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第7話:『主不在のLUXEと、終わらないヘルプコール』



金曜日、午後八時。

週末の歌舞伎町は、いつにも増して騒がしかった。雨上がりのネオン。 客引きの声。 酔っ払いの笑い声。


その喧騒の中心にある高級ホストクラブ『LUXE』も、開店直後から満席に近い状態になっていた。


――にもかかわらず。


バックヤードには、妙な緊張感が漂っていた。


「……マジで今日、クロノ来ないんすね」


黒服の神崎が、予約表を見ながら疲れた声で呟く。


「大学の必修講義だってさ」

ソファに座るレンが、スマホを弄りながら答えた。

「夜まであるとか大変っすね……」


新人ホストのユウが感心したように言うと、レンは苦笑する。


「アイツ、昼は普通に大学生だからな」



だが問題はそこではない。今日の予約表には、“クロノ指名”が大量に並んでいた。


しかも週末。

普段ならクロノが自然に捌いている客数を、今日は他のホスト達で分担しなければならない。



神崎がボソッと漏らす。


「なんか……店の柱抜けた感あるな……」


レンも否定しなかった。実際、クロノは派手なタイプではない。盛り上げ役でもないし、売れっ子特有の圧もない。なのに不思議と、あの男がいるだけで店の空気が安定するのだ。





営業開始から三十分後。

その“穴”は、想像以上に大きかった。


「えっ、クロノ今日いないの?」

常連客のエリカが、露骨に残念そうな顔をする。


「申し訳ありません。本日は大学の講義が長引いてまして」 レンが自然に席へ入りながらフォローした。


「そっかぁ……」


エリカは悪い客ではない。だが、“クロノがいる安心感”込みで来店している客が多いのも事実だった。


レンは接客しながら、ふと考える。


(アイツ、自分で思ってるよりだいぶ店に影響与えてるんだよな……)







さらに別卓。


新人ホストのユウが、シャンパンを注ごうとして盛大に泡を溢れさせた。


「あっ!!」


テーブルに飛び散るシャンパン。

女性客の「あはは、大丈夫?」という苦笑。


ユウは顔を真っ赤にして固まった。

「す、すみません!!」


神崎が即座に飛び込んで片付ける。

レンも空気を切り替えようと話題を振る。



だが、どこか噛み合わない。


ほんの少しの空気の乱れ。

小さな焦り。

微妙な沈黙。


普段ならクロノが、いつの間にか潰していた“違和感”だった。



レンがグラスを置きながら呟く。

「……アイツ、普段どんだけ裏で処理してたんだよ」






午後十時過ぎ。

バックヤードで、神崎がついに頭を抱え始めた。


「ダメだ……新人二人ともテンパってる……」

「レンさんヘルプ入りっぱなしだし」

「テーブル回しギリギリです」


ふいに神崎のスマホが震えた。

画面には、『クロノ』の文字。


「おっ」


電話に出る。


「もしもし!」

『……なんか今日やばい?』


開口一番、それだった。神崎は思わず笑う。


「なんで分かるんすか」

『レンさんから返信遅い時点で察した』


遠くでレンが吹き出した。


「何だよその判断基準」

『新人やらかした?』


神崎が黙る。


『図星か……』


電話越しに、小さくため息が聞こえた。


『今どんな感じです?』


神崎は半分愚痴みたいに現状を説明した。


「常連の空気が微妙に不安定で、新人が焦ってミスして、レンさんが全部フォローしてます」

『レンさん酷使するとあとで面倒なんだよな……』

「聞こえてるぞ」


レンが即座にツッコむ。


その瞬間、バックヤードにいた全員が少し笑った。

たったそれだけなのに、空気が軽くなる。



神崎は改めて思った。

(この人、店にいる時だけじゃなく、電話越しでも空気変えるんだよな……)







「で、クロノさん来れないんですか?」

新人ユウが恐る恐る聞く。


電話越しに、少し間が空いた。


『……まだ大学』

「ですよねぇ……」

『でもあと三十分で終わる』


神崎とレンが顔を見合わせる。


「あ」

「その言い方」


レンがニヤッと笑った。


「お前、来る気だろ」

『いや別に』

「絶対来るじゃん」

『……一時間だけな』


神崎が思わずガッツポーズする。


「救世主きた!!」

『うるさい』


電話は切れた。





そして午後十一時。

店の扉が開く。


ラフな黒シャツ。 講義帰りなのか、肩には大学のバッグ。 セットも甘い。どう見ても“普通の大学生”だった。


だが、


「あっ、クロノ!」

「来たー!」

「今日会えないと思った!」


店内の空気が、一瞬で変わる。

忠敬は面倒そうに片手を上げた。


レンが笑う。


「大学帰りそのままとか、お前ほんと色気ねぇな」

「講義三コマ連続だったんだよ」

「なのに来たの?」

「神崎さんの声が限界だった」


バックヤードから神崎の「ありがとうございますぅ……!」が飛ぶ。


忠敬は呆れ顔でフロアを見回した。


新人ユウはまだ緊張している。

レンは普段より働きすぎ。

常連客もどこか落ち着かない。



数秒だけ見て、忠敬は自然に動き始めた。



「ユウ」

「は、はい!」

「シャンパン注ぐ時、姫じゃなくてラベル見ろ。手ブレ減る」

「……!」

「あと謝りすぎ。逆に空気固まる」

「はい!」


短い。


だが、それだけでユウの肩の力が抜ける。


レンはその様子を見ながら苦笑した。

「だからお前、教育係向いてんだって」

「向いてねぇよ」

「向いてる奴ほどそう言うんだよ」





閉店後、ソファへ倒れ込んだ新人達が魂の抜けた顔で呟いた。


「今日マジでやばかった……」

「クロノさん来てから空気戻りましたよね……」


神崎も深く頷く。

「なんか、店全体が落ち着くんだよな」


レンが缶コーヒーを飲みながら笑った。

「本人は無自覚だけどな」


クロノはネクタイを緩めながら、本気で疲れた顔をしていた。


「……大学終わりに来る場所じゃねぇ」

「でも来たじゃん」

「電話がうるさかった」


「優しいなぁ、クロノさん」

新人の言葉に、クロノは露骨に嫌そうな顔をする。


「やめろ。気持ち悪い」


その瞬間、店内に笑いが起きた。


週末営業を乗り切った『LUXE』の夜は、いつもより少しだけ騒がしく、でもどこか穏やかに更けていった。


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