26 特に話すようなことはないですね
◇ ◇ ◇
ふと気付くと僕は、不思議な空間にいた。
横になった姿勢で周囲を見渡すと、白い空間に桜色が散りばめられている。
僕は、城の客間で眠っていたはずだ。事実、僕が横になっているのはベッドの上だった。
上体を起して、さらに周囲を確認する。
僕が横になっていたベッドには変化が見られない。寝る前に見たそのままの姿だ。そのベッドの周囲も特に変化はない。
だが、その少し先からは様子が違った。部屋の中が、変化している。
白い。ともかく白い空間が広がっていた。それは、おそらく地面の色なのだろう。
その白さを地面と思ったのは、樹木が立ち並んでいるからだ。白い空間の中に自然に木の幹が並んでいる。
樹木は、その枝に桜色の花を咲かせ、時折、花びらが空中へと舞っている。
その様子に記憶が刺激された。
(……桜か?)
その樹木は、桜にとても良く似ていると思った。目に飛び込んでくる淡くも確かな色づきは、春になれば見かけることのできる光景だった。この世界で、それがかなう場所があるかはわからないが。
僕は、ベッドから降りて白く色の変わる地面の前まで進んだ。そこまでは二、三歩の距離。そこまで歩く足元は、いつもと変わらない感触だった。
「あなたは、誰?」
白い地面に近づくと、声が聞こえた。
その声の主を探して首を巡らすと、すぐに主を見つけることは出来た。
僕の立つ少し先に、樹木の幹に寄り添うようにして、その人物は立っていた。白い地面の上で、こちらを真っ直ぐに見つめている。
その人物は、上から下まで黒い衣装に身を包んでいた。三角錐の広いつばの付いたとんがり帽子、足元までを隠すローブをまとい、まるで魔法使いのように見える。帽子の広いつばに、その表情は半分隠れてしまっていた。
「あなたは、何?」
投げかけられる質問は、僕についての言葉だ。
ただ、それに答えることはできない。内容が抽象的で、何を聞かれているのか判断できない。
「……何の話ですか?」
「あなたは、何をしたいの?」
僕の口にした疑問は、届いていない。舞い散る花びらにまぎれるようにして、どこかに消えているようだ。こちらの言葉は届かず、向こうの言葉だけが届いているのか。必要のない言葉は、届かないのか。
不思議な光景を前にして、ここは夢の中だと考えることもできる。
だが、僕が経験した異世界の理を考えれば、これを夢だと頭から断じることはできない。
「何を聞きたいんですか?」
僕は、慎重に考えをまとめようと相手の姿に意識を集中した。
「あなたのこと」
僕のことを聞きたいと、目の前の人物は言う。
求められているそれは、単なる自己紹介ではないのだろう。言葉に興味とは異なる響きがように思える。興味の先に、何かがある。
「特に特筆すべきことはないんですけど」
「本当に、そう?」
「うーん……、まあ【異世界の住人】ではありますけどね」
「それはあなたにとって、特筆するようなことではないの?」
「そうですね」
【異世界の住人】はスキルを作成できる力を持つが、スキル枠の埋まってしまったあとでは意味がない。
他にも普通よりもパラメータが低かったりするが、そんなことをわざわざ口にしたりはしない。
「やっぱり、特に話すようなことはないですね」
「そう」
目の前に佇む人物は、僕の返事に落胆するような様子も見せず、淡々と答えている。
一陣の突風が吹き、周囲に花びらが舞った。
「ここまでね」
目の前の人物がそうつぶやくと、周囲の景色が揺らいだ。再び突風が吹き、あたり一面の花を一気に散らす。目の前が、花びらの桜色で埋め尽くされ、すぐ目の前にいるはずの人物の姿が隠れてしまった。
「それじゃあ、また」
桜吹雪が舞う中で聞こえた声は、どんな感情を乗せていたのかわからない。
◇ ◇ ◇
目が覚めた。
窓の外からは、昇って来た朝日が感じられる。
僕がいるのは、ベッドの上だ。周囲に変わった様子はない。ちょっと豪華な、いつもの客間である。
僕は、体を起してさらに周囲を確認する。
(うーん)
やはり、何も変化はない。窓の外はやや雲が多い。曇りがちの天気なようだ。
外の様子を確認したところで、ドアがノックされた。
「おはようございます」
ドアを開けて部屋に入って来たのは、エレンだった。
「本日は、お早いお目覚めですね」
「おはようございます」
僕は挨拶をかわして、エレンに軽く頭を下げた。
エレンは、いつも通りの変わらぬ無表情で迎えてくれる。
今日は、とても珍しい朝になった。
ほとんどの場合、僕は朝が遅い。そんな僕をエレンが毎朝、起こしに来てくれるのだが、僕が気付いた時には、すでにエレンは部屋にいる状態だ。
そして、その時の僕は、エレンの手によって半裸にされている。僕は、エレンに襲われて起きるのだ。着替えぐらい自分でするといつも言っているのだが、エレンは時間がもったいないと聞き入れてくれない。
ほとんどの場合、挨拶を交わす前にバトルになる。
「残念です」
エレンは、無表情でそうつぶやくが、言葉に落胆がはっきりと表れていた。
何が良いのかわからないが、エレンは僕を襲っている時はとても生き生きしていた。スキルも惜しまず使って襲いかかる。その時だけは、少しだけ表情も変わる。
襲うと言っても僕を無理やり着替えさせようとするだけだが、襲われている僕は、一種の恐怖を感じてしまい抵抗してしまうのだ。諦めて好きにさせることを考えたりもしたが、恐怖に慣れてしまっては人としてダメだと思い直した。
よって、朝のバトルは、ほぼ毎朝起こっていた。
「残念がらないでください」
ただ、こうやって僕が、エレンが来るよりも早く起きている場合は、かなりの高確率でバトルは回避される。エレンの中で、何か取り決めがあるのだろう。
「本日のお召し物です」
エレンが、手に抱えた荷物を僕に示した。僕の着る服だ。僕の生活は、何でもかんでも王国で準備をしてくれる。本当に、至れり尽くせりだ。
僕は、エレンが持って来てくれた洋服を受け取り、着替え始めた。
単純作業に入ると頭に浮かぶのは、先ほど眠っていた時に見た光景だ。
(夢、ではないよな)
着替えの途中で、自分の手を見つめて、開いたり閉じたりしてみる。
夢と言い切るには体験した感触が、鮮明に残っていた。体に感じた風や花びらの感触、耳に残る声の余韻、それらの体験したことを明確に記憶している。現実とほとんど変わらないその感触が、夢であることを否定している。
では、夢でないのならば、あれは何だったのか。それを考えても答えは出ない。
思考にふけっていると、背後から気配を感じた。
(しまった!)
「手が動いていませんね」
振り返るとエレンが、間近に立っていた。表情は相変わらずの無表情だが、そこには変化の兆しがある。
物思いにふけっていたために、背後への警戒がおろそかになってしまった。完全に不覚を取った状態だ。
エレンの動きは、背後を取っただけでは終わらない。振り返った僕は、死角から伸びた腕に掴まれた。
「これから授業があるのですから、時間を無駄にしてはいけません」
エレンの声が聞こえる。だがそれは、目の前のエレンからではない。
もう一度首を巡らすと、部屋の中にはもう一人のエレンが立っていた。スキル《分身》により、自身の数を増やしたのだろう。
僕は、二人のエレンに挟まれていた。僕が振り返る一瞬のうちに、エレンは優位な状態を作り出していた。
「お手伝いが必要ですね」
そう言葉にしたエレンの頬が、わずかに紅潮してきた。基本的に無表情のエレンが、表情を変える貴重な瞬間だ。それを目にできても、全然うれしくない。
「結構です」
僕は、断りというか、拒絶に近い言葉を口にした。
「遠慮は不要です」
それを聞いてもエレンの態度は変わらない。むしろ、いつもの調子で進行していく。
拒絶の言葉は、無駄に終わった。ここからは、交渉の余地がない。
「さあ、始めましょうか」
「さあ、始めましょうか」
挟まれた僕にできる抵抗は、限りなく少ない。
「ノオォォォー!」
ほとんどの場合、僕の朝は、バトルになる。
◇ ◇ ◇
僕は一人で、城下町の中を歩いていた。
日課である朝の授業も終わり、とりあえずの自由行動だ。向かう先はいつもの孤児院である。
このサイフィルム王国に来てから、二十日以上が過ぎ去った。その間にあった出来事で、僕は一人で行動できるだけの信頼を周囲から得ていた。それでも僕の行動できる範囲は、城と城下町だけだが。
信頼を得ていても、僕が授業を受けるのは変わらない。最初からの目的であった文字を学ぶことはもちろん、国家や魔物、スキルなどの世界の知識を引き続き学んでいる。
僕が教わっている先生は、当初から変わらずに一人だけだ。それを考えると、かなり幅広い知識を持った人だったのが、最近になってわかってきた。一つの分野に知識が深いわけではないので、教わっている最中に別の分野の話が割り込んできて、話ばかりが膨らむことがあるが、なかなか良い人に教わっている実感がある。図書館以外で見かけたことがないので、普段は何をしているのか謎であるが。
(スキルではないか……)
歩き慣れた通りを歩く僕は、今朝に体験した夢のような出来事について考えていた。
あの夢について、授業の終わりに先生にも意見を聞いてみた。一人で考えても答えが出ないならば、より知識を持っている先生に聞くのは間違いではないだろう。
その先生によると、スキルでは難しいということだった。不可能ではないらしいが、それだけの現象を起こすには、パラメータにかなり高い数値が要求されると言う。
スキルは、習得にも使用にもステータスが影響している。現れる効果が、遠距離に広範囲で、その場への影響が強く、持続性が高いほどに求められるステータスが高くなる。
あの夢の現象は、範囲は限定的だが、就寝中とは言え個人の意識に介入し、ある程度の時間を確保していた。さらに、城内での不審者情報はなかったため、距離についてもかなり遠距離から使われていると予想できる。
そう考えると、スキルによるものだとは言えない。
そうならば、一体どんな手段によるものなのか。その辺りの詳しいことは、また次回ということで詳しくは教えてもらえなかった。ただ、手段が存在するのは確実だ。
(スキルではないのか)
僕は、宙に浮いた状態の疑問を何度も考えながら、孤児院への道をとぼとぼと歩いた。
◇ ◇ ◇
読んで頂き有難うございます。
今回の解説コーナーは、《分身》についてです。
『スキル《分身》』
《分身》は、クラス『ニンジャ』により取得できる。自身と姿形の全く同じ存在を作り出し、自由に行動させることができる。文字の通りの内容である。
コピーをするスキルは、他にも存在するが単純な行動や全く動かせなかったりするため、そういった面では優れた特徴がある。ただし、作り出せる存在は自身の複製のみであり、その点で他のスキルよりも劣る。
基本的に戦闘で使用するスキルであり、長時間の使用は難しい。また、複数体の複製は高いパラメータが必要になる。




