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3 間諜 沁源


昭和16年、4月29日。百号作戦-8日。


山口五郎は、山西省の山中に縛られていた。


ここは南東部の沁源あたり、つまり沁河の上流ではないか。五郎の推測である。捕虜になったのは、山西省中南部の霍県だ。それから目隠しされて山中を引き回された。歩いた距離は歩数でわかるし、目隠しされていても上り下りは識別できる。方向や位置は、食事の際の日照や植生で判断するしかないが、山西省の山地は木々が少なく、森林の場所は特定される。たしかに、南部は北部よりは緑が多い。また、喬木は沁河西岸に多く、東岸は灌木だ。


移動は、日によって違った。昼間の長距離移動は共匪の勢力圏か山中だろう。夜で短かった日は、日本軍に近いか、見通しのいい所だろう。五郎は、頭の中の地図に10日間の行程をあれこれとあてはめてみる。ある日、2500m級の山頂を見た。太陽の位置からして南西だろう。霍県から沁源までは、直線距離で70から80km、高度差は1500mを一気に上って、なだらかに下がる。いいだろう。そうやって、沁河上流の山中と判定した。


五郎は、熊本県の出身である。父が南方の蘭印で成功したので、熊本高等工業まで行けた。その後、父の知人に言われるまま、甲種幹部候補生として陸軍予備士官学校に入った。父はずっと蘭印に行ったままで、母は何も言わない。五郎にとって母は、父に従うままの従順な婦人であった。高等女学校を出たという母の、だが五郎が知っているのは、まだ子供の頃だ。「お前さん、どげんすると」と父に寄り添う姿だけだった。少尉に任官すると、後方勤務要員養成所に入れられた。今は、中野学校と呼ばれている。諜報要員である五郎は、特別な訓練を受けている。共匪に捕らわれたのも、なかば自演であった。


五郎には、八路軍内に紛れ込む必要があった。

支那語の訓練は受けているが、マルクスを話せるほど練達ではない。といって、地元民になりすますには時間がない。手っ取り早いのは、脱走兵を装うことだった。八路軍は、日本軍の脱走兵を大切にする。連長、つまり中隊長まで出世できた例もあった。今はまだ、監視は厳しい。密偵ではないか、様子を見られているのだろう。だから毎日、限界まで歩かされたし、そうでない日は木に吊るされた。つま先が着く高さであり、拷問虐待ではない。食事もぎりぎりの量である。活動や逃走ができないように、体力を奪っているのだ。


最近になって、陸軍は中共軍暗号の解読に成功した。それと、方面軍直轄の黄城事務所の成果を合わせて、ようやく中共軍の全貌が判明しつつある。中国共産党に直結する中共軍は、大きく2つに分けられる。朱徳の率いる第八路軍と、葉挺が率いる新編第4軍だ。

八路軍は、黄河の北、すなわち察哈爾、綏遠、山西、山東を担当し、兵力およそ15万。そのうち、山西省には半分の7万人以上がいる。晋中作戦で2万は削った筈だが。

新4軍は、黄河以南を担当し、兵力およそ数万といわれている。こちらの情報は、まだ少ない。その他にも、各地に党員や便衣兵がいる。中共軍の総兵力は20万というのが、五郎が持つ最新の情報である。


五郎の任務は、中共軍の主力である八路軍を山西軍との全面衝突に持ち込むことだった。今年の共匪殲滅戦で、山西軍と日本軍が八路軍を挟み撃ちにするのだ。うまくいけば、山西省の治安は格段に改善され、かつ閻の地位と実力は大きく上がるだろう。閻と中共との間は修復不可能となり、自ずと山西軍と日本軍との提携が実現する。閻錫山の山西省独立も現実に近づく。


しかし、昨年末に参謀長の田中少将が第1軍を去った後、百号作戦は国府第1戦区軍の撃滅へと、相手も戦場も、正反対に変わった。1年かけた田中の謀略はおしまいである。贅沢に使った機密費も追及される。下手を打つと進退問題になるかもしれない。田中は、中共軍を優先するように軍・方面軍・参本に運動したが、失敗したようだ。


閻錫山との連絡手段は確保し、維持されている。次の任務は、山西省の山地に篭る八路軍の兵力分布と命令系統を探ることである。大規模殲滅戦がなくなったとはいえ、軍にとって中共軍が脅威であるのには変わりない。この先の準備のために必要な情報である。兵力分布を探るには、こうしてあちこち引き回されることはありがたい。おおよそが推定できる。特に厠の数、便のにおいからは具体的な兵数が推測できた。


命令系統は、どこかの根拠地で日数を過ごさないとわからない。根拠地から出て行く連絡員、入ってくる連絡員の数と地位で、上と下の規模と数、またその根拠地が命令系統のどの位置にあるかが推定出来た。しかし、これは信用を得て、ある程度の行動ができるようにならないとできない。まだまだ、十数日はかかるだろう。五郎はじっくりとかまえていた。


ところが、五郎が焦躁する事態が起きた。今日は移動がないらしく、朝から洞穴の前の木に吊るされていた。そこで白人を見たのだ。ロシア語を話している。つまり、ソ連からの連絡員か戦術教官だろう。ということは、この根拠地には上層部がいるか、それとも戦術的に重要かのどちらかだ。沁源の地勢的な位置はどうか。まもなく開始される大作戦では、この沁源の下流が戦場となる。


五郎は昨年の百団大戦を思いだす。このあたりでは中共軍の出撃はない。いや、ずっと北の方、同浦線の徐溝から分枝して東南の路安に至る軍用鉄道がやられていたか。山西省東部の太行山脈地帯は連結されたと見ていい。これからの中共の浸透目標は、南になるだろう。南には、新4軍がいる。


ならば、ここは出撃根拠地ではなく、兵站中継地か。本部の延安との位置関係はどうか。延安から山西省東南部に増援を送るとして、汾河盆地を最短で横断できるのはこの北のあたりか。そして、一旦ここに収容して、各地に再配置すれば、状況の変化に応じることが出来る。


確認するべきだろう。もっと情報が必要だ。そのためには行動する必要がある。さて、いつから動くべきか。いずれにしても体力は必要だ。まずは寝ることにしよう。五郎は、木に吊るされたまま眠った。それをずっと見ている目があった。




挿絵(By みてみん)


毛澤山は、ずっと五郎を見張っていた。

10日前の戦闘のどさくさの中で、毛は鈴木1等兵を連れて逃げ出したのだ。


配属された補充兵は多かった。もとの4個小隊に再編できると理解した水田大尉は、出動を決心した。第4小隊を中隊駐屯地の守備にあて、第3小隊は大隊本部、及び討伐部隊との連絡路の確保にあてる。討伐部隊は、第1小隊を前衛とし、第2小隊と指揮班を水田が直率する。連絡・伝令を密にしながら、駐屯地からかなり前進できるだろう。問題はない。


払暁、水田中隊長は大隊本部に伝令を放つ。そして、大隊本部から応答が入ったところで出発した。念を入れたのだ。慎重に前進し、尾根を3つほど横切る。霍県のあたりは、東の太行と西の呂梁の2つの山脈が迫っており、汾河盆地の中ではもっとも狭い。数km進出するにも、高度差は500mを超える。胸突く傾斜である。


目的の集落が見える峠に到達したのは10時だった。後は、攻撃、占領、捜索、そして戦果確認だ。すべてを終わらせても午後3時には帰路につける。駐屯地との連絡も途絶えていない。完璧だ。水田は軍刀を抜いた。攻撃開始である。


風が吹き始めたのは、攻撃を開始して30分が経った頃であった。すでに、水田の部隊はほとんどが集落の中にある。共匪は十数分の交戦の後に退却を始めたらしい。しかし、黄塵のせいで視界が利かず、確認できない。敵の状況が不明のままでは、進退ができない。風はいよいよ強まり、断続的な砂嵐も来た。そんな中で、共匪の反撃が始まる。


もう、動けない。水田は思った。視界の利かない砂嵐の中では、動くもの、近づくものを敵と見て撃つしかない。円陣しかないか。後方を厚くするか。水田は、集落の中に後退して円陣を組むように指示を出した。同時に、こちらから連絡するまで近づくなと、駐屯地に伝令を出す。念の為に、伝令の出入りの方向と経路も定める。固定するのは危険であるが、仕方がない。この状況で一番怖いのは同士討ちだ。


円陣が出来たら、次は遮蔽物か個人壕だ。浅くてもいい。体を遮蔽できれば、手榴弾の効果は限定できる。やむなく後退する時は、尻からの後ろ向きだ。前向きで来るやつは刺突せよ。横には銃撃するな。水田中隊長は、細かく指示を出す。水筒の水はあるか。濡らした手拭いで顔を覆え。顔は低くせよ、上目遣いに見ろ。睫毛は上のほうが長いのだ。


ひゅーん、ひゅんと、ここにも弾が飛んでくる。水田は伏せる。

(きゅんというのは近い弾、ぴゅ~んというのは遠い弾・・・)

散兵状況を確認しながら、水田はぼやく。その時、爆音を聞いた。

ごおおぉぉ~んん。

飛行機だ!黄塵でよくは見えないが、1機2機ではない。

ごぉおん、ごおお~ん。

多いな。増援の友軍機か。爆撃などと贅沢は言わんが、銃撃の1回ぐらい。

ひゅーん、ひゅんひゅんと、また弾が来る。ばしゅっ。

(没法子。完了かな)


しかし、3回にもわたる共匪の反撃を、中隊はなんとか耐えきった。負傷者は出たが、戦死者はいない。行方不明が三人いると判明したのは、夜、駐屯地に帰り着いてからであった。



中共軍に保護されたのは、毛と五郎の二人だけだった。鈴木は、戦闘の最中に中共軍に撃たれて死んだ。黄塵のせいで思った以上の混戦になった。まだ、どちらとも旗色が判明しないうちに、鈴木は銃を放って、手を上げた。中共とて、ほしいのは強い兵隊だ。銃口を向けただけで手を上げるような弱い兵はいらない。もとより敵だ。鈴木一等兵はそうして死んで、なぜか五郎が残った。


毛は、行き掛かり上、五郎がアカ日本兵だと強弁するしかなかった。毛自身が信用されていない。ここは地元だから見知った兵士はいた。しかし、自分の命を危うくしてまで、毛をかばうような者はいない。毛は一人で、二人分の忠誠を、中共軍に示さなければならない。実は、五郎が空に向かって銃を撃っているのを見ていた。こいつも鈴木以上に弱兵かも知れない。だが、それは口には出せない。だから、毛は、五郎を見張っていた。




挿絵(By みてみん)


アレクセイは、目の前の木に吊るされた男を面白そうに見ていた。


興味深いことに、吊るされた男は眠っていた。かすかに鼾をしている。ぐっすりとお休みだ。支那には長いつもりだが、これだけ度胸のある東洋人は珍しい。たいしたもんだ。さすがは、一時期、ロシア帝国を追い詰めた日本人だ。それに比べて。


アレクセイの視界の片隅には、吊るされた男を見張っている支那人がいる。物陰に隠れたその男の顔は、いかにも貧相だ。さもしい心が顔に出ている。聞いたところにでは、吊るされた日本兵はその見張りの男が連れてきたという。日本兵を手土産に、中共軍に寝返った山西軍の兵隊らしい。


ふ。やはり、支那人だ。だいたい、アレクセイは中共軍がきらいである。待遇はいいが、卑屈な態度には我慢できない。こそこそと、猫を恐れて逃げ回る鼠だ。その点、敵とは言えど、日本兵は明快だ。真っ向から向かってきて、なおかつ死ぬことを恐れない。日露戦争でなぜロシア軍が圧倒されたか、いくらか理解できる気がした。


アレクセイはソ連赤軍の連絡員である。3年前から、長征で陜西省に移ってきた中国共産党との連絡を担当している。定期的に延安と行き来している。上司のセルゲイ中佐によると、6年前に陜西省に辿り着いた中共紅軍はたった4千人で、ソ連の資金援助でようやく食いつなぐありさまだった。その頃の赤軍連絡員の任務は、金の輸送と食糧の調達だったという。武器弾薬や情報が任務となったのは、ここ数年である。かつて、中国共産党はソ連から金と食糧を得るために何でも売った。その時に買った情報が、セルゲイ中佐の今の地位を保っている。


アレクセイは、ハバロフスクの出身だ。

ロシアのシベリア東進は、半農半兵のカザークが達成したものだ。ドン川河畔のコサックである。シベリアの日本海側、カザークが戦って勝ち取った地は、プリモルスキーと呼ばれる。もちろん昔は清の領地だ。ロシア革命は、アレクセイが10になる頃だった。当然ながら、プリモルスキーのロシア人は皇帝についた。皇帝が処刑されると、極東共和国として独立した。翌年、日本と米国が軍を派遣してくれた。日本軍はバイカル湖まで進撃した。


アレクセイを育ててくれた祖父は、そう言って、父が戦死したわけを教えてくれた。お前は誇り高きカザークの子孫で、ソ連は敵だと。さらに、死んだ祖母さんはヤクート人だったとも教えてくれた。そんな祖父は、どういう訳か、アレクセイを共産党に入党させた。貴族で金持ちで有力者であった祖父が、革命の混乱を生き残ったのは伊達ではない。学校では、別の歴史を習ったが、もちろん祖父さんのいうことが正しい。カザークとして好きに生きよ、ただ時機は選べ、とモスクワへ発つ時に祖父が言った。あれから10年以上になる。


アレクセイも、すでに35歳を過ぎていた。

そろそろ家族を持つ時期だ。ここは支那なのか元清国なのかは知らないが、ロシア人はあちこちにいる。満州ほどではないが、この辺りにもカザークはいる。金髪で青い目をしたカーチャとは綏遠で出会った。それ以来、アレクセイは、本来の赤軍情報部に加え、参謀本部や内務省の仕事も引き受けるようになった。中佐は笑って、仕事を回してくれる。


カーチャは愛称で、本来の名前はカチョリアーナ、ロシア女帝の名だ。ロシア皇帝にカザークが仕える、まったく不思議はない。ふふ、待ってろカーチャ。今すぐ帰る。帰れば、可愛がってあげるよ。愛しのカーチャ。いつものようにね。数ヶ月、休みを取ろう。そして結婚だ。ふふふ。愛してるよ、カーチャ。

アレクセイは、1枚の写真にキスした。



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