表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/15

7 混乱 運城


昭和16年5月5日。百号作戦-2日


運城の第1軍戦闘司令所は、朝から騒々しい。


「なにっ。弓がまだ揃わないと!?」

「はっ。まだ2個連隊だけです」


秘匿名「弓」の第33師団は、中支からの転用である。今回の百号作戦の為に総軍から方面軍へ増援されたのだ。直前の3月まで作戦出動中ということだったので、第1軍では最も東の、晋城から路安にかけて分駐していた第36師団「雪」を西正面に回し、その後釜に第33師団を配置した。移動進駐期間を短縮するためである。その33師のうち、1個歩兵連隊と山砲連隊がまだ未着という。直前の作戦での消耗が激しく、再編成と補給で出立が遅れたらしい。


「なにをやっとる!」

「それで、陽城の陣地構築は進んでいるのか?」

「一部は雪が造っておりましたので」


第33師団は、3月15日に中支那派遣軍隷下の第11軍が発動した錦江作戦に出陣した。3月19日に作戦目的を終えて反転した。駐屯地に戻って、4月上旬の北支移駐への準備を行うためだ。ところが、左翼の第34師団が深入りしてしまい、3月24日には国府軍19個師団に包囲されてしまう。33師は急遽出動し、34師と連絡を図った。連結した両師団は27日から撤退を開始し、敵中突破して、ようやく4月2日に原駐地に帰還した。もともと第11軍は前線視察も作戦指導も不熱心で、状況判断が遅れたらしい。戦闘司令所もおいていなかったという。


「矢部参謀?」

「はっ。陽城正面の薫封に居座る敵第98軍には異状は見られません」

「あと2日か。欺瞞がもつかな」

「方面軍に報告電を」

「よし。そうしよう」

「それと、航空偵察だ」

「「はっ」」


部員の一人が通信室に走る。

矢部参謀は、北原参謀と協議する。


「まずいぞ。もともと北は兵力不足だ」

「はい。後方の敵27軍に察知されるのは回避しないと」

「敵27軍は方面軍直轄兵団で牽制できるだろう。敵93軍の動静は?」

「特情では、敵9軍の後詰と思われます」

「それはわかっとる。視認情報はないか」

「まだです。なにぶん、敵陣の一番奥でして」

「うむ。なんとかならんか」


特情は、特種情報のことで、暗碼と呼ばれる国府軍の暗号通信を解読して得られた情報であり、解読作業は方面軍直轄だ。百号作戦の想定戦場には敵の8個軍、18個師団の所在が確定しており、敵93軍を除いて、密偵による視認も得られていた。

北原が机上の地図で手指を動かす。


「こう、済源の北に突出されるとまずいな」

「はい。作戦が始まれば押し込めますが」

「空いている要員はいないのか?」

「予備を手当てします。少し出て来ます」

「頼む」



挿絵(By みてみん)



司令所を出た矢部参謀は、側車に乗り込むと、運城駅へ飛ばせと命じる。

駅近くの日本食堂が要員の連絡所である。隣の支那人商店とは裏で行き来ができるようになっていた。矢部が食堂に入ると、主人が別室に案内する。そして、主人が裏から隣にいる要員を連れてくる。そういう段取りだ。


「敵93軍の位置と動静ですね?」

「そうだ」

「これで予備が払底しますが?」

「已むを得んな」

「わかりました。ところで」

「ん?」

「特任機がまた発見したそうで」

「うん。一昨日から連日になる」

「例によって色だけで、うちでは復号できません」

「参本直轄らしい。作戦も暗号も楠山参謀長しか知らんのだ」

「・・・」

「ふぅ。そう睨むな。知らんものは知らんのだ」

「しかし」

「司令所か通信の誰かが担任だと思う」

「・・・」

「脹れるなよ。俺だって不満だ。しかし、ここまでやらないとな」

「防諜という意味では必要な措置です。が、関知できないのは面白くない」

「いずれにしても沁源は北過ぎる。百号には役に立たんな」


運城飛行場の99式軍偵察機は、一昨日から毎晩、一升瓶の特配を受けていた。




挿絵(By みてみん)


その日の午前、五郎はロシア人の部屋に連れ込まれた。

アレクセイの部屋は洞穴の一番奥にあった。厠の反対側に、板切れで囲ってある。中にはテーブルと椅子が4つ。カーテンの仕切りがあって、その奥が寝台をおいた寝室らしい。白人特有の体臭がランプの獣脂と混ざって、ひどい匂いだ。

案内の中共兵を追い出しドアを閉めると、ロシア人が言った。


「ヤポンスキー、話がある」

「・・・」

五郎は無言のままだ。

「俺の名はアレクセイ。お前と取引がしたい」

「!」

五郎は、顔色を変えてみせる。そして部屋の奥を睨む。


アレクセイは、カーテンの向うに声をかけた。

「丁、出て来い」

丁と呼ばれた、顔に皺の多い小柄な東洋人の男が出て来た。支那人か満州人かわからないが、どちらにも扮することができそうだ。老人に化ければ、日本人でも通用するかもしれない。

男は、椅子の1つをドアの前に置いて座った。五郎ではなく、部屋の外を見張るらしい。


「これでいいか?ヤポンスキー」

「俺の名はゴローだ」

五郎がロシア語で返答する。

アレクセイは、歯を見せて笑う。

「やはりな。たいしたもんだぜ、俺の勘も!」

「うまくやったな、アリョーシャ」

見ると、丁も笑っていた。


アレクセイは、五郎に説明する。ソ連の軍、党、政府のエージェントをやっているが、一家をかまえたい。そのために、日本人との経路がほしい。しかるべき人物を紹介して欲しい。もちろん、五郎自身でもいい。要約すると、そういうことだった。


「ガスパジン・アレクセイ。質問がある」

「いいとも、ゴロー」

「3つだ。1つ、なぜ国を売る。2つ、なぜ日本人と接触したい。3つ、なぜ関東軍に接触しない?」

「お前は見込んだとおりの男だ。今、説明する」

「ああ」


「1つめ。俺の国はソ連ではない、ロシアだ。ロシア帝国の復活がないなら、プリモルスキーだ。俺はカザークだ」

「待て。カザークなら、なぜセミョーノフに加わらない」

グリゴリー・セミョーノフは、ロシア革命時にいち早く決起し、日本軍の支援を受けて、バイカルコサックの統領となった。今は、満州国の白系露人事務局にいる。

「独立運動ではないのだ。今はな。もちろん、将来はわからない」

五郎が入学した中野学校の校長は秋草大佐だった。その秋草が少佐の頃、白系露人事務局の設立に関わっているのだが、アレクセイは知らないのだろうか。

「わかった」


「2つめ。日本の情報の評価が出来ない。俺は勿論、丁のような東洋人でも日本人の考え方がわからないからだ」

「なんのことだ?」

「いつもは、日本人は合理的な動きをする。だが、時々、そうでないことがある。慎重で保守的なはずの日本人が突然、突拍子もない動きに出る。その理由がわからない。これでは、情報の評価が出来ない」

五郎には、なんとなく心当たりがある。

「情報の評価までやるのか、そのアレクセイ一家で」

「評価をつければ値が上がる。俺はそう思うが?」

「いいだろう」


「3つめ。関東軍は大きな組織だ、一家はまだ小さい、すぐに取り込まれてしまう。関東軍の下部組織となれば、他の情報が入らなくなる。俺の商売はできないし、一家の仕事も潰れる」

「ほんとうに情報交換が商売になると思うのか?」

「俺は思っている。それに、商売は俺がやるんだ」

「なるほど。余計なお世話だったな」

「もういいのか?他にもあれば言ってくれ」

「考える時間が欲しい」

「そんなにあげられない。明日には返事が欲しい」


五郎は考える。

ソ連国内の防諜体制は完璧だ。いつでも国民を拘束隔離できるから、外国人や密偵との接触の疑いがあれば、容疑の濃い薄いにかまわず、まず拘束する。それで接触は断絶である。だから、陸軍は多くのロシア人間諜を失っていたし、外務省はソ連国外でしか情報収集できないという。向こうから接触を望んでくると言うのは、例え罠であっても非常にありがたく、貴重なことである。

申し出をのむことに異論はない。欺瞞情報であっても、使い道はある。参本や関東軍など他経路の情報と比較できるからだ。全くの虚報で破棄するしかないとなっても、手間が多少増えるというだけだ。そんな虚報に躍らされる帝国ではない。五郎が帝国の情報機関の全貌を知ることは一生ないだろうが、世界有数の規模と体制が確立されていることは間違いない。逆に言えば、五郎一人の任務は極めて小さい部分なのだ。


アレクセイと丁は、大いに手応えがあったという顔つきをしている。だから、五郎の次の言葉に、二人は喜んだ。

「明日、俺がダーと返事すれば、何が変わる?」

「ゴロー、お前のほしいものをやる」

「俺のほしいもの?」

「情報と自由だ」

五郎は、やっと返事した。

「ハラショー、ボリショイ」

「なあに、日本とソ連は中立条約を結んだばかりじゃないか」




挿絵(By みてみん)



昭和16年5月6日。百号作戦-1日


朝。

奥田、四郎、石腹、頭城の4人は、独混16旅の自動貨車に揺られている。ついに、奥田少尉の将校行李は空になった。


「奥田少尉。ようやく全部を廻りましたねぇ」

「はい、お疲れ様でした」

「「はああーっ」」


5月1日の第41師団を手始めに、独混9旅、36師、37師、そして昨日の独混16旅と百号作戦西正面の5兵団を廻った。

奥田は、5兵団の長と司令部、通信隊と連絡を遂げた。また、臨汾、絳県、夏県、安邑の特務機関政治班や県顧問に事情を聴取し終えた。


「それで五郎の行方は判断できますか?」

「だいたいわかりました」

「おおっ」

「最後に、運城の特務機関で最終確認しましょう」

「はいっ」


4人は運城駅で自動貨車を降りて、運転兵に礼を言う。四郎を先頭に、駅前の日本食堂にぞろぞろと入る。食堂の主人は、奥田を見ると、慌てて4人を2階に上げる。一服していると、主人が上がってきて、奥田に耳打ちする。奥田は、一人で降りて行った。


「そうか、昨日で出払ってしまったか」

「なにかありましたか、奥田さん」

「いや」

「隠さないでくださいよ。最近は、妙に居心地が悪い」


それは、中野学校をはじめとする、陸軍の科学的情報活動が確立してきたからだ。科学的とは、地方語で言う合理的のことだ。奥田たちが習った科学的な情報活動とは、旧弊を改めることも含む。任務に不用な情報は与えられない、それを前提に決心し行動するのだ。もちろん、任務に必要な情報や待遇は、無条件に付与されなければならない。

さて?


奥田が返答に窮しているところに、誰かが店に入ってきた。

「奥田少尉じゃないかっ!!」

「あっ、矢部少佐!」

「これは、少佐どの!」

「なんだ、任務は終わったのか」

「あっ、あっ」

「客人は北へ置いて来たか、そうか」

「いや、その」


どたどた、どたん。

そこへ、四郎と二人の兵が降りて来た。

「そろそろ昼飯だろ」

「「待ってください、少佐どの。また勝手に」」


矢部が振り向く。

「え?」

「「「あれっ」」」

「「えええっ!」」




挿絵(By みてみん)


午後。

奥田、四郎、石腹、頭城の4人は、日産自動車謹製八〇型自動貨車で聞喜駅に向かっている。

昼食は済ませた。


「まずかったですね、奥田少尉。申し訳ない」

謝る四郎は、ちっとも悪びれた顔をしていない。むしろ、石腹兵長と頭城上等兵の方が、止めきれなかった自責心でうなだれていた。

「ま、なんとなりました」

「それはよかった」

四郎の声は朗らかだ。

「「じろり」」

石腹と頭城が睨む。

「あ、う」


奥田は、矢部参謀をなんとか説き伏せて、四郎のことは不問にしてもらった。さらに、北原参謀に見つかる前に運城を立ち去るためと、自動貨車をせしめるのに成功した。そのために切り札をさらしてしまったが、仕方がない。


「山口主計少佐」

「は、はいっ」

「五郎君のことですが」

「あっ、はい」

「八路軍の中にいます」

「えっ」

「大丈夫です。連絡はついています」

「よかった」

「任務が終われば、脱出できます」

「そう、五郎が言っていると?」

「はい。任務はあと1週間ほどです」

「わかりました」

「太原に帰って待っていてください」

「そうしましょう」

さすがの四郎も、そう答えるしかなかった。今は。




聞喜駅。午後2時過ぎ。

北からの列車が駅に着いた。奥田たち4人は、無蓋貨車の標識番号を見ながら列車の後方へと歩いていた。奥田の荷物を乗せた貨車を探している。

「「なんだ。一番後ろじゃないか」」

石腹と頭城は、貨車の荷物が予想したほど多くなくてほっとする。


ぴょこっ。

「え?」

「どうした」

「兵長、今なにか見えませんでした?」

「なにを言っとるか」


ぴょこっ。

「あ」

「ほら」

ぴょこっ、ぴょこっ。

「「あああ!」」

「どうした、早く降ろさないか」

「ん?」


奥田の荷物を載せた貨車の中から、ふくと安安が顔を出した。

「きゃっ、きゃっ。オクダ」

「はい?」

「お前さん」

「わっ」

「「「えっ、えっ。えええっ」」」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ