第6話:『非常階段の缶コーヒーと、眠れないホストたち』
営業終了後の『LUXE』は、ようやく喧騒が落ち着きを見せ始めていた。
シャンパンコールの残響。 アルコールと香水の匂い。 床を拭く黒服の足音。数時間前までギラギラと輝いていたフロアも、今はどこか疲れ切った大人たちの“仕事場”に戻っている。
「……疲れた」
クロノは、バックヤードの壁に寄りかかりながら小さく呟いた。
今日は珍しくトラブル続きだった。酔って泣き出す客。 卓で喧嘩しかけた客同士。 潰れて動けなくなった新人ホスト。その全部の“後始末”が、なぜか忠敬のところへ流れてきた。
「クロノー! マジ助かった!」
酔い潰れた新人ホスト・ユウが、ソファから半分死んだ顔で手を振ってくる。
「介抱した恩人に酒臭い息向けんな。さっさと帰れ」
「冷たっ!」
周囲のホストたちが笑った。最初は“変な新人”扱いだった空気も、最近は少しずつ変わり始めている。
理由は単純だった。クロノががフロアにいると、なぜか店内事故率が妙に減るのだ。グラス破損。 客同士の揉め事。 泥酔トラブル。 会計ミス。
そのすべてが、なぜかギリギリのところで未然に回避される。
もちろん本人は、周囲の小人たちの悲鳴を拾って事前に動いているだけなのだが、周囲から見れば”異様に状況が見えている、気が利く新人”でしかなかった。
するとその時、バックヤードの隅に積まれたタオルの小人たちが、わちゃわちゃ騒ぎ始めた。
『来るぞ来るぞ』
『今日のアレ始まるぞ』
(……なんだ?)
次の瞬間。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
フロア奥から絶叫が響いた。忠敬が顔をしかめる。
「あー、始まった」
黒服が慣れた顔でため息を吐いた。フロアへ向かうと、そこにはNo.2ホスト・シンが、床にしゃがみ込んで泣いていた。
「なんでだよぉぉぉ……!! 俺、今日めちゃくちゃ頑張ったのにぃぃ……!!」
『またメンタル崩壊してる』
『週末恒例だな』
ソファの小人たちが呆れ顔で見ている。どうやらシンは、指名客とのLINEが既読無視されたらしい。
「俺なんかもう価値ないんだぁ……!」
「いや重い重い重い」
周囲のホストが総ツッコミを入れる。だが誰も本気では止めない。 この店では割と日常茶飯事なのだろう。
しかし、シンのスマホの小人だけは、涙目で忠敬に駆け寄ってきた。
『お願い兄ちゃん止めてぇ!』
『この人また朝まで自己否定ループ入る!』
『過去のLINE全部見返し始めるぞ!』
(地獄かよ……)
忠敬は心底嫌そうな顔をした。すると背後から、レンがふっと笑う。
「クロノ、ちょっと頼める?」
「なんで俺」
「こういう時、お前の方が効くんだって」
「意味分かんねぇ」
だがレンは肩をすくめるだけだった。
「俺が行くと、“営業”って思われるからさ」
その言葉に、忠敬は少しだけ黙る。
……なるほど。
No.1ホストという立場上、レンの優しさは時々“商品”として受け取られてしまうのだ。だが忠敬は違う。 営業感が壊滅的に薄い。
だから、変にストレートに刺さる。
(めんどくせぇ……)
心の底からそう思いながら、忠敬はシンの前へしゃがみ込んだ。
「おい」
「……ぅぅ」
「水飲め」
「クロノくん冷たいぃ……」
「泣きながらスマホ見んな。余計悪化する」
「でも既読がぁ……!」
「深夜三時だぞ。普通寝てる」
シンがぴたりと止まる。周囲も一瞬静かになった。
「……あ」
「あとお前、今日普通に売上良かっただろ」
「……うん」
「だったら今日は寝ろ。情緒不安定な時にLINE分析するな」
シンがじわじわ顔を上げる。
「クロノくん」
「なんですか」
「お母さんみたい……」
「ぶっ飛ばすぞ」
周囲が爆笑した。レンなんかテーブルに突っ伏して笑っている。
『うわー』
『完全に保護者ポジだ』
灰皿の小人たちまで頷いていた。
十分後。シンはなんとか落ち着き、黒服に回収されていった。
「クロノさん、助かりました……」
黒服の男性――店長補佐の桐谷が、缶コーヒーを差し出してくる。三十代前半。 無精髭気味。 常に寝不足顔。だが店全体を裏で回している、実質現場責任者だった。
「別に。たまたま(・・・・)目が合っただけです」
「いやほんと助かるんですよ。最近」
「……」
桐谷は苦笑する。
「レンは華がある。シンは愛嬌がある。でもクロノさん、“店が壊れる前に止める”んですよね」
その評価は、忠敬にとって全く嬉しくなかった。だがバックヤードの冷蔵庫の小人たちは、なぜか感動したように泣いていた。
『うおお……』
『縁の下の力持ちだ……』
(だからなんなんだよお前ら)
その時だった。
「クロノー」
レンが片手をひらひら振る。
「外、付き合って」
「は?」
「缶コーヒータイム」
意味が分からないまま、忠敬は非常階段へ連行された。
夜風が涼しい。
歌舞伎町のネオンが、遠く下で滲んで見える。レンは自販機で買った缶コーヒーを一本投げて寄越した。
「ほい」
「……どうも」
プシュ、と缶を開ける。
しばらく沈黙。
意外だった。レンは店内ではあれだけ喋るのに、二人きりだと無理に会話を繋げない。その空気が少しだけ楽だった。
すると自販機の取り出し口の小人が、得意げに胸を張る。
『レンの旦那、最近ここよく使うんだぜ!』
『クロノの兄ちゃんと話す時だけ!』
(余計なこと言うな)
忠敬は無言で缶コーヒーを飲む。レンは夜景を見ながら、小さく笑った。
「クロノさ」
「なんですか」
「だいぶ店に馴染んだね」
「不本意です」
「はは」
レンは少しだけ真面目な顔になる。
「でも助かってるよ、みんな」
その言葉は、営業トークには聞こえなかった。非常階段の鉄柵の小人たちが、静かに頷いている。
『レン様、本音だぞ』
『珍しいなぁ』
忠敬は少しだけ視線を逸らす。歌舞伎町の夜は相変わらず騒がしい。
だが、その喧騒から少し離れた非常階段だけは不思議と静かだった。




