第49話 茜色のハイタッチと、眼鏡を外した素顔
大時計塔の屋根の上。
空の支配者だったカラスは去り、後には少し強めの夕風だけが吹いていた。
「はぁ……はぁ……」
天道陽奈と西園寺ランカは、傾斜のある銅板の屋根に並んで腰を下ろし、大きく息をついていた。
眼下には、オレンジ色に染まった学園の全景が広がっている。特等席だが、高所恐怖症の人間なら卒倒しそうな高さだ。
「……はい、会長」
陽奈が、握りしめていた右手を差し出す。
その手は配管や屋根をよじ登ったせいで、黒い煤や埃で汚れ、あちこちに擦り傷ができていた。
けれど、その掌にあるピンク色のマスコット――『星導のアンジュ』だけは、傷一つなく守られていた。
「大事な友達、戻ってきたよ」
陽奈が、煤で少し黒くなった顔で、ニカッと笑う。
ランカは震える手で、それを受け取った。
「……あ……」
指先が触れる。確かな質量と、慣れ親しんだ感触。
ランカはマスコットを、壊れ物を扱うように両手で包み込み、胸に抱き寄せた。
「……っ。ありがとうございます……!」
彼女の瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「よかった……本当によかった……。私、これが無くなったら……もう、立っていられない気がして……」
それは、完璧な生徒会長としての言葉ではなかった。
たった一つの心の支えを失いかけ、不安で押しつぶされそうになっていた、等身大の少女の弱音だった。
「私、怖かったんです。……皆が期待する『西園寺ランカ』でいられなくなるのが。……本当の自分は、こんなに弱くてダメなのに」
「そんなことないよ」
陽奈があっけらかんと言う。
「会長は、ここまで飛んできたじゃん。私をあんなに高く飛ばしてくれたじゃん。……すっごく、頼もしかったよ」
「……それは、貴女が無茶をするから……」
「へへっ。だから、私たちは『いいコンビ』なんじゃない?」
陽奈が立ち上がり、夕日に向かって手を高く掲げた。
「ほら、会長! いぇーい!」
パァと開かれた掌。ハイタッチの合図だ。
ランカは一瞬、キョトンと目を瞬かせた。
生徒会長が、そんな軽薄なノリに付き合っていいものか。
しかし――彼女はふと、自分の顔にかかっている銀縁眼鏡に手を触れた。
(……今は、オフの時間ですよね)
ランカは意を決して、その眼鏡をスッと外した。
知的な生徒会長の仮面が外れ、そこには、年相応のあどけなさを残した、とびきりの美少女の素顔が現れた。
彼女は涙を拭い、今日一番の――いや、入学以来最高の笑顔を見せた。
「……いぇーい、です!」
パァンッ!!
乾いた音が、茜色の空に響き渡る。
手と手が触れ合う感触。熱量。
それは、敵対していた二人が「共犯者」となり、そして「友人」になった瞬間の音だった。
長いハシゴを降り、地上に戻った頃には、太陽は沈みかけていた。
「おう、おかえり! 派手にやったな!」
「ぶ、部長ぉぉ! 無事でよかったですぅ!」
金剛とクルミが駆け寄ってくる。
そして、少し離れた場所で待っていた俺と、副会長。
「……お疲れ様です、会長。眼鏡、ズレてますよ」
副会長がハンカチを差し出す。ランカは慌てて眼鏡をかけ直したが、その表情は憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「……正義。みっともないところを見せましたね」
「いいえ。……今までで一番、立派な飛躍でしたよ」
副会長が珍しく、穏やかに微笑む。
俺は、陽奈の方へと歩み寄った。
「……おかえり、破壊神」
「ただいま、軍師くん!」
陽奈は煤だらけの顔で、白い歯を見せて笑った。
「どう? ミッション・コンプリートでしょ?」
「……ああ。評価Sだ」
俺が認めると、陽奈は「やったぁ!」とガッツポーズをした。
夕闇が迫る中、二人の少女――陽奈とランカは顔を見合わせ、照れくさそうに、でも嬉しそうに笑い合った。
こうして、学園を騒がせた一連の騒動と、俺たちの長い一日は、ハッピーエンドで幕を閉じたのだった。




