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6 欺瞞 沁河


昭和16年5月3日。百号作戦-4日


沁源の中共根拠地に来て3日。

五郎は、しばらくは動くまいと決めている。ロシア人がいる洞穴の奥に、椅子や寝台が持ち込まれたからだ。しばらくここに滞在するのだろう。活動場所は別のところにあるようで、朝出かけて、午後帰ってくる。戦術教育なのか、作戦会議なのかはわからない。

ぽおん、たっぽおおん。

昼間はよく銃声を聞くが、単発音だけで、一斉射撃や連携射撃ではない。


密偵扱いはようやくとけたのか、待遇に変化があった。食事がまともになった。内容はたいして変わらないが、量が少し増えた。テーブルに座って食器で配膳されるようになった。それだけで、人間らしい食事になる。水もだいぶきれいな色になった。前は、胃腸の強さを試しているのかというぐらい濁った水だった。水源もある山奥なのだ、わざとだったのだろう。同じ食卓で数人の兵が一緒に食事をしている。


(ん?またか)


五郎は口の中から小石を箸でつまみ出す。兵が笑う。おそらく誰かが捕虜用と知って、食事に石を入れたのだろう。小石は全部で4つあった。征露丸ぐらいのが3つ。おはじきくらいのが1つ。ここのところ、毎度の食事に石が混ざっている。五郎は悲しそうな顔をした。すると、今度は声を出して兵が笑う。指差して笑っている兵の顔を見る。やれやれ。五郎は、きれいに食べ終わった食器の中に、取り出した小石を戻してやった。途端に、兵の顔色が変わる。ふん。


食事が終わると、兵から「運動」と告げられた。近くをうろうろしていいらしい。腰縄と見張りはついたままだが、外にいる時間は増えたし、目隠しもない。見える範囲だけとはいえ、周辺の情報量は格段に増える。食事の量が増えたということは、何か作業をやらせるつもりか。それとも洗脳教育が始まるのか。いずれにせよ、近いうちに五郎が動ける範囲は広がるだろう。体力も気力も、着実に充実しつつある。もう数日の辛抱だ。


毛は、朝から近くの農村の手伝いに出ているらしい。昼間は別行動だが、夜の見張りはまだ毛の役目だ。夜、五郎は厠で排便を済ませると、部屋に入る。毛は、手足を縛ると、部屋を出て鍵をかけた。そして、部屋の外に夜具を持ち込んで眠る。毛は、独逸製の銃剣を下げている。外国の銃剣は両刃だ。ナイフと違って鍔もしっかりしているから、刺すにはもってこいだ。剣呑である。


五郎は、縛られたままアンペラの上に横になり、日課の思考演習を始める。縄抜けから始めて、鍵を外して部屋の外に出るまでは、もう何遍もやった。部屋の外に出てからの経路が、毎日得られる新しい情報で修正される。日替わりで突発事態も織り込んだ。1時間ほどやっていると、部屋の外で気配が動く。毛が便所にでもいくようだ。


がらがら、があぁぁん。

突然、洞穴の奥の方で大きな音がした。続いて、ロシア人の罵る声。

「ブリャーッ!!」


兵たちが使う厠は洞穴の外にあり、遠くて露天である。蝿は避けられないとしても、蚊も蚋も多い。洞穴の奥にある厠はロシア人の専用である。どうやら、毛がその厠を使おうとして、見つかったようだ。ものすごい勢いで、足音が部屋の外を駆け抜けていく。今度は、洞穴の出口の方で大声がする。複数の男たちの支那語だ。毛が、不寝番の兵と言い争っているのだろう。すると、洞穴の奥の方は、ロシア人だけで立哨はいないのか。




挿絵(By みてみん)



アレクセイは部屋に戻った。

しばらく怒りが収まらない。何度言っても、目を離すとこうだ。隙があれば人の目を盗んで、楽をしようとする。暗くて、誰だかわからなかったが、誰でもいい。明朝、ここの連長に文句をつけてやる。規律を守れない支那人には、革命はおろか戦争も無理なのではないか?だいたい、まともな戦争などやったことがないじゃないか。暴動や反乱はできるだろう。秩序がないから暴動で、規律を破るから反乱だ。しかし、新しい国など無理だ。


ソ連共産党は、ソ連政府とは別に、独自の外交を各国の共産党とやっている。外交というより、指導または指揮だ。すなわち共産主義インターナショナル、略してコミンテルンだ。ソ連政府としては、表向きは各国との友好関係を標榜している。例え、主義に反していても、国としては資本主義国との妥協と取引は必要である。国民党政府を承認し、中立条約を結んで軍事顧問団を派遣していた。一方、コミンテルンとしては、一貫して中国共産党を支援している。だから、重慶への軍事顧問団や経済使節などの政府公式の外交団とは別に、延安への戦術教官や中共連絡員がいるのだ。


アレクセイは、退屈していた。

この根拠地に、特別な用事はない。部下の丁の帰りを待っているだけだ。丁は満洲時代からの手下である。両親がシベリア出身と聞いてから、重宝するようになった。その丁が、山西省東部にいる朱徳の幹部と会っておきたいと言い出したので、ここまで来た。延安の毛澤東は建て前しか言わない。中国軍の内実を知るには延安の中央より出先の八路軍が適切だ。同時に、中共中央を通さない、八路軍直通の連絡経路を確保する。丁の進言をアレクセイは承諾した。もちろん、上司のセルゲイ中佐には内緒だ。


丁とは、もう何度も話し合っていた。アレクセイ一家を立ち上げる、そのことだ。アレクセイの部下や手下は、すでに10人を超えた。その他に、臨時働きの通信使や連絡使、隠れ家の管理人、作戦ごとに雇う土匪がいた。丁は、満洲のハルピンが中心だ。だから、アレクセイは、内蒙古や陜西、綏遠、甘粛などを中心に手下を移殖していた。一家は満洲で立ち上げる予定だった。満洲は、日本の属領だ。そこで一家を立ち上げようとするアレクセイにとって、日本人が必要だった。手下は無理でも、日本人の協力者は不可欠だ。


アレクセイは、五郎を吊るすのを止めさせた。食事も普通に与えるようにさせた。

廻りくどいことをするな。その程度で訓練された密偵が動揺するものか。どうせ見張るんだろう。怪しければその場で撃てばいい。油断して逃げられるより、早く教育にかかれ。時間の無駄だ。そして、少しでも疑いがあれば殺せ。単純にできることを複雑にすることはない。まったく、ばかばかしい。

そう中共兵に命じながら、この日本人は使えるのではないかと考えていた。




挿絵(By みてみん)



毛澤山は焦り始めていた。


もともと、毛は農夫だ。農作業自体は苦にはならない。しかし、中共の辺区では、生産奉仕という名の農作業が終わると集会がある。教育を兼ねていて、共産党のお題目を唱えさせられる。それだけならまだいい。耐えきれないのは批判会だ。へまをやった奴が引き出され、自己批判を始める。それを、周りの全員が追及しなければならない。些細な失敗を、おおげさに非難する。泣きながら許しを請う人間を、罵倒するのだ。つまり、悪口だ。それが辛かった、泣き出したいほどに。自分自身が落ちていく気がする。ここには居られない。


中共の教育を受け入れるふりをして、実は、周辺に山西軍の村がないかを探っていた。農村への行き帰りに、隙を見て逃げるつもりだった。中共の勢力圏といっても、多い少ないの問題で、いくつかは山西軍の村落も入り混じっているものだ。両方になびく集落も珍しくない。日本側の村がいくつかあってもおかしくない。線引きは入り組んでおり、他勢力が話を通して別勢力の村を通過することもあった。しかし、このあたりは中共が独占して、国府軍が支配している郷村はないようだ。完全な中共の辺区である。ならば、もう地主や富農もいないだろう。毛の宗家の伝手もあてにならない。


霍県の戦場からここまでの、山越えの道を思い出す。分水嶺を越えてからこちらは、全部が中共勢力下のようだった。つまり、いきなり西へ山越えする最短距離は取れない。沁源から北へは、やはり山越えとはいえ、まだましな道がある。しかし、北は中共の根拠地ばかりだ。沁河沿いに南下して圓寳鎮まで行ければ、中共・国府・日本各軍が入り混じっている。ここで西の岳陽、さらに行けば、臨汾の北の洪洞を横切って、山西軍の勢力圏に渡れる。圓寳鎮からさらに南の沁水なら国府第1戦区軍の勢力下だ。


まずは、圓寳鎮だ。どれくらいかかるだろう。沁河沿いで真っ直ぐに行けば2日か3日だが、もちろん河沿いは危ない。河を見失わない範囲で山中を行くなら、倍の5日か。そこから西へ向かえば1日か2日で、山西軍の村があるはずだ。日本側でもいい、夜なら大丈夫だ。あの辺りなら、毛家の縁戚が1軒や2軒はある。そこでしばらく匿ってもらおうか。


なにか、手土産がいるだろうな。日本軍からではなく、中共軍から匿ってもらうのだ。手ぶらでは、いずれ売られてしまう。ロシア人から奪うのは失敗した。中共兵が何かもっているだろうか。数日中に日本語の訓練が始まるとか言っていた。俺は前線に出されるようだ。それでも、あの日本兵の件を評価されたことになる。待て。そうか、講義の教官なら。



挿絵(By みてみん)



翌日

昭和16年、5月4日。百号作戦-3日


朝。

聞喜の第36師団司令部で挨拶を済ませた奥田少尉は、四郎・石腹・頭城と共に自動貨車を待つ。


「昨晩も遅かったようで。奥田少尉」

「ええ、まあ」

「しかし、たいしたものですね。行く先々、車があって、酒席があって・・」

「そうでしょうか」

「「ありがたくあります!」」

石腹兵長と頭城上等兵が声を揃えた。


これから4人は、30km余りを南下して夏県の第37師団司令部に向かう。

一昨日の絳県からずっと中條山の山麓に沿って南下して来た。つまり、最前線を巡っていることになる。この中條山麓の周線が、そのまま百号作戦の西正面封鎖線となる。あと3日だ。早朝から、あちこちで兵列が移動している。ある部隊は徒歩で、ある部隊は自動貨車で、またある部隊は駄馬で。すぐ前の山中では国府軍の幕僚が、何事かと鳩首しているだろう。


しかし、同時に目撃する兵団は通常の2倍ほどにしか映らない。炊煙もそうだ。そういうふうに、第1軍司令部によって、部隊の移動、炊事の順番、酒保と非番までもが管制されていた。炊事では、軽質油や揮発油による無煙炊飯、駅舎における一括炊飯などが工夫されている。なによりも、情報班による欺瞞電報が発せられていた。周波数、指向性、出力を按配して、受信する国府軍部隊によっては、駐屯交代、大規模演習、巡察、新作戦など、それぞれ異なる電報になる筈だ。現実は、それまで1個師団の配置だった中條山西山麓に、今、3個師団と2個旅団がある。4倍の兵力が集結していたのだ。





挿絵(By みてみん)


その日の午後、同浦線。


ふくと安安の乗った無蓋貨車は、霊石駅を過ぎた。今日は霍県駅まで行けるはずだ。

この列車はすべて無蓋貨車で、客車はない。ふくの貨車には大人一人、子供一人が床板に座れる隙間があり、おかげで荷物の上にしがみつかなくてすんだ。正座してちょっと首を竦めれば、風も煤煙も側板で防ぐことが出来る。つまり、外からは人が居るとは見えない。それでも、すぐ後ろまで荷物がせまっている。他の貨車は側板より上まで貨物が満載であり、乗客はその荷物の上に乗っているのだ。


ふくの決意が固いと理解した彦三とおかめは、言われるままに列車と途中駅の手配を済ませた。板垣将軍と一緒に太原に入城したという触れ込みの、彦三とおかめの手配は完璧だった。ふくと安安の二人は、他に比べれば特等のような貨車に乗れたし、一応の旅館に泊まることが出来た。昨晩、その旅館では温水で行水が出来た。煤を落として白い顔で眠ることができた。もちろん、今朝は旅館を出る前に、石炭で顔を黒く塗っていた。


「きゃっ、きゃっ」

「どうしたの、安安」

安安が指差す先を見ると、線路脇を、犬を連れた兵隊が歩いている。

「あれ、ま」

「きゃっ、きゃっ」

「のんびりお散歩なんて、この辺は安心なのね」

「きゃっ、きゃっ」

「いいよ。今晩も行水できるね」

「きゃっ、きゃっ」


それは、犬の散歩ではなかった。兵の連れたシェパードは、地雷を探索する軍用犬だった。

貴重な兵站線は、なんとしても確保しなければならない。それが、昨年の百団大戦の戦訓であった。百号作戦の発動が間近いのだ。京漢線と同浦線では、北支那方面軍第2野戦鉄道部隷下の鉄道連隊が全力出動中であった。



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