12 政略 太原
昭和16年5月15日。百号作戦+8日
午前。運城。第1軍戦闘司令所。
作戦参謀の北原中佐の関心は北正面に移っていた。
すでに西正面は掃討戦に入っている。東正面の実体はなくなり、南正面と呼ぶべきものになった。方面軍直轄兵団は撤収時期を考える段階である。
「北正面は弓だけで支えています」
「うむ。3個軍を1個師団で、さすが桜井閣下だ」
「しかし、敵の93軍は無傷です、戦線に参加されるとまずい」
「矢部参謀!」
情報参謀の矢部少佐のもとには、戦域に散らばった密偵や要員から最新の情報が集まってくる。北正面に関しては、特別に手当てしてある。
しかし、矢部少佐が返答したのは西正面についてだった。
「西正面で敵軍に退却の動きがあります」
「なに?」
「河と冬の外側包囲網を強行突破するもようです」
「そうか。北正面でも敵の退却に備えるべきだな」
「はっ」
北原中佐は、百号作戦終盤からその後の計画をざっと復習する。西正面の占領地には冬兵団の部隊が進出し、黄河対岸を監視することになっていた。北正面の占領地は河兵団の担当になる。混成旅団の勝と谷は、それぞれ元の駐屯地である太原と霍県に戻る。
「雪と弓か」
「はい。雪の機動経路ですね」
「谷の移動の時期もあるな」
「はっ」
「ふんっ。具申電を出す。文面はもうあるのだろう?」
「文案であります」
「ふふっ」
矢部の文案では、勝兵団の移駐時期を早期としたが、補給の混乱を理由に期日には幅を持たせてあった。同じく、雪兵団の進撃路についても、捕虜多数による戦域の混乱を理由として、明確には示していない。
最新の戦術情報に従って、臨機応変の措置をとるためである。しかし、当初の作戦計画を逸脱するものではなかった。
北原参謀は意見具申電を決裁すると、矢部に囁く。
「北正面の敗残兵が北上すれば」
「はい、中共軍に吸収される可能性が大です」
「その前にできるだけ叩きたいが」
「このあたりが適当かと」
矢部は右指を机上の地図に置くと、沁水から東に動かした。
北原はじっと見つめる。
昭和16年5月16日。百号作戦+9日
午前。北正面、横河。
第33師団司令部は、横河の前線ではなく、陽城に置かれたままであった。
桜井師団長は前線と司令部を、何度も往復する。東の陵川にいる敵第27軍の動きを気にしていたのだ。
横河前線の戦闘は芳しくない。地勢が悪すぎるのだ。横河前面は峻厳な山地で、崖と呼ぶべき急坂だった。我に倍する敵軍の一斉攻撃を支えられない場合、弓兵団は薫封との間の谷に落とされてしまう。
幸いに、正面の敵98軍からも15軍からも一斉攻撃はない。方面軍直轄の第21師団が東側の山麓から活発な攻撃をかけているからだ。
といっても、南から第36師団と第35師団に追い上げられれば、敵軍の決心は1つ、一番弱体な北正面に向かうしかない。つまり、第33師団だ。
桜井中将としては、横河正面は抑えるだけに留めて、東に迂回して山中に入りたい。いずれ北上してくる第36師団と連結できるし、そうすれば敵の包囲が完成できる。
しかし、桜井のもとには1個師団の兵力しかない。3個歩兵連隊では、横河正面の戦線維持と西の警戒がやっとであった。
一時は、南にいる第21師団との連携も考えた。南の友軍と連結できれば、2個大隊を抽出して、東側に回せる。だが、第21師団から戻って来た伝令将校の報告は冷徹なものだった。北支那方面軍は、すでに第21師団と第35師団に撤収の準備命令を発令したという。
昭和16年5月17日。百号作戦+10日
午前。岳陽。
山口四郎は、太行山脈の峠の1つを越えようとしていた。同行するのは、石腹兵長と安安である。それに、驢馬が1頭。
四郎はいつもの協和会服にゲートル、腰の太いベルトには私物の軍用拳銃を下げている。ベルトには草鞋と地下足袋が2足ずつ結わいてある。水筒を袈裟に掛け、軍刀を背負っていた。
石腹兵長は、それを見て思う。ほんとうに腰が悪いのか?
しかし、よく見ると四郎のベルトは2重構造で、後部が幅広となった腰当てには綿がはいっているらしい。妻女が工夫したという。やれやれ。
安安は制服に制帽、足にはゲートルでなく白皮の脚絆を巻いている。頭陀袋と水筒を交互に袈裟懸けにし、背中にランドセルと四郎の脇差を背負っている。制帽の顎紐をかけたその姿は、往時の日本兵に見えないこともない。
つまり、四郎と安安の背嚢と鉄帽は石腹があずかっているのだ。例によって、四郎の背嚢は異常に重かった。だが、今回は驢馬がいる。山越えに入る前に馬を帰すという四郎に、伏して拝んで、ようやく驢馬を1頭だけ残してもらった。
背嚢はともかく、鉄帽をあずけるのはどうかと思った。急場に間に合うのか?
しかし、その後に待つ折檻を思うと何も言えない。俺は山口少佐の折檻を受ける定めにあるのか?
とほほ。
「何をぶつぶつ言っておるか!」
「あっ、はい。少佐どの。何でもないのであります」
「そうか。てっきり、逃げる算段でもしておるかと思ったぞ」
(どきっ)
「すでに、このあたりは共匪の勢力圏だ。逃げるも叶うまい」
(ひっ)
「腹を括って軍務に励め」
(ぐ、軍務なのかな?)
午後。太原。
夜の仕込みに忙しい『おたふく』に来客があった。
追い返そうと出刃を持って出て行った若い板前は、べた金の軍服を見て逃げ帰って来た。慌てて、板長の彦三と女中頭のかめが転げ出る。
「「た、田中閣下!」」
「おう、しばらく世話になるぞ」
「「へ、へへーっ」」
「なんだ、女将は留守か?」
「「少将閣下、ちょっとすみません」」
陸軍省兵務局長の田中隆吉少将は、小部屋へ連れ込まれた。
彦三とかめが、平伏して報告する。
「なに!女将が安安を連れて行ったあ!」
「「すいません。女将を止め切れなくて」」
「いや、おふくさんはそんな人だ。しかし、安安は。まずい」
「へ?」
「あんた!」
「水だっ。水をくれっ!」
「へっ?」
「あんたっ!」
「いや、酒の方がいいか!」
「へっ?」
「あんたっ!」
田中は水を2升、いや酒を2合飲んで勢いをつけると、第1軍司令部へ駆け戻る。
昭和16年5月18日。百号作戦+11日
早朝。臨汾、県城。
県顧問の石川と妻女のさよは、自室に帰っていた。
昨晩から臨汾特務機関事務所に詰っきりであった。憲兵も立ち会っての事情聴取、つまり尋問がようやく終わったのだ。
といっても、のんびりとは出来ない。石川はこれから保安隊を率いて、県境の村まで出動する。先日、山口や石腹と出張って、さよと安安と遭遇したその村である。
「あなた、よくわかりません」
「僕もよくわからないよ。この数日、いろいろあり過ぎた」
「おふくさんは、やはり、危険なのでしょうか?」
「四郎さんが追いつけば大丈夫だ」
「おふくさんは、すごい人なんですね」
「ああ、行動力はすごいね。理由はよくわからないが」
「あこがれますわ」
「げふんげふん」
石川は、出動の身支度をしながら考える。
臨汾特務機関での尋問は、軍司令部の指定であったようだ。どうも太原に陸軍の幹部が来ているらしい。山口夫婦の息子の五郎は、相当に重要な任務を遂行中らしい。そして、その鍵は安安のようだ。
ふ~む。よくわからん。
「では、行って参る」
「あなた、ご武運を!」
「うむ」
さよは、良人に切り火を切る。
かちかち。
同じ頃。運城。第1軍戦闘司令所。
西正面の作戦は終了しようとしていた。15日から再び中條山中に入った冬と河の挺身隊は、すでに黄河河畔で折り返して北上しており、まもなく西山麓に帰陣する。そして、それに追われたかのように、国府軍の残兵が北西に集結していた。外側包囲網を強行突破する意図であるようだ。
北原作戦参謀は、予備兵団を投入して、包囲網を強化しようと企図した。勝兵団は、すでに霍県に向かって進発しており、残る予備は谷兵団だ。北原は、谷兵団の散開地点を考える。敗残兵とはいえ、まだまだ国府軍の兵力はあなどれない。逆落しで強行突破するのならば勢いもあるだろう。聞喜の川向こうに陣を張り、渡河で勢いが消えたあたりで挟み撃ちを狙うか。
そこへ、通信兵が駆け込んで来た。太原からの命令電だという。
『命令。独立混成第9旅団を速やかに原駐地に帰還させること!』
「なにを!谷兵団を帰せと?」
「司令部は勝機がわからんのか!」
「北原中佐。了解電を!」
「ええい、やんぬるかな。わかった、打て」
「通信、谷は即時出立する。打て!」
「はっ」
矢部少佐が北原を部屋の隅に誘う。そして披露した。
(本省から兵務局長が来ておると?)
(参本ではないので、政略ですね)
(前参謀長の時の布石回収か)
(おそらく)
(この好機を逃すのか?)
(中佐、まだ北にいます)
(ふっ。そうくるか)
北原は机に戻る。ひと回り地図を眺めると、発した。
「河に翼城を越えさせる。雪も急速機動だ」
「はっ。しかし西正面の包囲陣は?」
「復唱!」
「河は翼城から沁水方面へ進出のこと!」
「雪は陽城東方へ急速機動のこと!」
「命令電を打て」
「司令部へはどうしますか?」
「経過電でいい。以上!」
今度は北原が矢部を部屋の隅に誘う。
(貴様の子飼いにあれを使わせろ)
(え。いいのですか?)
(雪の急速機動は敵陣の中での転進だ。戦術情報がいる)
(そういうことで。予備もよろしいですか)
(ああ。1機じゃあぶない。予備は必要だとも)
(中佐。正念場ですね)
(なあに。田中少将は貴様の親分だろ)
(えええー)
(国府軍も中共軍もまとめてボン)
(げふんげふん)
正午。太原。第1軍司令部。
本省から電報が届いた。陸軍大臣発である。
篠塚司令官は、楠山参謀長と田中兵務局長に見せる。
楠山少将は真っ赤な顔で、篠塚中将に申告する。
「司令官閣下。参謀長は急病です」
「ゆっくり休んでくれ」
「はっ、ありがたく」
楠山少将はゆっくりと退室する。田中少将と目が合うと言った。
「48時間ですぞ」
「わかっておる。きっちり始末するさ」
半年振りに参謀長室の席に着いた田中少将は、参謀たちに情勢報告を求めた。
太原市内では、前日より工場や会社の休業が続いている。住民たちは、家に引き篭もっており、通りに通行人はまばらだった。北部の鉱山も同じく操業を停止していた。北端の大同炭鉱は英国資本であり、かろうじて操業を続けているが、鉄道が止まればどうなるか。
省西の県顧問からは、住民が畑に出てこないという報告があった。その近くの守備隊からは、第2戦区軍傘下の部隊移動の兆候があるという。いずれも複数である。一方で、省東部の山岳に潜む中共軍は静謐を保っており、目立った動きはない。
「閻錫山の山西軍が動くか」
「国府第2戦区軍はおよそ40万」
「沁源の辺区を除いて、省の南半分は靡くでしょう」
「目的は何だ?」
少なくとも田中少将が第1軍参謀長の間は、閻錫山に敵対の動きはなかった。ならば、今年になってからの情勢の変化が動機だろう。百号作戦か?
現在発動中の百号作戦での国府第1戦区軍の敗勢は明らかで、閻錫山はこれを掴んでいるはずだ。空白となる中條山に進駐するのか。日本軍の守備兵力は2個師団しか予定されていない。
参謀たちの意見を聞き流しながら、田中少将は思った。いや、違う。
閻にはもっと戦略眼がある。山西省の掌握だけなら、いままでも機会はあった。もっと大きく、河北省や河南省、中原から内蒙までを睨まない限り、動かないだろう。つまり。
田中は思い当たった。南方作戦の情報が漏れているのか。
意外だが、閻錫山が動くには十分な動機だ。帝国と米英とは険悪な情勢で、かつ三国同盟で独逸に組する帝国の対米英開戦は近い。帝国が南方に侵出すれば、支那総軍への補給は滞る。少なくとも最優先とはならない。目の前の兵力だけで後詰も援軍も来ないのなら、山西軍が有利である。
国府第1戦区軍が壊滅して、日本軍に後続がないのなら、北支の戦力配置は一変する。均衡が崩れる。閻錫山の敵は、貧弱な装備の中共軍だけとなるのだ。
どこまで漏れているか。少なくとも、南仏印進駐は知られているだろう。ひょっとすると?
さて、情報漏洩の手当ては大臣に頼んだ。本来は兵務局長の所掌でもあるから、早いところ帰京しなければならない。しかし、その前に山西省の始末だ。閻錫山を止める必要はないが、相手は中共軍にしてもらおう。
これまでの布石をすべて活かすしかない。切り札も切る。