第8話:『無口な指名客と、香水瓶の小さな作戦会議』
金曜の夜。
歌舞伎町のネオンが雨上がりの路面に滲み、高級ホストクラブ『LUXE』のエントランスにも、いつもの喧騒が流れ込んでいた。
「……今日、予約多いな」
バックヤードでネクタイを整えながら、クロノは小さく眉を寄せた。黒服の東がタブレットを確認しながら苦笑する。
「クロノ、お前また指名が偏ってる。新規三件、リピート五件。しかも全員“クロノさんお願いします”だ」
「意味わかんねぇ……」
「お前、自覚ないの怖いわ」
その時。
クロノの胸ポケットから、ライターの小人がぴょこんと顔を出した。
『今日は“静かな女の人”が多いぞ! 入口のバッグたちが噂してた!』
(バッグネットワーク広すぎるだろ……)
さらに、ロッカーの鏡の小人も身を乗り出してくる。
『あと今日のお客さん、“癒されたい勢”が多い! ギラギラ系じゃなくて、“話を聞いてくれそうな男”を探してる空気だな!』
(……また面倒な日だな)
忠敬は深くため息をついた。
*
最初の指名客は、二十代後半くらいの女性だった。
落ち着いたベージュのワンピース。 派手さはない。 だが、入店してからずっと、どこか緊張している。
テーブルについた瞬間、彼女のバッグの金具の小人が、クロノに向かって小声で叫んできた。
『この人、三日前からめちゃくちゃ悩んでる! スマホ何回も開いて閉じて、予約キャンセルしようとしてた!』
『でも来ちゃった! 勇気出して来ちゃった!』
(うわ、プレッシャー重いな……)
「初めまして。クロノです」
「あ……は、はい」
女性はぎこちなく笑う。
無理もない。
周囲を見れば、他の卓ではシャンパンコールが飛び、ホストたちが大声で盛り上げている。
その中でクロノだけが、妙に温度感が違った。
「……こういう店、初めてですか?」
「えっ、なんで分かったんですか」
「水飲むペースが面接会場の人なんで」
「ふふっ」
小さく笑った。
その瞬間、卓の上の水グラスの小人がガッツポーズした。
『やったー!! 初笑顔いただきましたー!!』
『今日は記念日だぞー!!』
(お前らテンション高いな……)
女性は少し肩の力を抜き、ぽつりと呟いた。
「なんか……クロノさんだけ、普通ですね」
「それ褒めてます?」
「たぶん」
また笑う。
その笑顔を見た香水瓶の小人が、棚の上からソワソワし始めた。
『よし……今だな』
『出番だぞお前』
『いやでも付けすぎると“ホスト感”出るし』
『今日は“安心感ルート”だろ!?』
クロノの使っている香水瓶の小人たちは、なぜか毎晩“接客方針会議”をしている。今日はどうやら、 “癒し特化構成” らしい。
『ワンプッシュ半で行け!』
『石鹸系を前に出せ!』
『酒の匂いを消して“隣にいると安心する男”を演出だ!』
(お前ら、完全にプロデューサー気取りじゃねぇか……)
だが実際、その日は不思議と客の空気が穏やかだった。騒ぎたい客ではなく、 誰かに話を聞いてほしい客ばかりがクロノの卓へ流れてくる。
「仕事、疲れたんですか?」
「……そんな顔してました?」
「ちょっとだけ」
女性は静かに笑い、やがてぽつぽつと仕事の愚痴を話し始めた。上司。 数字。 責任。 終電。 寝不足。
派手な恋愛話も、 駆け引きもないただ、“誰かに聞いてほしかった話”。
クロノは無理に盛り上げず、 ただ適度に相槌を返した。
その様子を、灰皿の小人がしみじみ眺めている。
『このご主人、“喋りで落とすタイプ”じゃなくて、“安心して黙れる空気”作るタイプなんだよなぁ』
『ホスト向いてんのか向いてねぇのか分かんねぇ』
(俺も分からん)
*
一方その頃、別卓ではレンが完全に燃え尽きていた。
「レンくぅ〜ん♡」
「レンくん飲も〜♡」
「……はいはい♡ 飲みましょ〜♡」
笑顔。
完璧な営業スマイル。
だが、彼の腕時計の小人は限界だった。
『助けて!! この人もう三時間テンション維持してる!!』
『笑顔の筋肉が死ぬ!!』
『糖分!! 糖分を入れろ!!』
黒服の東が遠くから察する。
「……潜木、悪い。レン卓ヘルプ入ってくれ」
「俺?」
「レンのMPが切れた」
意味は分からないが、 かなり危険なのは伝わった。
クロノがレン卓へ向かうと、レンは爽やかな笑顔のまま、小声だけで囁いた。
「……クロノ、頼む。俺ちょっと今、“人類の笑顔”を失いかけてる」
「怖ぇよ」
その瞬間、レンの香水瓶の小人がクロノへ土下座した。
『頼む!! このキラキラ王子を五分でいいから休ませてくれ!!』
『もう限界なんだ!!』
『さっきから“かわいい〜♡”に35回連続で反応してる!!』
(地獄か?)
クロノが席につくと、客たちは一斉に驚いた。
「あっ、クロノさん!」
「え、来てくれたの!?」
「やば、ラッキー!」
レンがジト目になる。
「……お前さぁ」
「知らん」
だが、その空気は不思議だった。レンの卓なのに、 クロノが入ると温度が少し落ち着く。騒がしいだけだった空間に、 自然と会話が生まれる。
その様子を見ていたシャンパングラスの小人たちが、ヒソヒソ盛り上がっていた。
『まただよ』
『この黒髪、“空気の密度”変えるんだよな』
『いるだけで会話が丸くなる』
レンはその様子を見ながら、小さく笑った。
「……ほんと意味分かんねぇ才能してるわ、お前」
「だからホスト向いてないって言ってるだろ」
「いや、むしろ一番向いてるタイプだわ」
クロノは盛大に嫌そうな顔をした。
*
閉店後、ぐったりしたレンがソファへ沈み込み、 東が売上表を確認していた。
「……クロノ、今日指名本数トップ」
「は?」
「しかも客単価高ぇ」
「なんでだよ……」
すると、 テーブルに置かれた伝票バインダーの小人が得意げに胸を張った。
『今日の客、“この店で初めて安心した”って書いてたぞ!』
『あと“無理して喋らなくていいの助かる”だって!』
クロノは頭を抱えた。
「いやだから俺、ホストみたいなこと何もしてないだろ……」
「それで売れてるから怖ぇんだよ、お前は」
レンが笑いながら缶コーヒーを投げて寄越す。
受け取った缶コーヒーの小人が、 プシュッと音を立てながら満足げに呟いた。
『いや〜今日もお疲れさん』
『相変わらず騒がしい店だな、ここ』
クロノは缶を開け、 深く息を吐いた。
今日もまた、 小人たちはうるさかった。
そして相変わらず、 この仕事は、 全然向いてる気がしなかった。




