第6話 部室リフォーム大作戦と、黒歴史の魔導書
スプリンクラー事件から一夜明けた、翌日の放課後。
俺と陽奈は、再び旧校舎の最奥にある『お任せ部(仮)』の部室の前に立っていた。
「よーし! 今日から本格始動だよ、軍師くん!」
陽奈が腕まくりをしながら、鼻息荒く宣言する。
昨日の濡れ鼠騒ぎで風邪を引くこともなく、この暴走ポニーテールは今日も無駄に元気だ。
だが、俺のテンションは低い。なぜなら目の前の現実は、昨日と変わらず「魔窟」だからだ。
ガララッ……。
引き戸を開けると、淀んだ空気と舞い上がる埃が俺たちを出迎える。
床には歴代の遺産が散乱し、窓ガラスは曇り、黒板は何十年も消されていないかのように白い。
「……まずは、ここを人の住める場所にアップデートする必要があるな」
「だね! 伝説の『お任せ部』の拠点がゴミ屋敷じゃ、未来のファンも幻滅しちゃうしね!」
陽奈は部室のロッカーから、置き去りにされていたボロボロのジャージ(おそらく十年前の先輩の遺産)を見つけ出し、制服の上から器用に着込んだ。
俺も観念して、マスクを装着し、掃除用具を構えた。
「作戦名は『部室リフォーム大作戦』! ミッション・スタート!」
陽奈の号令と共に、大掃除が始まった。
だが、開始五分で俺は悟った。
天道陽奈というユニットに「繊細な作業」を求めてはいけない、と。
「えいっ! 埃よ、消え去れぇぇ!」
ブンッ! バフッ! モワァァァッ!
「ゲホッ、ゴホッ! おいバカ! ハタキを全力で振るな! 『拡散』させてどうする!」
「あれっ? 拭いてただけなのに、机の脚が折れたよ?」
「なんで雑巾がけで机が壊れるんだよ! STRの制御バグってるぞ!」
陽奈が動くたびに新たな破壊と混沌が生まれる。
俺は舞い上がる埃を避けながら、彼女の後始末に追われた。
ゲームで言えば、広範囲攻撃をぶっ放す味方のフレンドリファイアを避けつつ、ドロップアイテムを回収する支援職の気分だ。
「……ん? なにこれ」
棚の奥を漁っていた陽奈が、一冊の古びたノートを引っ張り出した。
表紙には、黒のマジックで禍々しい逆十字のマークが描かれ、『禁断の魔導書』と記されている。
「……おい、よせ天道。それは開けちゃいけないパンドラの箱だ」
「えー? 先輩の日誌かな? 読んでみよ!」
俺の制止も虚しく、陽奈は興味津々でページをめくった。
『X月X日。 今日も右腕の古傷が疼く。……ククッ、闇の住人たちが俺を呼んでいるようだ』
『我ら「黒き破翼の堕天使団(仮)」は、世界の理に抗う者なり』
「…………」
「…………」
部室に、埃とは違う種類の、居た堪れない沈黙が流れた。
俺は顔を覆った。共感性羞恥でHPが削がれる。
これは過去のこの部室の住人が遺した、特級呪物――もとい、重度の厨二病ノートだ。
「あはは! なにこれ! 『右腕が疼く』だって! 痛むなら、病院行ったほうがいいよね!?」
「笑うな天道! それは魂の叫びだ! ある意味、俺たちの大先輩だぞ!」
「そっかー。でもさ」
陽奈はノートを閉じ、埃を優しく払って棚に戻した。
「なんか、楽しそうだね」
「……あ?」
「だって、こういうおバカなこと書いて、一緒に笑える仲間がいたってことでしょ? 青春って感じで、ちょっと羨ましいな」
陽奈は夕陽に目を細め、柔らかく微笑んだ。
その横顔を見て、俺は毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。
痛々しい黒歴史すら、「楽しそう」と肯定する。
そんな彼女の笑顔に、俺は何故か救われた気がした。
このポジティブさこそが、彼女の最大の固有スキルなのかもしれない。
「……まあ、そうだな。俺たちも、そうなれるといいな」
「うん! きっとなれるよ!」
陽奈がニカッと笑い、近くにあったパイプ椅子にドスンと座った。
その瞬間だった。
バキッ!!
金属疲労を起こしていた古い椅子の脚が、陽奈の勢いに耐えきれず悲鳴を上げて折れた。
「えっ――わぷっ!?」
陽奈の体がバランスを崩し、後ろへ倒れ込む。
床には、さっきまとめた雑誌の束や、壊れた机の木片が散乱している。
打ちどころが悪ければ怪我をする。
「――っ、危ない!」
俺の身体は、思考するより先に反応していた。
踏み込み。腕を伸ばす。
倒れ込む陽奈の背中と腰に手を回し、強引に引き寄せる。
ダンッ!
俺は陽奈を抱き留める形で踏ん張った。
衝撃で少しよろけたが、転倒は回避した。
「……っ、セーフ」
安堵の息を吐く。
だが、次の瞬間、俺は現状の異常に気づいた。
近い。
抱き留めたせいで、陽奈の体が俺の胸に完全に密着している。
ジャージ越しでも伝わる体温と、柔らかい感触。
掃除で少し汗ばんだ首筋からは、昨日の湿った匂いとは違う、健康的な女の子の香りが漂ってくる。
「あ……」
陽奈が俺の腕の中で顔を上げた。
至近距離で視線が絡む。
夕陽が差し込む部室で、彼女の少し潤んだ琥珀色の瞳が、俺を映している。
まつ毛の長さまで数えられる距離だ。
「……あ、ありがと、軍師くん」
いつもは大声で笑い飛ばすはずの彼女が、妙にしおらしい声を出した。
頬が、夕焼けのせいだけではない赤さに染まっている。
鼓動が速いのが、密着した胸から伝わってくる。それが俺の鼓動なのか、彼女のものなのか、もう分からない。
「……反応速度、悪くなかっただろ」
俺は平静を装ってそう答えるのが精一杯だった。
これ以上触れていたら、俺の理性がショートする。
俺は慌てて彼女の体を支え直し、パッと距離を取った。
「……椅子、完全に壊れたな。新しいの調達しないと」
「う、うん! そうだね! クッションとか必要だね! 今度買いに行こう!」
陽奈も慌てて髪を整え、壊れた椅子の方を向いて誤魔化した。
気まずいような、でも嫌ではない、くすぐったい空気が流れる。
掃除を終えた部室は、最初よりは見違えるほど綺麗になっていた。
窓ガラスからは、鮮やかな夕焼けが差し込んでいる。
「……ねえ、軍師くん」
陽奈が窓辺で振り返り、どこか真剣な瞳で俺を見つめた。
夕陽が彼女の横顔を照らし、風がポニーテールを揺らす。
さっきの密着ハプニングの余韻もあって、部室には少しドキドキするような、静かな空気が流れた。
「今日は、その……ありがとね。軍師くんがいてくれて、よかった」
「……俺も、まあ、悪くなかったよ」
視線が絡む。
お互い、何かを言いかけて、言葉を探すような沈黙。
まるでラブコメのワンシーンのような、完璧な「いい雰囲気」――。
グゥオオオオオオオ……ッ!!
その静寂を切り裂いたのは、地底から響くような、猛獣の咆哮だった。
「…………」
「…………」
俺の視線が、陽奈のぺたんこのお腹に向けられる。
陽奈の顔が、夕焼け以上に真っ赤に染まっていく。
「ち、ちちち、違うの! 今のは私じゃなくて……そう! さっきのノートに書いてあった『闇の住人』が封印を破ろうと……!」
「……今の音量は、完全にレイドボス級だったぞ」
俺が呆れて指摘すると、陽奈は「ううぅ……」と顔を覆ってしゃがみ込んだ。
「だ、だってぇ……掃除したらお腹空いちゃったんだもん……」
「ははっ」
そのあまりに素直な反応に、俺は思わず吹き出した。
緊張感も、甘酸っぱい雰囲気も、すべて吹き飛ばす豪快な腹の虫。
でも、それがなんだか無性に可笑しくて、愛嬌があって。
「……立てよ、勇者」
俺はカバンを持ち上げ、ニヤリと笑った。
「その『闇の住人』を鎮めるために、肉まんくらいなら奢ってやる」
「えっ!? 本当!? 軍師くん大好き!!」
陽奈がバネのように跳ね起き、現金な笑顔を向ける。
「よーし! コンビニへ進軍だー! 特製ピザまん食べるぞー!」
「おい、勝手に高いやつ指定するな」
騒がしく部室を飛び出す陽奈。
俺は肩をすくめつつ、その背中を追った。
少しだけ綺麗になった部室と、昨日よりも確実に縮まった二人の距離。
花より団子な相棒との放課後は、まだまだ退屈しそうにない。




