9 包囲 垣曲
昭和16年、5月9日。百号作戦+2日
未明。西正面、垣曲。
独立混成第9旅団は、昨日午後から垣曲を占領していた。
垣曲は、黄河対岸への最大の渡し場である。この辺りでは河幅は1kmを超えるが、それでも泳いで対岸に逃れようとした敵兵は多かった。独混9旅は、対岸を目指す敵兵を射撃する一方で、舟艇を接収し、対岸に向けた重機関銃陣地を設定する。夜になっても、ときたま飛来した運城飛行隊が吊光弾を落す。また、一定間隔で擲弾筒で照明弾を打ち上げる。見つけた筏や小舟は重機関銃隊が狙撃した。
池ノ上少将が垣曲へ入城する。
周辺の掃討戦は続いている。砲声はさすがに途絶えたが、銃声は続いていた。
旅団戦闘指揮所には、本部要員が地図を開いて待っていた。
「第1軍戦闘司令所より命令電があります」
「先に聞こうか」
「本日夜までに垣曲占領を第41師団に引き継ぐこと」
「うむ」
「明朝は黄河河畔を南下、敵殲滅と独混16旅との連絡にあたれと」
「ほう、明日でいいのか」
「冬の挺身隊が敵司令部を捕捉したようで、夜明けから攻撃開始と」
「そういうことか」
「同士討ちの回避でしょう」
「よし。では戦況を説明してくれ」
夜明け。中條山山中、馬村。
ばん、ばん。たん、たん。たた、たたた。
歩兵第226連隊第1大隊は、夜闇の内に馬村を包囲し、夜明けとともに攻撃を開始した。
裏山に回った第2中隊が、眼下の馬村一帯に一斉射撃を浴びせる。家々を飛び出した国府軍の兵士は、30度を超える急勾配の山地に反撃が出来ない。街道へ飛び出した兵は、第1中隊と第2中隊の挟み撃ちに合い、銃撃のない方へと逃げまどい、増水した川に転落する。馬村の国府軍にとっては奇襲となった。
「日本兵来了!」
「何処来?」
「從天而降!」
松本大隊長は、兌山中腹の大隊本部を出て、山麓に布陣した歩兵砲2門、重機関銃2挺の近くにいた。ここからは、馬村とその周辺が見渡せる。重機関銃中隊は重機8挺、第1中隊と第3中隊に2挺づつ与え、残りの1挺づつを左右の山間に配置していた。
村の中からも、周辺の洞穴からも、銃撃に驚いた兵士たちが、わらわらと現れ出る。国府軍の兵士は予想したより多かった。山腹に布陣した重機関銃中隊も敵兵を狙撃しているのだが、とても足りない。2千人を超えるのではないか?
「副官、信号だ。本文、突撃待て」
「はっ。信号弾、龍、黒、1つ星!信号旗、赤白、頭上交差!」
復唱した本部付きの曹長と兵長が走る。
「中隊長。砲撃開始!」
わきに控えていた歩兵砲中隊長が、伝令を振り向く。
「はっ。歩兵砲中隊!命令、撃て!」
伝令の伍長が走り去る
どんっ、どんっ。
歩兵砲が砲撃を始める。目標は村の中央あたり。
およそ1kmを置いて、第1中隊と第3中隊が馬村の街道を封鎖している。2挺の重機で狙撃しながら、各歩兵小隊に距離を詰めさせる。突撃待ての命令があったが、すぐに砲撃が始まった。落せるだけ川に落とし込んだ後に、突撃なのだろう。まもなくだ。中隊長の判断に誤りはなかった。
たん、たん。たた、たた。
重機と歩兵砲の射撃線を慎重にかわしながら、第2中隊も山を下っていた。急勾配だから、前に思いきり飛べば、村まで届くような気にさせられる。突撃の合図が出れば、まさに「天降る」ことになるな。中隊長はそう思った。
頃合いを見て、松本大隊長が号令する。
「突撃!」
「「突ぅ撃ぃ!」」
「「「おおおーっ」」」
わっと起こる吶喊の中で、突撃喇叭が山々に木霊する。
午前。運城。第1軍戦闘司令所。
「第41師団は垣曲に入城」
「独混16旅を追って、第37師団が平陸に入りました」
「南北で黄河に到達。外側包囲網の完成です」
「独混16旅は白狼渡まで前進」
「独混9旅を16旅に連結させれば、内側包囲も完成します」
「待て。第36師団は今どこだ」
「先鋒が王茅鎮です。垣曲北西10km」
北原が地図を覗き込む。
「街道沿いか。垣曲に集まりすぎたか?」
「第37師団の中挺身隊から入電」
「うむ」
「敵3軍の司令部を蹂躙、佐官、将官を含む捕虜多数」
「やったか、特情が。現在位置は?」
「白狼渡より北へ15kmほどです」
「矢部少佐、どう思う?」
「敵80軍の司令部も第37師団が捕捉しております」
「うむ」
「思ったよりも、敵は北に集まっていたようです」
「それだ」
「はい。敵17軍と43軍の司令部とは触接できていません」
「つまり最北側。絳県と垣曲の街道だな」
「はっ。独混16旅か第36師団か」
「それは俺が考える。敵93軍の位置は?」
「それが、垣曲の北の山中でした」
「意外だな。東正面に行くつもりか」
北原中佐は、垣曲で兵団の再配置を考えていた。
正午。東正面、竜王窩。
朝、孟県を出た騎兵第4旅団の1個大隊と戦車第8連隊の1個中隊は、南の黄河沿いに進撃していた。昨日まで一緒にいた第35師団は真西に進撃、第21師団と並列して、済源を抜いて封門口を目指す。
分進した騎兵大隊と戦車中隊の混成機動団の目的は、黄河の渡河点潰しである。1個騎兵中隊を偵察として先行させ、1個騎兵中隊を右翼に大きく張り出して斥候を兼ねさせる。主力の戦車中隊と騎兵中隊が前後しながら黄河河畔を疾走する。追従できる自動車移動の砲兵はなかったので、新郷飛行隊の軽爆機と襲撃機が砲撃の代わりに、爆撃と銃撃を担当していた。
午後。西正面。中條山山中。
馬村の包囲戦が一段落して掃討戦に入ると、本部要員は引き揚げる。兌山中腹の大隊本部には、続々と戦果報告が入って来ていた。師団や連隊からの戦況も、ひっきりなしに入電する。
貧相な家屋の庭には、チェコ軽機や迫撃砲などの鹵獲品が並べられ、本部員が記録を取っている。銃砲のほかにも、手榴弾、円匙、十字鍬など雑多な兵具は多数だ。
それを眺めながら、迫撃砲は危なかったと、奥田は思っていた。そこへ、どやどやと一群の兵が入ってくる。腰紐をつけられた十数名の捕虜は、全員が将校らしい。山道だから後ろ手を縛らなかったのか。相手は将校だが、ちょっと不用心だな。
大隊長と副官が家屋から出て来た。さすがに、十人を超す捕虜は一度に入りきらない。
「敵第3軍の参謀長だと?」
「はっ。譚少将であります」
思わず、庭の全員が振り向く。
「誰がその」
「はっ。それは」
兵が右手で指差そうと振り向く。
十数名の捕虜が全員、指差されるのはいやだとばかり、逃れようと動く。
その瞬間、捕虜の集団が倍以上に膨れ上がった。
慌てた兵が小銃を持ちなおそうとする。
しかし、一瞬早く、数人の捕虜が鹵獲品の方へ走っていた。
「シャーッ」
「何をするか!」
奥田は、走りながら軍刀を抜く。
「頭城!」
「うおっ」
躍り出た頭城は、ひるむ捕虜たちの腰紐を手繰り、そのまま引っ張って、庭の外へと駆け出す。
引かれた数人の捕虜が、よろけて転げ倒れる。
だが数人の捕虜は、抵抗しようと踏みとどまる。
立っている捕虜たちを抜き身で掃いながら、奥田は駆け抜けた。
目の前で二人の男が格闘していた。抜いた軍刀を顔の前に翳しているのは、大隊長か。
それに手斧で打ちかけているのは、捕虜だ。
二人は、前になったり後ろになったり、激しく動き廻る。
チン。
妙な金属音がした。軍刀が折れたのか。
軍刀を突き出す奥田の目前で、二人の姿が消えた。
どさっ。
庭の端から落ちたらしい。日本兵が数人、後を追って飛び降りる。
下を覗き込むと、崖の深さは3米ほどか。数人が固まってもつれている。
べこっ、ぼこっ。
奥田は、駆けつけた頭城と顔を見合わせた。
同じ頃。運城。第1軍戦闘司令所。
「決めたぞ。命令!」
ようやく黙考を終えた北原中佐が発声する。
「はっ。どうぞ」
北原の命令を、准尉が用箋に書き取る。
垣曲は百号作戦において、東正面と西正面の接点である。つまり、東西の敵軍の真ん中にあって、両方から圧力を受けるということだ。独混9旅の機動と第41師団の追従で、西の中條山は包囲し封鎖に入っている。いま、西正面からの敵圧力は遮断できた。
東正面の敵軍も方面軍直轄に押されっぱなしで、作戦開始以来敗走を続けている。垣曲まで落ちてくるかもしれないが、圧力とは言えまい。
北の敵は第33師団の桜井中條がうまく吊り上げている。あの親父め、さすが作戦家だ。唯一つ不確定であった敵93軍の動向もわかった。兵力は1個師だけだった。
よし。第36師団を垣曲から東と北へ進出させよう。西正面に続き、東正面でも包囲戦を企画してやる。
「北原参謀!」
「なんだ!矢部参謀」
「中條山殲滅戦の前に第36師団を東へ転用するのは、作戦計画に反します!」
「なにを言うか!貴様っ、戦機を読めんのかっ!」
「違います、北原参謀。宛先は太原。司令部に意見具申電を発信願いますっ」
「おっ」
そのとおりだ。このままでは独断専行、いや、参謀統帥になってしまう。司令部参謀といえども、決して指揮官ではない。司令官決裁の作戦計画を逸脱した命令を、最上級であっても、参謀が発するべきではない。
「・・以上、意見具申として太原の司令部に発信だ」
「諒解。太原の軍司令部に発信、作戦変更の許可を求む」
准尉は、年相応の丸めた言葉で収めると、じろりと司令所要員を一度見渡した。
「通信伝令、行けっ!」
「はいっ!」
「あっはっは。借りが出来たな、諸君」
伝令が出て行くと、北原中佐は収拾に動く。素早い。
「中佐どの。いい眠気覚ましでした」
「寝坊は、参謀に入りませんっ!」
「それはいい。あっはっは」
参謀とは、無謀、横暴、乱暴の『三ぼう』らしい。
「総員に告ぐ!」
司令所の全員が起立、不動の姿勢をとる。
その中を、北原中佐が一人一人を見ながら歩く。
「太原に帰ったら、おたふくを借り切るぞ!」
「「おおっ」」
「危うく首になるところだった。1ヶ月の俸給を差し出す!」
「「おおおっ」」
「殊勲甲の矢部少佐と太田准尉は1斗酒だっ。必ず勝つぞーっ」
「「「おおおおーっ」」」
夕方。西正面。中條山山中。
ごおおぉぉぉん。
上空を舞っていた軍偵らしき友軍機は、突然、中挺身隊本部に向けて急降下する。
本部要員が見上げる中、近くに通信筒が落下された。すぐに回収班が持ち帰り、通信隊が復号する。
大隊長の松本少佐に呼ばれて、奥田少尉は本部に出頭した。
「どうですか?」
「うん、足首をひねったらしい。捻挫だ。しばらく歩けんよ」
「名誉の負傷です」
「どうかな。ま、それはいい。この通信は貴公宛らしい」
「拝見します」
「作戦変更らしいな。さっきの軍偵は信号弾も落した」
「はい。雪兵団の分離を早めたようです。それに合流せよと」
「そうか、行くか」
「はい。お世話になりました。ここで失礼します。ご武運を!」
「奥田。情報も諜報も戦術的に有効だ。よくわかった」
「はっ」
奥田は、笑って見せた。
「だから、生き残れ」
奥田と頭城は、第36師団司令部に合流するため、山中を東へ急進する。
深夜。運城。第1軍戦闘司令所。
「矢部少佐。白狼渡の先の青崖高地に敵兵4000が集結中です」
「どこからだ」
「軍偵が地上の信号弾を発見し、独混16旅が将校斥候を出して確認しました」
「北原参謀?」
「一番近いのは16旅だが、明後日からの殲滅戦を考えると37師だな」
「了解。第37師団に暗号電。情報を送ってやれ」
「中挺身隊になるな。明朝未明から運城飛行隊に直協させるか」
「そろそろ黄河対岸から砲撃が始まるかと」
「うむ。方面軍に統制してもらうか」
「はい。運城には爆弾が少ないですから」
「よし。作戦案として軍司令部と方面軍司令部に同時発信」
「はっ」
百号作戦は、開始後55時間を過ぎようとしていた。