第41話 千手の樹木・空中戦と、高枝切りの舞
旧校舎の裏手。
月明かりさえ届かない鬱蒼とした闇の中に、その「怪物」は鎮座していた。
樹齢数百年とも言われる巨大な松の木。
手入れされずに伸び放題となった枝葉が、夜風に吹かれてザワザワと音を立てる。その姿は、まるで無数の腕を蠢かせる『千手観音』、あるいは冒険者を捕食する魔界植物『エルダー・トレント』そのものだった。
「……いるね。あいつだ」
天道陽奈が、低く押し殺した声で呟く。
彼女の手には、柄を最大まで伸ばした高枝切りバサミ――通称『竜殺しのハルバード』が握られている。
「これが、最後の戦い……」
陽奈の横顔には、いつもの明るさはなかった。
あるのは、悲壮なまでの覚悟。
失敗すれば終わり。自分の居場所がなくなる。そんな強迫観念が、彼女の小さな背中を押し潰そうとしているように見えた。
「行くよ、みんな。……私の、最後の勇姿を見てて」
陽奈が地面を蹴った。
その初速は、今までで一番速かった。
「はぁぁぁぁっ!!」
気合一閃。
陽奈は木の幹を蹴り上げ、重力を無視して枝の上に飛び乗った。
普通なら高枝切りバサミは下から使うものだが、彼女は「空中戦」を選んだのだ。
「触手が多い……! 捕まったら終わりだ!」
陽奈の目には、揺れる枝のすべてが、自分を絡め取ろうとする敵の触手に見えているらしい。
「邪魔だぁぁっ! 消えろぉぉっ!」
パチンッ! パチンッ! バキィッ!
陽奈は枝から枝へと、野生の猿のような身軽さで飛び移りながら、ハサミを高速で振るう。
本来は細い枝を切るための道具だが、彼女の怪力にかかれば太い枝もポッキーのようにへし折られていく。
「す、すげぇ……部長のAGI、カンストしてんじゃねぇか?」
下で切り落とされた枝を回収していた金剛が、呆気にとられて空を見上げる。
確かに凄い動きだ。まるでワイヤーアクション映画を見ているようだ。
だが、俺は違和感を覚えた。
(……動きが、硬い?)
速いのだが、余裕がない。
焦燥感に駆られ、ただ闇雲に刃を振るっているように見える。
「軍師くん! どこ!? 核はどこ!?」
陽奈が悲鳴のような声を上げる。
枝葉が多すぎて、パニックになっているのだ。
俺は慌てて指示を飛ばした。
「落ち着け天道! 敵の『本体』は中央だ! 外側の細かい触手は無視して、太い幹に近い部分を狙え!」
「中央……本体……!」
陽奈が視線を巡らせる。
しかし、彼女の視界に入ったのは、密集した枝の壁だった。
「だ、ダメだ……! 数が多すぎる! 全部倒さないと、本体まで届かない!」
「いや、そこまでやる必要は――」
「やるんだ! 全部切らなきゃ! 残したらまた再生する!」
陽奈の思考回路がショートした。
「失敗できない」というプレッシャーが、彼女の判断力を奪ったのだ。
「ええい! これも敵だ! あれも敵だ!」
パチンッ! バキバキッ!
彼女の剪定は、乱舞へと変わった。
枯れた枝だけでなく、青々とした元気な枝も。
全体のバランスを取るために必要な重要な枝も。
視界に入る「出っ張り」の全てを、彼女は敵と認識し、無差別に切り落とし始めた。
「うおおぉぉぉ! 負けない! 私は負けないんだぁぁぁ!」
月夜に刃が煌めく。
バサバサと大量の枝葉が雨のように降り注ぐ。
それは剪定というにはあまりに暴力的で、しかし悲しいほどに必死な、破壊の舞だった。
「お、おい部長! 切りすぎじゃねぇか!?」
「天道さん! もう十分ですよぉ!」
金剛とクルミの声も届かない。
陽奈は止まらない。
この木を「丸裸」にするまで、彼女の戦いは終わらないのだ。




