5 逃げ道をふさがれた!
◇ ◇ ◇
朝が来た。
あれから、変わったことは起きていない。あれからというのは、姫が僕の所に来てからだ。姫の行動を謝罪しに、王子と大臣が部屋に立ち寄ったくらいしかない。それから普通に夕飯をいただいて、普通に入浴して、普通に就寝した。普通っていいね。
そして、朝が来た。
昨日のうちに言われていたことだが、今日から異世界の授業を受ける。
部屋に僕を起こしに来たエレンが、着替えの手伝いをしようとするのを丁重にお断りし、ウェルや兵士の皆と一緒に食堂で朝食をいただき、いざ最初の授業へ向かった。
◇ ◇ ◇
授業が終わった。
時間自体は、休憩をはさんで二時間といったところだ。
正直なところ、拍子抜けだった。僕が、気負い過ぎていたとも言える。初めてなのだから、そんな難しいことをしたりはしなかったのもあるが、一番拍子抜けだったのは、日本語があったことだ。
王国で使っている文字が、日本語という意味ではない。授業の中で、日本語を併用しているのだ。王国の文字のどの部分が、日本語のどの部分になるのか。それが、わかりやすく解説された資料があった。
先生に聞いたところでは、過去に召喚された方々が残したものらしい。それをそのまま使用している。
おかげで、文字に対する抵抗は、かなり減った。覚えるのもかなり早く覚えられるだろう。それなりに時間は必要だろうが、つまずくことはないと思う。
それから授業の目的とは違うが、異世界の常識、元の世界とこの異世界の違いも知ることが出来た。文字を習うための例題文から、それを知った。まだまだ知っておいた方がいいことはあると思うから、まだまだ授業ではお世話になりそうだった。
僕は、授業が終わり、授業場所だった図書館から出たところだ。
今は近くに、ウェルはいない。ウェルは、訓練に出ている。そのため、授業が終わった僕は、すぐに僕の使っている客室に戻らなければならない。もし、城の中を行動するならば、訓練場にウェルを探しにいく必要がある。
この後、何をしようかと考えていたところで、捕まった。誰に捕まったのかというと、あの姫だった。
「ユータの授業は、終わったわね?」
コルニス姫は、僕の後ろから声をかけ、気づいた時には横に並んでいた。そのまま、僕に笑顔を見せている。
「まあ、終わりましたね」
「なら、ちょっと付き合いなさい」
「どこに?」
コルニス姫は、僕の問いに答えず、僕の腕を取って目的の場所へどんどん足を進める。
(これは、こっちの話を聞かないな)
僕は、話をすることとか、姫を止めることとか、誰かに助けてもらうこととか、いろいろ諦めつつ、姫の後をついて行った。
姫に連れられて向かったのは、訓練場だった。数人の兵士たちが、教官らしき人物の声に合わせて、素振りをしている。
訓練場まで来た姫は、そこで僕の腕を放して、一人で歩いていってしまった。
少しの間、その訓練風景を眺める。
「いーちっ!」
「いーちっ!」
「にーっ!」
「にーっ!」
兵士は、各々鍛えた体を使って、各々の獲物を振っていた。剣を持つ者、槍を構える者、それぞれに教官の掛け声に合わせて振っていた。振る武器によって、立つ場所が決められているようで、剣なら剣、槍なら槍で集まり、規則正しく整列している。とても規律に厳しいようだ。ウェルの姿も確認できた。
僕から見れば、皆、とても鍛えられている戦士たちだ。
そんな訓練場の中で姫は、僕を訓練場の端に置き去りにして、この場に似つかわしくない様子の老人に話しかけていた。
その老人は、訓練に参加することもなく、訓練の様子を端で椅子に腰掛けて眺めていた。体つきも鍛えているとは言い難い。
姫と何かを話していた老人が、一度だけ僕に視線を向けた。老人の瞳が、怪しく光る。その視線を姫に戻した時、老人は姫に頷いていた。
(何があった?)
僕は、なぜか嫌な予感がしていた。今からでも何か理由をつけて逃げるべきだろうと考え始める。
そんな僕の考えを放って、訓練場に姫の大声が響く。
「これから模擬戦やるから! ちょっと場所を借りるね!」
(は?)
僕は、瞬時に考えた。姫の発言を検証してみよう。
模擬戦。
これはわかる。訓練の一環として、実戦形式でやる戦闘、対戦だろう。この場所を借りると言うことだから、すぐにでも始める気なのだ。
それで、その対戦者とは。
一人は、姫だろう。自分で宣言しているのだ。今も腰に剣を下げているし、剣の扱いには自信がありそうだ。
その相手とは。
「ユータ! そんな所にいないで、こっちに来なさい!」
僕の名前が呼ばれた。
訓練場にいる全員の視線が、僕に向けられる。
(逃げ道をふさがれた!)
こんな大勢の見ている中で、逃げ出すための適当な言葉は思いつかない。僕なんかより訓練に集中してくれればいいのに、姫のせいで僕に視線が向けられている。それだけ姫の言葉に影響力があるということか。
僕は、できるだけゆっくりと訓練場の端を、時間をかけてたどって、姫と老人の元へ向かった。時間をかけて向かったのは、せめてもの抵抗だった。無駄な抵抗だと、自分でも思う。
僕が到着する間に、姫はすでに獲物を決めて素振りをしていた。
「お主が、召喚された者か?」
老人が、僕に声をかける。見た目は、体中にしわの出来たよぼよぼのおじいちゃんなのだが、声ははっきりとしている。
「そうです」
「して、獲物は何がいい?」
すでに模擬戦に参加する片方として決定されている。
これは、どうしようもないと判断し、正直な言葉を口にした。
「……生まれてから、武器を持ったことがないので、基本的な物でお願いします」
老人の瞳が、光ったような気がした。人の目が光ったりしないから、気のせいだと思う。
「ならば、これじゃろう」
そう言って老人は、どこからともなく、木製の剣と盾を取り出した。本当に、どこから取り出したのか、わからなかった。
取り出した木盾を僕の前に突き出す。
僕は、仕方なくそれを手に取った。木製だからそんなに重くないと思ったが、見た目に反して、それなりに重さがあった。
僕が木盾を構えると、老人は、今度は木剣を突き出す。
「初めてならば、獲物を振ることよりも、足を動かすことに気を向けなされ」
老人は、アドバイスらしき言葉を残して、椅子に座り直す。
僕は、重い足取りをやる気に満ちている姫へと向けた。正直、気は進まない。
僕が姫に向き直ると、姫も素振りをやめてこちらを向く。
「ステータスがあれだけど、しっかりやりなさいよね」
コルニス姫の言葉は、期待をしていないように聞こえるが、その表情はそうは見えない。二割位は期待しているように見える。残り八割位は、楽しんでいるようだ。
姫の言葉を聞いた兵士たちも、期待をしているような気がする。訓練の手を止めて、模擬戦を見守る体勢だ。
誰も止める人はいない。ここにいる皆が、戦闘好きだからという訳ではない。ここは、戦いが出来て当たり前の世界なのだ。
異世界の常識、その一。異世界では、誰もが戦闘をできる。
その理由は、おそらく、クラスにある。クラスは、誰でも持っている能力で、その能力は基本的に戦闘用となっている。そのおかげで、この世界では誰でも戦えるのだ。
それでも、子供を戦場に送ったりはしていない。ある程度成長してからでないと、むやみに死者を出すだけだからだ。
(……やるしかないんだろうな)
僕は、気を取り直して、木剣を握り直した。それでも気分は最悪だったけど。
目の前に立つ姫は、木剣を二本、手にしていた。いわゆる二刀流だ。姫は、そういうスタイルなのだろう。服装は、昨日見た時とあまり変わりはない。衣服の色は違ったが、その上に身に付けた手甲や胸当ては変わらない。
「おじいちゃんが、合図をしたら開始ね」
おじいちゃんというのは、さっきの老人のことだろう。
僕は、姫の言葉に頷いた。
先ほどまで騒がしかった訓練場が、一瞬で静かになる。誰もが、この模擬戦に注目しているようだ。僕の中で緊張が高まっていく。
そして、老人が合図を出したのは、僕の緊張が十分に高まった時だった。
「始めーっ!」
開始の合図が高々と出された。
コルニス姫は、開始の合図があっても動かなかった。力を抜いた状態で立っている。
「君の力が見たいんだから、君から攻めてきていいよ」
「それじゃあ、遠慮なく」
僕は、姫の言葉に従って、足を前に出した。
さて、行動はしてみたものの、ここからどうするかは未定だ。剣を振った経験など皆無に等しい。もちろん、剣を人に向けた経験などまるでない。
とりあえずは、接近して真正面から、思いっきり、真っ直ぐに剣を振り下ろした。
何の工夫もない切り込みは、あっさりと避けられた。
コルニス姫は、踊りでも踊るようにステップを踏んで、僕の隣を抜け、背後へと回り込む。
「そんなんじゃ、運動にもならないよ」
(かなり、なめられてる……)
姫の表情は、笑顔だった。満面とまではいかないだろうが、かなり余裕のある表情だった。
それを見て、僕の覚悟も決まった。
相手は、それなりに経験があるのだろうし、無経験の僕が勝てるとは思わない。だからせめて、姫の顔から余裕だけは消してやろうと。それを目標に定めた。
僕は、周囲の情報を確認した。
訓練場の中は、かなり広い。そのすべてを模擬戦で使用できる訳ではないが、兵士たちが場所を開けてくれているので、それなりのスペースがある。
(よし!)
心の中で気合を入れて、次の行動を確定させた。
踏み込む足に力を込める。僕の体が、訓練場内を駆け巡る。
今度は、正面からは切り込まない。右や左に位置を変えて切り込んだ。剣を振る角度も、上から下から、その時々で変化させる。
コルニス姫は、僕のそんな動きに完璧について来ていた。基本的には避けているが、時には木剣ではじいたりもしている。
効果はないようだが、それでも僕は、動き続けた。足を動かし続けた。
この戦闘は、開始される前の、老人のアドバイスによるところが大きいが、他にも考えがない訳でもない。
それは、僕のステータスだ。パラメータの数値で、『技』が二番目に高かったのを覚えている。一番高いのは『徳』だが、この数値が戦闘にどう影響するのかわからないため、『技』に注目した。
『技』と聞いて思いつくのは、技術や技量といった言葉だ。単純に技その物という意味もあるかもしれない。ともかく、僕の中で一番使えそうなのが『技』なのだから、それを最大限に引き出せるようにしようと考えた。
それで、足を動かして、いろいろな角度から切り込むことにした。
今のところは、それで成功している。たまに来る姫の反撃も、木盾で逸らしつつ、足を動かして姫の死角へ回り込めた。
そこまでは、うまくいっている。だが、姫の余裕は、消えなかった。
「もっと、激しくしてもいいんだよ?」
これ以上の動きでも問題ないと、笑顔で僕の剣を受けていた。
(これ以上なんて、無理!)
このままこれを続けたら、僕の体力が持たない。姫よりも先に僕がダウンする。
僕は、さっさと決めにかかることにした。これが決まらなかったら、降参して終わりにしてもらおうとも思う。ある程度は戦ったのだし、それで十分だろう。
僕は、変わらず足を動かして変則的に打ち込み、姫の反撃を待った。
待ちに待った姫の反撃が来る。
そして、僕はそれを、変わらずに木盾で逸らした。
変わらないのは、ここまでだ。
僕はそこから死角に回ろうとせずに、木盾を姫の視界をふさぐように放った。死角を利用するのでなく、死角を作り出した。
その時間は、ほんのわずかだ。そのわずかな時間を無駄にはしない。
僕は、木盾を放りつつ、足を開き、体をひねり、勢いを殺さないように腰を落としつつ、木剣を持つ腕を大きく振る。足を踏み出し、体全体を回転させて、遠心力で勢いをつけた木剣を、姫の胸当に向かわせる。
僕が即席で考えた、渾身の一撃。
(回転切り――)
「――だあぁー!」
はい。勢い良く叫びましたが、気合の咆哮ではありません。この場面だったら、それがふさわしいのですが、そんな状況ではなくなりました。
「……」
はい。何が起きたか説明します。
遠心力をつけた木剣は、しっかりと姫の体を捉えていた。とっさに姫も二本の木剣を交差させ、斬撃に備えて防御の姿勢を取っていた。
だが、その防御に意味はなかった。勢い良く振られた木剣が、姫の体に届く前に軌道を変えてしまったからだ。
僕が、踏み出した足をもつれさせて、転んだのだ。
バランスを崩した僕は、回転でついた遠心力に逆らうこともできず、そのまま地面に落ちた。下手をしたら頭から行っていたかもしれないが、そこは運良く肩から落ちた。
しかし、僕の渾身の一撃は、地面に落ちたぐらいでその勢いを止めることはなく、僕の体は勢いに乗ったまま、回転したのだ。勢いに負けて、木剣も放り出してしまう。
地面の上を一回転、二回転、三回転してからやっと勢いがなくなり、僕は仰向けで地面に転がった。大の字に寝転がっていた。
そこへさらに、僕が回転中に投げ出してしまった木剣が振ってきた。僕の頭に直撃する。
「いてっ」
「……」
はい。周囲から感じられる、冷たい空気が痛かったです。
「……参りました」
僕は、何となくそう口にした。
それを聞いた兵士たちは、たまらずに笑い出した。普段の訓練場ではありえないほどに、大きな笑い声が溢れていた。その笑い声を聞いた城内の人たちは、何事があったのかと驚いたほどだったそうだ。僕は、ただの笑い者である。
僕とコルニス姫の模擬戦は、思わぬ形で終了したのだった。
笑いに満ちた訓練場の中で、姫がどんな表情をしていたのか、寝転がっていた僕は確認できなかった。
◇
読んで頂き有難うございます。
今回の解説コーナーは、ステータスの中のパラメータについてです。
『パラメータ各種』
パラメータは、ステータスを表示させた者の能力を客観的に表示させた数値である。サンプルを取り、基準や増減の条件をデータとして調査されている。そのため、それを見て戦闘や今後の参考としている。
表示される項目は、その者の一部だけであり、すべてが表示されている訳ではないとされている。表示されていない項目を表示させるには、魔工品作成技術や魔石研究が、現状ではまだまだ足りない。パラメータは、あくまで参考として捉えられている。
パラメータの数値は、クラスや称号によって増減される。クラスは、取得により簡単に数値が増えるが、クラスによってその数値に差がある。中には変化しないクラスも存在するが、そういったクラスは表示されていない項目に変化が表れているとされる。パラメータを降らしたいのならば、クラスや称号を得ることで増やすのが一般的。ただし、称号には減少する物もあり、注意が必要である。