はないだろう。四交村に着くのは午前4時か。
大隊は、前進を再開する。
昭和16年5月8日。百号作戦+1日。
未明。東正面、孟県。
東正面では、国府第1戦区軍隷下の第9軍が済源東方40kmから孟県東方10kmにかけて布陣していた。敵第9軍は第47師、第54師、新編24師の3個師である。これを攻撃する北支那方面軍直轄の部隊の主力は2個歩兵師団、沁陽に集結した第35師団と第21師団である。ほかに、騎兵第4旅団と戦車第8連隊の一部がいる。
作戦開始と共に、各兵団所属の山砲連隊が準備射撃を行った。それから、歩兵団が一斉に前進を開始する。山砲の射程は7km前後だから、敵本陣までは届かない。歩兵部隊の後を追い、再度砲列を敷いて、一斉射撃を歩兵部隊の先へ降らせる。歩兵部隊が前進すれば、布陣を解いて、後を追う。これを繰り返し、敵を済源から孟県への戦線へと押し込めたところだ。孟県前面には、第35師団主力に続いて騎兵大隊と戦車中隊も集結する。
朝。北正面、薫封。
陽城を出撃した第33師団は、薫封の敵第93軍を攻撃中である。といっても、闇雲に進撃はしない。2個歩兵連隊で薫封に圧力を加え続ける。残りの1個連隊は、南から応援に駆け付けるであろう敵第15軍に備えていた。工兵連隊も陽城から薫封の南側に陣地を構築中である。
師団長の桜井省三中将は、助攻の任務を正しく理解していた。必ずしも薫封陥落を急ぐ必要はない。攻勢を続けていれば、敵第93軍と第15軍の合わせて4個師が動けない。そうすれば、東正面の敵は3個師だけとなる。2個師団を上回る方面軍直轄兵団の攻撃は支えられないだろう。
むしろ、東正面の敵軍が崩壊する5日から7日後が、第33師団の正念場である。瓦解した敵軍敗兵は、北へ逃走路を探るだろう。また、東の陵川には敵27軍がいる。100kmは離れているが、間を遮る山地はない。数日あれば、進出して来れるだろう。
桜井師団長は、南側の陣地構築が終われば、引き続き東側に陣地を構築させるつもりだった。陽城の10km東は沁河だ。河沿いに陣地を構えて、渡河を阻止するだけでいい。そのうちに、第1軍が増援を手配してくれるだろう。
師団の全力が揃ったのは昨日だったが、桜井が積極的に進撃しないのは、準備不足のせいばかりではなかった。
正午。西正面、運城。第1軍戦闘司令所。
「どうだ」
「順調です。各方面とも」
「独混9旅は垣曲に到達、全力攻撃中です」
「よし。まもなく占領できるな」
「独混16旅も、深夜に張店鎮を突破しました」
「先鋒は黄河沿岸に達しています」
「外を閉じたな、いいぞ。矢部参謀?」
「はっ。最南部にあった敵第80軍の一部も取り込めたようです」
「上出来だ」
「はい。敵信は混乱しています」
「挺身隊からは?」
「まだです。通信所開設を始めた頃でしょう」
「そうだな。あと数時間か」
「雨が上がりそうです」
「よし。太原の司令部に報告電だ」
「はっ」
「新郷飛行隊の通信を傍受!」
「読め」
「済源の敵軍の一部に撤退の兆候あり」
「ほほう、さすがは方面軍直轄の指揮だ」
「この中條山中央部にどれだけ包囲できたか、視認情報が欲しい」
「中からは無理ですね。同士討ちを避けるために退避させました」
「うむ。すると、外からか?」
「はい。包囲網の外、中條山南部と連絡を取ります」
「よろしく頼む」
「運城飛行隊に緊急電だ!」
「夜も飛べるか?」
「大丈夫です。夜勤専任がいます」
深夜。西正面、中條山山中。
ず、ず。ずっ。
奥田少尉と頭城上等兵は、山道を登ってきた。この兌山という山の中腹に、第1大隊の大隊本部がおかれる。百号作戦が開始されてから、歩き詰めのまま30時間が過ぎようとしている。
今日の未明、第226歩兵連隊は四交村で分進した。名前の通りの交差路で、四交河ともいうらしい。第2大隊と連隊本部は重機関銃隊を前面に立てて、左へ進んだ。韓家嶺まで道を進んだ後に山地に入る。韓家嶺の先の馬家庵は、第36師団の進撃路である。
右に折れた第3大隊は、毛家山の北麓を進軍する。毛家山は別名1704高地で、1704mはこのあたりの最高峰の1つだ。別路から師団長が進出してくるという。
中挺身隊である第1大隊は、四交村の分岐をまっすぐ進んだ。尾根と尾根との間の道であり、すぐ右側は河である。下唐回という小さい村までは下り、その後は上りとなって1500mの峠があった。北陸峠よりも急坂である。雨は続いている。雨の日には動かないといわれる支那兵だが、さすがに夜が明けて周りが見え出すと、撃ちかけてきた。小戦闘が断続的に続く。
昼。到達した峠で、大隊は中隊長合同を行った。雨は小降りになって、なんとか行き先を展望できる。この先の村は馬村で、さらにその先の村が祁家河だ。特情によれば、馬村を中心に敵第3軍の司令部があるらしい。
「奥田少尉?」
「はい。特情のほかに視認情報もあります」
「いつの情報だ」
「一昨日です」
「「「・・・」」」
決心は指揮官の仕事だ。全員が大隊長を見つめる。
「大隊主力は、これより大きく迂回。馬村を包囲する」
松本大隊長が指を差して作戦を説明する。
馬村手前に第1中隊、左手の兌山に第2中隊、さらに向うの祁家河に第3中隊を配置して、馬村の包囲網とする。残った一方は河だ。攻撃開始は明日の夜明けとする。
大隊は分進を開始した。松本大隊長は、第2中隊と第3中隊を直卒して左手の山地に入った。第1中隊は、間を計りながら、じりじりと馬村に向かって前進する。
ず、ず。ずっ。
まもなく、奥田と頭城は大隊本部に着く。少しは休めるか。
流石に不眠の30時間行軍には参った。しかし、あと数時間で夜明け、戦闘が始まる。
百号作戦は、第3日に入ろうとしていた。